「ねぇ、ちゃん。バイトやってみない?」

にっこりと笑顔を浮かべたお妙にそう声を掛けられたのは、が暇つぶしに万事屋に遊びに来ていた時の事だった。

ちょうど電話で依頼が入った万事屋メンバーは、渋々ではあるがある意味危険極まりないこの2人に留守番を任せて出て行ったっきり、まだ戻ってきていない。―――そんな微妙な空気が流れるこの空間での突然の誘いに、はきょとんと目を丸くして首を傾げた。

「バイトって・・・?」

「もちろん、スナック『すまいる』よ。店長が何処かでちゃんを見かけて気に入ったらしくって、知り合いなら勧誘してきてくれって頼まれたのよ」

あえて言うなら、とお妙は特に仲が良いわけではない。

勿論仲が悪いわけでもなく、こうして会えば話に花を咲かせる事もあるが、特別な接点があるわけでもないため、日ごろから顔を合わせる事も少ないのだ。―――そんな状況では、仲が良いと言えるかもしれないけれど。

「・・・う〜ん」

ちゃんって、ホステスに向いてると思うわ。どうかしら?」

渋るにそう続けて、相変わらずお妙はやんわりと微笑んでいる。

たとえば向いているか向いていないかと言えば、は向いていないわけではないだろう。

社交的でもあるのだし、相手を話に乗せるのも得意だ。―――相手を引き付けつつも深入りさせないところだとか、ちょっとやそっとじゃ動じない度胸だとか。

けれど様々な面で見てみれば、ある意味向いていないとも言えるが。

「バイト・・・ねぇ」

ポツリと小さく呟いて、は視線を彷徨わせながら考える。

桂がバイトに励むようになり、必然的にもそれに付き合うようになって、確かに面倒な事も多いがそれはそれで楽しそうだと思わなかったわけではない。

的にはまるっきり違法ではあるが薬の調合で資金を稼いでいる為、改めてバイトをする必要もないといえばないのだけれど。

「・・・うん、なんだか面白そうだしやってみようかな」

「本当?」

「でも私もそれなりに忙しいから毎日ってわけにもいかないし、臨時で時間が空いた時だけで良いなら」

暇を持て余して万事屋に遊びに来ているが言っても説得力はないが、しかしお妙はそこを突っ込む事もなく、何故だか楽しそうに承諾した。

これが、きっかけ。

スナック『すまいる』に、時折謎の美少女がホステスとして出現するようになった発端である。

 

可愛いものにだってトゲがある

 

は一応、ヘルプ・・・―――臨時のバイトとして、スナック『すまいる』で働いている。

それはどこかでを見つけた店の店長が、お妙を通じて勧誘したからだ。

そう、臨時のはずなのだけれど。

店長室に呼び出され、あまつ正座までさせられて説教されていたは、ぼんやりと店長の説教を右から左に聞き流しながら、同じく説教を受けているお妙と阿音を横目に欠伸をかみ殺す。

どうやら2人の接客態度に問題があるらしい。

客の懐を吸い尽くす阿音と、セクハラまがいの客を張り倒すお妙。

まぁ、一応は客商売なのだからどちらもどうかと思うが、そこに何故自分までが呼び出されているのか・・・―――かなり退屈を持て余しながら、それでも奇跡的に静かに話を聞いていたを、引き攣った笑みを浮かべた店長がジロリと睨み付けた。

