最初にがその存在を認識したのは、ホグワーツに入学して暫く経った頃。

同じグリフィンドール寮の『悪戯仕掛け人』なる4人組が今人気を独占していると、同室の女子に教えられた。

その際隠し撮りと思われる写真も見せられ、そういえば見たことがあるなとはぼんやりとそう思う。

何かと派手な行動をしている問題児だ。

実際組分けの儀式の後に会っているのだが、その時の事は生憎と彼女の記憶には残っていない。

5年生になり監督生となったには、何かと関わりがある厄介な人物だ。

ほぼ無理矢理ダンブルドアに押し付けられた形である監督生という立場には何の執着もなく、また積極的に校則を守らせようなどという気概もないが、目の前で目に余る行為をされれば止めざるを得ない。

強制的に監督生に任命されるまでは、特定の者以外とは深く関わる事無く静かに過ごしてきたにとっては、彼らとの接触は面倒以外の何者でもない。

しかし彼女にとっての友人であるスネイプが無意味に虐待されているのを、たとえ無関心だとはいえ見過ごす事も出来ず、5年生になってからは少々騒がしい毎日を送っている。

親友のリリーはどうやら悪戯仕掛け人が嫌いらしく、大抵の場合は彼女が率先して諌めに入ってくれる為、の負担は最小限に押さえられているのだけれど。

それらの事を踏まえても、にとって彼らは必要最低限日常に関わってくるだけの人間であり、また彼女にはその4人に何の興味もなかった。

だから時折諌める程度以外に会話はなく、また関わりもない。

しかし・・・―――きっかけというものは、本人の意思に関係なくやって来るものらしい。

人災は忘れた頃にやって来る・・・などよく言ったものだと、見当違いの格言がの脳裏を過ぎる。

それはある日唐突に、彼女の頭上からやって来た。

 

ある悪戯についての被害報告

 

いっそ清々しい位の水音が辺りに響き、廊下を水浸しにした。

惨事が起こった廊下の真ん中に立ち尽くしているを、廊下を歩いていた生徒たちが驚いた様子で見ている。

一体、何が起こったのだろうか?

いつもならば即座に状況を判断する彼女の優秀な頭脳も、この時ばかりは機能を停止させてしまったらしい。

ポタリと前髪から滴る水滴で漸く我に返ったは、ゆっくりと辺りを見回した。

確かここは廊下だった筈―――昼食を取り、出てきたばかりの大広間の大きなドアが見えるから、それは間違いない。

この辺りに水に関わる場所があっただろうか?

それならば簡単に説明はつくのだけれど・・・などと、ぼんやりとした頭で考える。

「・・・大丈夫か?」

不意に声を掛けられたが顔を上げると、目の前には見慣れた顔―――友人であるスネイプが眉を寄せて顔を覗き込んでいた。

そんな少年の顔を無表情に見返し、は状況に似合わず「珍しいな」とポツリと呟く。

スリザリンの生徒という立場があるからなのか、他の場所で会うことが滅多にないからなのかは解らないが、図書室以外で声を掛けられたのは初めてだった。

それほどまでに、今の彼女の状態が酷いからなのかもしれないけれど。

「大丈夫だ、問題ない」

「問題ないわけが・・・」

小さく溜息を吐き出しキッパリとそう言い切ったに、しかしスネイプは戸惑った様子で言い返して、ポケットからハンカチを取り出し丁寧にの髪の毛に染み込んだ水滴を拭いていく。

されるがままになっていたは持っていた教科書を窓際に置き、自らも濡れて重くなったローブの裾を持ち上げ絞る―――ビタビタという音を立てて、廊下に水が滴った。

後でフィルチに怒られるだろうかとも思ったが、不可抗力なので仕方がないと納得し、その作業を続ける。

忘れ物をしてしまったと先にリリーが大広間を出て行った事を内心安堵しながら、しばらく機械的にその作業を続けた―――そうしている内にそう時間も掛からず、マントはまだ湿ってはいるものの大方の水分は落とせた。

髪もまだ湿っていたが、スネイプが拭いてくれたおかげか先ほどよりはマシだったし、今日は良い天気だし教科書もそのうち乾くだろうなどと、は他人事のように思う。

降りかかったのが正体不明の薬品類ではなく、ただの水だった事がせめてもの救いだったと、変なところでプラス思考を発揮した。

「心配しなくても濡れただけだ、問題ない」

まだ心配そうに自分を見るスネイプに先ほどと同じ言葉を掛けると、納得したのか諦めたのか、彼は何も言わずにハンカチをポケットにしまった。

それにしても・・・と、は改めて水浸しになった床に視線を落とす。

この水は、一体どこから来たのだろう?

