ここへ連れて来られて、一体どれほどの時間が経ったのだろうか。

相変わらず薄暗闇に包まれた室内でぼんやりと宙を眺めながら、淀む思考を何とか働かせながらそう思う。

窓1つないこの部屋では、残念ながら今が朝なのか昼なのか・・・それとも夜なのか解らない。

唯一時間が動いている事を実感できるのは、1日に3度運ばれてくる食事のおかげだ。―――それだとて、朝ごはんなのか昼ごはんなのか夜ごはんなのかは解らなかったが。

最初にここに連れて来られて以来、高杉はこの部屋に訪れない。

彼が一体何を考えているのか・・・―――本当にが鬼兵隊に属する決意を固めるまで放っておくつもりなのだろうか?

もっともそんな気は毛頭ない為、もしそう考えているのならば、自分がここを抜け出さない限り彼に会う方法はないだろう。

しかしその方法を取ってしまえば、取り返しがつかなくなってしまうような気がして、どうにもは動き出せなかった。

出来れば、彼にここへ来て欲しい。

そうでなければ、自分は一体何のために・・・―――そう思考を巡らせたその時、遥か頭上で激しい物音が響いたような気がして、は訝しげに顔を上げた。

自分が船のどこら辺にいるのかは解らないが、物音がしたのはずっと上の方・・・―――おそらくは甲板だろう。

「・・・どうしたのかしら?」

まるで人事のように呟いて、は深く深くため息を漏らした。

 

自分の弱さを知っているやつは、人の弱さにも敏感だったりする

 

突然の侵入者を連行する仲間を見送って、武市は深く深くため息を吐き出した。

あの少女がどうしてこの船に乗り込んできたのか。

それは少女自身の口から証明されている。

すなわち、現在行方不明中の桂とを捜しに来たのだ。―――桂の方はともかく、はこの船にいるのだから、どうやってここを突き止めたのかはさておき、流石だというべきか。

そんな事をつらつらと考えていた武市は、無表情のままもう一度深く息を吐き出す。

だから嫌だったのだ。―――を捕らえる、など。

そんな言葉に出さない彼の思いを読み取ったのか、傍らに立って同じく連行されていく少女を見送っていた高杉が、少しだけ不機嫌そうに武市を睨み付けた。

「まだ腑に落ちない顔してるな。そんなにを捕らえておくのが不満か?」

唐突な問い掛けに、武市は表情を動かさぬまま高杉と向き合う。

否、唐突ではなかったのかもしれない。―――彼の態度は、言葉にこそ出さずともそれを物語っていたのだろうから。

しかし高杉の問い掛けは、自分にとっては正確ではないとそう思う。

彼はその事を不満に思っているわけではない。―――ただ、不可解なだけなのだ。

「別に不満というわけではありません。ただ、ここまでして彼女を拘束するメリットがなんなのかと考えているのです。確かに彼女の医者としての腕前は魅力的です。―――無免許ですが」

改めて向き直った高杉に、武市は彼女を捕らえてからずっと押し込めていた疑問を口にした。

そんな武市の言葉に高杉は何の反応も示さず、ただ無言で先を促す。

それに引かれるように、武市は更に言葉を続けた。

「彼女が持つ特殊な情報網。爆弾や薬物を作る技術。そして死神と異名を取るほどの剣の腕前。確かにどれをとっても魅力的ではありますが、わざわざ桂小太郎や坂田銀時を引き寄せるような真似をしてまで手に入れるべきものかどうか・・・。すべてを兼ね備えた者など他にいないのかもしれませんが、それぞれ能力の秀でた者は他にもいます。何故彼女なのか・・・」

