静かな空間に、カチャリと響くガラスの微かな音。

私は出来上がったばかりの薬をテーブルの上に置いて、ゆっくりと息を吐き出した。

 

何かがまる日

 

目の前の薬を見て、小さく苦笑する。

少々根を詰めてしまったようだ、と思う―――つい先ほどまで作っていた薬は少々工程が難しく、なかなか作業を中断する事が出来なかった。

ふと時計を見てみれば、作り始めてかなりの時間が経っていることに気付く。

けれどこんな風に時間など気にせず、一心不乱に何かをするのは嫌いではなかった。

時間を持て余してしまえば、考えなくても良いことまで考えてしまうから・・・。

しかし流石に今回ばかりは疲れた。

とりあえずはゆっくりとお茶でも飲んで身体を休めるか・・・とそう思いつつ身体を伸ばした瞬間。

ドシャア!

リビングの方で大きな物音が響き、小さく首を傾げる。

「・・・なんだ?」

思わず口をついて出た言葉に反応するかのように、私の相棒でもある黒猫・が調合室に駆け込んできた。

「にゃあ・・・」

短く鳴いて私を見上げたを黙ったまま抱き上げる―――するとは再び短く鳴き声を上げた。

「ああ、そうか・・・・・・わかった」

微かに頷いて下に降ろしてやると、は来た時と同じように調合室を飛び出して行った。

は一見普通の猫に見えるが、ああ見えても実は魔法生物なのだ。

だから、私限定ではあるが意思疎通が可能であり、その他にもいろいろと変わった能力を持っている。

子供の頃からずっと一緒だった、私の大切な相棒。

こんな暮らしをしている今となっては、ただの猫とそう変わりはないけれど。

その相棒が、つい先ほど来客を知らせに来てくれたのだ。

調合の際に汚れてしまった手をその辺に放置してあったタオルで軽く拭き、ゆっくりとした足取りで調合室を出る。

来客が誰なのか・・・大体想像はついていた。

家に来る人間は、限られている。

そもそもここ一帯は我が家の土地であり、売っても貸してもいないのだから私の許可なく立ち入る事は出来ない。

その土地・・・正確に言えば山だが、そこに家を建てたのが今から7・8年ほど前。

それと同時に魔法省を辞め、私はここで隠居生活のようなものを送っている。

そしてこの土地一帯に姿現しが出来ないよう魔法をかけ、暖炉のネットワークも切った。

誰もここへは来れないように―――いや、その誰というのは主に魔法省の人間なのだが。

しかしそれではここに住む私自身が不便なので、暖炉のネットワークをイギリスの街中にある本宅の暖炉にだけ繋いでいた。

本宅にも決して他人が侵入できないように、厳重に魔法をかけている。

ただ唯一本宅の鍵を持つ人間以外は、歩き以外ここには辿り着けないように・・・。

その本宅の鍵を持っているのは、全部で3人。

1人はアルバス=ダンブルドア。

私の母校でもあるホグワーツの校長で、卒業後も親しい付き合いをしている。

2人目はセブルス=スネイプ。

彼もホグワーツで教師をしている―――私の学生時代からの友人の1人だ。

今回の訪問者は、この2人ではないだろう。

この2人は今、ホグワーツにいるハズだ。

だとすれば・・・。

「やはりお前か、リーマス」

「やあ、。久しぶりだね」

そう言って穏やかに微笑むのは、やはり学生時代からの親友・リーマス=J=ルーピン。

暖炉から這い出し、ローブについた煤を叩いている。

おい、そこで叩かれると掃除が大変なのだが・・・と言おうとして、しかし言っても無駄だろうと思いそのまま好きにさせておいた。

その隙に紅茶を淹れ、ようやく気が済んだのかテーブルについたリーマスに淹れたての紅茶と戸棚に入っていたクッキーを出してやる。

「あれ?君がお茶を入れてくれるなんて珍しいね。セルマはどうしたんだい?」

「本宅の掃除に行ってもらっている。住む予定がないとはいえ、放っておくわけにもいかないしな。・・・会わなかったか?」