これが嘆きのマートルの住むトイレの近くならば、それほど不思議にも思わないのだが。大広間付近に水に関わる何かがあったという記憶は彼女にはない。

思い当たる点があるとすれば、それはピーブズの悪戯か―――それとも・・・。

そう思考を巡らせた時、廊下の向こうから駆けて来る足音が耳に届き、は床に落としていた視線を上げる。

「悪ぃ、大丈夫か?」

駆けて来る4つの人影と掛けられた声に、自然との眉間に皺が寄った。

 

 

あっ、と思った時にはもう遅かった。

眼前に広がる惨劇に軽く眩暈を感じながらもシリウスが横目で友人たちの様子を窺うと、彼らは揃って硬直したままその光景を見詰めている。

彼ら悪戯仕掛け人たちは、今日もいつも通りスリザリンのセブルス・スネイプを相手に悪戯を仕掛けようとしていた。

どんな悪戯にしようかとあれもこれもと意見は出たが、今回は悪戯の定番である『頭から水をぶっ掛ける』という可愛らしい悪戯を選択した―――いつもならば呪いを掛けたり吹っ飛ばしたりと、少々過激な悪戯というよりは嫌がらせの類が多いのだけれど。

たまには簡単な悪戯を仕掛け、それに引っかかったスネイプを笑ってやるのも良いだろうと考えたのだ。

天井にロープを通し、見つけてきた大きなバケツに水をたっぷりと入れて吊るす。

それを昼食を食べ終え広間から出てきたスネイプにぶっ掛けるというのが、当初の彼らの計画だった。

その計画を実行に移す為、シリウスたちは広間の前を通る廊下のすぐ上にある廊下で、スネイプを待つ―――ここは下の廊下がよく見渡せて、タイミングを計るのには一番だ。

今回の悪戯はタイミング良くロープを引っ張るだけの簡単なものだったので、3人は実行者にピーターを任命する。

お世辞にもあまり機転が利く方ではないピーターは、大抵の場合は3人の悪戯を傍で見ている事が多く、自らが悪戯に手を掛けた事などほとんど無い。

たまには実行者になってみるのも楽しいだろうという、シリウスたちのほんの少しの思いつきからだ。

それがこの後、大惨事を引き起こす事など知る由も無く。

シリウスもジェームズも、数分後には濡れ鼠になったスネイプの姿が拝めると信じて疑わなかった。

そんな期待は、呆気なく崩れ跡形も無く消えてしまうのだけれど。

「なんで失敗するんだよ、こんな悪戯・・・」

眼下に広がる惨状に、シリウスは思わず額に手を当て脱力する。

結論から言えば、今回の悪戯は失敗した―――それも最悪な形で。

ただロープを引っ張るだけだというのに、そのタイミングはまるで計ったかのように外れてしまい、結果スネイプが被る筈だった大量の水は彼に掛からず、彼の後ろを歩いていた少女に命中してしまった。

そしてその少女というのが、また厄介な人物だったのだ。

「・・・あれって、だよね?」

硬直からいち早く立ち直ったリーマスが、シリウスたちに確認するかのように呟いた。

組分けの儀式で一際シリウスの興味を引いた、無表情な少女。

そして5年生になり、リーマスと共に監督生に任命された少女だ。

興味を引かれて時々様子を窺っていたシリウスだが、彼は未だにどうして彼女が監督生に任命されたのか不思議に思っていた―――確かに生活態度は真面目だし、悪戯仕掛け人のように突拍子も無い行動をするわけでもない。