それが武市の最大の疑問だった。

先ほど自分が言った通り、能力だけを並べれば確かに魅力的な人物だ。

頭も切れる。―――それに加えてがいなくなれば、桂の攘夷活動も行き詰まってしまうかもしれない。

しかし逆に言えば、彼女の存在は諸刃の剣なのだ。

が捕らえられたと知れれば、桂が黙ってはいない。―――きっとどんな手を使ってでも取り戻しに来るだろう。

現在はその桂はいないが、彼の仲間である攘夷党の志士がおり、更に彼女の近くには坂田銀時がいる。

現につい今乗り込んできたのは、坂田銀時の仲間だ。

今坂田銀時がどこで何をしているのかは解らないが、少女が来たという事は彼本人が乗り込んでくるのも時間の問題かもしれない。

そこまでのリスクを負って、それでもどうしてへと手を伸ばそうとするのか。

そう疑問を投げ掛ける武市に、しかし高杉は至極楽しそうに笑って見せた。

「医術、情報網、爆弾、薬物、剣の腕前。―――アイツの強みはそんなもんじゃねーよ」

含み笑いと共に告げられた言葉に、武市は僅かに眉を顰める。

では、彼女の強みとは一体何なのか?―――そんな疑問を投げ掛ける武市の眼差しに、高杉は煙管を口元へと寄せて。

「攘夷戦争で、一体何人の攘夷志士がアイツに命を助けられたと思う?」

「・・・それは」

曖昧な問い掛け。

勿論、攘夷戦争で高杉の傍にいなかった彼には、その答えなど知る由もないけれど。

「生と死を司る女神なんて呼び名は、格好だけじゃねぇ。アイツはあの戦争で数え切れねぇほどの攘夷志士を助けた。そしてそのおかげで今も生き延びている奴も多い」

またもや曖昧に伝えられる言葉に、しかし何かを察したのか武市は僅かに目を見開いた。

「まさか・・・」

「アイツが1つ声を掛ければ、そいつらは何を犠牲にしても集まってくるだろう。そしてアイツが命じれば、それを拒否する奴はいない」

「・・・・・・」

が助けた命だ。あんな状況の中で、に心酔した奴らは数え切れねぇ。ヅラの攘夷党にはヅラの思想に惹かれて集まった者も多いが、という存在で集まった奴らも多い。それが、の最大の武器だ」

淡々と告げられる言葉に、武市は言葉を発する事無く高杉を見つめる。

確かにそれは、何者にも変えがたい強みだろう。

能力は得る事が出来る。―――他でカバーする事も。

しかし信頼だけはどうしようもない。

そしてそれは、そう手軽に手に入れられるものでもない。

あの攘夷戦争で、はそれを手に入れたのだ。―――おそらくは本人にその気はないのだろうが。

「・・・なるほど。確かにそれは彼女でなければなりませんね」

煙管を吹かしながら遠くを見やる高杉に向かい肯定の言葉を投げ掛けて・・・―――そうして武市は話は終わりだとでも言うように踵を返す高杉の背中を見送った。

彼がどこへ向かっているのかなど、問うまでもない。

「・・・けれど、それだけではないのでしょう?」

最後の最後で聞けなかった問い掛け。

聞いてもきっと答えてはくれなかっただろう。―――けれどそれは確信に近いものだった。

高杉にとってがどんな存在であるのかは解らない。

ただこんな状況でも手に入れる事を望み、それだけのリスクを負う覚悟もあり。

そして、今こうして武市を丸め込もうとするだけの何かが、彼女にはあるのだろう。

もとより、自分は彼に惹かれてここにいるのだ。―――疑問に思いこそすれ、最初から強く反対する気はなかったけれど。

「・・・せめて厄介な事に巻き込まれなければ良いのですが」

その願いが叶うのかは、難しいところだと思えた。

 

 

