ふと気がつくと、そこは真っ白な空間だった。

上も下も解らない・・・―――ただ自分が立っている事で、そこが地面であるという事を認識するような、あやふやな世界。

「・・・ここ、どこだっけ?」

広いのか狭いのかも解らない空間に佇むシリウスは、ポツリと呟いて首を傾げる。

自分は何か、とても大切な事を抱えていた筈。

そう思い出した瞬間、周りの白が一変し、世界は鮮やかな色に染まった。

 

夢路の

 

どこか見覚えのある風景が、目の前にはあった。

暖かな日差しが差し込む優しい空気が流れる部屋。

その部屋には、1人の女性が生まれたばかりの赤子を抱いて柔らかい微笑を浮かべている。

その表情は見ている者の心すら和ませるほど、幸せに満ちていた。

女性が愛しげに腕の中の赤子の頬を撫でる。―――その時、ギィと軋む音を立てて扉が開かれ、そこからまだ若い男性が姿を見せた。

「・・・準備は出来たか?」

「あなた。・・・ええ、いつでも」

若いながらも厳格そうなその男は、赤子を抱く女性に歩み寄り、そうして腕の中の赤子に視線を落とす。

その瞳は先ほどよりも柔らかく、優しい光を放っている。

「やはりお前は暫くここに残った方が良いのではないか?この子もまだ生まれたばかりだ」

「だからこそ、です」

気遣うように口を開いた男の言葉を遮って、女性はキッパリとした声色で告げた。

先ほどの柔らかな笑みとは違う鋭い光を宿す瞳に、男は小さくため息を漏らして開きかけた口を閉じる。

「そうだったな」

ため息混じりにそう呟けば、女性の表情がほんの少し和らぐ。

その女性を、シリウスはどこかで見た事があると思った。

どこかで見た事がある?

いや、違う。―――どこかで見た事があるのではなく、彼女は・・・。

「この子が幸せに・・・そして安全に暮らしていく為、私たちは課せられた使命を全うしなければ」

真剣な表情を浮かべる女性の顔には、揺るぎない決意が宿っている。

もう彼女を止める事など出来ない。

それは男だけではなく、シリウスにも十分に察する事が出来た。

「・・・では、行くか」

既に諦めたのか、それとも最初から説得など不可能だと悟っていたのか・・・―――ともかくも男はそう促すと、颯爽とした足取りで部屋の戸口まで歩み寄りそこから廊下の向こうにいるだろう者の名を呼ぶ。

男の声を聞きつけたその者は、呼んで間もなく部屋の中に飛び込んでくる。

「この子を・・・をお願いね、セルマ」

「畏まりました、奥様。お嬢様はセルマの命に掛けて、大切にお育てしお守りします」

女性が差し出した赤子をセルマは大事そうに受け取り、そうして先ほどの女性と同じように愛しげに赤子を見詰めた。

「行って参ります」

「行ってらっしゃいませ」

赤子を抱き抱え深々と頭を下げたセルマに見送られ、厳格な雰囲気の男とにとてもよく似た風貌を持つ女性は、振り返る事無く部屋を後にした。

 

 

