気がつけば、1人だった。

 

 

両親はとても優しい人だった。

生まれた家はそれほど裕福ではなかったけれど、優しい父と母に愛されて、はすくすくと育った。

けれど戦火はすぐ側まで迫っていて、それはたちにとっても他人事ではなくて。

いつしか争いに巻き込まれ、気がつけば側に父と母の姿はなかった。

覚えているのは、逃げろと叫ぶ父の声。

と名を呼ぶ母の声。

もう今となっては顔すら思い出せない両親。―――随分と薄情なものだと、は両親を思い出すたびそう思う。

愛されていたのに。

きっと、自分を守ってくれたのに。

それなのには、その両親の顔さえ思い出せないのだ。―――どんな声で、どんな風に笑っていたのかも。

仕事終わり、暗い道を自宅に向かって歩く中、ふとそんな事を思い出したは、小さくため息を吐き出して星が瞬く夜空を見上げた。

こんな事を今更ながらに思い出したのは、エルマーナの話を聞いたからだろうか。

つい最近、両親を亡くしたエルマーナ。

が心配するからと思っているのか、あまり両親の事を語らないエルマーナに、は毎日のようにそれを強請っている。

エルマーナにとって、両親との思い出はとても温かくてとても大切なものだ。

思い出せば悲しい記憶も甦るだろうが、それでも優しい記憶も甦るだろう。

そんな大切な思い出を、閉じ込めておく必要などないのだ。

自分は確かに愛されていたのだと、それを知るのはとても大切な事だ。

思い出せる内にたくさん思い出せばいい。―――はもう、それが出来ないから。

小さく息を吐き出して、は静かに目を閉じる。

今もどこかで戦争は起きている。

自分やエルマーナと同じような子供もまた、たくさん生まれている。―――それはこの平和な町に居ても感じられるほど身近なものでもあった。

それに対してなんとも思わないわけではなかったが、に何とかできるほどそれは簡単な問題ではなかったし、またそれだけの余裕があるわけでもなかった。

エルマーナのように、孤児を手当たり次第引き取るなんて事出来るはずもない。

けれど、思うのだ。

「・・・戦争なんて、なくなっちゃえばいいのに」

そうすれば、少なくとも自分のような子供は生まれなかった。

被害を被るのは、いつも自分たちのような力を持たない弱い人間だ。

ただ毎日を一生懸命生きているだけなのに・・・―――けれどそれはほんの少しの強い力で簡単に壊されてしまうほど脆いものなのだという事も嫌というほど理解できてしまった。

いつか、戦争が終わる日が来るのだろうか。

ふとそんな事を考えて、は小さく自嘲する。

それこそ考えても仕方がない。

戦争が終わろうと終わらなかろうと、自分はただその時を一生懸命、精一杯生きるしかないのだから。

目を開ければ、再び輝く星が映る。

「・・・さ、帰ろうか」

家ではエルマーナが待っている。

今日はいつもよりも少し遅くなってしまったから、きっと心配しているだろう。

はくりくりとした大きな瞳で自分を見上げるエルマーナを思い出し、クスリと小さく笑った。

 

 

