高杉と何があった?

喉から出かかったその言葉を声に出す事無く、桂は言葉を飲み込んだ。

何があったかなど、高杉の性格と今のの様子を見ていれば大体の予測はつく。

おそらく高杉はを手に入れる為、彼女が最も人に晒したくない心の奥底に眠る感情を刺激したのだろう。

普段から心を隠す事が上手く、話をはぐらかし、相手のペースを乱すついでに自分のペースに巻き込む事に長けているではあるから、そう簡単に高杉の言葉に乱される事などないと思っていたけれど。

つい最近、忘れもしないあの春雨事件で、薬物を使用され、心の奥に留めていた感情を露わにしてしまった名残が、まだ心のしこりとして残っているのかもしれない。

余韻として未だ残るその感情が、高杉の言葉によってまたも引き出されてしまったのだろう。―――これほどまでに感情が不安定なは、長く共に居る彼ですら滅多に目にする事はないのだから。

それでも、そんな状態である彼女が自分を頼ってくれるという事実を嬉しく感じていると言ったら、はたしては怒るだろうか?

 

りの景品って、結局は処理に困ったりするんだよね

 

吊られたちょうちんの灯りが、辺りを彩りよく染める。

所狭しと並んだ屋台からは活気のある声と美味しそうな匂い。

道行く人達の明るく楽しげな笑い声が絶え間なく響く今日は、待ちに待ったお祭りの日。

「・・・はぁ」

そんな楽しげな雰囲気とは裏腹に重いため息を吐いた少女を横目で一瞥して、長谷川は困ったようにポリポリと頭を掻いた。

「嬢ちゃん。どうしたんだ、一体?今日は祭りなんだぞ?」

「だから?」

「だから?って、んな即答しなくても・・・」

にべもなく返って来た返事に、弱り果てたように肩を落とす。

少し前に知り合ったこの少女が、決して見た目と中身が一致しない事など既に嫌というほど身に染みて理解している長谷川ではあるが、未だかつてこんなにも不機嫌そうな態度を惜しみなく晒すを見た事があっただろうか?

いつもならば天使のような微笑みを浮かべながら毒を吐いては、相手の反応を楽しむという悪魔のような性根を見せつける彼女の態度とは思えない。

「ほんとにどーしたんだよ、嬢ちゃん。いつものお前さんらしくないじゃないか」

「やだ、いつもいつも私の真っ正直な感想を聞いては肩を落としてこれ以上ないほどヘコんでる人がそんな事言うなんて思わなかった。もしかしてマゾ?マダオの上にマゾなんてそりゃ奥さん逃げるに決まってるっつーの!ていうか、さっきから煩せーよ。こちとら考え事してんだから邪魔すんじゃねーよ、マダオ!

矢継ぎ早に言い募られて口を挟む暇もなく、長谷川は胸に突き刺さる厳しい言葉にいつもの如くがっくりと肩を落とす。

やはりはいつも通り、絶好調のようだ。

それが喜ばしい事なのか、それとも嘆くべき事なのかは判断を下しかねるが、これでの様子がおかしいという憂いは晴れたのだから、ここは素直に喜んでおくべきだろうか。

それよりも。

「なんでよりによって俺の屋台で考え事するかな」

「だってここってお客さんいなくて静かだし」

「・・・それってここがじゃないと思うんだけど」

客もなく、すっかり暇を持て余してしまった長谷川は、射的に使う銃をなんとはなしに弄りながらボソリと呟く。

つい先ほどがこの店に訪れて以来、それまで適度にやって来ていた客足が一気に途絶えた。―――それは勿論のせいであり、また言い方を変えればのせいではない。

客寄せ要員として、はこれ以上ないほど最適な人物だった。

例え今は多少不機嫌そうな面持ちをしていても、彼女が持つ本来の美貌は少しも損なわれていない。

そればかりか、いつもは可愛らしさが目立つの様子に、ほんの少し大人っぽさを織り交ぜて・・・―――ちょうちんの灯りで照らされるその表情は、憂いを帯びていて色っぽささえ垣間見せている。

