「お出かけですか?」

屋敷を出ようとしていた私の背後から、そんな声が届いた。

振り返ると、そこには小さく首を傾げたイツ花が立っている。

「ああ。少し・・・散歩をしてくる」

「そうですか。お気をつけて行ってらっしゃいませ」

にっこりと微笑むイツ花に笑みを返して、私はいつも通り屋敷を出た。

 

宿る

 

最近の私は、外に出ることが増えた気がする。

特に何か用事があるわけではない。―――ただブラブラとその辺を散策する。

そしていつも最後には、町の外れにある川原へと来るのが定番だ。

そこはお世辞にも見栄えが良い景色とは言えない。

ごつごつと岩の飛び出る土手と、サラサラと流れる比較的小さい川。

そして申し訳程度に飛び出ている一本の木があるだけの、何の面白みも無い場所。

けれど私はここが気に入っていた。

それに確かに何もないところではあるが、退屈する事は無い。

何故ならば・・・。

「また、ここにいるの?意外と暇だよね、って」

頭上から降り注ぐ聞き慣れた声に、私は微かに頬を綻ばせる。

「お前ほどではないよ、黄川人」

そう苦笑混じりに彼の名を呼べば、不機嫌そうな表情を浮かべつつも大人しく私の隣に腰を下ろす。

私が退屈せずにいられる理由は、彼がいるからだ。

何が目的なのか、それとも余程暇なのかは解らないが、私がここに来るといつも黄川人は姿を見せる。

そうして他愛ない話をしては、別れる。

そんな関係が、ここしばらく続いていた。―――それは既に私の中で日常となり、特に何か用事が無い時は必ずここに来るまでになった。

「それで?曲がりなりにも家の人間が、いつもいつも武器も持たずにこんなとこに来てて良い訳?」

「武器?そんなもの必要ないだろう?」

「・・・自覚まで無いんだ。呆れたもんだね、ホント」

言葉に違わず、呆れた表情と口調で私を見る。

それに思わず苦笑を漏らして、私は隣に座る黄川人に視線を向けた。

「心配してくれているのか?」

「馬鹿なこと言わないでよ!何で僕が君の心配なんか・・・」

私の視線から逃れるように顔を背け、不機嫌そうに呟く。

本当に私の言い分が見当違いならば、きっと黄川人は簡単に『そうだ』と認めるだろう。

認めるだけの理由や言い訳もある。―――自分の呪いを解けるのは我が一族だけだとでも言えば簡単に筋が通る。

けれどそれをしないことが、逆に真実なのだと教えてくれているような気がして、やはり笑みが零れた。

「私は多少の武術の心得がある。武器など無くとも問題は無い」

「・・・鬼相手に、多少の武術の心得が通用すると思ってるの?」

「通用せずとも、時間稼ぎくらいにはなるだろう?鬼の噂を聞きつければ、家の者が退治にやってくる。―――な、問題無いだろう?」

黄川人の顔を覗き込めば、憮然とした表情が目に映った。

どうやら簡単に言い返されたことが悔しいらしい。

「ふ〜ん・・・」

「納得したか?」

「・・・別にそれほど気になってたわけじゃないよ」

あっさりと返ってくる言葉も、それが悔し紛れなのだと解れば可愛いものだ。

見た目や口調からは想像出来ないほど、ごく稀に大人の顔をする時がある黄川人だが、こういう時は見た目同様の幼さを持っているのだと実感する。

そうは言っても、圧倒的に彼の方が私よりも長生きしているのだろうが。

「何で、鬼に通用しないって解ってて武術なんか習ったのさ?」

「それが必要だったからだ」

更に続く問いに、私は素直に答える。

「・・・必要?」

「そうだ。鬼相手ならともかく、人間相手に刀を振り回しては、いろいろと問題があるだろう?」