「うん、残念だけど」

セルマは家に仕えてくれているしもべ妖精だ―――幼い頃から私の面倒を見てくれていた、いわば家族のようなもの。

こちらに移り住んでからも、彼女は変わらず私の世話を焼いてくれる。

彼女がいるから、私はこの家から出ずとも不自由ない生活が送れていると言って良い。

「あ、。また薬の調合をしてたんだね」

紅茶を口に運びながらそう笑うリーマスに、思わず苦笑する。

何故分かったのだろうか?―――そう尋ねると、薬草の匂いがしたと返答が返って来た。

今の私は、薬を作ることを生業としている。

梟に届られた手紙の依頼に沿って、薬を作る。

とは言っても無償でなのだから、生業とは言わないのかもしれない。

魔法薬は、当たり前だが決して安いものばかりではない―――調合が困難だったり、材料が貴重だったりすれば、その値段は驚くほど跳ね上がる。

いつだったか・・・薬を買う金がなく、病気の子供を抱えて困っていた女性に、無償で薬を進呈した事があった。

そしていつしかその噂を聞いた人たちが、私にも頼むと梟を送ってくるのが始まりだった。

今ではその数も決して少ないとは言えないが、それでも多くの人から感謝の手紙を貰う度に心が温かくなる。

それに何より、まだ私にも出来る事があるのだという事が嬉しかった。

誰かに存在価値を認めてもらったような、そんな気持ち。

「君は相変わらず人が良いんだね・・・」

「・・・暇だからな」

しみじみと呟くリーマスの言葉に、小さく苦笑しながら答えた。

第一の理由は、それなのかもしれない。

「それで?今日は一体どうした?何の連絡もなく来るなど珍しい・・・」

リーマスにしろ、他の2人にしろ、来る時はちゃんと連絡を寄越してくる―――別になくても困りはしないが、今までがそうだったのだから疑問を抱くのも当然だろう。

自分で淹れたお茶を一口飲みながら、何気なくリーマスの顔を眺める。

どことなく・・・顔色が悪いような・・・?

何か聞かれたくない事だったのだろうか?

それならそれで別に説明する必要はないが・・・ここに来るという時点で、私に何か用があるのではないか?

そんな事を思っていると、リーマスが顔を強張らせたままポケットの中から何かを取り出し、私へと差し出した。

「・・・これは?」

手にとって見てみる―――これは『預言者新聞』だ。

は取ってないだろう?」

言われて1つ頷く。

ここには外の情報が全くといっていいほど入ってこない。

預言者新聞を取っているわけでもなく、ラジオがあるわけでもなく・・・まぁ、意図的にそうしているのだからそれは当然なのだけれど。

何故外の世界と関わろうとしないのかと問われれば、それは怖いからだ。

聞きたくない情報を、聞いてしまうかもしれないから。

聞かなければなかったことにできるというわけではないが、少なくともそれを受け入れるだけの度量が、今の私にはないのかもしれない。

「・・・読んでみて」

リーマスに促されて、手に取った預言者新聞に目を落とす。

ここには一体何が書かれてあるのだろう?

わざわざリーマスが届けに来るくらいだ―――何かとても・・・重要な事が書かれてあるに違いない。

「・・・何が・・・?」

書かれてある・・・と聞こうとして、言葉が喉に詰まった。

聞きたいと思う気持ちと、聞きたくないという気持ち。

知りたいけれど、知りたくないという相反した想い。

思わず身動きが取れなくなった私に気付いたリーマスが、私の手の中にある預言者新聞をテーブルの上に広げた。

「シリウスが・・・」

リーマスの声と共に、新聞の見出しに書かれてある大きな文字が目に飛び込んでくる。

・・・まさか!?

まさか、こんな事・・・!!

「シリウスが・・・アズカバンから脱獄したんだ」

リーマスの声が、どこか遠くで聞こえた気がした。

 

 

