薄暗い路地に独り、蹲っていた。

この街はとても華やかで賑やかだけれど、その反面とても寂しい場所だと少女はぼんやりとそう思う。

その証拠に、少女がここに座り込んでから3日。―――誰1人として彼女に声を掛けてくれる人などいなかったのだから。

それが仕方のないことなのだという事を、彼女は知っている。

誰だって厄介事を抱え込みたくはないはずだ。

だからきっと、自分はこの場所で・・・。

「・・・おや?」

汚れた地面を虚ろな眼差しでじっと見つめながらただそこにいた少女の耳に、不思議そうな声が掛けられた。

どうしたのかと顔を上げると、そこには身なりの良い男性が立っている。

「お1人ですか?」

唐突にそう声を掛けられ、自分に問い掛けられたのだと解り、少女は思わずコクリと頷く。

自分に向けられた眼差しも、自分に掛けられた声も、酷く優しい。―――それがどれほど久しぶりの事かなど、少女には思い出せそうにもなかったが。

「そうですか。それならば・・・」

男性は1人納得したように頷くと、意外とがっしりとしたその手を差し出しながら、柔らかい笑みを浮かべつつ更に言葉を続けた。

「私の名前はハルトマン。ちょうど人を捜していたのです。―――私のところで働いてみませんか?」

笑顔と共に告げられた言葉に、少女は呆気に取られた。

突然現れて声を掛けたかと思えば、仕事の勧誘。

こんなところで自分を勧誘せずとも、働きたいという者は大勢いるだろう。―――それなのにどうして、こんな路地裏で蹲っている得体の知れない娘へと手を差し伸べるのか。

そんな疑問が顔に出ていたのだろう。

ハルトマンと名乗った男は、その柔和な面持ちを崩す事無く、さらりとした口調で言ってのけた。

「今私がお世話をさせていただいている坊ちゃんは、周りの環境のせいか・・・歳の近いお友達がいらっしゃいません。少しでもそういった触れ合いをさせてあげたいのです」

なるほど、理由は解った。

だとしても更に疑問は大きくなるばかりだ。―――何故そんな大切な坊ちゃんの友人候補に自分を選んだのか。

もし自分が彼の立場なら、絶対に選ばない相手に違いない。

「・・・なんで、私なの?」

変わらず人の良い笑みを浮かべるハルトマンへそう問い掛ける。

正直、彼の申し出はありがたい。

ここにいれば、自分を待つのは『死』のみだ。

働く場所も、住む場所も与えてもらえるのならば、これ以上良い話はないだろう。

若干・・・いや、かなり怪しい申し出ではあるけれど。

またもやそんな思いが顔に出ていたのだろう。―――ハルトマンは浮かべた笑みを更に深めて、少女と目線を合わせるようにしゃがみこんだ。

「あなたのその瞳に惹かれました。こんなところで死なせてしまうには惜しいと思ったのですよ」

「・・・・・・」

「あなたなら、坊ちゃんの心を開けるかもしれないと」

間近に迫ったハルトマンの眼差し。

「とはいえ、私も雇われの身。流石に坊ちゃんのお世話係にあなたを雇う事は出来ません。下働きでという事になりますがね」

どうしますか?選ぶのはあなたの自由です。

そう言葉を付け加えられ、少女はその大きな瞳を瞬かせる。

目の前のこの人物が、本当に自分に害をもたらさないという保障はない。

人の良いフリをして、もしかすると何処かへ売り飛ばされてしまうかもしれない。

そうなれば、きっとここで朽ちるよりもずっと辛い思いをする事になるのだろう。―――どちらかといえば、その危険性の方がずっと高かったけれど。

「・・・お願いします」

それでも少女は、その手を取った。

危険を考えなかったわけではない。

ただ・・・―――そう、ただ自分の運に掛けてみたのだ。

不運が重なりこうしてこの場にいる自分に残された最後の運が、どんな結末へと導くのか。

それを、見てみたい気がした。

「契約成立ですね。では参りましょうか」

すぐさまそう促されて、は歩き出した男の後を追うべく弾かれたように立ち上がった。

「そうそう、まずはあなたの格好をどうにかしなければいけませんね」

流石にそのままでは屋敷には入れませんから。―――そう続ける男の背中を追いかけながら、少女は今もまだ戸惑いを抱いたまま歩みを進める。

覚悟を決めたとはとても言えないけれど。

これでよかったのだと、そう確信を持って言えるわけでもないけれど。

「ああ、そういえばまだあなたのお名前を聞いていませんでしたね」

ふと振り返った男の酷く優しい眼差しに、心の奥が震えた気がした。

「・・・

立ち止まった男のすぐ傍に立ち、高い場所にある男の目をじっと見つめ返して。

「私は、

「そうですか。良い名前ですね」

返ってきた微笑みが、とても温かかったから。

すぐさま歩き出した男の後を追って、も薄暗い路地から飛び出る。

目の前に広がる世界は、眩いほどの光に満ち溢れていた。

 

 

路地裏の少女

 


長い長い人生の始まり。

彼女にとっての、出発点。

作成日 2008.1.5

更新日 2008.6.29

 

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