新たに発覚した、朱点童子の正体。

終わると思っていた戦いは、未だ終わりの見えない戦いへと姿を変えた。

傷付いた当主と格闘家を連れて屋敷に戻った私たちは、これから起こるであろう騒動と絶望が手に取るように想像できる。

に抱えられた当主の顔色は、尋常ではなかった。

 

絶望の中で

 

それは、息も凍るような冷たい夜のことだった。

朱点童子との戦いから帰還して数日、黄川人から受けた攻撃の傷は癒える事無く、ここ数日当主は床に伏せっていた。

もう永くはないだろうと思う。

当主の顔色を見れば、それは自明であった。

「よ!んなとこで何やってんだ?風邪引くぞ?」

縁側に座り空に浮かぶ月を見上げていた私は、その声の主に視線を向けた。

「・・・、か」

いつも通りのニコニコとした笑顔を浮かべて近づいてくるのは、私にとってこの家で一番親しい人物。

当主の死が近い事を悟って静まり返った屋敷の中で、けれどもだけがいつも通りの様子を崩す事はなかった。

心が強いのだと、思わず感心する。

「当主の加減は・・・?」

私と同じように縁側に座り込んだに向かい、何気なく聞いてみた。

するとは浮かべていた笑顔を消して、神妙な顔で月を見上げる。

「あー・・・ありゃ、危ねぇな」

「・・・そうか」

「多分、今夜が峠だろう」

「・・・・・・そうか」

は気休めを言わない。―――彼がそういうのならば、おそらくはそうなのだろう。

「つーか、が当主様の心配してるとは思わなかったな。あんまそういうの興味なさそうだったし?」

「それでは私があまりにも冷たい人間のようではないか。・・・・・・まぁ、あながち間違ってはいないか」

自嘲気味に呟き、そして笑う。

の言う通り、私は当主の容態をそこまで気にしているわけではない。

死んでも構わないと思っているわけでは勿論ないが、当主が死ぬことによって茫然自失になるということもない。―――それほどまで、私は当主に入れ込んでいるわけではないのだ。

「私よりも寧ろ、彼の方が大変だろう」

ポツリと呟く。

彼というのは、共に朱点討伐に向かった格闘家の事。

朱点(偽物の方だが)に受けた傷はそれほど深くはないらしく、命に別状はない。

当分の間は遠征に加わる事は出来ないが、寝込むほどではないらしい。

それよりも・・・身体よりも、寧ろ精神の方が心配だ。

彼は傍目から見ても解るほど、当主信望者だったから。

当主が逝けば、彼が受けるショックは誰よりも大きいだろう。

「まあなぁ・・・」

曖昧に呟いて、は縁側から出した足をブラブラと揺らす。

その様が子供のようで、微かに笑みが零れた。

「・・・まさか、黄川人が朱点だったとはな」

唐突にが話を切り出した。―――それに少し面を食らいながらも、僅かな動揺を押し隠して同意する。

「全く、気付かなかったな・・・」

「そうだな」

「あんなに俺たちとは仲良かったのにな。あれも全部演技だったのか・・・」

「・・・それは」

違うと言いかけて、私は咄嗟に口を噤んだ。

違うと、何故言い切れる?