しかしお世辞にも人付き合いが良いとは言えず、また規律などに対しての頓着も皆無だ。

彼女は規律を守って日々を過ごしているのではなく、常識の範囲で生活をしているからほとんど規律を破る事がない―――そんな風にシリウスには見える。

それをいうならば、ではなくリリーの方が監督生に相応しいのではないかとさえ思えた。

それはともかくとしても、現実にグリフィンドールの監督生はなのだ。

そしてそのに、悪戯で水をぶっ掛けてしまったという事実に変わりは無い。

髪もローブも、おそらく中の制服までがびっしょりと濡れてしまっているは、それでも無表情のまま、廊下の真ん中に立ち尽くしている。

「・・・謝りに行かないとね」

溜息混じりに、リーマスがポツリと呟いた。

確かに、全くの無関係であるを悪戯に巻き込んでしまったのだから、謝りに行くのは当然の事だ。

それにジェームズが1つ頷く。

は監督生である前に、あのリリーの親友なのだ。

彼にとっては、今これ以上リリーへの印象を悪くするわけにはいかない―――ただでさえ、毛嫌いされているというのに。

「だけど、って・・・。ねぇ、リーマス。のあの噂って、本当だと思うかい?」

しかしジェームズは行動に移す事無く表情を強張らせ、曖昧な笑顔を浮かべているリーマスに問い掛けた。

返って来た無言に、引きつった笑みを零す。

には、数々の噂がある。

人目を引く整った容姿に、なんとも近寄りがたいミステリアスな雰囲気―――興味を引かないわけがない。

その中でも一際好まれている噂が、彼女にはあった。

何でもの両親は闇祓いで、彼女も幼い頃から闇祓いになるべく修行させられていたらしく、その実力は15歳にしてプロの闇祓いすらも凌ぐという。

がホグワーツに来る前、喧嘩した相手を得意の闇の魔術で死ぬよりも恐ろしい目に合わせた事があるらしく、に目をつけられると命はないというのが一番有名な噂だ。

4人が瞬時に思い出した噂が同じだった事から、それがどれほど広まっているのが解る。

「まさか・・・。あの噂、けっこう怪しいし・・・」

引きつった笑みを浮かべながら、リーマスが軽い調子で返す。

「でも、デマだっていう証拠もどこにもないんだよね?」

しかしあっさりと返されたジェームズの言葉に、まだロープを握ったままのピーターがガタガタ震え始めた。

「馬鹿らしい。んなの、ただの噂に決まってんだろ?」

「・・・そうだよね」

そんな空気を振り払うかのように、強い口調でシリウスが言い切る。

それに勇気付けられたジェームズは、乾いた笑いを零しながら少しだけ明るい声で呟いた。

「でも、の両親が闇祓いっていうのは本当みたいだよ」

一見落ち着きを見せたその場に、しかしリーマスが爆弾を投下する。

それに揃って視線を向けたジェームズとシリウスを見据えて、リーマスは困ったように微笑んだ。

「・・・そんなの、いつ聞いたの?」

「ホグワーツ特急で」

簡潔に返って来る言葉。

ホグワーツ特急で、彼らがと一緒になったことは一度も無い―――しかし監督生として先頭の車両に乗る事になったリーマスならば、監督生として同じコンパートメントにいたにそれを聞くことも可能だ。

「・・・それで?」

「それでって?」

「噂の真相だよ!本当だったの?それともデタラメだったの?」

「そんなの、本人に直接聞けるわけないじゃない。そんなに親しいわけでもないのに」

返って来た答えに、2人は揃って項垂れる。

リーマスの言い分は最もだが、これでは状況が悪くなっただけだ。

もし噂が本当だったら・・・?―――そうなれば厄介な事に違いない。

しかし現在のシリウスに、このまま放っておくという選択肢は何故か存在しなかった。

「ほら。いつまでもごちゃごちゃ言ってても仕方ないだろ。行くぞ」

「・・・そうだね。このままを放っておくわけにはいかないしね」

それぞれ思惑は違えど、結論は一緒らしい。

そうして3人は、未だ固まったまま震えているピーターを連れ、の居る下の階の廊下へと向かったのだ。

 

 