本来ならば恋人のいない男たちがこぞって寄って来そうなものではあるが、今のがそんな男たちに煩わされていない原因は彼女の隣に立つ物体にあった。

こっそりとそれに視線を向けて、長谷川はピクリと頬を引きつらせる。

よりも一回り近く大きな身体。

ぬっぺりとしたその様子は、お世辞にも万人に受けるとはとても思えない。

がエリザベスと呼ぶその生き物が、片時も離れる事無く寄り添っている為、その不気味さに誰もがに声を掛けられないのだ。―――そうして本来ならば客寄せとして最適なの存在が在りながらも、長谷川の屋台から客足が遠のいてしまっている原因も、エリザベスにあるのには間違いない。

「嬢ちゃん、ほんと言い出しにくいんだけどさ・・・。俺も一応仕事中だっていうか、生活掛かってるんだよねー。だから・・・」

「酷い、長谷川さん!傷心の女の子を己の利益の為に追い出そうって言うの!?そりゃずいぶんと立派な大人だなぁ、おい!なんならここの景品全部取って仕事終わらせてあげてもいいのよ?大丈夫、銃には自信があるから、私」

長谷川の極控えめな発言に、にっこりと微笑みながら懐から黒光りする何かをちらつかせるに、長谷川は大量の冷や汗を流しながら必死に首を横に振った。

景品よりももっと別の何かを持っていかれそうな予感がする。

しかしここで引き下がっては、今日の売上は見込めない。―――長谷川は何とか気を落ち着かせながら・・・しかし決してとは視線を合わそうとはせず再び口を開いた。

「でもさぁ・・・さっきから見てたけど、なかなか考え事の答えは出そうにないだろう?答えの出ない事を延々と考え込んでても良い結論は出ないと思うぞ」

「・・・・・・」

「だったら、折角の祭りなんだし気分転換も兼ねて遊んできたらどうだ?答えは出なくても気分が晴れればまた違ったものも見えてくるかもしれないだろう?」

長谷川の説得に、ぼんやりと人波を見詰めていたがゆっくりと視線を巡らせた。

先ほどは自分と目を合わせようとしなかった長谷川が、今はじっと自分を見下ろしている。

「・・・そうだね。そうかもしれないね。さすが一時の感情ですべてを失った挙句、妻にも逃げられて職も見つからないギャンブルで何とか生計を立てようとしながら全額すっちゃうような計画性のないマダオの言う事には説得力があるわ

感心したように頷くだが、余計な一言といわず二言も三言も付け加えるのは忘れない。

精神に多大なダメージを受けながらも、長谷川は引きつった笑みを浮かべつつ棚に並べられていた景品の1つをの掌へと落とした。

「これやるよ。ちょっとは祭り気分を味わえるだろう。だから楽しんで来い、嬢ちゃん」

これをどうしろって言うのよ。こんなもの貰ったって一文の得にもならないじゃないって言いたいところだけど、折角だから好意だけでも受け取っておいてあげた方が良いんだろうな。―――ありがとう、長谷川さん」

「なんかものすごーく引っかかる言葉も多々あったけど、まぁ、どう致しまして」

掌に乗った小鳥の姿をかたどったプラスチックの玩具を見下ろして、はまんざらでもない様子でお礼を告げた。

とても懐かしいそれは、子供の頃持っていた記憶がある。

控えめに息を吹きかけると、ピロピロというなんとも気の抜けた音が鳴った。

子供時代、お世辞にも良い思い出ばかりとはいえないが、それでも大切な出会いもあったからこそ今の自分がある。―――懐かしさに小さく笑みを漏らして、は漸く重い腰を上げた。

「折角だから、私もお祭り楽しんでくるわ。長谷川さんも仕事頑張ってね」

「ああ、ありがとよ」

もし、万が一儲かったら何かご馳走してね。全く期待してないけど

「・・・ああ、頑張るよ」

最後に一言付け加える事も忘れず、それでも自分の元へ来た時よりも少しだけすっきりした面持ちのの笑顔を認めて、長谷川は苦笑いを零した。

あくまで見た目だけは可愛らしく手を振って人波に紛れるの背中を見送って、長谷川もまた仕事に精を出すべく大きく伸びをする。

その後、彼の屋台に胃袋ブラックホール酢昆布娘と、うっかりサド気質年中仕事サボリ魔青年が訪れ散々な目に合う事など、今の彼には知る由もなかった。

 

 

