あれから、どれだけの月日が流れたのだろう。

 

終わりとまり

 

家当主としての責務を果たしたは、死後家の者によって氏神として奉られ神の一員となった。

まさか己がその立場になろうとは思っていなかったは驚いたが、それでも何もいわずにただそれを受け入れた。

を氏神にと決めたのが誰なのかは解らないが、もしかするとそれは自分自身に対する罰なのではないかと思ったのだ。―――家当主でありながら、朱点童子を愛してしまった彼女に対する罰なのではないかと。

何故ならば、彼女が家の者たちに求められる事は一度もなかったからだ。

『絶対に、を相手に選んではならない』

子を成すために天界に来た子孫が他の神に、代々そう受け継がれていると話していたのをたまたま聞いた事もある。

それを問い詰める気はなかった。

それが罰だというのならば、当然の事だと思ったからだ。

そうしては天界から、決して自分の手が届かない下界を見守り続けた。

幾度となく戦いを挑み、倒れていく家の者たち。

幾度となく戦いを挑み、傷ついていく黄川人。

どちらを見ているのも、酷く心が痛んだ。

日に日に荒れていった黄川人に、かつて彼女と共にいた頃の面影はない。―――ただ、時折酷く寂しそうに月を見上げているその姿を見ると、共にいた頃の彼を思い出し心が痛むのだ。

どちらも傷ついてほしくない。

そう願っても、家と黄川人との戦いが終わるはずもなかった。

それほど深い因縁が、彼らの間にはあるのだ。

そうしてどれほどの月日が流れたのだろう。

どんどんと代を重ねる家。

それに伴い、少しづつ力を増していく子孫たち。

最初の頃からはまるで考えられなかった。―――永き時を経て、彼らは人にはないほどの強さを手に入れていた。

そうして、運命の時が訪れる。

刃を交える家の者たちと黄川人。

その戦いは熾烈なものだったけれど、軍配は家の者たちに上がった。

長い長い戦いは終わったのだ。

朱点童子の『死』によって。

 

 

物思いに耽っていたは、閉じていた瞳をゆっくりと開ける。

広い和室の部屋の真ん中、ただ1人でぼんやりと宙を見つめていたは、ふと視線を窓の外へと向けた。

ここはいつだって穏やかな空気が流れている。

それがが天界に住むようになって、一番初めに抱いた感想だ。

まるで時が止まってしまったかのよう。―――穏やか過ぎて、落ち着かないほどに。

そんな天界に劇的な変化をもたらした家の者たちも、もうここを訪れる事もないのだろう。

短命の呪いと種絶の呪いは解け、彼らは普通の人としての生活を始めている。

すべて終わったのだ。

そして、また新しい時代が始まる。

永遠にも似た命を持つ自分を置いて、世界は変わらず回り続けるのだろう。

「・・・静かだな」

ポツリと呟けば、鳥のさえずりがまるで返事のように耳に届く。

こうしていると、まるで自分以外の者など存在しないかのようだ。

そもそもの家を訪ねる者など、火車丸とイツ花くらいしかいない。―――自分が出て行かなければ、人と接することもそうはないのだ。

本当に静かで、穏やかな時間。

ここにいれば死に怯える事も、戦う事もしなくてもいい。

長い長い生を、自分の思うままに生きていけばいいのに・・・。

なのに、あの呪いを掛けられた生で悩み戦っていた時の方が、生きていると実感できたのは何故なのだろう。

「・・・散歩にでも行くか」

まるで自分自身に語りかけるように呟いて、はゆっくりとした動作で腰を上げた。

じっとしていれば、嫌でも考えてしまう。

今の自分についてと、これからの自分について。

もう何も出来る事はないというのに、自分はどうして今もまだ生きているのだろうと。

縁側に歩み寄って、ただ黙って空を見上げる。

見上げた空は、憎らしいほど晴れ渡っていた。

 

 