「お嬢様。また旦那様の本を読まれているのですか?」

立ち上がっても、しもべ妖精のセルマとそう身長も変わらないほど幼い少女は、しかし歳に似合わない古びた小難しそうな本を真剣な表情で読んでいた。

銀の盆を持ったセルマに声を掛けられたは、本に落としていた視線をゆっくりと上げる。

「外に出てはいけないと言われているからな」

まだ少し舌足らずではあるが、しっかりとした意思の秘められた声。

今の自分の状況を、この幼い少女は理解しているようだった。

「申し訳ございません、お嬢様。セルマの力が足りないばかりに・・・」

「セルマのせいじゃない。これは仕方のない事なんだ」

言って再び本に目を落とす。

もう少し子供向けの絵本などを読んではどうかとセルマが言っても、がそれを聞き入れる事は無かった。

まるで必要に迫られているかのように、一心に書物を読み耽る

その姿は、幼い子供のものではなかった。

「お嬢様を見ていると、旦那様を思い出すのでございます」

「・・・父上を?」

「はい。お嬢様は、雰囲気がとても旦那様に似ていらっしゃいます」

「そうか」

「ですが、お姿は奥様に瓜二つで・・・」

「そうか」

懐かしそうに嬉しそうに少女の両親の事を話すセルマとは対照的に、は抑揚の無い声で単調な返事を返す。

その顔には何の変化も無い。

シリウスが知る、かつてのがそこにいた。

「旦那様と奥様は、今度はいつ頃お帰りになられるのでしょうか?」

「つい一週間前に出て行かれたばかりだ。しばらくはお帰りになられないよ、きっと」

「・・・そうですか」

本に視線を落としたまま言うに、セルマは残念そうに肩を落とす。

帰って来たと言ってもそれは夜中の事であり、仕事が入っていた両親はすぐに、眠るを起こす事無く再び家を出て行った。

実際に言えば、が最後に両親に会ったのはずいぶんと前の事。

寂しくないのかと問えば、は無表情のまま首を横に振る。

は理解しているのだ。

自分の両親がしている、仕事の大変さを。

「セルマ。私と2人では嫌か?」

読んでいた本を閉じて視線を向けると、セルマは慌ててちぎれんばかりに首を横に振る。

それを見詰めて満足そうに頷いたは、本を棚へと戻し新しい本を手に取って。

「ありがとう。―――ところで、セルマ。咽が渇いたから何か持って来て貰えないか?」

「はい、ただいま!!」

チラリと視線を寄越して申し出たに、セルマは目を輝かせて返事を返すと勢い良く書斎から飛び出していく。

諭され、気を逸らされている事に、果たしてセルマは気付いているのか。

幼い少女は、何処までも幼い少女らしくはなかった。

 

 

少女のすらりと伸びた手足が、鋭く空を切る。

そうして構えの姿勢に戻ったは、ふうと小さく息をつき椅子に掛けてあったタオルを取り流れる汗を拭う。

ほんの少し成長した少女は、武術の稽古をしているようだ。

かといって、先生がいるわけではない。

武術の鍛錬用に用意された部屋で1人、黙々と鍛錬に励んでいる。

その実力がどれほどのものなのか、1人で鍛錬しているには知り様もないが、同じ年頃の子供からすれば考えられないほどの実力ではあった。

「お嬢様、お嬢様!!」

ふいに廊下から声が響き、続いて声の主が勢い良く部屋に飛び込んでくる。

この広い邸には今彼女としもべ妖精しかいない為、その声の主が誰なのか考えるまでもないのだが。

「・・・どうした、セルマ」

「旦那様と奥様からのお手紙でございます!!」

息を切らし嬉しそうに瞳を輝かせるセルマから手紙を受け取り、それが本当に両親からのものなのかを確認してから、は慎重な手つきでそれを開封した。

中には色褪せた羊皮紙が数枚、所々破けたりはしているがしっかりと入っている。

この手紙の有り様が、両親の仕事の過酷さを訴えているようだとは思う。

「お嬢様!旦那様と奥様はご無事でしょうか!?今どうしていらっしゃいますか!?」

「・・・ああ」

手紙に目を通していたの眉間に、微かに皺が寄った。

それはどう見ても、良い連絡ではないようにシリウスの目には映る。

「・・・お嬢様?」

セルマも同様に感じたらしく、不安そうにを見上げる。

それに気付いたは、静かな動作で手紙を封筒に戻し、自分よりも少し低いところにあるセルマの頭を優しく撫でた。

「お二人には何事もないようだ。仕事は過酷だが、何とか乗り切っていると書いてある」

「・・・そうですか。安心致しました」

ホッと安堵の息をつくセルマに、しかしの表情は動かないまま。

それは何でもないことのように、サラリと続きを口にした。

「しかしの東の一族は、どうやら闇の陣営に滅ぼされたらしい。連絡が一切取れなくなったと書かれてある」

「そんな!!」

悲痛な声を上げるセルマとは対照的に、は淡々とした様子で流れる汗を拭う。

「お嬢様・・・」

不安げに見上げるセルマの頭をポンポンと軽く叩き、は再び鍛錬に戻った。

彼女が一体何を思っているのか・・・―――それは表情から計る事は出来ない。

まだ数年生きただけの少女が、この状況で何を思うのか。

あまりにも自分とは違いすぎる生い立ちに、シリウスは泣きたいほど苦しくなった。

 

 

