人の想いや感情というものは、酷く不確かで曖昧なものだ。

形もなければ、上手く言葉に表す事も出来ない。

それはまるで空気のようだと、はぼんやりとそんな事を思う。

不意に名を呼ばれ我に返りがそちらに視線を向けると、そこにはリリーが困ったように眉を寄せて立っていた。

「考え事するのも良いけど、鍋の中身が煮立ってるわよ」

言って指されたのは、今にも吹き零れそうな自分の鍋。

「・・・ああ、本当だな」

大して慌てる事無く、淡々と言葉を返し作業を再開するを見て、リリーは重いため息を吐き出した。

ある日の、魔法薬学授業中の出来事。

 

成長する

 

「僕と付き合ってくれないかな?」

ある日呼び出されて向かった空教室で、は他寮の生徒に告白をされた。

目の前に立つ青年は、ネクタイを見る限りどうやらレイブンクローの生徒らしいが、生憎との記憶の中にその青年の姿はない。

顔に見覚えがあるわけでもなく、それ故に名前など思い出しようがなかった。

けれど緊張した様子で少しだけ身体を強張らせている青年を見詰めて、は至極真面目に返答を返す。

「悪いが、貴方と付き合うつもりは私にはない」

キッパリと告げられた断りの返事に、青年は少しだけ目を見開いて。

大抵の人間はここであっさりと引き下がるのだけれど、今回の青年はそれでは納得できないらしく、焦った様子で更に言葉を紡いだ。

「どうして?」

「・・・どうして?」

簡潔に掛けられた言葉に、はその言葉を繰り返して小さく首を傾げる。

「どうして?」と聞かれても、付き合うつもりがないからだとしか言いようがない。

寧ろ「どうして?」という問い掛けの意味が、には解らなかった。

問い掛けの意味が解らない以上、今度はどう返答して良いのか解らない。―――先ほどと同じ答えは望んでいないのだろうという事だけは解り、だからこそは言葉もなく口を噤んでその場に立つ。

すっかり沈黙を守ってしまったに、青年は困ったように眉を顰めて。

「最近、ブラックたちと一緒にいるみたいだけど・・・」

返答に困り果てていたは、変わった話題にホッと安堵しながらその問い掛けに頷く事で肯定した。―――自分にも答えられる問い掛けが来た事で、少しだけ余裕が生まれる。

しかし次の問い掛けに、は再び言葉に詰まった。

「ブラックの事が好きなの?」

真剣な眼差しで向けられた問いに、はどう答えて良いのか解らず軽く目を見開いて瞬きを繰り返す。

シリウスの事を好きか嫌いかと問われれば、勿論好きの範囲に入る。

一方的に纏わり付かれているようにも見えなくはないが、が本気でそれを嫌だと思っていたのなら、何が何でも彼との接触を拒むだろう。

けれどはそうしない。―――どんな形であれ、はシリウスを受け入れていた。

ならば先ほどの問い掛けに、肯定を示せば良い。

好きか?と問われたのだから、好きだと返せば良い。

けれど青年が問い掛けている『好き』は、の思う『好き』とは違う気がした。

再び口を噤んだを見て、青年は眉間に深く皺を寄せる。

「ブラックが君に告白したらしいけど・・・もしかして付き合ってるとか?」

「・・・いや、付き合ってはいない」

再度向けられた問いに、事実だけを述べる。

そうしてため息を吐き出すと、は真っ直ぐ青年を見据えて口を開いた。

「さっきも言ったが、私は貴方と付き合うつもりはない。私は貴方の事を全く知らないし、また興味もない。悪いが諦めてくれ」

今度こそはっきりと告げると、青年はその表情を強張らせ、傷付いた目でを見返した。―――そんな青年の眼差しに、胸がチクリと痛む。

「・・・そうか。うん、解った。・・・ごめんね、時間取らせちゃって」

つい先ほどまでは力強かった声が、弱々しく謝罪の言葉を紡ぎだす。

悲しげな笑顔を顔に張りつけて去っていく青年の姿を見送ったは、先ほどよりも重いため息を吐き出した。

酷い断り方をしてしまったと、自己嫌悪に陥る。

あんな言い方をする必要はなかった。―――もう少し、他に言いようがあったのでは。

そこまで考えて、はハッと我に返る。

いつもと同じ受け答えをしただけだというのに。

今まで幾度となく想いを告げられ、それをまた幾度となく断ってきたが、それを『想いを受け入れられなくて悪い』と思った事はあっても、『酷い事をした』と思った事は一度もない。