家を出たは、足が向くままに歩みを進めた。

彼女の住む家の近くには、綺麗な小川が流れている。

それがかつて彼と過ごしたあの場所に似ている気がして、自然と足がそちらを向くのだ。

もっとも、かつて彼と過ごした川沿いは、もっと素っ気無いものであったけれど。

それでもにとっては、唯一の心安らげる場所だった。―――なによりも大切な思い出の場所だったのだ。

こんな風にして過去を懐かしみ、ただ過去に思いを馳せながら毎日を生きている。

その事を改めて思い知ったは小さく苦笑を漏らして、そのまま当てもなくぶらぶらと川沿いを歩く。

しかしふと見つけた姿に思わず目を見開いて、はゆっくりと瞬きをひとつ。

視線の先には、見慣れた・・・―――けれど見慣れない少年の姿がある。

こちらに背を向けて、じっと川の流れを見つめている。

その背中が何故だかとても寂しそうに見えて、は僅かに眉根を寄せた。

どうしようか?

そんな思いが頭を過ぎるが、そんなものにどれほどの意味があるのだろう。―――もうとっくに、答えなど出ているだろうに。

そうしてはしばし躊躇った末に、気配を消してそちらへと足を向ける。

少年はには気付かない。

そのかつての彼にはなかった無防備さに思わず笑みを零しながら、はゆっくりと口を開いた。

「初めまして、黄川人」

「・・・っ!?」

ひとつ深呼吸をした後声を掛ければ、幼い黄川人は弾かれたように振り返った。

大きな瞳がじっと自分を見返す。

それを眩しいものでも見るように目を細めて、はやんわりと微笑んだ。

「こんなところで何をしている?もしかして迷子か?」

からかうようにそう問い掛ければ、案の定黄川人はカッと頬を赤らめる。

「まっ、迷子なんかじゃ!!―――っていうか、あんた誰?僕の事知ってんの?」

「もちろん。おそらくはココでお前を知らない者はいないよ」

そう言ってやれば、黄川人はなんともいえない複雑な表情を浮かべた。

今ここにいる黄川人には、かつての記憶などないのだ。

それがいつか戻るのか、それとも永遠に戻らないのかは解らないが、は記憶など戻らなくてもいいと思っていた。

彼は一度死に、そして生まれ変わったのだ。

辛い過去の記憶など必要ないだろう。

これからは、のびのびと彼らしく生きていけばいい。

そう思うのに、自分を見る彼の眼差しが見知らぬ者を見るそれと変わらない事に微かな絶望を覚えているのは何故なのだろう。

彼は黄川人であり、黄川人ではない。

の愛した皮肉屋で、意地っ張りで、素直ではなくて・・・―――けれどとても繊細な心を持った黄川人はどこにもいないのだ。

「あんた誰だよ。あんただけ僕の事知ってるなんて不公平だろ?」

「・・・そうだな、申し遅れた。私はという」

彼女には天界に迎えられた時に与えられた神の名前がある。

けれどどれほど時を経ても、この名前は捨てられなかった。―――それは彼女が確かにこの世に生きた証だったからだ。

「・・・?」

「そうだ。もっとも、今は別の名で呼ばれているが・・・―――黄川人?」

苦笑と共にそう返したは、目の前の黄川人の様子が可笑しい事に気付いた。

目を大きく見開いて、じっとこちらを見つめている。

そうして一拍後、彼の瞳から大粒の涙が1つ零れ落ちた。

「・・・何故泣く」

「そんなの僕だって解んないよ!もうなんなんだよ、これ!!」

己の身に起きた突然の異変に、黄川人自身も驚いていた。

どうして涙が零れたのか、そんなのは彼の方こそ知りたかった。

どうしてこんなにも悲しいのか。

胸が苦しくて、何かに追い立てられるような焦燥感と。

そうして、胸を締め付けるほどの愛しさを。

「・・・黄川人」

名前を呼ばれて顔を上げれば、そこにはやんわりと微笑んだの顔がある。

それはとても優しい色をしているというのに・・・―――なのにどこか寂しげに見えるのは何故なのだろう。

「黄川人。お前は自分らしく生きていけばいい」

突然告げられた言葉に思わず目を見開く。

「お前が何者であったのか、それは今のお前には関係がない。お前はお前らしく、自分の思うままに生きればいい」

