薄暗い森の中を、ただひたすら走っていた。

耳に届くこの森に棲む生き物や鬼たちの不気味な声を振り切るように、ただひたすら。

その内に息が切れてきて、私は力の入らない身体を大きな木に預け、崩れるようにその場に座り込んだ。

こめかみから、一筋の汗が流れ落ちる。

遠い彼方に、九重楼が見えた。

 

心の

 

初陣から、数ヶ月が経っていた。

その間に何度も何度も遠征に加わり、現在では十分に戦力の一端を担っている。

既に慣れた遠征に、もしかすると気の緩みがあったのかもしれない。

大勢の鬼に囲まれて必死に戦っている間、私は周りを確認する余裕すらなく。

気がついた時には既に遅く、共に遠征に出た家族とはぐれてしまっていた。

言い訳をするつもりは無い。

これは私の気の緩みが招いた事態。

そして、私の心の迷いが招いた事態なのだから。

ふと、握ったままの刀に視線を落とす。―――そこに付着している、鬼のものだと思われる血の後。

たくさんの鬼を切った。

戦いに出る前は、あれほど悩んでいたというのに。

戦いに出れば、そんな戯言をほざいている余裕など無かった。

ただ生きるために・・・自分が生きる為だけに、鬼を切った。

知らず知らずのうちに、自嘲の笑みが零れる。―――所詮はこんなものか。

「何笑ってんの?」

不意に声が響いて、驚き顔を上げると目の前に浮かぶ半透明の身体。

「・・・黄川人か」

「僕以外にこんな身体の人間がいるなら、ぜひ見たいものだね」

返ってきた嫌味を含んだ声を、笑みを浮かべたまま受ける。

彼のこんな物言いも、何ヶ月も顔を合わせていればいい加減に慣れた。

「それで?こんな所で何してるの?もしかして1人?」

キョロキョロと辺りを見回し、質問を投げかけてくる黄川人に自嘲の笑みを向けた。

「ああ、そうだ。はぐれてしまってな」

「その割には、ずいぶんと余裕あるみたいじゃない?」

「そうだろうか?」

言われて、改めて考えてみる。

そう言われればそうかもしれない。―――余裕があるか無いかはともかくとして、それほど焦りを覚えていないのは確かだ。

「少なくとも、恐怖心は無いな」

「どうしてさ?1人の所を襲われたら、いくらだって危ないんじゃないの?」

「そうだな。危ないだろう」

あっさりと答えた私に、黄川人は不審気な表情を向ける。

ただ笑みを浮かべる私から何かを読み取ろうとして、射るような眼差しで私の顔を凝視した。

けれどそんな事をしても無駄だと、心の中でひっそりと思う。

なぜならば、私は別に何を考えているわけでもなかったのだから。

けれど黄川人は黄川人なりに何かを読み取ったらしい。

不審気な表情を更に険しくして、私の顔を覗き込んだ。

「もしかして・・・」

「何だ?」

、死にたいの?」

黄川人の口から飛び出た言葉に、私は心の底から驚いた。

死にたい?

黄川人は今、そう言ったのか?

「・・・馬鹿な」

死にたいと願うのならば、何故私は鬼を切った?

生きるために切ったのだろう?

そう自問自答しても、私の口からはそれ以上の言葉は出てこなかった。

否定しろ。

違うのだろう?―――ならば、きっちりと否定をしろ。

そう叱咤しても、何の否定の言葉も出てこない。

ああ、もしかしたら・・・。

「そうなのかもしれないな」

スルリと零れた言葉は、心の中で叫び続けた否定の言葉よりも素直に口をついた。

「なんでさ?」

「さぁな。私の方が聞きたいくらいだ」

そう返せば、更に不審気な視線を投げかけられる。

だがそれ以外にどう返答すれば良いのか?

私自身でさえ、先ほどの肯定の言葉に戸惑っているというのに。

「なんかさ、って変わってるよね」

唐突にそう切り出した黄川人に、私は俯いていた視線を合わせる。

黄川人はただまっすぐに、私を見下ろしていた。

「なにがだ?」

「だってさ。一族の誰よりも強いのに、どうして戦いを拒むのさ?」

「・・・・・・」

「朱点が憎くないわけ?」

それは質問の価値も無い問い掛け。

憎く無い筈が無い。

我らをこんな身体にしたのは、すべて朱点が原因なのだから。

そう答えられたら、どれほど気が楽だろうか?

当たり前のその感情が、けれど私の中には無かった。

朱点が憎くないのか?

私は今まで、奴を憎んだ事は一度もない。

好きなわけでは勿論無い。―――けれど憎むべき明確な心も無いのは確か。

なのに私は戦い続けるというのか?

