数日前から、は猫を一匹飼っている。

 

 

「ただいま〜」

微かな灯りしか灯っていない自宅の玄関を開け、は控えめに帰宅を告げる。

物音ひとつしない部屋。

それほど広いわけではない室内に、それでも人影はない。

「・・・静かねぇ」

この部屋に自分以外の生き物がいるなど、信じられないほどだ。

「ただいま、エルマーナ」

数日前から、は猫を一匹飼っている。

いや、猫というには語弊があるだろう。―――何せ相手は猫ではなく本物の人間なのだから。

返事が返ってくる事などないと知っているは気にした様子なく、靴を脱いで部屋へと入る。

薄暗い部屋の中、グルリと室内を見回して、目的の人物を見つけたはやんわりと微笑む。

「ただいま、エルマーナ」

もう1度そう告げれば、名を呼ばれた彼女はピクリと肩を跳ねさせる。

そうして躊躇いがちにこちらを見上げて、小さな・・・本当に小さな声で「おかえり」と返事を返した。

その様子に、は思わず苦笑を漏らす。

彼女はまるで、警戒心の強い猫のようだ。

この家に来てからもう数日が経つというのに、まだ慣れないのだろうか。

「お昼ご飯はちゃんと食べた?暗くなったら、電気つけていいんだよ?」

そう問いかけながら、テーブルの上に視線を向ける。

そこには彼女が朝用意しておいた食事がそのまま残されていた。―――どうやら少しも手をつけなかったらしい。

それを認めて、は少女に気付かれないよう小さくため息を吐く。

エルマーナを自宅へ連れてきたのは、もしかすると間違いだったのかもしれない。

あの薄暗い路地で会った少女は、もっと瞳に光があった。

それがどうだろうか。

今は部屋の片隅で蹲って、用意された食事にも手をつけない。―――泥棒をするほど、お腹を空かせていたはずなのに。

少女を救いたかったはずのの行動は、もしかすると彼女から生きるパワーを奪い取ってしまっただけなのかもしれない。

だからといって、今更少女を放り出す事など出来ない。―――エルマーナが自分で出て行ったのならばともかくとして。

そこまで考えて、はふと小さな疑問を抱いた。

この場所に馴染んでいる様子も、警戒を解く素振りもないというのに。

心から安心できる場所ではないようなのに、どうしてエルマーナはずっとここに居るのだろう?

嫌ならば出て行けばいい。

鍵は掛かっているが、中からならば簡単に開けられる。

別には彼女を監禁しているわけではないのだ。―――外に出ようと思えば、それは簡単に成されるはずだというのに。

そこにひとつの希望を見たは、持っていた荷物を降ろして、床に座り込むエルマーナの前へと腰を下ろし、こちらを窺う瞳を覗き込んだ。

「ねぇ、エルマーナ」

呼びかけに、エルマーナはピクリと肩を揺らす。

それに気付かなかった振りをして、は彼女を安心させるようにやんわりと微笑んだ。

「私の名前は、。幼い頃に両親を戦争で亡くしてね、ずっと1人だったの」

「・・・・・・」

「生きる希望もなくて、ずっと路地で蹲ってた。どうしていいのか解らなくて、何をしたいのかも解らなくて、ただずっとそこに居たの」

そんな自分に声をかけてくれる人が居た。

声をかけて、優しく微笑んで、手を差し出して・・・―――そうしてに生きるための術と希望を与えてくれた。

「勤めてたお屋敷はね、すごく位の高い貴族のお屋敷で・・・正直私には場違いだったけど・・・―――それでも私にもすごく優しくしてくれる人が居た。慕ってくれる人が、いたの」

結局は彼を裏切る事になってしまったけれど。

彼は今どうしているだろうか?―――そんな過去に想いを馳せていたは、ふと我に返り照れくさそうに微笑んだ。

「それからまぁ・・・いろいろあって。そこのお屋敷を辞める事になってね。私、仕事を探したのよ。―――ああ、今の仕事なんだけど」

鍛冶師の仕事は思っていた以上に楽しかった。

道具が妙に手に馴染む感じ。

これが俗に言う、天職というものなのだろうか?