「・・・・・・」

柔らかく、けれどはっきりと向けられた声色に、黄川人は何も言えずにただを見上げていた。

自分を見る周りの目が気になりだしたのはいつからだろう。

そこには慈しみも勿論あったけれど、言葉には出来ない複雑な色や憎悪にも似たものもある。

その意味が解らず、けれどそれを誰かに聞くことも出来ず、不安に思う日もあった。

だからどうしていいのか解らず、こうして誰もいない場所を選んで独りの時間を過ごしていた。

けれど、彼女は言うのだ。

気にすることはないと。

気にせず、ただ自分らしくあればいいと。

初めて会ったその女は、ただ柔らかい笑顔を浮かべて自分を見ている。

「だから泣くな、黄川人」

ポンと頭の上に乗せられた手がとても優しくて。

そして何故かとても懐かしく思えて、黄川人は零れ落ちる涙を止める事が出来なかった。

どうして涙が溢れるのか、その理由さえも解らなかったけれど。

「だから、泣いてなんかないって!!」

「・・・そうか」

それでもいつまでも泣き顔を見られているのが恥ずかしくて、黄川人はパッとの手を払いのけると強い口調で言い放った。

しかしそれさえも楽しそうに笑うに、不機嫌そうな表情を浮かべて。

「なんだよ、その余裕の笑みは。むかつく!」

なんだか負けたような気がして、黄川人はそう言い放つとクルリと踵を返した。

どうにも分が悪い気がしてならない。

彼女の存在そのものに、何故か逆らえない気がした。

そうしてまるで逃げるように駆け出した黄川人は、しかし少し距離を開けて立ち止まって。

躊躇いがちに振り返り、今もまだこちらを見て微笑んでいるを認めて、気まずそうに口を開いた。

「・・・また、会える?」

「・・・黄川人?」

「また会えるかって聞いてるんだよ!!」

照れ臭さを持て余しながらそう声を荒げると、は楽しそうに微笑む。

「ああ、お前が望むのならば」

そう、あの頃とは違う。

お互いの存在も、時間の流れも、そして確かにあった制約も。

会おうと思えばいつだって会える。

たとえあの頃と同じ気持ちではなくても、それはとても幸せな事のように思えた。

「・・・あっそ」

望んだ答えが得られた事に僅かに頬を綻ばせた黄川人は、素っ気無い返事を返した後、じゃあね!と最後に言い残してあっという間に駆けて行く。

その後姿を見送って、も静かに踵を返した。

空は青く澄み渡り、木々は青々とその葉を繁らせて。

降り注ぐ陽は温かく、頬を撫でていく風は優しい。

あの頃とは何もかも違う景色。

けれど生まれてから初めて見た景色でもあった。―――もっともあの頃の心境と今では、まったく異なっていたけれど。

「いつか下界もこんな世界になるのだろうか?」

それがいつになるのかは解らない。

何十年後かもしれないし、何百年後かもしれない。

ただ、それを見守っていくのも悪くない気がした。

時間だけはたっぷりとあるのだ。

「・・・それに、退屈はしないだろうしな」

先ほどの元気いっぱいの黄川人の姿を思い出し、小さく笑みを零す。

そう、今の自分には見守る以外に出来る事はないのだ。

それならば、そうしよう。

命続く限り、見届けよう。

 

かつて自分と彼が生きた世界が、これからどんな道を辿っていくのかを。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

はい!というわけで『俺の屍を超えてゆけ』終了です。

このある意味ドリームとして成り立つのかどうかも怪しい連載を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

いや、ほんとにもう自分の文章力のなさを痛感しましたが。(笑)

ちょっと切なめを目指しつつ、少しでもそう感じていただけたなら幸いです。

作成日 2008.6.13

更新日 2009.7.5

 

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