暗い暗い部屋の中にいると、自分までもが闇に溶けてしまいそうだ。

ぐるぐると闇に溶けて、そうして自分自身がなくなってしまうような・・・。

「よお、気分はどうだ?」

「・・・晋助ちゃん」

不意に掛けられた声に、はゆっくりと顔を上げた。

視線の先には、ドアに寄りかかって悠然と笑む高杉の姿が。―――その後ろから差し込む光が眩しすぎて、は僅かに目を細める。

「そろそろ覚悟を決めたか?」

「何度言われようと、私は晋助ちゃんの破壊活動に力を貸すつもりなんてないわ」

ドアを閉めてゆっくりと歩み寄ってくる高杉から視線を逸らし、は素っ気無くそう告げる。―――じっと見つめた床の模様も、暗闇に紛れてよくは見えない。

こんな暗闇に、かつての自分はいたのだ。

そして、今も尚高杉はそこにいるのだろう。―――深く暗い、闇の中に。

「・・・ねぇ、晋助ちゃん」

じっと床を見つめながら小さな声で呼び掛けると、すぐ傍で高杉が立ち止まったのが解った。―――視界の端で、派手な着物の裾が揺れている。

「なんだ?」

僅かに笑みを含んだ声色で問い返され、は軽く唇を噛み締めた。

ここへ来て欲しいと願っていたのに・・・―――それが叶ったというのに、どうしてそれを喜べないのだろうか。

追い詰められたような・・・取り返しのつかない方向へと進んでいる気になるのは、どうしてなのだろう。

それでもこのままでいられるわけではなかったし、この状況を甘受し続けるつもりもなかった。

それが自分の望まぬ結末へ向かっているのだとしても、せめて取り返しのつかない状況を招かない為にも。

そう決意を固めて、はゆっくりと視線を上げる。―――包帯で覆われていない彼の目は、じっとへと注がれていた。

「晋助ちゃんは、どうして戦ってるの?」

「どうして、だぁ?」

「この国を破壊するため?破壊してどうするの?その先には何があるの?」

静かな声で、まっすぐに自分を見上げて問い掛けるを見返して、高杉は訝しげに眉を寄せる。

そんな事を今更聞いてどうするというのか。

けれど彼女の声色に咎める色がまったくない事は解った。―――それはまるで、幼い子供の純粋な質問のようでもあった。

「んな事ぁどーでもいいんだよ。俺はただ壊すだけだ、獣の呻きが止むまでな」

「じゃあ、どうして私をここへ連れてきたの?」

すぐさま返ってきた問い掛けに、今度こそはっきりと高杉の眉間に皺が寄った。

それに気付きながらも気付かないふりをしながら、は更に言葉を続ける。

「私の能力が目的なんじゃないでしょ?爆弾作りだって医者だって、捜せば他にいくらでもいる。ま、私ほど有能な人材なんて簡単には見つからないだろうケドね」

「はっ、大きく出たな」

茶化すようにそう言えば、高杉は至極楽しそうに笑った。

けれど、それがすべてではない事もは知っている。

確かに自分の能力は戦う上でそれなりに使えるだろう。―――それは攘夷戦争を駆け抜けてきた彼女自身が一番よく知っている。

だからこそ解るのだ。―――この能力が、代えの利かないものではないと。

それなりに有効なものでも、絶対的なものではない。

そんな想いを乗せて高杉を見上げ同じように笑みを浮かべたは、そのままコクリと首を傾げて。

「私が晋助ちゃんの傍にいれば、その獣の呻きは少しでも収まるの?私が傍にいれば・・・晋助ちゃんは少しでも穏やかに暮らせるの?」

一番聞かなくてはならない問いを、投げた。

の言葉に、高杉は無言のまま彼女を見下ろす。

その視線は痛いほどに鋭さを増していたけれど、は微笑みながら言葉を続けた。

「もしそうなら、私は晋助ちゃんの傍にいるよ。それで心が安らぐなら、私はずっと傍にいる。だけど・・・」

まっすぐに高杉を見据えていたは、そこで言葉を切った。

さっき自分が言った通り、もしそうならばは迷わずその選択をするだろう。

たとえそれで桂や銀時と会えなくなったとしても、それで高杉が苦しみや憎しみから逃れられるのなら安いものだ。―――にとっては、桂や銀時と同じように高杉の事も大切だったから。