「これも私が作ったのよ。武器じゃないけど・・・こういう装飾品を作るのも私の仕事なの」

そう言って、は今日作ったばかりの作品をエルマーナに差し出す。

「これはエルマーナにあげる。それと・・・これはこの部屋の鍵。一緒につけておくからね」

キンと澄んだ音を立てるそれをエルマーナの前において、は小さく息を吐く。

「これが、私のこれまでの歴史。歴史なんていうには大げさだけどね」

人に誇れるような人生かと問われれば、すぐには頷けない。

人から見れば、満ち足りた生活ではないだろう。

それでもは十数年という短い人生を、一生懸命生きてきた。―――それだけは恥じずに胸を張って言う事が出来るから。

「エルマーナは、どんな歴史を持っているの?」

静かな声で問いかける。

自分よりも遥かに短い記憶しかない彼女。

それでも彼女は必死にその時間を生きてきたはずだ。

は、それを知りたいと思った。―――彼女が今までどんな風に生きてきたのか。

「・・・うちは」

部屋の中に落ちた沈黙。

それを消したのは、エルマーナの小さな呟きだった。

「・・・うん」

「うちの両親は商人で・・・ちっさい頃からあっちこっち旅してたんや」

とても小さい声だった。

それでもぽつりぽつりと彼女の口から零れる言葉を逃さないよう、はしっかりと耳を傾ける。

「お父さんはちっちゃくて、お母さんはおっきかった。2人ともすごく優しくて、うち大好きやったんや」

「・・・うん」

その頃は、エルマーナも笑っていたのだろう。

それが想像できて、は楽しそうに小さく微笑んだ。

「でも、お父さんもお母さんも死んでしもた。ここ・・・レグヌムに来る途中で盗賊に襲われて・・・。うちだけはなんとか助かって逃げてこれたけど、でも・・・」

そこまで言って、エルマーナは何かに耐えるようにギュッと膝を抱えた。

その手が小さく震えている。

それを認めて、はそっと彼女の手に己の手を重ねた。

「ねぇ、エルマーナ」

静かに、優しく彼女の名を呼ぶ。

「辛いのは当然なの。悲しいのも。だからね、エルマーナ。それを我慢する必要なんてないんだよ」

このままでは目の前の少女が壊れてしまうのではないかと思った。

それはあながち間違いではないのだろう。―――彼女は今、大きすぎる悲しみと不条理な現実に押しつぶされそうになっている。

その解決方法をは知らない。

けれど、幸いにも気持ちを開放する術は知っていた。

だからは、エルマーナもそうすればいいと思ったのだ。

「思いっきり、泣いちゃいなさいよ。そうすれば、少しはすっきりする。気分が晴れれば、ご飯だって食べたくなるかもしれないわ」

ご飯を食べてお腹が膨れれば、少しは気力が湧いてくる。

気力が湧いてくれば、前を向く事だって出来る。

ひとつひとつは些細な事かもしれないが、そうして人は生きていくのだろう。

「さ、泣こう。とりあえずは、そこから始めましょ」

手を伸ばして微笑めば、エルマーナの眉間に寄っていた皺が崩れ、へにゃりと眉が下がる。

そうして一拍後、数日前路地でぶつかった時と同じくらいの勢いでの胸へと飛び込んできた彼女をなんとか受け止め、は思わず苦笑を漏らした。

「・・・う、ううう〜」

小さく唸るように声を上げたエルマーナを優しく抱き締め、その小さな頭を撫でる。

腕の中の小さな温もりは、不思議との心も癒してくれる気がした。

 

 

そうして数時間後、漸く泣き止んだエルマーナを開放し部屋の明かりを灯したは、気まずげにこちらを見やる少女へと振り返って。

「さ、ご飯にしましょうか」

私もう、おなかぺこぺこ。

まるで何事もなかったかのようにそう笑顔で告げるを認めて、エルマーナは腫れた目を丸くして。

けれど照れくさそうに小さく笑って、こくりとひとつ頷いた。

 

 

もういてしまえばいいのに


ゲーム本編では大変人懐っこい彼女ですが、このお話のエルはちょっと警戒心が強い感じで。

 

作成日 2011.3.19

更新日 2011.12.18

 

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