「また、お前たちか」

謝罪の為に姿を現したシリウスたちを目に映したが、最初に言った言葉はそれだった。

溜息と共に呆れた様子を隠そうともしない呟きに、シリウスはムッと眉を寄せる。

しかし怒るべきは自分ではないという事を重々承知しているシリウスは、何とか文句を飲み込みの顔を見返すに留めた。

「大丈夫・・・じゃなかったみたいだね」

「ごめんね?君にこんなことするつもり、なかったんだけど・・・」

謝りに来た筈のジェームズが、スネイプの代わりに見事にずぶ濡れになったを見て感心したように呟く。

それを無言で諌めて、リーマスが申し訳なさそうな表情を浮かべ話し掛けた。

「そうそう。本当はこっちを狙ってたんだよ」

先ほどの怒りをぶつけるように、シリウスは鋭い視線でスネイプを睨みつけからかうような笑みを浮かべる。

それにスネイプが不愉快だと言わんばかりに眉を顰めたその時、再びの口から盛大な溜息が零れた。

「お前たち・・・もう幼い子供ではないのだから、こんな馬鹿げた悪戯など止めたらどうだ?」

「・・・馬鹿げた?」

「その通りだろう?こんな悪戯をして喜ぶのは、幼い子供だけだ。人を虐げる事で優越感に浸るなど、私には理解できんな」

ほんの少し声が低くなったシリウスを気にも止めず、は淡々の言葉を続ける。

それにシリウスの目付きが鋭くなっていくのを察したリーマスが、先ほどと同じく諌めるようにシリウスの袖を引っ張った。

何度も言うが、ここで怒るべきはシリウスではないのだ。

の言っている事は、正論以外の何者でもないのだから。

「・・・すごい、濡れちゃったね」

これ以上の状況の悪化を食い止める為か、今までシリウスの後ろに隠れていたピーターが、恐る恐るといった感じでに声を掛ける。

それを一瞥してから、は今日三度目になるセリフをもう一度口にした。

「大丈夫だ、問題ない」

今にも震え上がりそうなピーターに向かいそう言い放つと、その言葉を聞いたシリウスが漸く冷静さを取り戻し、怒りに強張った身体の力を抜いてに手を伸ばす。

「いや・・・問題ないって・・・、着替えた方がいいんじゃないか?」

幾分か柔らかい口調を心掛けてそう言った―――しかしへと伸ばした手は、彼女の身体に触れる前に彼女自身によって払い退けられる。

「問題ないと言っているだろう?」

冷たい視線と、言葉。

それはいつものと何ら変わりないもの。

無表情も、淡々とした口調も、いつもと同じもの。

けれどシリウスの頭に血を上らせるのには、十分すぎるものだった。

「・・・そんな言い方しなくても、ちゃんと謝ったじゃねぇか!こっちは心配してやったってのに・・・」

廊下にシリウスの怒声が響く。

先ほどから遠目に彼らの遣り取りを見ていた生徒たちが、一斉に肩を竦めた。

しかしは少しも動じず、ただ感情の宿らない目でシリウスを見返している。

「おいおい、シリウス。僕たちが悪いんだから、怒るなよ」

「ごめんね?彼、短気だから・・・」

明らかに楽しんでいるジェームズと、困った様子のリーマスが慌てて止めに入った。

しかしはそれにすら何の反応も示さない。

ただ一言「気にしていない」とだけ告げ、濡れて湿った髪を掻き上げる。

そうして何度目かの溜息を吐き出し、窓際に置いた濡れた教科書を手に取ると無言で傍らに立つスネイプに視線を向けた。

「わざわざすまなかったな、セブルス。感謝している」

髪を拭いてくれた感謝の言葉を告げ、まるで何事も無かったかのように踵を返し、はシリウスたちに背を向けて歩き出した―――それと同時にチャイムの音が廊下に響き、野次馬と化していた生徒たちが一斉に動き出す。