ちゃん。君、自分はまったく関係ありませんって顔してるけど、君だってお妙ちゃんと似たようなもんなんだからね」

「・・・えー?」

「えー、じゃない。君の場合は更に性質悪いよ。お妙ちゃんと阿音ちゃん足して2で割ったような接客して」

「何言ってるの?それがホステスの仕事でしょ?―――苦情来るようなヘマはしてないと思うんだけど」

店長の抗議の声もなんのその。

ケロリとした面持ちで言ってのけるに、店長の顔も更に引き攣った。

「確かに苦情は来てないけどね。その代わり吸い尽くされてリピーターも半分くらいは減ってるでしょ。うちとしては長くそれなりにお客には足運んでもらいたいんだけどね」

「でも私、臨時だし。私のいない時がどうだろうと私には関係ないし」

やっぱりなんでもない風に言い放って笑うに、とうとう店長は諦めたのか・・・大きなため息を吐き出して。

「まぁね、3人共うちの店でも売れっ子だし。ほんとはね、温かい目で見守って行きたいんだけれども。―――核弾頭3つも所持してやっていけるほど甘くないから、この世界」

煙管の灰を落として、店長はそう前置きをしてから剣呑な眼差しで3人を見つめた。

「だから、誰か1人、店やめてもらうから」

「えっ!!」

そうしてあっさりと下された決断に、阿音とお妙は同時に声を上げる。―――直後、ジロリと睨み合う2人を横目に、は厄介な事に巻き込まれそうだと小さく独りごちた。

「残ってもらうのは・・・そうだね。明日ちょうど今月の売り上げが出る日だから、利益を上げた方に残ってもらおうと思うよ」

そんな女3人を他所に、店長は最後通告を突きつけた。

かくして、女3人の戦いは幕を開けたのである。

 

 

「ごめんね、ちゃん。こんな事に巻き込んじゃって・・・」

「いいの、気にしないで」

閉店後、お妙と一緒に夜道を歩いていたは、突然そう謝罪を告げられてやんわりと微笑んで首を振った。

別に今回の事は妙が悪いわけではない。―――勿論は自分が悪いとも思っていないが。

それが演技なのかそれとも本音なのかはさておき、殊勝な態度で謝罪を口にした妙を横目に、は「ただ・・・」と言葉を続ける。

「ごめんなさい。私、たかが臨時のバイトだけど・・・でもこの勝負、引く気はないから」

穏やかに微笑むお妙を見つめて、もまたにっこりと優しげに笑む。

確かには、スナック『すまいる』の臨時のバイトだ。

そのバイトを始めたきっかけも、お妙に熱心に誘われて断りきれずといったところも確かにある。

けれどこのバイトがに何も益を成さないかといえば、実際にそうではないのだ。

業界ではそれなりに知名度もあるスナック『すまいる』には、幕府関係の人間が来る事もある。

酒が入り酔いも回れば、大抵の人間の口は軽くなる。

そんなところを軽くつついてやれば、重大な・・・とは言えなくとも、それなりの情報を手に入れる事は可能なのだ。

どんな情報でも持っていて損はない。―――というのがの持論である。

ああいった世間から切り離されたような特殊な空間は、情報収集にはもってこいの場所なのだ。

それに加えて、金にモノを言わせて言い寄ってくる男たちからの貢物は馬鹿に出来ない。

ニコニコと微笑みあい、けれど自分の意図を完全に見抜いているだろうを見返して、お妙は更に笑みを深める。

ちゃん。私には父上の道場を再興するっていう野望があるの」

「それは大変だね。頑張って、お妙さん」

軽く掛けられた牽制もには通じない。―――言葉の裏に込められた意味をあっさりと流して、はやんわりと口を開く。

「私もね、それなりのお金が必要なの。何せ世間知らずでお人好しで騙されやすくてあらゆる方向で真面目な厄介か厄介じゃないかと言われれば間違いなく厄介な人がいるからね。いろんな意味でお金が掛かるの」

「・・・そう。大変ね、ちゃんも」

あっさりと返された牽制に、しかし妙もまた怯む事無くあっさりと頷き返す。

どうやらには引く気がないらしいという事を察し、妙の笑みは更に深まる。

敵として厄介かそうじゃないかといえば間違いなく厄介な部類に入る相手だけに、出来ればここで諦めて欲しかったのだけれど・・・―――それでもをこのバイトに誘ったのは自分自身であるのだから、この状況も仕方がないといえば仕方がないのかもしれないが。

