かつて、彼がまだ悪魔と呼ばれていた頃。

好き勝手に暴れ回り、そうして家初代当主によって討たれたその時。

悪魔は彼を憎んだ。―――自分に歯向かった、か弱き人間を。

彼に復讐するために村を祟り、そうして最後の手段として初代当主が自分を身体の中へ取り込むのを甘んじて受けた。

それはすべて、復讐のため。

どれほどの時を経ても、お前たちは自分から逃れる事など出来ないのだと。

そうして末代までも苦しみ、もがけば良いとそう思っていた。

そんな彼が、ひょんなことから家の人間の一人として生まれてきた時は、彼自身心底驚いた。

けれどあえて何も起こさず、ただその力によって苦しむ家の者たちを身近で観察することで一生を費やした。

けれどその時の中で、彼の中にもほんの少し変化が訪れる。

そうして長い間家の者たちの血の中で生き続けていたは、ある日生まれた赤子の中で存在することになった。

その赤子はこれまでにないほど孤独の中で生き、これまでにないほど過酷な運命を背負わされているように見えた。

けれど少女は諦めることも悲観することもなく、懸命に毎日を生き続けた。

それは、かつては人間として存在していた彼に、大いなる変化を与える。

それは同属としての情なのか、それとも自分がした事の重大さに今更気付いたのか。

ただひとつ言える事は、彼はその少女を愛おしいと思った。

大切にしたいと、幸せになってほしいと。

 

もう彼は悪魔とは言えなかった。

ただの、人間に変わりなかった。

 

強く儚きたち

 

2人が消えた場所をぼんやりと眺めながら、は小さく息を吐いた。

「まったく、世話のかかる奴らだ」

誰が聞く事もないと解っていながらも独りごちたは、もう一度ため息を吐き出して満足そうに微笑む。

それにしたって、最後のシリウスの表情は見物だった。―――まぁ、驚かす為に言ったのだから、当然といえば当然だろうが。

彼はあの言葉を聞いて、どう思っただろうか?

どう解釈してくれても構わない。―――彼の中に残るのが真実でもそうではなくとも。

もう一度くすくすと笑みを零しながら、は先ほどまでが座っていたソファーへ腰を下ろした。

そんなはずはないというのに、そこには温もりが残っている気がする。

人の温もり。

昔の自分にとっては何よりも縁がなかったそれが心地良く思えるのは、それがだからだろうか?