確かに朱点討伐前に、黄川人とある約束をした。

嬉しいと思った気持ちを信じて欲しいと・・・―――そう言った黄川人に、私は信じると答えた。

そのことだけは疑わないと。

何があっても信じ続けると、確かに言った。―――そしてその言葉に偽りはない。

けれど、それはその事だけのことで。

そういえば・・・と今更ながらに思い出す。

黄川人の言っていた話の端々に、彼が朱点だと匂わせる何かがあったのだと言う事。

それは本当に微かな・・・そして曖昧なもので、きっと彼が正体をバラさなければ気付けなかっただろう程些細な事で。

解らなかった。

黄川人の言った言葉の、何が本当で何が偽りなのか。

私はどの言葉を信じれば良いのか。

「なぁ、

無言で月を見上げるに視線を向けずに、ぼんやりと庭を眺めながら彼を呼んだ。

「んー?」

も月から視線を外さず、曖昧な返事を返す。

そんな空気が心地良くて、私はいつもよりも素直に自分の感情を口にする事が出来た。

「私はな。黄川人が朱点だと解っても、奴を憎む事が出来ないんだ」

元々、朱点に対する恨みなど希薄だった私にしてみれば、その相手が黄川人に変わった事によって、更にその感情が希薄になるのは仕方ない事なのかもしれない。

「・・・そうか」

返って来る素っ気無い返事に、私は軽く相槌を打つ。

「私は黄川人を憎めない。・・・けれど、黄川人は我らの敵となった。黄川人はきっと、何の躊躇いもなく我らに攻撃を仕掛けてくるだろう。しかし・・・」

「・・・・・・」

黄川人はきっと、躊躇いなく我らを滅ぼす。

彼が抱く憎しみは、彼が朱点だと発覚した時に嫌というほど思い知らされた。

消える事のない憎悪。

絶える事のない憎しみ。

「私は一体、どうすれば良い?」

私は黄川人を憎む事が出来ない。

そんな私が、彼に刀を向ける事など出来るだろうか?

、お前・・・」

様」

何かを言おうとしたの声を遮って、イツ花が私の名を呼んだ。

廊下の暗がりからイツ花が姿を現す。―――その表情は硬く強張っていた。

いつからそこにいたのだろうかと、ほんの少し疑問が浮かぶ。

どこから話を聞かれていたのだろうか、と。

しかしイツ花はそんな私たちの様子など気にした素振りもなく、未だ硬い表情で・・・けれどしっかりとした口調で私にそれを告げた。

「当主様が、様をお呼びです」

嫌な予感が、した。

 

 

です。・・・入ります」

当主の部屋の前で控えめに声を掛け、ピタリと閉じられた襖を静かに開けた。

部屋の中は薄暗く、蝋燭の光がユラユラと寂しげに揺れている。

光源が少ないからなのか、もっと別の理由があるからなのか、当主の顔色はとても悪く見えた。―――それは生きている人とは思えないほど、血の気を失っている。

そんな当主を見て、改めて悟った。

彼の命が、もう残り少ないのだという事を。

そして・・・今自分が呼ばれた事の意味も、解らないわけもなかった。

「・・・

「はい」

掠れた声に呼ばれて、当主の横たわる布団の側に近づく。

部屋にイツ花が戻ってきたのが解った。―――襖の前に座り、こちらの様子をジッと窺っている。

「お前に、次の当主を任せる」

「・・・・・・」

嫌な予感というモノが的中してしまった事に、心の中で溜息を吐く。

「何故、私に?私よりもの方が適任かと思いますが。年齢的に見れば、他にも・・・」

「お前に任せる」

言いかけた私の言葉を遮って、当主はピシャリと言い切った。

ああ、なるほど・・・―――こんな状況なのにも関わらず、呑気にも漸く理解した。

当主が何故、それほどまでに私を次代に押すのか。

きっと彼には、私が抱く複雑な感情などお見通しなのだろう。―――もしかしたら、誰かからそう進言があったのかもしれない。

自分で言うのもなんだが、私の身体に流れる血の素質はすこぶる良い。

生まれて間もなく、この家の誰よりも強くなった。

人である父からは『漸く朱点討伐を成せる』とお墨付きを頂いたし、母である神からは『次の子供が楽しみだ』と生まれて早々交神の相手を勧められた程。

きっと当主は次代に任命する事によって、私をこの家に繋ぎとめておこうという算段なのだろう。

そうしなければ、私が朱点である黄川人の元に行ってしまうかもしれないと懸念して。

要らぬ考えだと、思わず苦笑が漏れる。

私とて自分の立場は理解しているつもりだ。―――鬼になる気など、毛頭ない。

けれど・・・。

「解りました。貴方の意思を継いで、当主の任を果たしたいと思います」

けれど、当主の選択が正しかったのかもしれないと思うのも確か。

もし何事もなければ・・・当主の任命などされなければ。

もしかしたら、私は黄川人の元へ行っていたかもしれない。

否。―――黄川人の元に行かなくとも、私は戦う事など出来なかったかもしれない。

「・・・そうか。これで安心できる」

ホッと安堵の息をついて目を閉じた当主を見やり、私は背後に控えるイツ花に声を掛けた。

「みんなを集めてくれ」

「・・・承知しました」

私がこの部屋に入ったときよりも、当主の顔色は更に悪くなっていた。

張り詰めるような冷たい空気の中、一族全員に見取られて。

私の名付け親である当主は、静かに息を引き取った。

 