けれど決してそうではないのだという事を、は知っている。

もしかすると少しは言った通りなのかもしれない。

幼い頃から共にいる。―――だからこそ、少しはその憎しみや苦しみを忘れられるのかもしれない。

けれど、それだけで高杉の中の衝動が収まるわけではないだろう。―――そんな簡単な事ならば、とっくの昔に解決しているのだろうから。

「・・・もう、終わりにしようよ」

じっと自分を見つめたまま無言を貫く高杉を見上げて、はポツリと呟く。

「晋助ちゃんの気持ちも解る。だけど・・・そのすべてが『あの人』の為なら、もう終わりにしよう。すべてを壊すなんて、『あの人』はそんな事望んでない」

ユラリ、と高杉の瞳が揺れた気がした。

今も尚、彼を突き動かすもの。

彼の中の絶対的存在。―――それが良い事なのかそれとも悪い事なのか、そんな事は関係がない。

ただ、少し羨ましいと思ったのも事実。

それほどまでに、己のすべてを懸ける事の出来る存在がいる事に。

たとえそれが、彼自身を縛り付けていたとしても。

だからこそは告げるのだ。―――他の誰も口にしないのなら、自分が。

「すべてを『あの人』のせいにしないで。晋助ちゃんの人生は晋助ちゃんのものなの。いつまでも囚われないで・・・」

「黙れ!!」

これまで淡々と語るの言葉を無言で聞いていた高杉が、唐突に声を荒げた。

それと同時に彼の拳が振り下ろされる。―――それはの頬の横を通り過ぎて、痛々しい音と共に背後の壁に叩きつけられた。

目前に迫る高杉の鬼気迫った表情。

けれどピクリとも表情を動かさないまま、はじっと高杉を見上げる。

「・・・今の晋助ちゃんは、『あの人』を言い訳にしてるみたいだよ。自分の中で持て余した衝動を、『あの人』の敵を討つ事で消そうとしてるだけ。―――でも本当に、それでその衝動は収まるの?」