「・・・ま、いいさ。幸せになってくれるなら、それで」

こんな感情が生まれたのも、と出逢ってからだ。

自分には不必要と思っていたそれも、もしかすると本当は心のどこかで願っていたのかもしれない。―――少なくとも今のにとって、その感情は不快なものではなかった。

「・・・幸せになるだろう、あの子は」

不意に聞こえた声にゆっくりと視界を巡らせれば、そこにはゆったりと笑顔を浮かべている厳格そうな老人の姿がある。

それを見返して、も満足げに口角を上げた。

するとその老人は、笑みを浮かべたまま何も言わないの前に移動すると、静かにソファーへと腰を下ろす。

シンと静まり返ったその空間で、2人はただ無言で向き合った。―――こうして顔を合わせたのは、一体いつ振りだろうか。

「・・・お前は相変わらずだな。あの頃と変わらず悪戯好きだ」

「あんたも変わらないね。その頑固そうな面も、バカ真面目なとこも」

お互い顔を見合わせて笑う。

いつかこんな風に穏やかな気持ちで会話が出来るようになるなど思ってもいなかったし、それを望んでいたわけでもないというのに。

「だが、お前は変わった。なんというか・・・そう、人間臭くなった」

「あんたも変わった。随分老けたし、雰囲気丸くなったんじゃねぇの?あの頃の威圧的な雰囲気、ちょっとマシになってるぜ」

それだけの月日が過ぎたのだ。

本来ならばお互い生きていないだろう、長い月日が。

それほどの月日を経て、2人は漸く正面から向き合った。―――お互い、思念だけの存在となって。

あの頃の憎しみも悔しさも、いつの間にか綺麗さっぱりなくなっている。

ただ今の中にあるのは、穏やかな気持ちだけだった。

「俺、あんたの事ずっと嫌いだったんだよ」

「・・・そうだろうな」

ふいと視線を窓の外へと向けて、は唐突に口を開く。

その当然といえば当然の言葉に、老人は怒ることもなく静かに相槌を打った。

もとより彼から好意的な感情を向けられていたとは思っていない。―――彼の自分に対する感情は、負の感情以外ありえなかったはずだ。

そして老人もまた、それに違いはなかったはずだというのに。

「でも、なんでだろうな。俺、今ものすごく満足してるんだよ」

幼い少女の中に生まれ。

がそうと知らずとも、と共に生きて来た。

彼女の中で彼女の孤独を感じ、彼女の中で新しい世界への戸惑いを感じた。

おそらくこの世の中でを一番理解しているのは、に違いないだろう。―――それこそ、本人よりもずっと。

彼が悪魔として生きていた長い月日よりも。

人の中に封じられて過ごした、長い月日よりも。

それこそ人間としてこの世に生まれた、その長い人生よりも。

の中で彼女と共に過ごした十数年間が、彼にとっては何よりも充実し、何よりも輝いていると思えるから。

「だからこんな結末も悪くないと思うわけよ。俺としては」

終わりよければすべて良しではないが、今の自分はとても満足しているのだから。

たとえ老人との出会いが望むものではなかったとしても、この長い長い月日の果てに満足できたのであれば、それは決して悪いことではないと思った。

「・・・そうか」

ま、あんたに感謝なんて絶対してやるつもりはないけどね。―――そう心の中で独りごちながら、は満足げに微笑んだ。

「それにまだ、終わったわけじゃないしな」

意味ありげな彼の言葉に、老人は軽く眉を上げる。

その意味するところが解っているのかいないのか、には解らない。

ただ昔から人の心を読むのに長けていた彼のことだから、もしかするとすべて承知済みなのかもしれない。―――が交わした、ひとつの契約について。

「だから後は俺に任せて、あんたはもうゆっくり寝てたら?老兵はただ去るのみ、ってね」

「勝手な事を・・・」

ふてぶてしいの態度に苦笑を漏らしながらも、老人の瞳に宿っている光は至極柔らかかった。

それはまるで、出来の悪い息子を見るような・・・。

「・・・そうだな。後はお前に任せるとしようか」

それでも老人はそう告げて、億劫そうに立ち上がった。

彼はもう悪魔ではない。

いつしか随分と変わった青年を認めて、老人もまた満足そうに微笑む。

「頼んだぞ、『』」

最後にそれだけを告げて、微笑みを浮かべたまま、たちと同じように老人はゆっくりとその姿を消した。

 

 

ゆらゆらと漂うような。

重く沈んでいくようなのに、それでもどこかふわふわとした不思議な感覚の中、シリウスはゆっくりと瞼を開けた。

最初に目に映ったのは、素っ気無い石造りの天井。

ぼんやりと辺りを照らす灯りを見つめていたシリウスは、次の瞬間ハッと我に返り親友が見たら腹を抱えて笑うだろうほど慌てた様子で飛び起きた。

!!」

「やかましい。そんなに大声で呼ばなくとも聞こえている」

すぐさま返ってきた声に振り返れば、自分のすぐ傍らに億劫そうに身体を起こしたがいる。

あまりにも普通に返ってきた返事に呆然とを見つめれば、彼女は訝しげな面持ちでじっとシリウスを見返した。

「・・・、だよな?」

「そうだ」

「・・・ほんとに、だよな?」

「何度も聞くな。見れば解るだろう」

返ってきた素っ気無い言葉に、不覚にもシリウスは目元が熱くなるのを感じた。

もうダメかと思っていた。

とのやり取りの中で・・・―――そして彼と話すを見ていて、認めたくないと思いながらも、心のどこかではもうダメなのではないかと思っていた。

けれど、は帰ってきた。

具体的にどんなやり取りがあり、どうやって彼女が自分と共に戻る事が出来たのかは解らなかったけれど、目の前にいるは確かにシリウスの知るだった。

シリウスの愛した、たったひとりの・・・。

!!」

今まで溜め込んでいたすべてを解き放つように、シリウスは渾身の力を込めてを抱きしめた。

「シリウス、放せ。痛いだろう」

文句を言いつつも、は強引に引き離そうとはしない。

そうして数秒後、逃れる事を諦めたのか・・・―――は小さく息を吐き出すと、自分の空いた両手を躊躇いがちにシリウスの背中へと伸ばした。

しっかりとした鼓動が聞こえる。

服を着ていても伝わってくる温もりは、いつしか強張っていた彼女の身体に安らぎを与えた。―――僅かに震えるシリウスの身体に、自分の身体も微かに震えている事に気付く。

「・・・心配を掛けた」

「・・・・・・」

「弱い私は、お前との約束を忘れるところだった。―――迎えに来てくれてありがとう、シリウス」

「・・・もう、いい」

更に強く抱きしめられて、は苦笑にも似た笑みを零す。

今自分がこうして生きているのは、シリウスのおかげだ。

それが彼女がずっと望んできた事ではなかったとしても、それはとても幸せな事のように思えた。

否、シリウスと約束を交わしたあの時から、それはの願いになっていたのだ。

忘れそうになっても、見失いそうになっても。―――その度に、きっと彼は全力でそれを思い出させてくれるのだろう。

ずっとひとりだった自分に、いつしかこんなにも大切だと思える相手がいる。

それは、なんて奇跡。

「ただいま、シリウス」

「・・・おかえり、

ポツリと返ってきた優しい声に、は幸せそうにやんわりと微笑んだ。

 