「それにね。それが私にとって有益でもそうじゃなくても・・・勝負と名の付く物に負けるつもりは毛頭ないの。私ってこう見えて結構負けず嫌いだから」

の本音は、本当のところはここにあるのかもしれない。

確かにこのバイトは有益な部分が多いが、だからといって無理をしてまで続けるほどの価値があるかといえば必ずしもそうとは言えない。

には彼女だけの情報網がある。―――今まではそれで事足りていたし、きっとこれからもそれで十分だろう。

けれど売られた喧嘩は何倍にもして返す、というのがの持論だ。

ニコニコと微笑みあう2人の間に火花が散る。

本当に侮れない敵は目の前にいるのだとお互いがお互いを認識し、そうしてお互い牽制しあうように、見る者を凍りつかせるほど素晴らしい笑みを浮かべた。

 

 

翌日、スナック『すまいる』は日常にはないほどの賑わいを見せていた。

それもこれも3人の勝負が従業員に知れ渡っていたからだ。―――それだけではなく、見事阿音をだまくらかした妙が銀時と長谷川を呼び寄せ、それを見て騙された事を知った阿音が次々に固定客を呼び寄せたからだ。

そんな2人の熾烈な戦いを人事のように眺めて、はフムと小さく頷く。

流石に自分もこのままではまずいかもしれない。

しかしが何の策もなく戦いに挑むはずもなく、既に手は打ってある。―――後は策が成るのを待つだけなのだが・・・。

そんな風にが考えを巡らせていたその時、店内に一際高い黄色い声が上がる。

漸く来たかと立ち上がって出迎えに向かえば、そこにはかなりの不機嫌そうな表情を浮かべた土方と、ニヤニヤと笑みを浮かべる沖田が立っていた。

「いらっしゃい、土方くんに沖田くん。ゆっくりしてってね」

にっこりと綺麗に微笑んで歓迎の意を示せば、土方は露骨に嫌そうに表情を歪める。

「急に連絡寄越したかと思ったらこんなところに呼び出しやがって。テメーがここで働いてたとは知らなかったがな」

「臨時のバイトだけどね。気が向いたら顔出すってくらいの。いいご身分でしょ」

「自分で言うな、自分で」

「とりあえず立ち話もなんだから、席へどうぞ」

相変わらず嫌そうな表情をする土方を席へと促し、この状況が面白いのかやはりニヤニヤと笑みを浮かべる沖田をも連れながら、は用意しておいたスペースへと向かう。

そうして無事に席へと着き、お互い顔を合わせるように座った後、は唐突に話を切り出した。

「この間は面倒掛けてごめんね。今日はそのお詫びもかねてめ一杯サービスするからどんどん楽しんで行ってね。―――というわけで、ドンペリ10本入りま〜す!

席に着いたと同時にとんでもない注文をしたに、ソファーに座って不機嫌な表情を崩す事なくタバコを吸っていた土方が思わず目を剥く。

「待て待て待て。一応聞いとくが、それはテメーのおごりなんだよな」

「やーね、土方くんってば。ホステスがお金支払うなんて聞いた事ないわよ。勿論支払いは土方くんに決まってるでしょ

そうして少々頬を引き攣らせつつも牽制の為に放った言葉は、の爽やかな笑顔といっそ清々しいほどの発言に切って捨てられる。

思わず絶句する土方を横目に次々と運ばれてくるドンペリを無感動で眺めていた沖田は、相変わらずの無表情のままパチパチと手を叩いた。

「おー、さすが土方さん、太っ腹ですねィ。んじゃ、遠慮なく」

「ちょっと待たんかい、テメーら!何で俺が支払わなきゃいけねーんだよ」

「だって土方くん、お客でしょ?」

今更何を・・・とでも言いたげにきょとんと目を丸くするに、土方は苦々しげな表情を浮かべて、吸っていたタバコをテーブルに置かれた灰皿に押しつぶす。

「別に来たくて来たわけじゃねーがな。テメーが強引に呼びつけたんだろーが」

「ああ、そう。土方くんは私の接待じゃ嫌だって言うのね。へー、そんな事言うんだ。土方くんも随分と恥知らずになったものよね」

言いつつドンペリへと手を伸ばし、それをテーブルにセットされたグラスへと注ぎ土方と沖田の前へと差し出す。―――どうやらまったく仕事をする気がないわけでもないらしい。