もうすっかり見慣れたアパートが視界に入ったその瞬間、は思わず足を止めた。

あまり立派とはいえない古いアパート。

石造りのそれは、どこか冷たい雰囲気を持っている。

雨風を凌げればそれでいいと、そう思っていたけれど。

「・・・・・・」

ジッと自分の部屋の窓を見つめて、は無意識に小さく息をつく。

温かいオレンジ色の灯りが灯る窓。

それはもう見慣れた風景だというのに、今更それを実感するなんてどうかしている。

けれどふとした瞬間に思うのだ。

こうして灯りの灯った家に帰るのは、いつ振りだろうかと。

まだベルフォルマ家に居た頃は、それは当たり前だった。

何せたくさんの人が生活をしている場所なのだ。―――あの広い屋敷では絶えず誰かの立てる物音がどこかから聞こえた。

お使いを済ませて屋敷に戻っても、灯りが消えているなんて事は1度もなかった。

それが当たり前だと思っていたのだ。―――あの屋敷を出るまでは。

けれどあの屋敷を出て、たった1人になったは、それがどれほど大切なものだったのかを痛感した。

今の職場で働かせてもらえるようになってからは親方の自宅で下宿させてもらっていたので、帰れば家には灯りが灯っていたけれど。

けれどそれはを待っていたわけではない。

邪険にされていたわけでは決してなかったけれど、やはり自分は家族ではない。―――他人のそれが酷く羨ましく思える事があったのも事実。

だからなのかもしれない。―――親方の家を出て、こうして1人で暮らし始めたのは。

毎日くたくたになって、誰も居ない暗い家へと帰る。

1人暮らしを始めてからは、それに胸を痛める事もなくなっていた。

だって、は独りだ。

どう足掻いたって、独りなのだ。

自分を愛してくれた筈の両親はもういない。

やんちゃばかりだったけれど素直に自分を慕ってくれた少年も、自分を見守るような眼差しを向けてくれた恩人もいない。

親方も同僚も優しかったけれど、自分は彼らにとっての無二ではない。

自分がいなくなって困る人なんて何処にもいないと思っていた。―――胸が張り裂けそうなほど悲しんでくれる人も。

けれど・・・。

「・・・エル」

小さく少女の名を呼んで、は足早に自宅を目指す。

ほとんど走るように石造りの階段を駆け上がり、木で出来た簡素な扉をもどかしいとばかりに音を立てて開けて。

「あ、姉ちゃん!おかえり〜、今日は遅かってんなぁ!!」

扉を開けたと同時に聞こえてきた幼い声に、はいつの間にか荒くなっていた呼吸のままその場に立ち尽くした。

トタトタと足音を立てながら、エルマーナが笑顔でこちらに駆けてくる。

けれどが自分の声に返事を返す事無く立ち尽くしているのを認め、エルマーナは不思議そうに首を傾げて。

「・・・どないしたん、姉ちゃん?なんかあったん?」

ほんの少し不安げな色を浮かべて自分を見つめるエルマーナを見下ろして、は咄嗟に手を伸ばして小さなその身体を掻き抱いた。

姉ちゃん!?」

戸惑ったような声を上げるエルマーナをそのままに、温かいその身体を抱きながらは小さくため息を吐き出す。

自分はこの幼い少女を助けたつもりでいたけれど。

だけど本当に助けられていたのは自分だったのかもしれない、とは思う。

だって今、自分の心はこんなにも穏やかだ。

「・・・姉ちゃん?」

エルマーナが窺うように自分を呼ぶ。

彼女はきっと、が居なくなれば心から彼女を心配してくれるだろう。

そんな感情を与えたいわけではないけれど、自分が命を落とせば心から悲しんでくれるに違いない。

その事実がこんなにも自分の心を満たしてくれるなんて思っていなかった。

「・・・エル」

エルマーナの小さな肩に顔を押し付けて、くぐもった声で彼女の名を呼べば、なんや?と控えめな声が返ってくる。

それに小さく笑みを零して、は伏せていた顔を上げるとにっこりと微笑んだ。

「お腹空いちゃった」

おどけたようにそう言えば、エルマーナは呆気に取られた後困ったように笑って。

「そんな倒れこむほどお腹空いてたんかいな。ほな、ちょっと待っててな。すぐに用意するから」

「エルマーナ、ご飯作るの上手だよね」

「まーな、ウチは基本旅暮らしやったし。宿に泊まれた時はええけど、行商してる時は野宿の時もあるやろ?お父さんもお母さんも忙しかったから、ウチがご飯の用意とかしとってんで」

褒められた事が嬉しかったのか、そう自慢げに胸を張るエルマーナが微笑ましくて、の表情にもまた笑顔が戻る。

温かいオレンジ色の灯りが灯る家。

自分を待ってくれる人。

もう独りじゃない。―――も、エルマーナも。

「・・・エルマーナ」

は自分に背を向けた少女の名を呼ぶ。

それにどうしたのかと振り返ったエルマーナに向けて、は心からの笑顔を浮かべた。

「愛してるわよ、エルマーナ」

突拍子もなくそう告げたに、少女は呆気に取られたように瞳を瞬かせて。

そうして一拍後、エルマーナは弾けるように笑った。

 

 

してるんだよ、つたわるかい


独りじゃないって、きっとすごいことだと思う。

作成日 2011.3.26

更新日 2012.3.18

 

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