「黙れっつってるだろ!!」

更に上がった怒声と共に、強い力が彼女の髪の毛を引いた。

それに抗うことなく従ったは、ほんの数センチの間を挟んだ高杉の瞳を覗き込む。

なんて激しい目をしているのだろう。

そして、なんて悲しい目をしているのだろう。

彼はいつから、こんな目をするようになったのだろう。

少しでも動けば触れ合いそうな距離で、囁くように高杉の名を呼ぶ。―――感じられる吐息に、僅かに目を細めて。

「・・・他に何もいらないなんて言わないでよ」

自分自身でも驚くほど弱々しい声色で、そう呟いた。

目の奥がじんわりと滲むような気がする。

目の前の高杉が、大きくその目を見開いた。

「1人でいいなんて・・・、そんな哀しい事言わないでよ」

きっと彼は自分の思うままに戦い、そしてたった1人で最期を迎えるのだろう。

彼にとってはそれは辛い事でも悲しい事でもなく、もしかすると幸福にさえ思うのかもしれない。

そんなのは、あんまりだ。

自分自身の考えに、心の中でそう吐き捨てる。

たとえ彼がそれを望んだとしても、自分がそれを甘受できない。

「そんなの・・・哀しすぎるよ」

「・・・

僅かに滲む視界の中で、高杉が彼女の名を呼んだ。

髪の毛を掴む手の力が緩んでいく。

サラリと肩を流れる髪の音さえも聞こえそうな・・・―――まるで時が止まったかのような静寂の中で。

そんな静寂を破ったのは、遠慮なく響いたノック音だった。

「おーい、メシっスよー。―――あ、晋助さま」

もうそんな時間なのか。―――食事の乗ったトレーを持ってドアを開けたまた子は、そこにあった高杉の姿に軽く目を見開いた。

それをチラリと横目で認めた高杉は、まるで何事もなかったかのようにから手を離し、流れるような仕草で踵を返す。

「・・・じゃあな、

それだけを告げて部屋を去っていく高杉の背中を見送って・・・―――そうして室内に漂う微妙な空気を察したまた子は、どうしたものかと視線を泳がせる。

もしかすると、自分は間の悪い時に来てしまったのかもしれない。

そうは思うものの、高杉は何も言わなかったし、もう既にこの場を去った後だ。

せめてが何か声を掛けてくれないかと頭の中で願ったその時、また子の耳に小さな舌打ちが響いた。

「ちぇ、泣き落としも通じないか。・・・小太郎ちゃんたちならコロッと騙されてくれるんだけど」

「・・・おい」

気だるげに壁に背中を預け、あろう事かそんな事をのたまうに、盛大に頬を引き攣らせたまた子は思わず声を上げた。

「晋助さまにそんなもの通用するわけないだろ?」

「いやー、どうかな。アレで結構効いてたりして・・・」

顎に手を当ててわざとらしく頷くに、また子はため息を吐き出しつつ歩み寄る。

「・・・晋助さまと何話してたんスか?」

そうして食事の乗ったトレーをへと差し出したまた子は、躊躇いがちに口を開いた。

はああ言っていたけれど、また子が部屋に入った瞬間の光景は、演技にはとても見えなかった。

何よりも部屋に漂う張り詰めた空気が、それを証明しているようだった。―――だからこそ、2人が何の話をしていたのかが気になる。

けれどまた子からトレーを受け取ったは、ケロリとした表情で僅かに肩を竦めてみせて。

「大した事じゃないよ、ただの世間話。―――それよりもさっき随分と騒がしかったみたいだけど、何かあったの?」

そうして彼女の質問をさらりと流すと、逆に質問を投げ掛けた。

そんなに抗議をする余裕もないまま、また子は唐突な問い掛けに思わずギクリと肩を揺らす。―――目の前の相手には、もっともされたくない質問だった。

「べ、別に何もないっスよ。ねずみが紛れ込んだだだけっス」

「・・・ねずみ、ねぇ」

あからさまに視線を逸らすまた子をジト目で眺めながら、は手渡されたトレーをベットの上に置きながら苦笑を浮かべた。

それではまるで『何かありました』と言っているようなものではないか。

そうは思ったものの、また子の動揺振りがあまりにも酷かった為、珍しく追及の手を緩めたは軽い調子で頷いた。

「ま、いいわ。いつもいつもマター直々にご飯持ってきてくれるなんて、ご苦労様」

「他の奴だと簡単にアンタに丸め込まれるか脅されるかしそうっスからね・・・って!マターってなんスか、マターって!!」

「え?また子だから、マター。ちょっと小バカにした感じの中にも親しみが感じられてナイスネーミングでしょ?

「そんな親しみいらないっス。つーか小バカどころかかなりバカにされてる気がするんだけど」

「ふふふ・・・」

盛大に表情を歪めて抗議するまた子をそのままに、はくすくすと笑みを零しながら食事に視線を向ける。

そうしてそれに手を伸ばしたを認めて、少し不機嫌そうに言い放った。

「こんなメシで悪いっスね。今うちも色々と入用なんで」

「気にしないで。私お腹が満たされれば特にこだわらない人だから」

なんだよ、それ。まるで他人事みたいに。

勿論食事に文句をつけられても困るのだけれど。

そんな感想を抱きながら、また子は黙々と食事を取り始めるをぼんやりと眺めた。

途端に騒がしかった室内は、静けさに包まれる。

カチャカチャと食器の鳴る音だけが響くその部屋で、ただぼんやりとを見つめていたまた子の口からするりと言葉が零れた。

「あんた・・・こんなところで何やってるんスか」

思ったよりも響いた自分の声に我に返ったまた子は、食事を中断してきょとんとした視線を送るに気付いて気まずげに視線を逸らす。

しかしの方は大して気にした様子もなく、にっこり笑顔を浮かべて小さく首を傾げて見せた。

「なにって、私一応捕虜なんだけど。っていうか捕まえたあんたらが言うセリフかよ

さらりと返された言葉に、また子は更に訝しげな表情を浮かべて口を開く。

「何が捕虜っスか。こんな鍵も掛かってない部屋で、武器も何も取り上げられてないアンタが、何でおとなしくここにいるのか不思議なんスけど、マジで」

「何言ってるの。ここでやすやすと私を取り逃がしたら、怒られるのはマターたちよ。怒った晋助ちゃんはそりゃもう面倒なんだから。毎回毎回どつき倒して強制的に黙らせるのも楽じゃないのよ

「アンタ、晋助さまになにしてんスか。―――っていうか、つまりアンタがここから逃げないのは、もしかしてあたしたちの為なんスか?」

まさか

輝くような笑顔でキッパリと言い切られ、また子は盛大に表情を歪ませた。

そうだ、というのはこういう人間だった。

以前一度会った時も、似たような事で散々からかわれたというのに・・・―――ここに来てまで同じ事を繰り返さなければいけないのかと思うと、脱力と怒りと悔しさと呆れが絶妙に混ざり合い、ガッツリ拳を握り締める。