しかしそれを素直に受け取った沖田とは反対に、土方はそれを受け取る事無くジロリとを睨み付けた。

「・・・なんだと?俺のどこが恥知らずだってんだ、あぁ?」

10人中9人が竦みあがりそうなほど凶悪な土方の目つきに、しかしは動じない。

口元に指を当て考え込む仕草を見せてから、はにっこりと微笑んで。

「まずは部屋の右にあるタンスの下から二段目、右奥の着物の下に・・・」

「待て待て待て待てー!!・・・テメェ」

なんでもない事のような顔でさらりと爆弾を投下しかけたの口を無理やり塞いで、だらだらと冷や汗を流しながらそれを誰かに聞かれないようにと思わず声を張り上げる。

こんな公衆の面前で秘密を暴露されてはたまらない。―――勿論、どんな秘密であるのかは説明するつもりもないが。

そんな追い詰められた土方を上目遣いに見上げ、口を塞がれたままは己の勝利を確信して目を細めて静かに笑む。

そうしてやんわりとした手つきで自分の口を塞ぐ土方の手を剥ぎ取ったは、忌々しげに自分を見つめる土方を見返してそれはそれは綺麗に微笑んだ。

「ふふん、あんまり私を甘く見ない事ね、土方くん。あの真撰組居候の日々で、私がどれほど土方くんのくだらなくもこっ恥ずかしい秘密を握ったと思ってるの?どう足掻いたって土方くんに勝ち目なんてアリの足先ほども存在しないのよ」

キッパリと言い放たれた言葉に、咥えたタバコがぎりぎりと音を立てる。

バラすと決めれば、は何が何でもバラすだろう。

あん時無理やりにでも追い返しときゃよかった・・・と今更後悔しても遅い。

漸く己の劣勢を察したのか、土方は不本意そうな面持ちではあるが差し出されたグラスを受け取り一気に煽る。

こうなったら呑まなきゃやってられない。

空のグラスに再びドンペリが注がれていくのを忌々しげに睨みつけながら、土方は前向きなのか後ろ向きなのかどちらともいえない決意を固める。―――しかしの追撃の手はその程度では緩まなかった。

「ちなみに土方くん、貯金はいくらくらい?

口調は世間話でもするかのような気軽さだが、質問の内容はかなりとんでもない。

煽ったドンペリを思いっきり噴出し、すかさず差し出されたタオルで口元を拭きつつ、再びギロリとを睨み付けた。

「んな事聞いてどーするつもりだ」

「やだなぁ。ここでそれを聞くって事は、有り金全部巻き上げてやろうって言うか、それだけで事足りるかの計算するに決まってるじゃない

「バカか、テメーは!いいか!俺はぜーったいにテメーに貢いだりはしねぇ!!」

輝くような笑顔で言い切られ、土方はグラスをテーブルに叩きつけるように置くと、噛み付く勢いでそう怒鳴った。

それを相変わらず微笑みを浮かべたまま見上げて、「確かに土方くんってそういうタイプじゃないわよね。―――いや、でも案外・・・」などと呟きながら、その視線をチラリとあるテーブルに向ける。