私のその言葉に、黄川人はキョトンと目を丸くする。

その様が可愛らしくて、私はまた笑みを零した。

「何で人間相手に戦う訳?」

「別に戦う訳ではない。ただ、降りかかる火の粉を払いのけているだけだ」

淡々と言う私に、意味が分からないとばかりに首を傾げる黄川人。

そんな彼に、言いたくはなかったのだけれど、仕方なく武術を習うきっかけを話す事にした。

あれは私がまだ下界に下りて間もない頃。

1人で町を歩いていたところ、見るからにガラの悪い男達に囲まれてしまった。

原因が何だったのかはもう忘れてしまったが、怒り狂って刀を抜いた相手に習って、私も同じように刀を抜いたのだ。

勿論手加減はしたし、相手の命を奪う事もしなかった。―――だが、町中で起きたそれが問題にならないわけも無く・・・。

先祖の数々の功績により何とか処罰は免れたが、厳重注意と称して長時間説教を食らわされたことは正直言って辛かった。

それ以来、私は刀を持ち歩くのを止めた。

持っていては、何かあった時に抜いてしまうだろう事が容易に想像できたからだ。

代わりと言ってはなんだが、自らの身を守る術として家の武道家から簡単な護身術を習った。―――護身術とは言っても、町の男たちを退けるには十分だ。

すべてを説明し終えた後、黄川人は呆れたように笑う。

「君に喧嘩を売るなんて、ずいぶんと命知らずな奴らだな」

「全くだ」

「・・・・・・ちょっとは否定したら?」

「だが、その通りだろう?」

あっさりと返して、2人で顔を見合わせる。

ふと、どちらからともなく噴出した。

「あはははは!ホントに!!朱点を倒せるかって程の実力がある人物相手に喧嘩して、敵う訳ないのに!!」

「私も見くびられたものだ」

「あはははははは!!」

黄川人の甲高い笑い声が響く。

その笑い声に反応して、虫たちが鳴き声を消した。

漸く笑い終えた黄川人は、苦しいのか荒く息を繰り返している。―――それと後は川の水が流れる音だけが私の耳に届いた。

「・・・朱点か」

ポツリと呟く。

先ほどの黄川人のセリフが、頭の中を支配していた。

もうすぐ大江山の門が開く。

いつもは閉じられている門が開き、朱点童子への道が開ける。

当主は何も言わないが、きっと今度は我が一族の命運を掛けて戦う事になるのだろう。

「・・・倒してみせるさ」

本当に小さく呟いた声は、誰にも聞かれない筈だった。

けれどそれは確実に黄川人の耳にも届いていたらしく、驚いたような顔で私を見返した。

「どうしたの?急にやる気出したりして。今まで興味なさそうだったのに・・・」

「別に興味がなかったわけじゃない。ただ・・・当たり前の幸せを手に入れてみようかと思ってな」

普通の寿命を取り戻して、戦いとは縁のない穏やかな生活を送る。

それを、手に入れてみようかとそう思った。

「今までは思ってなかったの?」

「思ってなかったわけじゃない。しかしそれを、自分の命を賭けて戦ってまで手に入れたいとは思わなかっただけだ」

朱点に戦いを挑み、そして負ければ・・・おそらく私の命はないだろう。

ただでさえ短い命を、大して望みもしない事の為に失ってしまうというのが、とても馬鹿らしく思えた。

「まぁ、そうは言っても当主の命に逆らう権利など私にはないからな。望まなくとも戦いに駆り出される事になったのだろうが・・・」

「ま、確かに。・・・・・・それで?」

「・・・・・・?」

「何で急にやる気出したの?まだ質問に答えてもらってないんだけど?」

「ああ、そうだな・・・」

黄川人の問い掛けに苦笑する。

私がこれを言った時、お前はどんな顔をするのだろうか?