「・・・あ〜あ」

ブラブラと人波に紛れながら歩いていたは、物憂げな様子でそう独りごちた。

何気なく見渡せば、辺りには楽しげに屋台を覗く人々。

そんな人たちと自分とを見比べて、はもう一度ため息を零す。

「折角のお祭りなのに、やっぱり1人じゃ心からは楽しめないね。なんなら問答無用で小太郎ちゃんも連れてくれば良かった」

『滅茶苦茶楽しんでるじゃん』

頭にはお面を被り、左手には林檎飴を持って。

右手にはヨーヨーをぶら下げていてのその台詞には、何の説得力もない。

一見悲劇のヒロインよろしく哀しげにそう漏らすに、エリザベスは間髪入れず突っ込んだ。―――勿論声に出してではなく、看板で・・・だが。

しかしそれを見逃すではない。

すぐさまクルリとエリザベスへと向き直り、輝かんばかりの笑顔を浮かべながらむんずと嘴を掴み自分の方へと引き寄せた。

何か言った?

声も笑顔も可愛らしいのに、何故にこれほどまで相手に恐怖を与えられるのか。

本能で命の危機を察したエリザベスは、すぐさま看板を投げ捨て、冷や汗を大量に流しながらブンブンと首を横に振る。

そんなエリザベスをにこやかに見詰めて、改めてが口を開こうとしたその時、絶体絶命のエリザベスにとっての救世主が現れた。

「あれ〜?さんじゃないですか!」

人ごみの中から掛けられた能天気な声に、名前を呼ばれたはキョトンと目を丸くしてゆっくりと辺りを見回す。

すると人波の中から、見慣れた服装の青年が人懐こい笑顔を浮かべて駆けて来た。

「こんばんは!お久しぶりです、さん!!」

「え〜と・・・山崎くん、だっけ?」

「はい!山崎退です!」

爽やかな笑顔を絶えず浮かべながら自分を見下ろす山崎を見上げ、はつられて小さく微笑む。―――うやむやの内に窮地から脱したエリザベスは、彼女の背後でホッと安堵した。

「まさかこんな所で会うなんて思ってなかった。真撰組もお祭りに来たの?」

「いえ!将軍様がお祭りにいらしてるので、真撰組はその警護を任されているんですよ」

「へぇ、真撰組総出でお祭りの警護か。大変だね〜」

にこにこと微笑みあいながら、と山崎は世間話を始める。―――との会話が穏やかなまま交わされている様子は、かなり珍しい光景だろう。

のまるっきり他人事の感想に、それでも気にせず「仕事ですからっ!」と快活な様子で返事をする山崎に、は改めて首を傾げた。

「それで、その警護の真っ最中の山崎くんが、どうしてこんな所にいるの?」

「あ、実はですね。将軍様がたこ焼きを食べたいって仰ったらしくて・・・。だから土方さんの命令で買いに来たんです」

そう言って笑顔で買ってきたばかりのたこ焼きの箱を見せる山崎を見返して、はフッと鼻で笑った。

「へぇ・・・。人をパシらせといて自分はのんびりと祭り見学たぁ、良いご身分だな、オイ。この攘夷志士が蔓延るご時世に鎖国解禁20周年記念なんぞのたまうなんて、喧嘩うってんのか、コラァ!!―――なんてっ!山崎くん、私もたこ焼き食べたいな〜」