何故ならば、には相手の気持ちを受け入れる気は少しもなかったから。

どうせ受け入れられないなら、キッパリと断りを入れるのが優しさだと思っていた。

変な期待を抱かせる方がよっぽど残酷だと。

だからは同じ部屋の女子に「そんな冷たい言い方しなくても・・・」と窘められても、態度を改める事はなかった。

だというのに、今は確かに『酷い事をした』と感じた。

些細ではあるが確実な心の変化に、は内心戸惑う。

「・・・何故なのだろうか」

誰もいない空教室で、は1人佇みポツリと疑問を漏らす。

それに対する明確な答えは解らないものの、原因についてはすぐに思い当たった。

半年ほど前に、自分を好きだと言ったシリウス。

受け入れられないのならばキッパリと断るという拘りを曲げてでも、それを実行しなかった唯一の相手。

今でもはシリウスを受け入れる気はない。

そんな精神的な余裕は、今の自分にはないということを十分承知している。

なのにどうして、はっきりと断らないのか。

グルグルと渦巻く疑問の波に、は不可解だと言わんばかりに表情を歪める。

答えは自分の中にあるはずだ。―――それなのに、その答えが一向に見えてこない。

先ほどの青年の「ブラックの事が好きなのか?」という問い掛けを思い出す。

それについての答えは出ている。

はシリウスを嫌いではないし、だからこそ自分の領域に踏み入る事をある程度許しているのだ。

けれどシリウスが向ける『好き』と、が向ける『好き』の意味は同じだろうか?

それを明確に分ける根拠とは一体どんなものなのだろう。

はリリーの事もスネイプの事も好きだ。

多少厄介な存在ではあるが、ジェームズやリーマスやピーターも嫌いではない。

では彼らに対する『好き』と、シリウスに対する『好き』は違うのか。

違う気もするし、同じような気もする。

そもそもその違いがよく解らないのだから、考えていても答えが出るとは思えなかった。

シリウスならば、その違いを知っているのだろう。

リリーを特別に好きだというジェームズも、勿論知っているに違いない。

聞けば簡単に答えが解るのかもしれない。―――そう思いつつも、はそれを聞こうとは思わなかった。

元々解らない事があれば自分で調べなければ気が済まない性質なのだ。

そうでないと納得できない。―――簡単に答えを得る事は、の拘りに反する。

それを聞くのは、自分で調べても答えが解らなかったその時で良い。

訳の解らない疑問が渦巻く中、漸く納得出来る答えを得て、は満足げに頷くと空教室を後にした。

向かう先は、彼女の馴染みでもある図書室。

多くの資料があり、今まで知りたい知識は全てそこで手に入れる事が出来た。

今回もそこで手に入れる事が出来るだろうという期待を抱いて、は足を進める。

けれどその期待が裏切られるのは、そう先の話ではなかった。

 

 

もう何冊目か解らない恋愛小説を読み終えたは、憂鬱そうにため息を吐いてソファーに身を委ねた。

確かに本の中に描かれている登場人物たちは皆、恋をしている。

けれどあまりにも自分の立場とは掛け離れすぎていて、いまいち理解が難しい。

自分は人魚でもなければ、何処かの国のお姫様でもないのだ。

恋愛小説があまり当てにならないと判断したは、けれどそれを読み続けながらも別の手段を講じる事にした。

それは今現在、身近で恋をしている人物を観察する事だ。

対象相手はジェームズに決めた。

別にシリウスでも良かったのだが、その対象が自分となると判断が狂うような気がして、敢えて第三者に想いを寄せるジェームズに白羽の矢が立ったのだ。

それからというもの、は時間の許す限りジェームズを観察し続けた。

授業中。

談話室で寛いでいる間。

鬱陶しそうな態度を取られているにも関わらず、めげる事無くリリーに声を掛ける瞬間。

ずっと観察していて、気付いた事が幾つかある。

それはジェームズという人間が、とても興味深い人物だという事だ。

いつ見ていても飽きる事がない。―――突然突拍子もない行動を取る事が多く、しかしその全てが行き当たりばったりなのではなく計算され尽くしているように見えて、俄然興味が湧いた。

最初の目的とは多少異なってはいるが、はそんな風にジェームズを見詰め続けた。

 