何の目的もなくただ戦いを続けて、その先に一体何があると・・・。

「・・・黄川人」

「なに?」

興味津々といった表情を隠そうともせず、黄川人は私を見下ろす。

ふと疑問が頭を掠めた。

彼は一体、どうして朱点の呪いを受ける羽目になったのだろうか?

「鬼を・・・切るだろう?」

ポツリと呟く。

黄川人はそれに何も答えず、ただ無言で私の言葉を聞いていた。

「鬼を切ると、私の心が痛むんだ。一体切る度に、振り下ろした私の刀は私自身の心にも傷をつける」

「・・・・・・」

「それは可笑しなことだろうか?」

問い掛けると、黄川人は馬鹿にしたような笑みを浮かべる。

「相手は鬼だよ?」

「鬼とて、生きている事に変わりはない。感情もある。恐怖を感じれば、痛みを恐れる。我らと何が違う?」

私の言葉に、黄川人は笑みを消した。

無表情で私を見詰める。

そういえば、黄川人のこんな顔を見たのは初めてだ。

「・・・で?」

唐突に聞き返されて、私は訝しげに視線を返した。

「・・・で、とは?」

は何が言いたい訳?」

簡潔に返された言葉に・・・―――そして黄川人の声に含まれた、先ほどは感じられなかった不機嫌を見つけて小さく首を傾げる。

彼は何に対して気分を害したのか?

私の物言いに対してだと考えるのが妥当だが、それとも違う気がした。

「何が・・・という明確な思いがあるわけではない。ただ漠然とそう思っただけだ」

「・・・下らない」

「そうだな」

吐き捨てるように呟く黄川人に、僅かに笑みを零した。

本当に下らないな。

そんな事を考えて、どうなるというのか。

考えれば考えるだけ、自分を追い詰める結果になるだろうに。

ただ、それでも思うのだ。

「私はこんなことをする為に存在しているのだろうか?ならば呪われているのは血ではなく・・・」

そう、呪われているのはこの身体でも続く一族の血でもなく。

「呪われているのは・・・私自身だ」

醜い心を持つ・・・私自身だ。

綺麗事を並べたて、心が痛むと口にしながらも。

それでも私は、鬼を切り続ける。

それならば、朱点が憎いと。

ただ生きたいと願う方が、まだ純粋だ。

どっちつかずになっている私は、とても卑怯で醜い。

「だから、死にたいの?」

黄川人の静かな声が耳に響いた。

険しい顔で私を睨んでいる、黄川人。

無言で見上げる私を一瞥して、冷たい口調で言い捨てた。

「だから、襲われても抵抗しないの?」

「なにを・・・」

「そんな怪我をしてまで、鬼の味方してどうする訳?」

黄川人の視線が私のお腹に向けられる。

座っている体勢からでは解らないだろうと思ったのだけれど、彼にはお見通しだったようだ。

ズキズキと痛むお腹に手を置いて、笑みを零す。

「大した怪我じゃない。血ももう止まっている」

「別に心配してるわけじゃないよ」

「だろうな」

サラリと言葉を流す私に、黄川人は更に冷たい視線を向けた。

「付き合ってられないね。死にたきゃ勝手に死ねば?」

そのまま宙に浮かび上がって、溶けるように姿を消す。

そんな黄川人の姿を見送って、私は溜息混じりに呟いた。

「それでも、死ぬわけにはいかないんだ」

強く刀の柄を握り締める。

まだ、私は死ねない。

生きる理由も死ぬ理由も無く果てたのでは、あまりにも無責任だ。

私という人間が存在する意味を、私自身に解らせなければ。

でなければ、本当に私は意味のない存在になってしまう。

こうして怪我をした今、私は無様なくらい生きたいと願っている。

例えどれほど心の傷が増えようと、私は鬼を切り続けるのだろう。

何の意味も持たない、ただ生きたいと願う気持ち故に。

「まだ・・・死ねないんだ」

膝を抱えて、刀を握り締めて。

森に響く不気味な声から身を守るように身体を縮込めて、私は小さく呟いた。

 

 

その後、ただ蹲る私の元へ家族が迎えにやってきた。

どうしてこの場所が解ったのかと尋ねれば、が軽い口調で答える。

「黄川人が知らせに来たんだよ」

思わず浮かんだ黄川人の姿に、私は微かに笑みを零した。

私の身体に掛けられた呪いと、黄川人の身体に掛けられた呪い。

それを解くためならば、朱点と戦うのも悪くないかもしれない。

そんなことを、思った。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

最初に考えていた話をすっぱりと忘れてしまい、何となく訳の解らない話に。

ヒロイン暗すぎです。

そして悩みすぎ。(しかも内容がしつこい)

いい加減にしっかりとしてもらわないと・・・。(笑)

作成日 2004.7.17

更新日 2008.10.27

 

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