「あ、もし宜しければこれをどうぞ!」

の暴言が聞こえていなかったのか、それとも聞こえていて聞き流したのか、果ては何も考えていないのか・・・―――山崎は笑顔で買ったばかりのたこ焼きを差し出す。

「でも良いの?土方くんに怒られたりしない?」

口ではそう言いつつも、の手は既にたこ焼きに伸びている。

ほかほかと湯気を立てるそれを口の中に放り込めば、ソースの香ばしい香りがフワリと口内に広がった。

「大丈夫ですよ。少しだけならバレませんって」

そう言いながら、山崎もたこ焼きに手を伸ばす。

もとより数個しか入ってないたこ焼きを2人で突付けば、流石に土方が気付かないわけないとは思うけれど、あえてはそれを指摘しない。

将軍のたこ焼きがどうなろうと、の知った事ではないのだ。

それでも流石にすべて食べるのは気が引けて・・・というよりも、先ほど食べた焼きそばが響いていて食べれず、数個つまんだだけでは爪楊枝を箱の中へと戻す。

「ごちそうさまでした」

「いいえ。・・・っと、ヤバイ。そろそろ戻らないと、土方さんに怒られちゃうかも」

寧ろ怒られる要因は絶対にそれだけじゃないと心の中で突っ込みながらも、はそれを口にせずただにっこりと微笑みを浮かべた。

「折角会えたのに残念ですけど、もう行きますね」

「うん、お仕事頑張ってね」

名残惜しげに眉を下げる山崎とは対照的に、何の感慨もなくヒラヒラと手を振る

彼がそれをどう思ったのかはさておき、また今度一緒にバトミントンしましょうねと踵を返した山崎は、数歩進んだところで思い出したように再びの傍へと駆けて来た。

そうしてどうしたのかと訝しげに首を傾げるの耳元へと顔を寄せ、小さく囁くように呟く。

「実はこれ極秘なんですけど。この祭り会場に、もしかしたらものすごく危険な攘夷志士が来てるかもしれないんです。さんも気をつけてくださいね」

コソコソと小さな声で伝えられたそれに、の肩はピクリと跳ねる。

それを山崎が気付いたのかは解らないが、もう一度気をつけて下さいと念を押してから、心配そうな面持ちでお辞儀をし、慌てた様子でその場を去って行った。

その背中が人ごみに紛れて見えなくなるまで見送って、は小さくため息を吐く。

そんな極秘情報を、素性の知れない相手にあっさりとバラすなど、いくらが攘夷志士だという事を知らないのだとしても、監察がそれで良いのだろうかと心の中で突っ込みながら、はちょうちんに照らされた夜空を見上げる。

解っていた事ではあるけれど、やはり高杉もこの祭りに姿を現すのだろう。

真撰組がその情報をどこで仕入れたのかは知らないが、彼らの情報網も意外と侮れないものなのだと改めて認識する。―――真実は、高杉自身がこの祭りで暴れまわるのではないのだけれど。

「・・・気をつけてください、か」

先ほどの山崎の心配そうな顔を思い出し、独りごちてそう笑みを零す。

はっきり言ってしまえば、は高杉が嫌いではない。―――寧ろ嫌いではないから、余計に困ってしまうのだが。

そう、だから・・・。

嫌いではないから、逃げるわけにはいかない。

例え高杉がどれほど自分の中の触れたくない部分を刺激しようとも、彼を大切に想うのならば、自分はここで逃げてはいけないのだ。―――なによりも、自分の為に。

このまま再び別れてしまうわけにはいかない。

しっかりと自分の考えを、意思を、想いを告げなければならない。

ふと自分の手を見詰めて、今もまだ残っているような桂の温かさを思い出す。

そうして桂に依存している自身を自覚して、は思わず自嘲した。―――はたして、このまま彼の元に居続けることが、彼にとってプラスになるのかどうか。

はギュっと拳を握りしめて、そうしてゆっくりと顔を上げた。

「さぁ、行くよ。エリザベス」

静かに自分を見下ろすエリザベスを見上げて。

決意を秘めた眼差しのままにっこりと微笑んで、はごった返す人ごみを進み出す。

歩き出したの背後に、騒々しいイベントの始まりを告げる花火が上がった。

 

 

「やっぱり祭りは派手じゃねーとなぁ」

突如背後から掛かった声に・・・―――そうしてその声の主が誰なのかを瞬時に察した銀時は、刹那身体を強張らせて振り返ろうと・・・。

「動くなよ」

しかし告げられた鋭い声と背中に当たるものの感触に、銀時はピタリと動きを止める。

目だけで背後を窺うと、そこには予想に違わない人物がいた。

「白夜叉ともあろう者が、後ろを取られるとはな。銀時、てめぇ弱くなったな」

「なんでてめぇがこんなとこにいんだ」

楽しさを隠そうともしない声色に、銀時の表情が険しくなっていく。

しかしそれさえも楽しんでいるのか、男・・・―――高杉晋助は銀時の背中に剣を押し当てたままニヤリと口角を上げた。

「いいから黙って見とけよ。すこぶる楽しい見世物が始まるぜ」

不穏なその台詞とほぼ同時に、見世物が行われているだろう場所から爆発音が響いた。

先ほど花火が始まったと楽しげに舞台へ向かっていた客たちが、今はそこから逃げる為に銀時たちの横を駆け抜けていく。―――その様子と高杉の言葉、そして彼の存在とつい先ほど別れたカラクリ職人の様子から何が起こったのかを察した銀時は、ほんの僅かに眉間に皺を刻んで・・・しかし振り返る事無く前を見据えたまま口を開いた。