 

「・・・。正直に答えて欲しいのだけど」

談話室でジェームズに声を掛けられるが、話していた途中でシリウスが乱入し。

何か言いかけた言葉の先が気になりつつも、リリーに課題を手伝って欲しいと頼まれ、珍しいその申し出を受けて2人で部屋に帰って来た後。

自室にはとリリーの他に誰もいなかった。

これならばゆっくりと課題を終えられると簡単に纏めた羊皮紙を広げたに対し、リリーは一向に課題に取り掛かる素振りを見せないまま、思い詰めた様子でじっとテーブルの木目を見詰めている。

一体どうしたのかと声を掛けようとした瞬間、リリーが発した言葉がそれだった。

正直に答えて欲しいのだけど。

その言い回しに、は訝しげに首を傾げる。

今までが、リリーに偽りを告げた事は一度もない。

いつでも向けられる問いに率直な気持ちを返していたし、リリーもまたそれがの偽りない気持ちだということを理解している筈だ。

だというのに、どうして改めてそんな事を口にするのか。

疑問に思いつつも、は反射的に1つ頷く。

今からリリーが口にする話が、彼女にとって重要な事なのだという事は解った。

そして何故かは解らないが、それに自分が関わっているのだという事も。

「約束しよう。私はリリーに偽りを口にしない」

はっきりとそう告げると、リリーは少しだけ苦しげに表情を歪める。

それはその後に浮かべた笑顔に掻き消されたが、その一瞬をは見た。

望み通り偽らないと告げて、何故そんな顔をするのだろうか・・・。―――そう思いつつも、は何も言わずにリリーの次の言葉を待つ。

「今更回りくどい言い方をしても仕方ないから、単刀直入に聞くわ」

「ああ、なんだ?」

は・・・ジェームズの事が好きなの?」

向けられた問い掛けに、は微かに驚きに目を見開く。

ちなみに問い掛けられた内容に驚いたのではなく、リリーがジェームズを初めてファーストネームで呼んだ事に驚いたのだ。

確かに5年生の初めの頃と比べると打ち解けた方だが、今でもリリーはジェームズを避けている節がある。

勿論ジェームズはリリーをファーストネームで呼ぶが、リリーがジェームズをファーストネームで呼んだことは一度もない。

それがどうしたと言われればそれまでだが、そこに微かな心境の変化を感じ取って、は意外に思う。

あのジェームズの逆効果とも取れるアプローチも、あながち無駄ではなかったのだと新鮮な驚きを抱いた。

この時は、完璧にリリーからの質問の内容を忘れていた。

「やっぱり、そうだったのね」

「・・・何がだ?」

小さな呟きに、は漸く我に返ってそう問い返す。

しかし今度はリリーの方が、の問い掛けに耳を傾ける余裕を無くしていた。

「・・・どうしたら良いのかしら?」

「どうかしたのか?何か悩みがあるのなら言ってみろ。私で出来る事があれば何でもしよう」

普段人に解るような悩み方をしないリリーが、誰が見てもはっきりと解るほど悩んでいる姿に、は心配げに声を掛けた。

その言葉にリリーが微かに顔を上げる。

その表情は困惑の色を強く映しており、視線は落ち着かない様子で泳いでいた。

「・・・私、の事が好きよ」

「そうか。私もリリーの事が好きだ」

「・・・・・・でも、私は・・・」

ジェームズの事も、少し気になるのよ。

聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟かれたその言葉は、しっかりとの耳に届いていた。

その言葉に、は目を見開く。

リリーもまた、『好き』の違いを知っている1人なのだ。

ジェームズやシリウスよりも親しい親友に、その違いを聞いてみたい気がした。

どんなに本を読み漁っても参考になりそうな事柄はなく、ジェームズを観察し続けていても明確な答えなど出ない。

もう誰かに尋ねる以外に知る方法はないかもしれないと思っていたが、それをあの2人に尋ねるのはやはり躊躇われる。

しかしリリーならばからかう事も笑う事もなく、真剣に答えてくれるのではないか。

そう思って問い掛けようとするが、しかしリリーの様子が可笑しい事にこの時は漸く気付いた。

「リリー、どうした?」

どうしたもこうしたもないのだが、リリーの質問の内容を覚えていないにとっては、彼女の悩みは不可解そのものなのだろう。

しかしリリーはそれに答える事なく、その顔に無理矢理笑みを浮かべて。

「何でもないの。気にしないで、

そう言われてしまえば、無理に問いただす事をがしない事は解っていた。

案の定、少し気にしている様子ではあるものの、一言「解った」と告げて、2人はぎこちない雰囲気のまま課題に取り掛かる。

のマイペースさから誤解を抱いたリリーと、漸く解けると思った疑問を抱いたまますっきりしない

絡まった誤解という名の糸が綺麗に解けるのは、数日後の話。

 