そこでは阿音に負けじと対抗心を燃やすお妙と、そんな彼女に振り回される男たち。

寧ろ喜んで参戦してますとでも言うような勢いでお妙に貢ぎまくっている近藤を見つめて、は小さく息を吐いた。

「あなたのボスがあんなにも必死になってるっていうのに、あっさりそれを否定するわけね。いい部下持ったよね、近藤さんも」

「ほっとけ!それよか、何で俺ばっかりなんだよ。総悟がいるだろうが、総悟が」

不本意な非難に更にグラスを煽った土方は、まるで我関せずとばかりにドンペリを飲み続けている沖田へと矛先を向けた。

「えぇ〜、沖田くん・・・ねぇ」

しかしは土方と同じく沖田へと視線を向けるも、その声色は晴れない。

この女でも総悟相手だと怯むのか・・・と感心していると、は視線を土方へと戻してにっこりと微笑んだ。

「沖田くんの場合はほら、あれだから」

「あれってなんだよ、あれって」

「言っときますけど、金払うならそれ相応のもんはいただきやすぜ」

「ほらね。沖田くんって一筋縄じゃいかなそうだから、やっぱりカモにするのはちょっと向かないかなって。それに、ほら。沖田くんとは同盟結んでるから」

何で総悟相手だと普通の考えするんだよ・・・と心の中で突っ込みつつ、土方はがっくりと方を落とす。―――というか、今気になる言葉があったのだが・・・。

「俺ならいいのかよ。つーか同盟って何だ」

土方くんをいじり倒してからかい倒す会?

当然でしょと言わんばかりにあっさりと言い放ったに、普段から温厚とは言いがたい土方の眉間に皴が寄る。

「・・・テメー、女だと思って甘く見てりゃ好き勝手言いやがって」

「何言ってるの。だから言ってるに決まってるじゃない

ばっちり、その辺りは抜かりがない。

まぁとしては、土方とガチンコ勝負をしても負けない自信はあったけれど。

「まぁ、でも土方くんをこれ以上カモるのもほんのちょっと良心が痛むし、なんだかんだ言って近藤さんほどは溜め込んでなさそうだし、これが限界かな」

一応、名目上はお礼という形で呼んだのだから、流石に全財産を搾り取るのはどうかと思う。―――それくらいの常識は、とて持ち合わせている。

「何気に失礼な事言ってんじゃねーよ。つーか良心が痛むのはちょっとだけか」

「仕方ないから最後の手段使うか」

土方の静かな突っ込みをそのまま流して、はポケットから携帯電話を取りだす。

そうしてそのまま楽しげな様子で操作した後、相手が電話に出たのか土方たちを無視して弾むような声色で話し出した。

「あ、辰馬ちゃん?私、だよ。うん、そう。・・・解ったから電話口で大声で笑うのやめろや、モジャモジャ

小さな携帯電話を通して聞こえてくる大音響の笑い声に顔を顰めながら、この笑い声どこかで聞いた事があるな・・・と沖田は次々に運ばれてくるドンペリに手を伸ばしながらそう思う。

「今ね、スナック『すまいる』にいるの。そう、ちょっと辰馬ちゃんにお願いしたい事があって・・・。そうそう、だからちょっとこっち来てくれないかな?―――うん、ありがとう。10分以内にお願いね。一秒でも遅れたら張り倒しちゃうから