「高杉、じいさんけしかけたのお前か」

「けしかける?バカ言うなよ。立派な牙が見えたんで、砥いでやっただけの話よ」

誤魔化すでもなく返って来た言葉に、銀時の眉間に更に皺が寄った。

それを楽しげに見詰めて、高杉は押し殺したように笑みを漏らす。

「解るんだよ。俺にも、あのじいさんの苦しみが。俺の中でも未だ黒い獣がのた打ち回ってるもんでな。仲間の敵を、やつらに同じ苦しみを。殺せ、殺せと、耳元で四六時中騒ぎやがる」

高杉の言葉に、銀時は強く拳を握り締める。

「銀時、てめぇには聞こえねぇのか?いや、聞こえるわけねぇよなぁ。過去から目ぇ逸らしてのうのうと生きてやがるテメェに、牙を無くした今のテメェに、俺たちの気持ちは解るまい」

高杉の気持ちも、解らなくはなかった。

過去の出来事について、銀時にだって思うところはある。―――決して忘れる事など叶わない、今でも夢に見るほどの喪失感を。

けれど銀時は彼らとは同じ道を選ばなかった。

新たな道を歩み始めたこの江戸で、彼もまた彼の侍としての新たな道を歩いている。

「高杉よ、見くびってもらっちゃ困るぜ。獣ぐらい俺だって飼ってる」

普段よりも低く、唸るように呟いて、銀時は背中に押し当てられた刀を掴んだ。

鋭い痛みと共に、嫌というほど嗅いだ血の匂いが鼻腔に届く。

銀時の突拍子もない行動に驚いて刀を引いてももう遅かった。―――銀時に掴まれたそれは、どれほど力を入れても微動だにしない。

思いも寄らなかった銀時の行動に高杉が内心微かに動揺していたその時、銀時が先ほどの高杉と同じようにニヤリと口角を上げた。

素早い動きで振り返り、驚きに目を見開く高杉に向かい拳を振り上げる。

「ただし獣は白いやつでな。え、名前?・・・定春ってんだっ!!」

からかうような銀時の台詞と共に襲った衝撃に、高杉はそのまま成す術もなく吹き飛ばされた。―――強かに地面に身体を打ち付け、反射的に顔を上げたその時。

「は〜い、そこまで!もう銀ちゃんも晋助ちゃんも、久しぶりに会ったって言うのに物騒なんだから」

明るい緊張感のない声と共に、高杉の顔面に軽い衝撃が落ちた。

先ほどの銀時の拳からすれば取るに足らない衝撃ではあるが、気を逸らせる事に成功するだけのインパクトは持ち合わせていたらしい。―――何事かと顔を上げた高杉の目に、ビヨンビヨンと気の抜けた音を発する手のひら大の水風船が映った。

そうして更に目線を上げれば、そこには相変わらずのにこやかな笑顔を浮かべたの、楽しげに水風船を弄んでいる姿が。

、テメェ・・・」

「そんなに殴りあいたいならどっかの土手で夕陽をバックにもっと爽やかに行こうよ。そうじゃなくても目が逝っちゃった男と目が死んだ魚みたいな男のツーショットなんてむさ苦しい事この上ないんだから

