始まりが突然であるように、終わりも突然にやってくるものだ。

がそれを実感したのは、ハルトマンが倒れたと聞かされた時だった。

 

 

「ハルトマンさんが・・・倒れた?」

「ええ、そうなのよ。突然のことで・・・。そういうわけだからちょっと色々慌しくなると思うけれど、いつも通り頑張って働いてちょうだい」

先輩であるメイドにそう告げられ、は言葉もなくコクリと頷く。

ざわざわと胸の内に、言い知れない不安が湧いてくる。

ハルトマンが倒れた。

その事実は、にとてつもない不安をもたらした。―――そうして彼がそれをもたらしたのは、何もだけではない事も事実だった。

屋敷を取り仕切っていた執事の不在。

いつもは滞りなく進んでいた仕事も、たったそれだけの事で誰もが慌てたように屋敷の中を走り回っている。

ただの下働きであるとて、それは同じだった。

いつもの仕事に加えて、新たに与えられる仕事。

普段欠かす事のなかったスパーダとの稽古も、勿論彼と顔を合わせることも出来ず、は必死に仕事をこなしていた。

そうして落ち着いたのは、一月も経った頃だろうか。

まだこまごまとしたごたごたは残っていたけれど、ハルトマンの不在に漸く屋敷の中が慣れ始めた頃、その時になって漸くはスパーダの事を思い出した。

ハルトマンに一番懐いていたのも、彼が一番気に掛けていたのもスパーダだ。

そんな人物の不在に、彼がどれほど不安を抱いているのか・・・―――そう考えると、いても立ってもいられなかった。

だからといって、に彼を訪ねる権利などない。

あの中庭で顔を合わせ、親しく会話を交わす事自体が、元々許される事ではないのだ。

だからといってこのまま放っておく事も出来ず、もしかすると中庭に顔を出すかもしれないと希望を抱いて、は仕事を終えた後顔を出してみようとそう思った。

そう、思ったのだけれど・・・。

。だんな様がお呼びよ」

本日の仕事を終え、片づけを済ませていたに掛けられたのは、そんな不可解な言葉だった。

「・・・え?」

「だから、だんな様があなたを呼んでいるの。書斎にいるとの事だから、すぐに向かって」

キッパリとした口調で言い放たれ、はぽかんと口を開けて声を掛けたメイドを見返した。

「・・・だんな様が、私をですか?」

「そうよ」

「あの・・・一体、何の御用で・・・?」

「解らないわ。ただ、あなたを呼べと命じられただけだから」

そう言って、メイドは困り顔でを見つめる。―――どうやら彼女にも、主人の真意は解らないらしい。

だからといって、その命令を無視する事など出来るはずもなく、は困惑したまま了承の返事を返し、そうして不安な思いを抱えたまま言われるままに書斎へと向かった。

そうしてこれまで足を踏み入れた事など一度もない立派な扉の前に立ち、深呼吸をひとつ。

会った事もない主人が、自分に一体どんな用事があるというのか。

ざわざわとした思いを押し込めるようにして、は僅かに震える手で扉をノックした。

「・・・入りたまえ」

直後に返ってきた返事にコクリとノドを鳴らして、は十分な礼を取ってから書斎へと足を踏み入れる。

そこは、今まで感じた事がないくらいに空気の張り詰めた部屋だった。

壁を覆うように並んだ本棚には、ぎっしりと本が詰められている。―――そのどれもがが読んだ事のないようなものばかりで、それが更に緊張を募らせた。

「初めまして、だな。君がハルトマンの雇ったという、か」

「・・・はい。お初にお目にかかります。こちらのお屋敷で働かせていただいている、と申します。―――あの、今回は私にどういった・・・?」

すぐにでも部屋を出たくて、は早速本題を切り出した。

それに気を悪くした風でもなく、主人は立派な椅子にゆったりと座ったままじっとを見つめ返して。

「そうだな、本題に入ろう。今回君を呼んだのは他でもない。突然の事で悪いとは思うが、君には本日をもってこの屋敷を出て行ってもらいたい」

そうしてはっきりと告げられた解雇宣告に、は呆然とその場に立ち尽くした。

「・・・え?」

シンと静まり返る室内で、自分の心臓の音が酷く大きく響いている気がする。―――まるで、目の前の主人に聞こえてしまうかもしれないほどに。

わざわざ呼び出されるなど、いい話ではないとそう思っていた。

何か叱責を受けるのかもしれない。―――仕事で何かミスをした覚えもないし、それほど重要な仕事を与えられていたわけでもないが、きっとそうなのだろうと思っていた。

しかし、こんなにも突然に解雇宣告を受けるとは思っていなかった。

「・・・あの、どうして・・・ですか?私はなにか・・・」

「いや、君に問題があるわけではないのだ。君はよく働いてくれていると聞いている」

だったら、どうして?