そうしてまた子は、岡田に連れてこられたをこの部屋へ入れた直後の高杉との会話を改めて思い出した。

どうしての武器を取り上げないのか。

どうして彼女の部屋に鍵を掛けないのか。

これではまるで、いつでも逃げてくださいと言っているようなものだと。

そう進言したまた子に、高杉はいつもの強い声色で言い切ったのだ。―――その必要はないと。

あの時は半信半疑だったが、今となっては頷かざるを得ない。

何故ならば高杉の言葉通り、は今もこの部屋にいるのだから。

けれどまた子にはそれが解らない。―――結果がそうであっても、何故が逃げ出さないのかが。

高杉とは旧知の仲のようだが、が殊更大切にしている桂の命を奪ったのは鬼兵隊なのだ。―――そこに大人しく収まっているなど、少なからずという人間を知っている身としては素直に納得できない。

そもそもこんな形で捕まる事自体、彼女のプライドが許さないようにも思えた。

改めてそう思い、また子はじっとへと視線を注ぐ。

それに気付いたは食事の手を止め、考え込むように視線を宙へと投げて。

「ま、実際問題として、ここから逃げ出すのは簡単よ。たとえあなたたちが立ちはだかったとしてもね」

にっこりと微笑んだに、また子は背筋に悪寒が走るのを感じた。

こんなにも華奢で、外見だけで言えば虫も殺せないようなか弱い女に見えても、彼女もまた攘夷戦争を駆け抜けてきた侍なのだ。

高杉と共に戦場に立ち、死神と異名をとるほど恐れられ、今もまだこうして生きている。

の言葉は真実なのだろう。―――たとえ自分たちが立ちはだかったとしても、それは彼女にとっては取るに足らない障害に過ぎないのかもしれない。

では、何故?

何故彼女はここに留まり続けるのだろう。

「私はね、あの岡田似蔵だっけ?あの人に捕まってここに来たわけじゃないの。ま、表向きは勿論そんな感じだろうけど。―――私は私の意志でここに来たのよ」

「アンタの意思・・・?」

「私はここでやらなきゃいけない事があるの。それがまったくの無駄に終わったとしても、それを怠るわけにはいかないわ。私自身の為にね。だから私は今もまだここにいるのよ」

瞳に強い光を宿して、はキッパリと言い切った。

そんな彼女を前に、また子は言葉もなく立ち尽くす。

のこんなにも真剣な様子を見た事などなかった。

いつも仮面のような笑顔を浮かべて、ノラリクラリと相手からの追求をはぐらかし、けれど自分の目的はちゃっかり果たしていたりして。

いつだって軽くて、人を煙に巻くのが上手くて、つかみどころがなくて。

まるで別人のようだと思った。―――否、これこそが彼女の本性なのかもしれない。

そう、思ったというのに・・・。

「はい、ごちそうさま」

また子の思考を遮るように、パチンと手が打ち鳴らされる。

それにハッと我に返ったまた子は、押し付けるように差し出されたトレーを反射的に受け取って、にっこりと笑顔を浮かべるの顔を見返した。

「それじゃ私ちょっと昼寝するから、しばらく声掛けないでね」

すっかりくつろいでんじゃねーかよ

いつの間にか完食したのか。―――持ってくる時とは違い軽くなったトレーを抱えながら、また子は盛大に頬を引きつらせる。

そんな彼女の文句にもヒラヒラと手を振って終わらせたは、もう用はないとばかりにベットに横になり深くシーツを被った。

「なんなんだよ、アンタは・・・」

思わず零れた言葉に軽く舌打ちをして、また子はクルリと踵を返す。

さっき見たの様子は、もしかすると見間違いなのかもしれない。

そう思えるほど、今のにその面影はない。

自分に無理やりそう納得させながら、また子はいまいちすっきりとしない胸の内を持て余しながら部屋を出る。

勿論鍵など掛けず、そのままドアを閉めて。

「・・・ま、アタシには関係ないけど」

が何を思ってこの場に留まっていようと、自分には関係ない。

ただ自分たちの邪魔さえしなければどうだっていい。

そう結論付けて、また子はチラリと閉じられたドアを横目に見やる。

この扉が彼女の手によって開けられる時が来ない事を願って。

 

 