「明るい声で恐ろしい事言ってんじゃねーよ」

姿と声だけを聞けば、顔見知りの客に可愛くおねだりしているように思えるが、実際会話を聞くと脅迫しているようにしか思えない。

しかしは気にした風もなく、また相手もまったく気にしていないのか、携帯電話からは更に大きな笑い声が響く。

「ああ、今回は建前とかそんな深読みする必要かけらもないからね。速攻でおいで」

最後にそう念を押して一方的に通話を切ったは、携帯電話を再びポケットになおすと至極楽しそうな笑みを浮かべてポンと手を打った。

「さぁてと、それじゃ改めて景気良く行きますか。―――ドンペリ10本追加お願いしま〜す!」

言葉通り景気良く注文を出すに、土方は飲んでいた酒を盛大に噴出す。

ミシリと彼の手の中のグラスが悲鳴を上げたのは気のせいではないだろう。

「テメェいい加減にしろよ。俺はこれ以上は払えねぇからな」

「あれだけ拒否してたくせに払う気でいるとは・・・さすが土方さんでィ」

牽制と文句を言う土方の隣で、今まで大人しく酒を飲んでいた沖田がボソリと呟く。

まぁ、この期に及んで土方がから逃れられるとは思っていなかったけれど。

そんな2人を他所に、はにっこりと微笑んでまだ中身が残っていたボトルを持ち空になった土方のグラスへ並々と注いだ。

「ああ、大丈夫。追加分はぜ〜んぶ辰馬ちゃん持ちだから気にせずドンドンいっちゃって。―――それにしてもこんなお酒のどこにこんな金額がついてるのかしら?こんなものに大金つぎ込む人の気持ちが解らないわ、私」

「散々貢がせといて言うセリフじゃねーだろ」

掴んだボトルをしげしげと眺めながら独りごちるを見て、土方がすかさず突っ込む。

現在で支払いがどれほどの額に上っているのか・・・考えるだけでも恐ろしい。

しかしは遠い目をして呟く土方へ悠然と微笑みかけ、持っていたボトルをドンと音を立ててテーブルに戻した。

「それはそれ、これはこれ。人は人のルールに従うもんじゃないわ、自分のルールに従うものなの」

「良い事言ってる割にはめちゃくちゃな理論振りかざしてんじゃねーよ」

そっぽを向いて不機嫌そうに独りごちる土方を見やってくすくすと笑みを零したは、新しく運ばれてきたドンペリのボトルへと手を伸ばし、それを少しだけ減った土方のグラスへ強引に注ぎ込んだ。

「さ、土方くんも飲んで」

「・・・へいへい」

笑顔で勧められ、諦めたように土方はグラスを口へと運ぶ。

こうしてみれば、ホステスの仕事も彼女は上手くやっているのかもしれないとそう思う。

見過ごせない部分も多くあったが、それでも結局は諦め混じりとはいえこうして穏やかに酒を飲ませる事に成功しているのだから。

同じくグラスに酒を注いでそのグラスを両手で包み込むように持ったは、休憩するようにソファーに背中を預け、先ほどまでからは想像がつかないほど静かにぼんやりと天井を見上げる。

そういや、こいつ酒は飲めんのか・・・?とか、もしかして気分でも悪いのか?などと土方が横目で訝しげにを窺ったその時、彼女の口が僅かに開いて彼の名を呼んだ。

「・・・土方くん」

「なんだよ」

「・・・ありがとうね」

「・・・あぁ?」

ポツリ、と。

本当にその場に落ちるように呟かれた感謝の言葉に、土方は更に眉を寄せる。

いきなりなんだと問い返そうとして・・・―――けれどの顔に宿る穏やかな笑みを見て土方は口を噤んだ。

そんな土方をチラリと伺い、はもう一度小さく微笑んで。

「強引に居候決め込んだ割には、土方くん文句言いつつも私を真撰組に置いてくれたから」

「・・・ああ」

その事か・・・と納得し、土方もまたグラスを口元へと運ぶ。

ありがとうも何も、勝手に居ついただけだろーが・・・という反論は簡単だったが、何故だかそれは躊躇われた。―――それはもしかすると、の感謝の言葉が嘘偽りないものだと解っていたからなのかもしれない。

「あの時真撰組に置いてもらえてなかったら・・・どっか行っちゃってたら、私すごく大切なものを失うところだった」

逃げるのは、簡単な事だった。

自分が厄介事を背負っていたのも事実。

桂をそれに巻き込みたくないと思ったのも・・・―――けれど本当にそれだけだったかと問われると、は肯定できそうにもない。

幾松と見詰め合う桂を見て、もう自分はいらないと言われる事が一番怖かったのだ。

桂がそんな事を言うはずがないと解っていながらも・・・―――だからこそ、心のどこかでそう思われているかもしれないとそう感じるのが、は怖かった。

なんて弱くて、情けないのだろう。

今まで誰かに執着してこなかったには、こんな時どうすれば良いのかが解らない。

誰もそれを教えてはくれなかったし、それを学べる時間もにはなかったから。

だからあの時、考える時間を作る事が出来た・・・あの時間をくれた土方には、感謝してもし足りないくらいなのだ。

「あの時間があったから、私は大切なものを失わずに済んだの。自分自身から逃げずに済んだ。―――うやむやの内に屯所を出ちゃって・・・ちゃんとお礼、言ってなかったなって思って」