「・・・シリウスくん。あそこで逆ギレするのはどうかと思うよ?」

再び廊下に騒がしさが戻った中、身動きすら取らず凛としたの後ろ姿を無言で見送っていたシリウスに、ジェームズが呆れた口調で声を掛けた。

「そうそう、が怒るのも無理ないよ・・・」

同じくリーマスも、少しだけ非難めいた視線を向け呟く。

シリウスはそんな2人から視線を逸らし、不貞腐れたように床を睨みつけた。

そんなこと言われなくとも解ってんだよと、心の中で悪態をつく。

「「君、絶対彼女に嫌われたね」」

綺麗に揃ったジェームズとリーマスの言葉に、お前たちも同じだろうという意味を込めて睨みつけるが、2人には全く効果は無いようだ。

「・・・ふん。別にあいつに嫌われたからどうだって言うんだよ」

自分には関係ないとばかりに言い返すが、その瞬間シリウスは胸に微かな痛みを覚えた。

チクリと、まるで何かを訴えるような微かな痛みに、眉を顰める。

別にに何と思われようが、自分には関係ない。

そう思うのに、胸のもやもやは消えるどころか増していくばかり。

そんな不可解さに思わず舌打ちをすると、不意にリーマスが不思議そうに呟いた。

「そういえば・・・は次の授業には出ないつもりなのかな?」

「・・・あ?なんでだよ」

「だって、あっちからは教室にはいけないよね」

が去った方角に視線を向けて、リーマスは3人に同意を求める。

「・・・寮にでも戻ったんじゃないのか?制服、ずぶ濡れだったし」

そう言ってから、途端に罪悪感がシリウスに襲い掛かってくる。

今まで悪戯をして、こんな気持ちになどなったことがないのに・・・―――まあ、こんな失敗はした事など無いのだけれど。

「でも寮に帰るにしても、こっちからは行けないよね。抜け道もこっちの方には無かったし・・・。それにこっちって、普段使わない教室とかばかりで何もない筈だし・・・」

更に続くリーマスの言葉に、シリウスたちは漸く不思議に思う。

サボリなのかとも考えるが、今までが授業をサボった事など、彼らが知る内では一度も無い。

暫くの間お互い顔を見合わせていたが、そろそろ教室に向かわなければ本格的に遅刻してしまうと思い出したジェームズは、気になるながらも踵を返した。

しかしシリウスはそこから一歩も動かない。

ただじっと、が去った方向を見詰めている。

「・・・シリウス?」

躊躇いがちにリーマスが声を掛けると、漸くシリウスが3人を振り返った。

「俺、ちょっと行って来る」

「行って来るって・・・ちょ!シリウス!?」

リーマスの返事を聞かない内に、シリウスはの去った方へと駆け出す。

その際投げ出された彼の教科書を拾っている間に、シリウスの姿は廊下の奥へと消えた。

「・・・大丈夫かな?」

「大丈夫なんじゃないの?シリウスも頭は冷えたみたいだし」

興味深そうに眼鏡の奥の目を細めて、ジェームズが笑みを零しながらそう答える。

そんな親友に心配そうな視線を向けながらも、リーマスは1つ溜息を零した。

シリウスはもう行ってしまったのだ―――今更何を言っても仕方ない。

「ほら、僕たちは教室に行こう。授業は真面目に受けないとね」

「・・・君の口から聞く真面目って言葉ほど、胡散臭いものは無いよね」

楽しげに口角を上げるジェームズに呆れた様子で言い返し、リーマスはまだ少し顔を青くしているピーターを連れて次の授業が行われる教室へと向かった。

 

 

本人にその気は無いのだろうが、点々と残された水滴を辿ってシリウスは人気のない廊下を走っていた。

こんな風に水滴が残っているという事は、まだ大分濡れているという事だろう―――そう考えると苦い思いが胸の中に湧いてくる。

跡を辿って行くなんて、まるで何かの童話のようだと苦笑しながら普段足を踏み入れない教室の並ぶ廊下を走り続けると、中庭のような空間が目の前に広がった。

悪戯仕掛け人ですらもまだ見つける事の出来ていないその中庭は、四方を建物に囲まれていながらも十分過ぎるほどの光で照らされていて、まるで一枚の絵画のような風景がそこにはある。

誰かが手入れしているわけでもないだろうに、芝生は均等な長さで揃っていて『緑の絨毯』という言葉がぴったり当てはまる―――その中庭の中央にあつらえたような大木があり、その木の根元にはいた。

眠っているのか、シリウスが近づいても目を開けない。

ふと視線を巡らせたシリウスは、大木の枝にローブが掛けられてあるのを見つけ、投げ出してある・・・―――ページが全部上を向いているので、もしかしたら乾かしているのかもしれない教科書を踏まないように気をつけ、そっと手を伸ばしそれに触ってみる。