パタンと微かな音を立ててドアが閉められたのを確認して、は疲れたように大きくため息を吐き出しながら身体中の力を抜いた。

どうしてこの場に留まっているのか?―――それには勿論、答えもある。

そう、自分はここでやらなきゃならない事があるのだ。

こうなってしまった以上、争いは避けられないのだろう。―――ならばせめて、最悪の状況にはならないように。

、君は何を望むのかな?』

ふいに、脳裏に懐かしい声が甦る。

何を望むのかなんて、もうとっくの昔に決まっている。

ただ、どの手段を取ればいいのかだけが解らなかった。―――どうすれば、すべてが丸く収まるのか。

否、もしかするとそんな方法はどこにもないのかもしれない。

もう既に動き出してしまった時間を巻き戻す術がないように、動き出してしまった物事をかつてのものへと戻すなど、不可能なのかも。

「・・・だけど、私は」

そんなに多くを望んでいるつもりはなかった。

高杉が憎しみに駆られて破壊活動を続けようと、にそれを咎めるつもりはない。―――止めようとは思うかもしれないが、彼だけが悪いわけではないとそう思うから。

彼のような人間を作り出した国にも原因はあるのだと・・・―――ならばそんな彼を止めるのは、国の役目でもあるのだ。

もっとも、だからといって高杉に非がないかと問われれば、肯定は出来ないけれど・・・―――けれど彼の気持ちが、には痛いほど解るから。

だからは、せめて自分の周りの人間に危害が及ばないように力を尽くすだけ。

1人の人間としてが持っているのは、きっと本当にちっぽけなものだ。

だからただ・・・ただ、願うのだ。

心の底から・・・強く、強く。

シーツの中で蹲りながら、はギュッと手を握る。

今でも鮮やかに甦る、記憶。

あの日の光景を、自分は一生忘れないだろう。

あの日の悲しみを、あの日の憎しみを、あの日の悔しさを。

そして・・・―――あの日の絶望を。

楽しい事ばかりだったとはいえないかつての日々を思い出し、は深く眉間に皺を寄せる。―――その時だった。

激しい砲撃の音と共に、ぐらりと船が揺れる。

「・・・なに?」

被っていたシーツを剥ぎ取り、弾かれたように身を起こしたは、訝しげに辺りを見回す。

しかし残念ながら窓1つないこの部屋では、正確な状況把握は難しかった。―――けれど廊下から男たちの怒号が聞こえる事から、ただ事ではない事くらいは察する事が出来る。

「一体、何が・・・」

その場に立ち上がり、辺りの気配を探る。

身を守るための道具は手の中にある。

この部屋から出て行く事も容易い。―――しかし・・・。

しばらく思案した後、は何かを振り切るように一歩を踏み出した。

伝えるべき事は伝えた。

それで問題が解決したわけではないが、だからといっていつまでもここで蹲っているわけにもいかない。―――何かが起こっている事は明白なのだから。

咎めるものもなく部屋を飛び出したは、男たちが走り回る廊下を堂々と駆け抜けた。

幸いな事に彼女の行動を咎める者はいない。―――それだけの余裕がないという事なのかもしれないが。

男たちの話を盗み聞くに、どうやら奇襲をかけられたらしい。

それが誰の仕業なのかは・・・まぁ、想像できないわけではなかったけれど。

「・・・もう!ここは一体どこなのよ!!」

どこも似たような通路が続くばかりで、どこをどう行けば甲板に出られるのかが解らない。

途方に暮れながら、は何気なく廊下に並ぶ窓から外の様子を窺った。―――何か状況を知る手がかりがないかと、そう思って。

しかしそこから見える信じられない光景に、は思わず大きく目を見開いた。

空に浮かぶ、数隻の船。

その先頭には、嫌というほど見慣れた白い物体が立っている。

「・・・エリザベス」

思わず呟いて、それが間違いではないか確認するために窓にへばりついた。

しかし何度確認しても間違いない。―――あれは、攘夷党が保有する飛空挺だ。

「・・・どうして」

攘夷党の保有する飛空挺は、すべての管理下にある。

一部の過激な志士たちが感情に任せて使用したり出来ないようにという配慮である。

勿論がいなければ操作できないよう、動かすためにはパスワードを入力しなければならない。―――だというのにどうして、あれがここにあるというのか。

そこまで考えて、その原因に思い至ったは、あまりの己のうかつさに思わず頭を抱えた。

少し前に桂の元を去る決意を固めたあの時、すべてを桂に委ねるべくパスワードを解除したのだ。