しかし高杉が抗議の声を上げる前に、は有無を言わさぬ声色で高杉の反論など聞く耳持たないとばかりにそう言って退ける。

そんなを見上げて小さく舌打ちをするに留めた高杉は、おそらくこちらも水風船の攻撃を受けたのだろう・・・赤くなった頬をさする銀時を見据えて、フイと顔を背けた。

とてつもなく不本意ではあるが、今回は銀時という男の本質を見誤った自分の負けだろう。

そんな高杉を横目で見ながら小さく笑みを零したは、まるで何事もなかったかのように銀時に向き直り、そうして不機嫌そうにプクリと頬を膨らませた。

子供の頃から全く変わらない。―――こうして無茶を仕出かした挙句、怪我を負うところは。

そうしてその治療をするのが自分であるのも。

最もその為に独学といえど医学を学んだのだから、そこは他人に譲る気はなかったけれど。

「・・・!?痛い痛いって。もうちょっと優しく!!」

いささか乱暴な仕草で常に持参している包帯を使い銀時の手を治療し終えたは、バツが悪そうに・・・ほんの少し照れ臭そうに視線を逸らす銀時を見上げる。

「ああ、そうだ。銀ちゃんは早く行った方がいいんじゃない?舞台の方でむさ苦しいおっさんと子供が描いた落書きみたいなロボッが暴れまわってるみたいだからさ

まるっきり他人事のような口調と共にそう告げられた直後、再び舞台の方から爆音が響く。

咄嗟に視線をそちらに向ければ、白い煙が上がっていた。―――火の手が上がっていない事から爆弾ではないのかもしれないと推測しつつ、銀時は改めてへと視線を戻す。

「悪ぃ、後は頼んだ!」

チラリと未だに座り込んだままの高杉を伺い、そうして目の前で微笑むの頭を軽く叩いて、銀時は騒動の渦中であろう舞台へ向かうべく踵を返す。

「うん、任せて。この礼は身体できっちり払ってもらうから

追いかけるように掛けられたその言葉に思わず頬を引きつらせつつ、銀時はスピードを緩める事無く逃げ惑う人々の波を縫うように走り出した。

 

 

すぐに人波に紛れて見えなくなった銀時の姿を最後まで見送ったは、変わらず笑顔を浮かべたまま自分の後ろで座り込む高杉へと振り返る。

そうしてじっとその鋭い眼差しを見返せば、が何の用でここに姿を現したのかを察した高杉がニヤリと口角を上げた。

「答えは出たのか、

言葉短くそう告げれば、仮面のようなの笑みがさらに深まる。

高杉は昔から、のこの笑みが嫌いではなかった。

明らかに仮面のように見えるが、これはの偽らざる姿。―――いつもの意図的に相手を翻弄する笑顔とは違う、彼女自身が信頼を向ける相手にしか見る事が出来ない、素の表情。

「何言ってるの、晋助ちゃん。私の答えはもうとっくに決まってるよ」

いつもの弾むような明るい声とは違う、本来の歳相応の落ち着いた声では言った。

浮かんだ笑みはどこまでもらしくなく、そしてどこまでもらしいと高杉は思う。

「攘夷戦争が終わった時、私だって考えなかったわけじゃないの。例えば何処かのお店の店員とか、そんな風に攘夷なんて関係のない生活を送っていれば、きっと穏やかな時が過ごせるのかもしれない。何の危険もなく、苦しみもなく、静かな毎日が。―――まぁ、この私が接客するなら繁盛間違いなしだし

「ククク、そりゃ物騒な店になりそうだな」

自信満々に言い切ったを茶化すように、高杉は小さく笑みを零す。

そんな高杉を見下ろして、もまた穏やかな笑みを返した。

けれど本当に、そこに自分の欲しいものがあるのだろうか?

口に出さずに自問して、そうして導き出された答えに満足げな表情を浮かべる。―――そんな事は、今更問うまでもなかった。

「でもね、私が本当に欲しいものは、そんなものじゃないの」

一歩、高杉の元へと歩み寄る。

「晋助ちゃんの言いたい事もよく解るよ。私たちは玩具じゃない。都合のいい時だけ利用して、いらなくなったら捨てられるような・・・そんな幕府の玩具じゃない」

言いながら、もう一歩足を踏み出す。

「確かに憎しみだって私の中にはあるけれど。・・・だけどそれでも、私だって絶対に譲れない武士道って奴を持ってるのよ」

一歩一歩と歩み寄り、そうして僅かに手を伸ばせば触れられる位置で立ち止まると、真意を読み取ろうと目を細める高杉を真上から見下ろした。

「そうだね。確かに晋助ちゃんの言う通り、私は貴方に似ている。でも、だからこそ私は違うものを選んだの」

淡々と己の気持ちを語るを、高杉は無言で見上げる。

その鋭い眼差しを受けて、は視線を合わせるようにしゃがみこんだ。

「小太郎ちゃんってね、バカみたいに真面目で真っ直ぐで、融通聞かなくて、かなり天然入ってて、お馬鹿なところもいっぱいあるけど・・・でもすごく温かい。私を見て優しく微笑んでくれたり、たまにウザイと思うくらい本気で心配してくれたり、どうでも良いような事でもちゃんと聞いてくれたり」