アズカバン。

そこは重罪の囚人たちが放り込まれる、脱獄不可能と謳われる最悪の牢獄。

吸魂鬼という人ならざる者が監視する、光のない世界。

アズカバンに入れられた囚人は、吸魂鬼に生きる気力を吸い取られて・・・遠くない未来、生きることに絶望しその命を落とす。

そうやって重罪人を始末してきたんだ―――魔法省は。

そこにシリウスが投獄されたのは、今から12年も前の事だった。

その頃勢力を誇っていたヴォルデモートに従っていたデス・イーターとして。

誰も疑わなかった。

シリウスが、リリーやジェームズを裏切ったという事。

そしてそれを知り追いかけてきたピーターとマグルを吹き飛ばしたという事。

だけどシリウスはデス・イーターなどでは決してない―――それは奴の一番近くにいた、闇祓いである私が証明する。

そもそも奴が疑われる原因となった『秘密の守人』の件とて、絶対に何か手違いがあるはずなのだ。

自分が『秘密の守人』だという事が、ヴォルデモートにバレているだろうとシリウスは言っていた―――だからこそ誰か代役を立てようと奴は言っていたのだ。

それに私が名乗り出たが、奴の強硬な意思によって結局は却下された。

私も自分が闇祓いであり、そして多くの闇の魔法使いたちから恨みを買っているだろうという事は分かっていたので、適任ではないとすぐに思い直した。

その後、シリウスが誰を『秘密の守人』にしたのか、私は知らない。

シリウスは私にさえ、それを明かそうとはしなかった。

結局、シリウスが『秘密の守人』を変えたのか、そうでないのかは分からない。

けれどこれだけははっきりと言える。

あの馬鹿正直で要領の悪い男に、ジェームズやリリーを裏切れるわけなかろう。

直情的で考えの足りないところも多々あるが、あれは義理厚い奴だ。

だからこそ、シリウスが親友を裏切るわけがない。

だというのに、魔法省の人間はそれを信じようともせず―――また裁判などをすっ飛ばして、シリウスをアズカバンに放り込んだ。

そして・・・。

 

 

「シリウスが・・・アズカバンから脱獄したんだ」

リーマスの言葉に、私は思わず目を見開いた。

驚きのままに預言者新聞に目を落とすと、そこにはシリウス脱獄の記事が載っている。

「・・・何故?」

その言葉が一番に口をついて出てきた。

それは『どうやって脱獄したのか?』という意味ではない―――『どうして今になって脱獄をしたのか?』ということだ。

確かにどうやって脱獄したのか気になるところではあるが、今はそんな事どうでもいい。

「シリウスは・・・ハリーの命を狙っているそうだ」

追い討ちをかけるように告げられた言葉に、私は再び顔を上げた。

「・・・・・・誰が?」

「だから、シリウスが」

シリウスがハリーの命を狙っている?

「何故そう思う?」

「牢獄の中で言ってたんだって。あいつはホグワーツにいる・・・って」

その様子が憎々しげだったんだってさ・・・と他人事のように呟くリーマス。

憎々しげとは一体どういう感じなのだろうか?

そう聞くと、僕も直接見たわけじゃないからね―――とあっさり返された。

「一応知らせておいたほうが良いかなって思って・・・」

本当は知らせたくなかったんだけど・・・と言外に漂わせるリーマスに、思わず苦笑した。

私は改めて、テーブルの上に広げられていた預言者新聞に目をやる。

そこには細かな字で、簡単な詳細が書き連ねられていた―――もっとも、どうやってシリウスがアズカバンから脱獄したのかさえ分かっていないのだから、書かれている事なんてたかがしれていたが・・・。

「・・・・・・

「なんだ?」

名前を呼ばれて顔を上げれば、リーマスが真剣な面持ちで私を見つめている。

彼の言いたい事は、言葉にせずとも分かっていた。

あの時から既に12年。

決着をつける時が、とうとう来たのかもしれない。

「どうするの?これから・・・」

自嘲気味に笑みを浮かべた私に、リーマスが表情を変えずに呟いた―――その時。

ガシャーン!!

リーマスの声を掻き消すように、突如窓ガラスを突き破って何かが突入してきた。

反射的に腰に差していた杖を構える。

パラパラと砕け散ったガラスの破片が、音を立てて床に落ちていく。

そのガラスの破片に混じって、床に落ちていた赤い鳥。

「「・・・・・・」」

私もリーマスも、その赤い鳥に嫌というほど見覚えがあった。

「ク・・・クィー」

微かな鳴き声を上げる赤い鳥を見下ろして、深いため息を零す。

「・・・フォークス」

半ば呆れながら彼の名前を呼ぶと、フォークスは小さく身震いをしガラスの破片をそこらにまき散らかすと、フワリと宙を飛んでテーブルの上に着地した。

よく見れば、その嘴には手紙らしき封筒が咥えられている。

「・・・・・・手紙?」

「クィー!」

私の言葉に反応して、フォークスは1つ声を上げた。

というか、何故窓を突き破ってくる。

普通に届けるくらいのことが、何故お前は出来ない。

「クィー!」

フォークスが楽しそうに鳴き声を上げながら、羽根をぱたつかせる。

「なるほど・・・・・・嫌がらせか」

、落ち着いて!」

フォークスに掴みかかろうとした私に、リーマスが慌てて声をかけた。

「そこまで慌てなくとも、本気ではないのだがな」

「いや・・・今、目がマジだったよ、

そんなリーマスのツッコミは置いておいて。

構えたままの杖でフォークスに打ち破られた窓を修復すると、何故か大人しくなってしまったフォークスに目を向ける。

「・・・フォークス」

「ク・・・・・・クィー・・・」

そこまで怯えずとも良いのだが・・・。

「何もしない。とりあえず手紙を届けに来たのだろう?」

そう言い手を差し出すと、フォークスは宙に飛び上がりポトリと手紙を私の手に上に落とした―――そんなに怯えるほど、私は怒っているように見えたのだろうか?