まだ湿っているが、暖かい日の光のおかげか先ほどよりは乾いている様だ。

このまま干しておけばすぐに乾くだろうと判断し安堵の息を吐き出すと、今度はソッとの顔を覗き込む。

整いすぎた顔。

まるで人形のようにさえ見えるそれは、何となく冷たささえも感じさせて。

一瞬、ただ眠っているだけなのかという心配をシリウスは抱いた。

はまだ目を開けない。

もしかすると起きていてわざと無視されているのではないかという思いが浮かび、気配を殺すのは止めて堂々との前に立ち彼女の名を呼んだ。

「・・・

その低い声に引かれるように、閉じていたの目が薄っすらと開かれる。

「・・・お前か」

そして一言、溜息混じりに返された言葉に、シリウスは眉間に皺を寄せた。

「お前ってのはやめろ。俺にだって名前がある」

憮然とした表情を浮かべ言い返すシリウスに、しかしは表情を変えずに視線を返すときっぱりと言い切る。

「名前を知らん」

「シリウス・ブラックだ」

思わず即答で名乗ったシリウスは、しかし密かにショックを受けていた。

大概の人間は、彼の事を知っている―――たとえそれが彼の忌み嫌うブラック家の影響でも、もしくは悪戯からくる悪名だとしても、シリウス・ブラックの名前はそれなりに広まっている。

それなのには、まるで自分の事など興味がないみたいに、さらりと『知らない』と言い切った。

それよりなにより、自分はの事を知っているのに、の方が自分を知らないというのが正直シリウスにとっては悔しかった。

途端に不機嫌さを露わにし、シリウスはドカッと音を立てての隣に腰を下ろす。

すっかり落ち着くシリウスを横目に、は重いため息を吐き出した。

「・・・何の用だ、ブラック」

木に背中を預け、顔を向ける事無く問い掛けるに、しかしシリウスは真剣な表情を浮かべ口を開く。

「・・・謝りに来たんだ」

静かな空間にポツリと落ちた静かな声に、は表情も変えずサラリと答えた。

「私は気にしていないといった筈だ」

予想通りといえばそれまでだが、あまりの頑なな態度にシリウスも呆れ返る。

「それでも、俺は気になる。だから謝りに来た」

「必要ない」

にべもなく返って来る返事に、シリウスは苛立ったように頭を掻き毟った。

「・・・ったく、俺が謝るっつってんだから、素直に聞き入れろよ。可愛げのない女だな」

「私に可愛げを求める方がどうかしているんだ。そういうものが欲しいのなら他を当たれ」

「・・・なんだよ。もしかして妬いてんのか?」

そう言った直後、氷よりも冷たい視線を返され、シリウスは引きつった笑みを浮かべる。

失言だったと思っても今更遅い。

謝りに来た筈なのに逆に怒らせてどうするんだと自分自身に突っ込みを入れながら、シリウスは気を取り直すように1つ咳払いをして、再び真剣な表情を浮かべて口を開いた。

「本当に悪かったと思ってる。水ぶっ掛けた事も、その後・・・逆切れしたことも」

神妙な顔で彼にしては珍しく頭を下げる様子に、珍しくは戸惑った。

別には本当に、怒っている訳ではないのだ。

ただいつも通りに相手に接しただけ―――しかしそれが怒ったように見えたのだと言われても、どう返答して良いのか解らない。

そもそもこんな風に人と関わる事自体、あまり得意ではないのだ。

下げた頭を上げて欲しいと思うが、それを口にしたところで更に誤解を招いたりはしないだろうか?

リリーならば、多くを語らなくとも察してくれるのだが・・・―――そもそもリリーがこんな状況を自ら招くとも思えないけれど。

暫く考え込んだ末、は仕方ないとばかりに慎重に言葉を選んで話し始めた。

「私は、別に怒ってなどいない。確かに呆れはしたが」

「・・・それはフォローのつもりか?それとも追い討ち掛けてんの?」

間を置いて返って来た問い掛けに、は深い溜息を吐く。

そもそも上手く言葉が伝わったためしなど、よほど親しい相手以外には無いのだ。

話し方に問題があるのだとは解っていても、意識して言っているわけではないのだから、何処らへんに問題があるのかには解らない。

微かに眉間に皺を寄せて、深呼吸をしてから再び口を開く。

「私は怒っていない。だから・・・謝る必要もない」

「んな事言ったって、悪いと思ったら謝るのは当たり前のことだろ?」

お前が悪気を感じているとは思わなかったな・・・と咄嗟に言いかけて、思わずその言葉を飲み込んだ―――今の言葉は自身でも解るほど、問題有りだ。

「確かに・・・そうだが。しかし私は気にしていない。水を掛けられた事は・・・確かに気分の良いものではないが、怒るほどの事でもない」

「やっぱり、ムカついてんじゃねぇか」

即座にそう言い返されれば、とて反論のしようがない。

自分の言葉通り怒ってはいないが、シリウスの言う事にも一理ある。

だから人と話すのは苦手なんだと一人ごちて、シリウスの顔を正面から見返した。

「だから、私が言いたいのは・・・」

「言いたいのは?」

「・・・・・・そんなに謝られても、どう対応して良いのか解らないんだ。こういう事には慣れていない。反応に困る」

の先ほどとは違う途方に暮れたような声に、シリウスは呆気に取られた。

反応に困る?