そう言って緩んだ拳を握り締める。

まだそこに残っているような気がする温かさを、一欠片も逃さないようにと。

「何があっても、どんな時でも・・・どんな私でも、しっかりと私を見てくれたり。温かくて、柔らかくて、くすぐったくて・・・何があってもどんな事をしてても綺麗な小太郎ちゃんは、見てるとたまに私に罪悪感を抱かせるけど・・・。だけど、小太郎ちゃんの傍にいると、私はとても幸せな気持ちになれるの」

「・・・・・・」

「小太郎ちゃんが私を必要としてくれているのが解るから、私は小太郎ちゃんの傍にいるの。私が貰っているのと同じように、私も小太郎ちゃんに同じくらい素敵なものを返せたら良いなってそう思う。―――改めて口に出すと、ちょっと照れ臭いけどね」

そう言って照れたようにはにかむを、まるで眩しいものでも見るかのように高杉は目を細めた。

同じものに囚われ、同じ闇を背負い彷徨っているはずのは、けれどそれを感じさせないほど柔らかく微笑んでいる。

この違いはなんだろうか?―――自分と彼女に、どんな違いがあるのだろう。

子供の頃から・・・そして今も、間違いなく彼女は闇の中にいたはずだというのに。

一言も言葉を発することもなく無言で自分を見詰める高杉を前に、は困ったように微笑み首を傾げて。

そうしてその手を包帯に覆われた高杉の目へと伸ばす。

触れるか触れないか解らないほど軽くそこに手を当てたは、ほんの少し哀しげに笑って。

「だから、私は私の武士道を行く」

それでも口を挟む事が出来ないほどキッパリとそう言い切るの瞳には、頑固な彼女が持つ強い光が宿っている。

「それに私、今の生活結構気に入ってるの。―――だからごめんね、晋助ちゃん」

ほんの少し冗談めかした口調で続けられた言葉に、高杉は深くため息を吐き出し身体の力を抜いた。

今、を説得するのは無理だと判断した。

もとより、そう簡単に思い通りになってくれる相手ではないと解っていたけれど。

先日、無駄だと思いながらも掛けた揺さぶりが思った以上の効果を得られた事から、このまま強引に引っ張って行けないかとも思ったが、やはりそれは楽観的すぎたらしい。

まぁ、こうでなくては面白くないのだが。

高杉が諦めた事を雰囲気で察したのか、の纏う空気も微かに和らいだ気がした。

柄にもなくお互い緊張していたのだという事に気付き、2人は揃って苦笑を漏らす。

誰に対しても遠慮や配慮など見せない高杉ではあるが、ことに関しては慎重になってしまうのは何故なのか。―――それは高杉自身にも解らなかったが。

「そのテメェの武士道って奴は、ヅラの道に重なってんのか?」

「どうかな?でも、そうなら良いなって思うよ」

高杉の皮肉めいた問いに迷う事無く笑顔で答えたに、完全なる敗北を認める。

けれど先ほど銀時に対しても感じたそれとは違う妙に清々しい気分に、高杉は機嫌よく喉を鳴らして笑った。

 

 