まぁ、そんな事は今はどうでもいい。

フォークスが手紙をを届けに来たという事は、差出人はアルバスなんだろう。

わざわざフォークスを使ってまで手紙を届けさせるというからには、何か重要なことでも書かれているのだろうか?

そんな事を思いながら手紙を裏返してみれば、封の為に落としてある蝋燭にホグワーツの紋章が入っているのに気付いた。

「・・・ホグワーツから?」

アルバス本人からではなく、ホグワーツからの手紙なのか?

「・・・とりあえず読んでみたら?」

「ああ・・・」

リーマスに促されて封を開ける―――中には数枚の便箋が入っていた。

そこに書かれた文字を、無言のまま目で追って・・・。

?何が書かれてあったんだい?」

段々と表情が険しくなっていくのが自分でも分かった―――心配そうに顔を覗き込んでくるリーマスから視線を逸らして、手の中の便箋をグシャリと握り潰す。

そして未だに部屋の中を飛び回るフォークスに視線を向けて。

「アルバスに伝えろ。・・・・・・その気はないと・・・」

「・・・クィー」

フォークスは小さく声を上げて・・・そして。

ガシャーン!!

再び窓を突き破って空に舞い上がった。

「だから・・・どうして・・・・・・」

さっき修復したばかりの窓ガラスが、再び砕け散り床に散らばる。

もうこれはあれだな、確信犯だな。

今度会ったらどうしてくれよう・・・―――それとも主人を直接問い詰めるか。

「・・・、落ち着いて」

困ったように笑うリーマスが、魔法で窓ガラスを修復してくれる。

私はその様子を見ながら、ここ1時間の内に溜まった疲労を吐き出すように、重い重いため息をついた。

「ねぇ、。ダンブルドアからの手紙には、何が書かれてあったの?」

新しく紅茶を淹れ直し、再びお茶を再開した頃、テーブルに無造作に放り出されたくしゃくしゃになった手紙に視線を向けて、リーマスがポツリと聞いてくる。

「・・・・・・」

何も言わずにいると、リーマスがアルバスの手紙に手を伸ばした。

それをリーマスの好きにさせながら、紅茶を一口飲む。

あの時から既に12年。

決着をつける時が、とうとう来たのかもしれない。

こんな山奥に・・・誰も来れないようにして閉じこもっていても仕方がないことは、自分が一番よく分かっていた。

こちらの言い分など聞く耳持たない魔法省に嫌気が差して、送られてくる復帰嘆願書を無視し続けた。

一切の情報をシャットアウトし。

目を閉じて、耳を塞いでいても、何も変わらない。

けれど怖い―――知りたいと願い続けた真実が。

考えるだけで、心の底から言い知れぬ何かが湧きあがってくる。

黒い・・・心の中で渦巻く、黒い感情。

私はこんなにも弱い人間だっただろうか?

少なくとも、1人でしっかりと立って歩いていけると思っていたのに。

・・・」

「・・・言うな」

手紙を読み終えたリーマスが、顔を上げてこちらを見据える。

彼の言わんとしていることを一言で拒否して、私はただ紅茶を飲み続けた。

これから何をすれば良いのか。

自分がどうしたいのか・・・どう在りたいのか。

考えても考えても、答えは一向に出てこない―――ただ恐怖が募るだけ。

けれど、物語はもう既に動き出している。

それだけは分かる・・・もう、今のままではいられない。

「ねぇ、。君はいつまで『彼』に囚われているつもりだい?」

「・・・・・・」

「もう12年も経ったんだ。そろそろ・・・新しい道を見つけても良いんじゃない?」

囚われている・・・か。

それは私だけではないだろう?

形は違えど、お前もまた・・・。

「ダンブルドアもそのつもりで、この手紙を送ってきたんじゃないの?」

皺だらけになった手紙をヒラリと揺らして、リーマスは言う。

そうなのかもしれない・・・そうなのかもしれないけれど。

「それでも、私は・・・」

忘れる事など出来ない。

捨てる事など出来ない。

それらすべての要因があって、今の私があるのだから。

ヒラヒラと揺れる紙を目に映しながら、私はそんな事を思っていた。

 

 

物語は、12年の時を経て再び動き始めた。

私は今もまだ、答えを出せてはいない。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

どうなんでしょう?

ギャグを無理やり入れようとして自爆した様が、とても良く見える話になりました。(笑)

フォークスがえらい扱いに・・・。

ホントはもっと賢い鳥のはずなのにね。(苦笑)

作成日 2004.4.29

更新日 2007.9.13

 

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