あの後色々とごたごたしていた為、元に戻すのを忘れていた。―――そんな事は言い訳にすらならないが。

しかし桂があんなものを持ち出してくるとも思えない。

おそらくは桂の敵を討つ為。―――そしてもしかするとここにが捕らえられているという事を知り、乗り込んでくるつもりなのかもしれない。

「ちょっと・・・冗談はやめてよ」

これでは本当に、戦争のようではないか。

それが天人や国に対してではなく、同じ攘夷浪士に・・・―――しかもかつて共に戦った相手だというのだから、本当にシャレにならない。

ともかくも、早く彼らを止めなければならないと再び足を踏み出そうとしたは、しかし視界の端を駆け抜けていった1つの影に気付いて再び視線を窓の外へと戻した。

「・・・まさか」

攘夷党の飛空挺に向かう、一台のバイク。

それにまたがっているのは、あの恐ろしいほど狂気に満ちた雰囲気を漂わせる男。

「・・・ウソでしょ?」

あまりの最悪すぎる展開に、思わず呟きが漏れる。

早く逃げて、と声にならない声で叫ぶ。―――もっともこの場で叫んだからといって、その声が彼らに届くはずはないのだけれど。

岡田がその手に宿した兵器を構える。

それは、本当に一瞬の出来事だった。

たった1人の人間に、巨大な船が次々と落とされていく。―――黒煙を上げて、彼女の仲間を道連れにしながら。

「・・・やめて!」

普段からは想像できないほど切羽詰った悲鳴に似た声が、廊下に響き渡った。

それに廊下を駆けていた男たちが、不思議そうに窓の外を見やる。―――そして己たちの有利を悟って歓声を上げるその声を耳にしながら、は目を逸らす事も出来ずに強く唇を噛み締めた。

「やめて・・・。もう、やめて・・・!!」

それはまるで、懇願するように。

絶対に見たくなかった光景が、今目の前に広がっている。

これでは一体、自分は何の為にここへ来たのか。―――こんな結末を避けるためではなかったのか。

心の中でそう自分へ非難の声を上げても、現状は変わらない。

ならば今自分に出来るのは、更に被害が大きくなる前にこの場を収める事だ。

そう決意を固めたは、目の前の惨状から目を逸らして走り出した。

甲板へ出る道はどれだと探しながら、何とか見つけた階段を駆け上がる。

そうして漸く光が差し込む扉を見つけたは、何の躊躇いもなくそれを押し開けた。―――その向こうに、何があるのかも知らないまま。

「桂さん!!」

望みどおり甲板へと出たの耳に真っ先に届いたのは、新八の叫び声。

それにぐるりと視界を巡らせて・・・―――そうして見つけたのは、何故かこの場にいる新八と神楽、そして真っ二つに切り裂かれたエリザベスから姿を現した桂と。

そうして、その桂に薙ぎ払われた高杉の姿。

「晋助さま!!」

また子の悲鳴が広い甲板に響き渡る。

それをまるで現実ではないような面持ちで見つめていたは、その場から動く事も出来ずに立ち尽くした。

絶対に、見たくなかった光景がある。

元々桂と高杉は、それほど仲が良かったわけではない。―――正反対の2人だから、当然ながら反発もあった。

けれどお互いが憎みあってはいない事もは知っていた。

だから2人の仲が悪かろうと、それはそれで構わない。―――そんな事は問題ではなかった。

ただ・・・ただ、1つだけ。

2人が本気で戦う姿だけは見たくないと思っていた。

本気で刀を合わせる2人は、絶対に見たくなかった。

甘いと言われようと構わない。―――それだけが、の願いだった。

それだけを願っていたのに・・・。

「・・・晋助ちゃん?」

ぐらりと倒れる高杉の身体。

彼の前に立つ桂の眼差しは、とても厳しい光を宿している。―――憎しみではないそれは、一体何と言うのだろう?

「晋助さまっ!!」

また子の悲痛な声が聞こえる。

 

目の前が、真っ暗になった気がした。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

なに、この暗すぎる内容・・・!!

ちょっと詰め込みすぎた感じはありますが、一応全3話の予定なので。

アニメでは4話ですから、1話分短いんですよね。

1話を2話にして書く私にしては、珍しい気もしますが。(笑)

作成日 2008.3.14

更新日 2009.2.13

 

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