闇の帳が落ち、静けさに包まれた邸で。

いつもならば何かと騒がしいセルマは、部屋の隅で蹲り小さく嗚咽を漏らしていた。

大きな目から零れ落ちる雫は止まる事無く、厚い絨毯に染みを作っている。

それをソファーに座ってぼんやりと眺めていたは、ふと窓の外へと視線を向けた。

今夜は満月なのか・・・―――明るいほどの月の光が、邸の広い庭に惜しむ事無く注がれている。

「・・・セルマ」

「ううっ・・・うわぁああ、旦那様・・・奥様・・・。お嬢様を残されて、どうして」

「・・・・・・」

「ああ、セルマはどうしたら・・・。セルマだけで、どうやってお嬢様をお守りすれば」

どうやらの声も、今のセルマには届いていないらしい。

邸に・・・そしてに伝えられた両親の訃報は、屋敷を悲しみの底に沈めていた。

静けさと重い空気漂う室内で、はただぼんやりと窓の外を眺める。

そうしておもむろに立ち上がると、ゆっくりとした足取りで部屋の外に出る。

いつもならば気付く筈のセルマも、が部屋を出て行った事には気付かない。

そのまま長い廊下を歩き続け玄関ホールまで来ると、重厚な作りの扉の取っ手に手を掛けた。

ゆっくりと力を込めて押せば、それは滑らかに外側へと開く。

夜の冷たい風が頬を撫で、長い黒髪を微かに靡かせた。

一歩足を踏み出せば、堅い煉瓦に靴音が響く。

一歩一歩確認するように足を踏み出し庭の中ほどまで来たは、夜空に浮かぶ丸い月を見上げ大きく息を吐き出した。

「やっぱり・・・思った通り、今夜は満月か」

しみじみと呟き、そうして静かに目を閉じる。

両親の言い付けにより・・・そして世話役であるセルマの言い付け通り、はずっと屋敷の中で暮らして来た。

自分の屋敷の庭にすらも出る事無く、生まれてから数年間、ずっと広く静かで寂しい屋敷の中で。

初めて見る外の世界は、しかし屋敷の中とそう変わらないように見えた。

静かで、暗く、そして寂しい。

それは夜だからという理由だけではない気がした。

「・・・戻るか」

閉じていた目を開けてため息を零すと、は踵を返して元来た道を辿る。

自分の不在に、そろそろセルマも気付いているかもしれない。

そんな事を思った瞬間、身体に衝撃を感じ、はその場に転がった。

ハッと我に返った時には、自分の上に馬乗りになった男が目に映る。

の血族だな?」

「・・・そうだ」

ぎらぎらとした光を放つ目で見下ろす男の短い問い掛けに、は怯えた様子も無く静かな声色で返事を返した。

それににやりと口角を上げて、男の手がの首元へと伸びる。

「では、聞こう。我が主がの力を求めている。俺と共に来い」

「ことわる」

首を圧迫され苦しさを感じながらも、は無表情のまま否定の言葉を放った。

その言葉に男は一瞬目を見開きながらも、次の瞬間再び口元に笑みを浮かべる。

「どれほど幼くとも、の人間・・・というわけか。そうやってどれほどのの者が命を落としてきたか、お前は知っているか?」

「ことわる」

「お前の両親も、同じ言葉を吐いて死んでいったよ」

男の口から零れた言葉に、初めての表情に変化が訪れた。

苦しげに眉間に皺を寄せ、自分の首を締め嘲笑うように見下ろす男を見上げる。

「おまえが、ちちうえとははうえを、てにかけたのか」

首を締められ苦しげに呼吸を繰り返しながらも、はしっかりとした声色で問い掛ける。

それに男は更に口角を上げて。

「もう一度だけチャンスをやる。俺と共に来い。そうすれば悪いようにはしない」

酸素が足りず朦朧とする意識の中、は最後の気力を振り絞って声を放った。

「ことわる」

それと同時に、の上に乗っていた男の体が勢い良く吹き飛んだ。

急激に肺に流れ込んできた酸素にむせながらも呼吸を整え身を起こすと、すぐ傍に先ほどの男とは違う男が立っていた。

長い髭を蓄えた、優しげな雰囲気の老人。

「大丈夫かの、

「・・・貴方は、誰だ?」

咽を押さえながらも立ち上がり毅然と向かい合うに、老人はやんわりと微笑みかけた。

「我が名はアルバス・ダンブルドア。おぬしの両親の友じゃよ」

「・・・父上と母上の?」

「さよう」

笑顔を浮かべて頷くダンブルドアを、は何の警戒も無く見上げる。

彼の言葉を信じたわけではない。

その言葉が嘘でも、にはどうでも良かったのだ。

「おぬしも聞いておるな?おぬしのご両親が亡くなった事」

コクリ、とは1つ頷く。

「そして、既にの血を持つ者は、おぬし以外には残っていない事も」

コクリ、ともう1つ頷いて。

そうして少しも動揺していないを見下ろし、ダンブルドアもまた浮かべていた笑みを消し、静かな声色で問い掛けた。