あの波乱に満ちた祭りからしばらく経った頃、街中に立てられたお尋ね者の立て札を、高杉はほんのり笑みを浮かべて見詰める。

あのテロがそれほど上手く行くとは、彼とて思っていなかった。―――それでも十分楽しい騒ぎにはなったと、他人事のようにそう思う。

そんな高杉に声を掛ける者がいた。

「どうやら失敗したようだな」

相変わらずの愛想のないその声に、高杉は笑みを浮かべたままゆっくりと振り返った。

「思わぬ邪魔が入ってな。牙なんぞとうに無くしたと思っていたが、とんだ誤算だったぜ」

被っていた笠をほんの少しだけ上げて背後に立つ僧侶姿の男を見返すと、男もまた射るような眼差しで高杉を見る。

その目に浮かぶ非難の色に、けれど高杉は至極楽しげに笑みを零した。

「何かを守る為なら、人は誰でも牙を剥こうというもの。守るものも何もないお前はただの獣だ、高杉」

「獣で結構。俺は守るものなどないし、必要ない。すべて壊すだけさ。獣のうめきが止むまでな」

桂はくつくつと笑みを漏らしながら踵を返した高杉に向かいそう言い放つが、当の本人はそんな彼の言葉になど耳を貸す様子もなく、ゆっくりとした足取りで歩き出す。

そうしてゆっくりと去って行く背中を見詰めていた桂は、薄く目を細めて大して声を張り上げる事無くポツリと呟いた。

「守るものなど必要ないと言い切るお前が、何故を欲する。お前は彼女を手に入れどうしようというのだ?」

桂の問い掛けに高杉は歩みを止めて僅かに振り返ると、彼特有の含み笑いを漏らす。

「ふん。だからテメーは甘いんだよ。あいつは誰かの庇護が必要な女じゃねぇ。あいつの本質を見誤ってると、いつか食われるぜぇ」

にやりと口角を上げて、冷ややかな眼差しを返す高杉。

揶揄するようなその言葉に、桂は不愉快げに眉を寄せる。

「高杉、お前は解っていない」

そうしてキッパリと一言。

真っ直ぐに高杉を見返した桂は、低い声色でそう告げた。

は変わったのだ。今のはもう、かつてのではない」

そう、彼女は変わったのだ。

確かに高杉の言う通り、そんな危うい部分がかつてのにもあった。

けれど攘夷戦争後、自分たちと時を過ごすにつれて・・・少しづつ、けれど確実には変わっていった。

それが何かと聞かれれば、明確な答えなど出せないけれど。

一番の変化はきっと、自分自身の闇を彼女が認めた事だろうか。

「ふん。そう思いたきゃそう思ってな。ただひとつ言っておくが、あいつに似合うのはこんな場所じゃない。それが理解出来てねぇテメェには、あいつを扱う事なんて出来ねぇよ。あいつはいつか必ず、この俺が貰い受ける」

「高杉!」

桂の厳しい声色に、しかし高杉は含み笑いを漏らしただけで、何も言わずに今度こそ背中を向けて歩き出した。

今度はもう振り返らないだろう。―――そして桂も、これ以上呼び止める事はしなかった。

「おい、生臭坊主!」

どれほどそうして立っていただろうか、不意に掛けられた子供の声に我に返った桂は、引かれるようにそちらへと視線を向ける。

「む?生臭坊主じゃない、桂だ」

「なにすんだよ!壊れちゃったじゃねーか!!」

しっかりと訂正するが、子供はそんな事はどうでもいいと言わんばかりの眼差しで桂を見上げ・・・―――そうして彼は、自分の足の下にある物に今更ながらに気付いた。

「これは・・・からくり?」

足を退けてやると、そこには無残にも踏み潰されてしまったカエルの玩具。

子供は涙目でそれを拾い上げ、そうして桂をキッと睨みつけてから、少し離れた場所で商売をしている男の元へと駆け出す。

釣られるようにそちらへと視線を向けた桂は、そこにいる男の姿にふっと頬を緩めた。

「ふっ。なかなかいい顔をしてるじゃないか」

立て札に描かれている姿と同じ・・・けれど生き生きとした表情で子供を相手にする男はテロを行った人物とは思えないほど。

そういえば・・・と、桂は祭りから帰って来たの晴れ晴れとした顔を思い出し。

そうしてその手に握られていた、懐かしい玩具を思い出す。

「折角だ。一つ買って行ってやるか」

もう玩具を手にして喜ぶ歳ではないけれど。

それでもかつての何も知らずに駆け回っていたあの頃を、少しでも思い出せるのならば。

それで少しでもが笑顔になれるのならと、桂は穏やかな笑みを浮かべたまま、足をそちらへと向けた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

この連載は特に誰がお相手・・・と思って書いているわけではないのですが、やはり私の贔屓目に桂が良い位置を占めています。

一応、桂と銀時、高杉に土方辺りでそれっぽく〜とは思っているのですが。

ともかく、高杉初登場。

の割にはやっぱり絡みは少ないのですけど。

というか何故に長谷川が出張ってるのか。(話を考えてた時は出番なんてなかったのに!)

作成日 2006.8.24

更新日 2007.10.5