 

「だからジェームズじゃなく、俺を見てくれ」

真夜中の談話室で。

悲痛な声で吐き出された想いに、の身体が微かに震えた。

誰かの呼び出しを受け降りた談話室で、1人蹲るように座っていたシリウス。

最近、彼の様子が可笑しい事には気付いていた。

以前と変わらず傍にいるのに、その表情はどこか冴えない。

視線を感じて目が合うと、何かを言いたそうに口を開くが、その口から言葉が出て来ることはなかった。

その時の表情は酷く悲しげで、苦しそうに見える。

いつまで経っても答えを出さない自分に愛想を付かしたのかと思えば、告げられた言葉は以前と変わらない想いを伝えるもので。

何がなんだか解らなくなっていた時に新たに告げられたのが、先ほどの言葉だった。

その瞬間、が聞いていつつも認識していなかったリリーの言葉が甦る。

は・・・ジェームズの事が好きなの?』

脳裏に響くその言葉に、は漸く事の次第を理解した。

理由は解らないが、リリーはがジェームズを想っていると誤解しているらしい。

そして今この場にいるシリウスもまた、同じ誤解を抱いているのだろう。

だからこそ、こんなに苦しそうな表情をしているのか。

状況を掴み納得した後、は自分の迂闊さに唇を噛み締めた。

酷い事をした。

つい先日抱いたものと同じ想いを、再び抱く。

しかしその時とは確実に違う想いも、確かに存在していて。

それが何かはまだ解らなかったけれど、今のにとってそれはそれほど重要な事ではなかった。

今重要なのは、シリウスの誤解を解く事。

誤解を解かなければならない。―――自分が好きなのはジェームズではなく・・・。

そこまでに考えが至ると、は呆然と立ち尽くした。

今自分は、一体何を思った?

自分が好きなのはジェームズではなく・・・―――その続きは?

何故自分は必死に、シリウスの誤解を解こうとしている?

再び多くの疑問が湧き上がり混乱しつつも、は全てを頭の隅に追いやり、努めてゆっくりとした動作でシリウスの隣に座ると、少しだけ震える手で彼の頭を抱き抱えた。

何故腕が震えているのか。

この湧き上がる、不可解な・・・けれどどこか温かい感情はなんなのか。

それすらも解らないまま、はシリウスの頭を抱く腕に力を込める。

「・・・?」

視線だけで自分を窺うシリウスを認識しながら、決してそちらへは視線を向けず、はここ最近抱いていた疑問をシリウスに向けた。

「私は・・・よく解らないんだ」

解らないと口にしながらも、疑問を抱いていた時とは違う穏やかな感情に、は戸惑う。

腕の中の温かな体温が、とても心地良かった。

こんなにも人の体温を傍で感じたのはずいぶんと久しぶりで、懐かしいような切ないような不可解な感情がを襲う。

それでも、心地良いという思いに変わりはなかった。

だからだろうか・・・―――こんなにも素直に、疑問を口に出来たのは。

「恋愛と友情の違いが・・・2つの『好き』の違いが・・・私には解らないんだ」

ポツリと呟き、はゆっくりと目を閉じる。

その疑問を口にした瞬間、答えが出たような気がした。

けれどそれは酷く不確かで曖昧なもので。

しっかりとした形もなく、また言葉にも表せないけれど。

理解したいという気持ちと、まだそれを理解したくないという気持ち。

理解してしまえば取り返しがつかないという不安にも似た気持ちと、まだ自分が持っていないその温かな感情と温もりを手に入れたいという気持ち。

相反した2つの思いを抱きながら、は静かにこれまでの事を語り始めた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

え?解決編じゃなかったの!?(自分で言ってみる)

解決編の前に、主人公の気持ちとか入れといた方がいいだろうと思いまして。

頭の中にはあったのですが、読んでる人にはこの話がないと訳が解らないかなと。

作成日 2005.12.26

更新日 2007.11.17

 

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