 

「やーやー。儀式とやらは無事に成功したんだね!よかったよかった。これで一安心だね、みんな」

いつまでもこうしているわけにはいかないと我に返った2人は、お互い照れくさそうにしながらも地下室を出た。

そうして目に映った光景に思わず呆然とするに向かい、ジェームズはまるで何事もなかったかのように笑う。

そんなジェームズにチラリと視線を投げ、は思わず額に手を当てた。

「・・・これはどういう事だ、ジェームズ」

「え、どういう事って?」

あくまでしらばっくれるつもりらしい。―――最も、現状はそれほど生易しいものではなかったけれど。

「ジェームズ。あれほど悪戯グッツは使うなと言っておいただろう」

まるで見るのも嫌だと言わんばかりの態度でグルリと視界を巡らせたは、彼女に珍しくがっくりと肩を落として抗議する。

屋敷の中は、それは酷い有様だった。

どんな悪戯グッツを使ったのかはそれに詳しくないには解らなかったが、現状を見てそれを片付けるのがどれほど大変なのかは嫌というほど理解できた。

そんなを見返して、ジェームズは不本意そうに頬を膨らませる。

「だってしょうがないだろ?凶悪犯が忍び込んできたんだよ、。魔法も使えないか弱い僕たちの対抗手段なんてこれくらいしかないじゃないか」

「何故対抗しようとする。か弱いと自称するのであれば、どこかに隠れていればよかっただろう」

「何言ってるんだい!大切な仲間の危険に立ち向かうのは当然だろう!?」

ジェームズにしてはもっともな発言に、はグッと言葉に詰まった。

もとよりジェームズ相手に口げんかで勝てるわけがないのだ。―――勝負は、始まる前にもう決まっている。

それにには、彼らを心配させてしまったという負い目もある。

だから私1人でよかったのに・・・―――と今更過ぎる愚痴を心の中で零して、は諦めたようにため息を吐き出した。

様、お任せください!このセルマが一日で屋敷中をぴっかぴかにしてごらんにいれます!」

「おー、頼もしいねぇ。任せた、セルマ!」

「っていうかセルマに片付け押し付けないで。私たちもやるのよ」

「えー!本気かい、リリー!!」

わいわいと賑やかな声を上げながら連れ立って広間に向かう友人たちの背中を見つめて、疲れた表情を浮かべていたも仕方がないとばかりに微笑む。

かつてはあれほど静寂に沈んでいたこの屋敷も、今はその面影もない。

しかし、それでいいのだ。―――もうは独りではないのだから。

「良い友人を得たようじゃの、

いつしか傍らに立っていたダンブルドアの声に、は照れくさそうに微笑む。

それはダンブルドアが初めて見る笑顔だった。

「・・・ああ、本当に」

しっかりと頷くを見下ろして、ダンブルドアもまた満足そうに笑う。

彼の思惑は成功したのだ。

生きながらもどこか死んでいるようだったに、確かな生気が宿っている。

、早く早く!!」

広間の戸口で、リリーが笑顔を浮かべて手招きする。

それにしっかりと頷き返して、は明るい光の方へと足を踏み出した。

 

 