「・・・だから謝らなくても良いってのか?反応に困るから?」

「まぁ、簡単に言えばそう言うことだ」

そうが素直に言った直後、物凄い勢いでシリウスは噴出した。

その勢いのまま、微かに肩を震わせて笑う―――本人は精一杯堪えているつもりなのだろうが、生憎とその成果は薄い。

一方突然笑われたは、更にどうして良いのか解らず眉を寄せた。

「そ・・くくくっ。そんなこと気にしなくても・・・くっくっく。ははは!」

今度こそ大声を上げて笑ったシリウスに、はどうにでも成れと空を仰ぐ。

暫く後、漸く笑いが収まったシリウスは、目元に浮かんだ雫を乱暴に手の甲で拭い、微笑みを浮かべてと向き合った。

「んな、難しく考える必要ねぇだろ?そういう時は、どう致しましてとかいってにっこり笑ってりゃいいんだよ」

「・・・どう致しまして、か」

「そうそう。んで、にっこり笑う。―――ほら、笑ってみろ」

促され、は眉間に皺を寄せてシリウスを見返した。

笑うと言っても、一体どうすれば。

笑うという行為を知らない訳ではない―――ただその行為を意識した事が無い為、いざしろと言われても、はいそうですかという訳にもいかない。

しかしじっと見詰められ、が笑うのをシリウスが待っているのだという事は痛いほど解った。

「ほら、早く笑えよ。にっこりって」

「・・・おかしくもないのに、笑えるか」

再度促され、はその話題から逃げるように素っ気無い言い返す。

しかしその瞬間、目の前のシリウスの顔が驚きに変わっていくのを確認し、訝しげに首を傾げる。

そんなを前に、シリウスは自分の目で見たモノが信じられず、これ以上ないほど目を見開いていた。

満面の笑顔とはとても言えない。

けれど今確かに―――確かにの表情が、ほんの僅かではあるが笑んだようにシリウスには見えた。

「なんだ、人の顔をジロジロと・・・」

不愉快げにそう言うには、先ほどの笑みらしきものの面影すらないけれど。

そう思った瞬間、シリウスは己の心臓が大きく跳ね上がっている事に漸く気付いた。

まるで全力で走った後のように激しく打つ鼓動に、訳が解らず目を瞬く。

「・・・どうかしたのか?」

その時になって漸く、シリウスの様子がおかしい事に気付いたが、不思議そうに顔を覗き込む。

それから逃れるように咄嗟に後ろに身体を引いて、シリウスはフイと顔を背けた。

「な!何でもねぇよ!!」

返って来た怒鳴り声に訝しく思いながらも、は何でもないというシリウスの言葉を信じ、再び木に背中を預けて目を閉じる。

静かに降り注ぐ日差しはポカポカと温かく、漂う雰囲気はとても穏やかで。

そうやって2人は、授業が終わるまで一言も口を利く事無く・・・しかし何処かへ行くでもなく、ぼんやりとその空間を満喫していた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

入学から、あっという間に4年経ってますが・・・。(汗)

ハリポタ5巻でジェームズたちが15歳の時の話が書かれてあって、しかもお世辞にも性格が良さそうだとは思えなかったので、せめてここから変わっていくのよ・・・みたいな捏造を刷り込む為にも、一気に5年生まで飛ばせて頂きました。

本では監督生はリーマスになっていたのですが、女子の方は(多分)書いてなかったので、ここでは主人公が監督生に。

というか、絶対に主人公よりもリリーの方が向いてそうなのですが・・・(でもシリウスたちとちょっとでも接点を作る為には、この設定は美味しいので)

最初この話は主人公編とシリウス編の二部構成だった為、2つを合わせた結果異様に長くなってしまいました。(笑)

作成日 2005.12.5

更新日 2007.9.13

 

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