土方に桂との事を追及され、それを上手く交わしたつもりではいたけれど。

あの時はもう戻る事などないと思っていたから、何の臆面もなく彼を煙に巻く事が出来た。

けれど今同じ質問をされて、土方の目を見てまた同じ事が言えるだろうか?

言えるか言えないかと問われれば、本音を言えばは言えるだろう。―――ただしそれによって、彼との繋がりの何かを失ってしまうだろうが。

だからあの後、屯所には戻らなかった。

やはり、後ろめたさは消えなかったのだ。

「だから・・・ありがとう、土方くん」

すべての感情を押し込めて、は笑う。

たとえお互いが相容れない存在だとしても・・・―――いつかは刀を交える時が来たとしても、この感謝の気持ちはきっと消えないだろう。

今もまだが温かいものに包まれていられるのは、遠回しで不器用な土方の気遣いがあったからだ。

「さ、それじゃこれからは本当におごりだから、じゃんじゃん呑んでね」

「おごりって・・・」

一体誰のおごりだ・・・と土方がそう問いかけようとしたその時、スナック『すまいる』に盛大な笑い声が響き渡った。

確かにこういう場だから、笑い声自体は珍しいものではないのだけれど・・・。―――けれど何処かで聞いた事があるような気がして、土方と沖田が声のする方へと視線を向けると、そこには真っ赤なコートを着てサングラスをかけたモジャモジャヘアーのいかにも怪しい男が仁王立ちで立っていた。

「あっはっはっはー!待たせたの〜!坂本辰馬ただいま見参じゃー!どこじゃ、!おまんのハニーが会いにきちゅうよ〜!!」

店内に響き渡るほどの大声でそう叫び、またもや豪快に笑う男を認めて、隣に座るの笑みが更に深まったのを沖田は見た。

「・・・ふふふ、辰馬ちゃんってば。本当に学習能力のない子」

「お、おい・・・」

名指しで呼ばれたがゆらりと立ち上がり、くすくすと鈴の鳴るような声で可愛らしく笑う。―――その笑みが恐ろしく見えたのは、果たして気のせいなのか。

咄嗟に制止の声を上げる土方をさらりと無視して、はその男へと軽やかに手を振った。

「辰馬ちゃ〜ん、こっちこっち!改めて教育しなおしてあげるからこっちおいで〜!!」

天使の笑顔を浮かべながら手招きすると、その裏に潜む悪魔の顔に気付かず満面の笑みを浮かべながら駆けてくる男を見やり、土方は盛大にため息を吐く。

これからここで何が起きるのか・・・想像しただけで疲れ果てそうだが。

「はい、土方さん。酒は腐るほどありやすぜィ」

ドンと目の前に置かれたドンペリのボトルを視界の端に映し、土方は僅かに口角を上げる。

たまにはこんな騒がしい夜もいいかもしれない。

の楽しそうに笑う声と男の悲鳴を聞きながら、土方はドンペリへと手を伸ばした。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

勿論、スナック『すまいる』での主人公の衣装はメイド服です。

いや、話の中で書いてなかった気がしたので。(どこまで引っ張るつもりか)

なんだか坂本がチラリチラリと登場しては、かなり酷い扱いを受けてますが、それも愛故という事で。

とりあえず前回の補完版というか、番外編というか、そんな軽い気持ちで読んでいただければ・・・。

作成日 2007.10.26

更新日 2008.8.22

 

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