「おぬしは大層己を自制する事が得意なようじゃが・・・こういう時は泣いても構わんのじゃぞ。泣いても、誰もおぬしを責めたりはせん」

「私は泣かない」

キッパリと言い切って、はクルリと踵を返した。

そのままダンブルドアを置いて、屋敷へと戻る道を辿る。

「・・・

その小さな背中を見詰めていたダンブルドアが、強い声色で彼女の名を呼んだ。

するとは立ち止まり、ゆっくりとした動作で振り返りダンブルドアを見る。

「『家の当主の座を、そなたに』。おぬしの父からの言葉じゃ」

「・・・・・・」

「そしてこれはおぬしの母から。『・・・どうか、幸せに』」

外灯の無い広い庭には、濃い闇が広がっている。

2人の間を隔てている距離はそう遠くは無いけれど、その表情を窺い知る事は出来なかった。

ほんの少しの沈黙の後、は再びダンブルドアの前に立ち、真っ直ぐに彼を見上げて。

両親の最後の言葉を聞いて、彼女が何を思ったのかは知れない。

しかし。

「先ほどは助けていただいてありがとう。家の当主として礼を言う」

そう言ったの表情は、最早子供の持つそれではなかった。

 

 

映像がプツリと音を立てて消えたと同時に、シリウスは再び真白の世界に投げ出された。

先ほど見た光景の数々が脳裏を過ぎり、呆然と立ち尽くす。

自分の知る少女の、自分の知らない過去。

子供が普通に与えられるはずの物を、何一つ持たなかった少女。

想像も出来ない環境と生い立ち。

そうして形成されていった、という人間。

そんな彼女にもたらされた、残酷な現実。

「どうよ、今の。なかなか凝った趣向だったろ?」

唐突に響いた声に、シリウスはビクリと肩を震わせ辺りを見回す。

すると真白の空間に浮かび上がる、1人の青年の姿が目に映る。

「・・・お前は?」

「初めまして、シリウス・ブラック」

にやりと嫌味を含んだ笑みを向けられ、シリウスはすぐさま我を取り戻し鋭い視線で青年を睨み上げる。

目の前の青年の声に、一瞬でもビクついた自分が情けない。

「てめぇは、誰だよ」

「おっと、せっかちだなぁ。そう慌てなくても、今自己紹介するよ」

シリウスの怒気を孕んだ声色に、青年はおどけたように肩を竦める。

その仕草が自分の親友に似ている気がして、シリウスの眉間に皺が寄った。

「改めまして。俺の名前は。―――ちなみにの飼い猫であるの名前は俺から取った。まぁ、それを本人が自覚しているかは別としてね」

飄々とした態度の青年・・・―――を見詰めて、シリウスは自分の嫌な予感が見事的中してしまった事を察した。

彼は間違いなく、ジェームズ属性だ。

我が親友ながら、そういう人物がどれほど厄介なのかを嫌というほど知っているシリウスは、思わず脱力しそうになるのを懸命に堪える。

ここが何処で、そして目の前の青年が何者か解らない以上、気を抜くわけにはいかない。

「・・・?でも家の人間は、もうしかいないんだろ?」

「勿論」

「・・・も、勿論って」

探るように問い掛けるが、しかしはあっさりと肯定して。

呆気に取られるシリウスを楽しげに眺めて、わざとらしい仕草で肩を竦めて見せる。

「ああ、言葉が足りなかったか。確かに俺はの人間だが、残念ながら生きているわけではなくてね」

「・・・は?」

家の忌まわしき血に封じられている、哀れな思念体・・・とでも言っておこうか」

「・・・思念体?」

鸚鵡返しに問うシリウスを一瞥して、はにやりと口角を上げた。

「わざわざここまでを追いかけて来た君に敬意を評して。今ここで語ろう。家の忌まわしき、長らく続くその有り様を」

再びフワリと浮かび上がり、まるで椅子に座るような体勢で優雅に足を組んで。

「そして、家の者に課せられた『儀式』の本当の意味を」

真白の空間で。

呆然と宙を見上げるシリウスに向かい、は艶やかな笑みを浮かべた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

シリウスほとんど出てこないし。

なんだか内容が『セルマの主人公成長日記』みたいになってますが。(笑)

どうでもいい事ですが、しもべ妖精の口調が未だによく解りません。

書いてる内に某有名シリーズゲーム最新作の某キャラクター口調になってしまいそうになり慌てて書き直したり。(本当にどうでもいい)

作成日 2006.1.21

更新日 2008.11.10

 

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