そんな言葉が口を突いて出そうになり、はグッと言葉を飲み込む。

それが解ったのか、主人は困ったように僅かに眉を潜めて。

「君はずいぶんとスパーダと仲が良いようだな」

「・・・・・・!!」

「この間偶然に、君とスパーダが街を歩いている姿を目撃した。―――正直、あいつがあんなにも楽しそうに笑っている姿を見たのは初めてだ」

この間の買い物の時の事だろうとすぐに思い当たり、はさっと顔を青ざめさせる。

誰かに目撃されるとマズイとは思っていたけれど、まさかそれが一番マズイ相手に見られていたとは思っていなかった。

「あの・・・それは・・・。申し訳ありません」

言い訳のしようもない事は自覚している。―――とにかく謝るしか方法はなかった。

けれど主人は怒っているわけではないらしい。

深く頭を下げたに顔を上げさせて、そうして深いため息を吐き出した。

「私は君を責めているわけではない。あいつが楽しそうに笑っているのも、悪い事ではない。だが・・・あまり歓迎すべき事でもないのだよ」

「・・・・・・」

「スパーダもまたベルフォルマ家の一員だ。いずれ相応しい相手と・・・と思っている」

「私は、別に・・・」

「そう、君にそんなつもりはないだろう。だが、スパーダの方はどうだ?」

問われて、はグッと言葉に詰まる。

どうだ、と問われれば、に答えようはない。

そんな事はありえないと思っていても、確証はないのだ。―――どれほど低い確率でも、将来スパーダがそういった感情を抱かないとは言い切れない。

「スパーダはとても君に懐いているようだ。あいつの笑顔を引き出してくれた事には感謝している。だが・・・」

主人の言わんとしている事の意味を察し、は俯きながら唇を噛み締める。

主人にとって、自分は邪魔な存在なのだろう。

もしもが男ならば、問題はなかったのかもしれない。

しかしは女なのだ。―――その事実は変えようもなかった。

「突然の解雇で、こちらとしても悪いとは思っている。せめてもの詫びとして、来月分の給料も出そう。悪いが、今日中に荷物を纏めてもらえるか?」

最後とばかりに言い放たれ、成す術もなくは小さく頷いた。

もしかすると、ハルトマンはこういった事態からもを守ってくれていたのかもしれない。―――そう思えるほど、状況は素早かった。

「・・・失礼します。今日までお世話になりました」

最後にそう一礼して、は逃げるように書斎を出る。

そうして零れ落ちそうな涙をグッと堪えて、睨みつけるように窓の外を見つめた。

こんな貴族の屋敷で働くなど、最初から自分には不相応だったのだ。

自分はたまたま運が良かっただけ。―――ハルトマンに拾われた自分は、本当に運が良かったのだ。

だからこの結末も、当然の事なのだろう。

不相応な場所から、自分に相応しい場所へと戻るだけ。―――ただ、それだけだ。

そう自分に言い聞かせ、は荷物を纏めるべく自室へと足を向ける。

こうなれば、早く出て行くまでだ。―――これ以上、辛い思いをする前に。

「・・・?」

そんなの背後から聞こえたのは、とても聞き慣れた・・・―――けれど今一番聞きたくない声だった。

足を止めてゆっくりと振り返ると、そこには久しぶりに見るスパーダの姿がある。

その彼はの強張った表情に気付いたのか、心配そうな面持ちで慌てて駆け寄ってきた。

「どうしたんだ、?」

「別に・・・」

なんでもない、と言おうと口を開きかけて、グッと唇を噛む。

今何かを言えば、泣き出してしまいそうだった。―――そんな姿、スパーダには見せられない。

しかしそんなの様子に何かを感じ取ったのか、スパーダは心配そうな面持ちを真剣なそれへと変え、俯いたままのの手をギュッと掴んだ。

「大丈夫だ、

そうして酷く真剣な声色で、宥めるようにそう告げる。

「大丈夫だ、。ハルトマンはすぐに戻ってくる」

の様子を、ハルトマン不在のためと思ったのだろう。―――告げられる言葉に頷く事も出来ず、はじっと握られた手を見つめた。

「心配すんな。ハルトマンが戻ってくるまで、俺がお前を守ってやるから」

「・・・・・・」

「な、。お前は、俺が守るから」

向けられる真摯な思いに、の瞳からポロリと涙が零れ落ちた。

温かいスパーダの手。

自分へと向けられる言葉と想い。

それらすべてが嬉しかった。

それらすべてが嬉しくて・・・―――そして悲しかった。

「・・・うん」

そのすべてを押し込めて、は小さく頷く。

そうしてゆっくりと顔を上げて、真剣な面持ちで自分を見つめるスパーダと視線を合わせ、はやんわりと微笑んだ。

「・・・うん。ありがとう、スパーダ」

零れる涙も気にならない。

目の前で嬉しそうに笑顔を浮かべるスパーダを見返して、は必死に笑顔を浮かべる。

その約束が果たされる事はないと解っていても。

それでも、彼の気持ちはとても嬉しかったから。

自分がいなくなったと知って、スパーダはどう思うだろう。

裏切られたと・・・捨てられたと思うだろうか?

せめて・・・せめて彼の未来に、幸せが満ちている事を願いながら。

「ありがとう、スパーダ」

ありったけの想いを込めて、は精一杯の笑顔を浮かべた。

 

 

翌日、スパーダは上機嫌で足取りも軽く中庭へと向かう。

ハルトマンはいないけれど、自分にはまだがいる。

彼女がいる限り、自分は独りではないと思えるから。―――ハルトマンが戻ってくるまで、頑張れると思える。

「おはよー、!」

そうして中庭に飛び出したスパーダは、元気よく声を上げて。

「・・・?」

一陣の風が、生い茂った葉をさらっていく。

ざわざわと音を立てながら、今は誰もいないその場所を吹き抜けていく。

あれほど温かく感じた中庭が、今は酷く素っ気無く見える。

誰もいなくなった中庭は、かつての冷たい雰囲気を漂わせながら、寂しくスパーダを出迎えた。

 

 

果たされない約束

 


幸せな日々の終わり。

作成日 2008.2.17

更新日 2008.10.15

 

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