そんな事を思いながら、私はゆっくりと腕を伸ばす。―――伸ばした手を黄川人の頬辺りに持って行くと、それは彼の身体を突き抜けてしまった。

触れるのは温かな体温ではなく、冷たい・・・形のない空気。

「・・・何?」

少しだけ表情を歪めて、黄川人が更に問う。

それに苦笑で返して、私は手を引っ込めた。

「お前は知っていたか?お前は稀に私に触れようと手を伸ばすんだ」

「・・・・・・」

「だが、その手は私に触れる事はない。空気を揺らして、ただ私の身体をすり抜けるだけ。そうすると、お前は酷く傷付いた顔をする」

そう言うと、自覚があるのか。―――黄川人は気まずそうに視線を逸らした。

「・・・だから、朱点を倒そうって言うの?」

「そうだ。身体を取り戻して、お前にちゃんと触れて欲しいと思った」

「・・・・・・っ!?」

「そして・・・私もお前に触れたいと思うんだよ。空気ではなく、温かな体温を感じたいと、そう思うんだ」

にっこりと微笑みながら、そっぽを向いたままの黄川人の顔を覗き込む。

きっと呆れた表情を浮かべているのだろうと思われた彼の顔には、正反対の感情が宿っている。

「・・・何故、そんな顔をする?」

今にも泣き出しそうな、そんな顔。

理由が解らない。

どうしてそんなに、悲しそうな顔をするのか?

って・・・馬鹿だよ」

ポツリと、黄川人の口から零れた言葉。

「・・・そうか?」

「そうだよ。馬鹿で愚かで・・・救いようがない」

「そうか」

批難されているような言葉なのに、何故か私の頬は緩んでいた。

それは黄川人の声が、穏やかだったからなのかもしれない。

無言でただ共に時を過ごす。―――辺りが赤く染まり始めた頃、私は名残惜しい気持ちを押し隠してゆっくりと立ち上がった。

「そろそろ帰ることにするよ。あまり遅くなっては、イツ花が怒る」

「そう」

「またな。今度こうして会う時は、お互い呪いが解けている事を願おう」

身動きせずに座る黄川人の上から声を掛けて、私はゆっくりと土手を上がる。

「・・・!!」

不意に声を掛けられて、振り返った。

「・・・どうした?」

振り向いた先には、やはり泣き出しそうな黄川人の顔。

優しく問うと、黄川人は意を決したような表情で言った。

「馬鹿で、愚かで、救いようがないと思うけど・・・だけど嬉しかった」

「・・・そうか」

その言葉に、思わず笑みが零れる。

しかし対照的に、黄川人は真剣な表情を浮かべていて。

「嬉しかったから・・・だから、それだけは信じて」

「・・・・・・?」

「僕の今の気持ちとか言葉とかは、嘘じゃないから。だからこれから何があっても、それだけは疑わないで」

「・・・どういう?」

「今日のこの日のことだけは、信じてて」

私の疑問の声を遮って、強い口調で黄川人はキッパリと呟く。

黄川人が何の事を言っているのか、私には解らなかった。

彼が何に対して心配しているのか。

『これから何があっても』とは、どういうことなのか?

聞きたい事は山ほどあったけれど、黄川人はそれを聞かれたくないと思っているようだったから、私は敢えて聞かない事にした。

ただ、一言。

「解った」

そう承諾の言葉を伝える。

「解った。私は何があっても、今日のお前の言葉だけは疑わない。信じよう」

それだけで十分な気がした。

私は私の想いを伝え、黄川人はそれに応えた。

何が起ころうとも、それだけは揺るぎない真実。

「それではな、黄川人」

今度こそ別れを告げて、私はその場を後にした。

 

 

ただお前に触れたいと思ったんだ。

そして、お前に触れて欲しいと思った。

私には、それだけで十分だった。

戦う理由は、それだけで十分だったんだ。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

今後を仄かに匂わす展開。

余計な話とかが入ってるのは、もういつものことと呆れてください。(笑)

ちなみに時間設定は10月の終わり。(言われなくても解るって)

この月はが交神している為、遠征はお休みなのです。

とか、いろんな余計な裏設定があったり・・・。

作成日 2004.7.18

更新日 2008.11.24

 

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