そんなを見つめていたシリウスもまた、穏やかな笑顔を浮かべていた。

色々なことがあったけれど、何はともあれ儀式は成功したのだ。

のまま、自分の下へと帰ってきた。

これで漸くなんの心配もなくとの日々が送れると安堵したその時、チリンと微かな鈴の音が聞こえてシリウスは視線を下へと向けた。

「・・・にゃー」

「お、じゃねぇか」

自分の足に擦り寄ってくる黒猫を抱き上げて、シリウスはにっこりと笑う。

そういえば、ダンブルドアに連れられてこの黒猫もあの儀式の場所にいたのだ。

色んな事がありすっかり忘れていたけれど、黒猫もご主人のピンチにいても立ってもいられなかったのかもしれない。

そう考え、シリウスはを宥めるようにその艶やかな毛並みを丁寧に撫でた。

「心配すんな。は大丈夫だからな」

『当たり前だ。あいつはこの俺から合格点をもぎ取ったんだからな』

「そうだよな。から合格点をもぎ取って・・・え?」

すぐさま返ってきた言葉に思わず相槌を打ったシリウスは、しかし次の瞬間その笑みを凍らせた。

一体どこから声が・・・と視界を巡らせるも、自分の周りには誰の姿もない。

必然的に自分が抱き上げた黒猫へと視線を落としたシリウスは、目の前の猫がニヤリと笑ったような気がした。

「・・・うわっ!!」

『おいおい、もうちょっと丁寧に扱えよ。一応、俺は猫だぞ?』

突然宙に投げ出されながらもしっかりと床に着地したは、からかうようにそう告げる。―――そんな状況で、何がどうなっているのか解らず呆然としているシリウスを見上げて、は今度こそ声を立てて笑った。

『びっくりしたか?びっくりしただろ。やった、大成功ー』

「大成功じゃねぇよ!なんなんだよ、一体!!」

パニックになったシリウスから放たれる疑問と困惑を受け止めて、は宥めるように欠伸を1つ。―――決して馬鹿にしているわけではない。

『実は俺さ、ダンブルドアと契約したんだよ。』

「け、契約?」

『そ、契約』

未だ混乱から立ち直れないシリウスに簡潔に事実だけを告げて、はググッと伸びをした。―――決して馬鹿にしているわけではない。

「契約ってなんだよ?」

『それは秘密。俺とあのジィさんの秘密』

煽り立てるようにそう告げて、は歩を賑やかな気配が漂う方へと向ける。

そう、シリウスが知る必要はない。

は、かつてダンブルドアとひとつの契約を結んだ。

それは儀式が終わった後も、の傍に在り彼女を守り続けるというもの。―――その対価に、彼は猫の姿を手に入れた。

そんな事ができたのは、ダンブルドアの魔法との悪魔としての精神力があったからだ。―――普通の人間に出来るようなものではない。

たった1人になってしまったを見守り支える。

それがの使命だ。―――それは彼にとっても、願ってもない事。

そう、シリウスが知る必要はない。

本当は、の儀式がとっくの昔に終わっていた事など。

の両親の訃報が届き、彼女自身が闇の魔法使いに襲われたあの時、もう儀式は終了したのだ。

自身も知らないだろう。―――だからこそ、今こうして儀式に臨んだのだ。

それが形だけのものだと、彼女自身が知らなくとも。

そしては、ダンブルドアの魔法での中から黒猫へと移った。

それはかつて家初代当主がやったのと同じ。

は、今度こそ望んで黒猫の中にその精神を封じ込められたのだ。

そして彼女がホグワーツに入学する年、ダンブルドア自身の手から彼女へと贈られる。

いつも傍にいた。

彼女自身がそれを知らなくとも。

が初めて見た黒猫に『』と名を付けたのは、果たして偶然なのだろうか。

「おい、!!」

『いいじゃねぇか、細かい事は。―――つーわけだから、これからもよろしく』

「よろしくって、お前・・・」

『ちなみには知らないから。余計な事言うなよ、シリウス』

黒猫に声を荒げる少年と、そんな少年を見上げてからかう様に笑う黒猫の姿は、傍から見れば至極滑稽に映っただろう。

幸いにも、それを見咎める者はいなかったが。

!!」

『あー、もう。うるせぇなぁ』

広い廊下に、シリウスの怒声との迷惑そうな声が響く。

広間の方からはジェームズの騒ぐ声。

リーマスやピーターの笑う声と、なにやら怒っているらしいリリーの声。

もうこの屋敷のどこにも、かつてが見た淀んだ闇はない。

明るい声に吹き飛ばされ、いつしか屋敷の中は温かい光と雰囲気が漂っていた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

というわけで、強く儚き者たち2連載も終了いたしました。

こんな展開でいいのかという自分突っ込みはその辺に捨てて、とりあえず今はなんとなくやってやった!という達成感を味わいたいと思います。(落ち込むのはその後その後)

改めて読み返してみると、やっぱりシリウスが報われてないですが。

折角両想いになったというのに、相変わらず不憫な子です。(自分で書いといて)

一応、あとハリー・ポッターで残っているのは原作沿いだけですね。

また機会があれば、親世代の短編も書いていきたいと思ってますが。

ネタはあるんですけどね。何分手が追いつかなくて・・・。(笑)(ダメじゃん)

作成日 2008.6.15

更新日 2009.2.22

 

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