 

一族の誰もが、当主の死を悲しんだ。

イツ花は早々に葬儀の準備の為、忙しく動き回っている。

そんな中、私は再び縁側に戻ってきた。―――無性に1人になりたかった。

縁側の縁に腰掛けて、先ほどと同じようにぼんやりと月を眺める。

この身に降りかかる出来事が、すべてあの月の光のように優しくあれば、きっとこんなにも心を掻き乱される事もないのだろう。

柄にもないことを思い、苦笑が漏れた。

それと同時に感じた、異質な・・・けれどとても懐かしい気配。

「や!こ・ん・ち・わ!!」

唐突に目の前に現れた姿と、おなじみのその挨拶。

場違いなほど明るい声色に、まるで昔に戻ったような感覚を覚えた。

昔と言っても、それほど時は流れていないというのに。

「・・・黄川人」

この場にいるには相応しくない人物を見上げて、私は彼の名を呼んだ。

「・・・何をしに来た?」

「やだなぁ、そんな怖い顔しちゃって!」

以前と変わらぬ口調に、思わず警戒を解きそうになった。

いくら憎む事が出来ないと言っても、警戒だけは解くわけにはいかない。―――彼云々というよりも、私自身の心が危ない。

「別に何もしないって!今日はただに会いに来ただけなんだから」

「・・・私に?」

予想外の言葉に、思わず目を丸くする。

私に会いに来たと言ったのか?

ただそれだけの為に、ここに来たと?

以前の・・・ただの神の使いっぱしりだと公言していた時とは違うのだ。―――今は宿敵である朱点童子となった黄川人が、わざわざそれだけの為にここへ?

「一体、私に何用だ?」

「んー・・・、に選ばせてあげようと思って」

選ばせる?何を?

無言で問い掛けると、黄川人は不敵な笑みを浮かべた。

「選ばせてあげる。僕と家と、どちらかを」

「・・・・・・」

黄川人から告げられた言葉に、絶句した。

頭の中が真っ白になる。―――何も言えずに呆然とする私を見て、黄川人は更に笑み深めた。

「さぁ、どっちを選ぶ?」

試すように呟いて、黄川人が私に手を伸ばした。

以前ならば決して触れる事のなかったその手は、優しく私の頬を撫でる。

くすぐったいその感触に、私は微かに目を細めた。

望んでいた事。

いつか身体を取り戻した黄川人に、触れて欲しいと思っていた。

そして・・・私もゆっくりと手を伸ばす。

空を切る筈のそれは、確かに黄川人の頬の温かさを感じた。

ずっと望んでいたのに。

なのにどうして、こんなにも心が痛いのだろうか。

私が望んでいたのは、こんな結末じゃなかった。

「残念だが、私にはお前を選ぶ事など出来ない」

ピクリと、私の頬に当たる黄川人の手が揺れた。

それに構わず、私は言葉を続ける。

「私は、先ほどこの家の当主となった。お前とは決して相容れない立場の人間になったのだ」

「・・・君、本気で当主になろうって言うの?」

返って来た冷たい声色に、何も言わずに視線を返す。

「本気で?僕と戦えるって言うの?」

「戦うさ」

向けられる射るような視線に、目を逸らす事無くそれを受け止める。

戦えるのか?・・・など愚問だ。

戦わなくてはならないのだ。―――当主となったからには。

そして私はそれを受け入れた。

「私には、鬼となる度胸などないよ」

出来るだけ軽い口調でそう告げて、黄川人の頬に沿えていた手を引く。

未だ手の平に残る温かな体温を逃がさぬように、そっと握り締めて。

「お別れだ、黄川人」

感情を押し隠して、ただ一言。

驚きに目を見開いた黄川人を見て、私はやんわりと微笑んだ。

「神の使いっぱしりの黄川人がいなくなったように、お前と共に過ごしていたもまた、もういない。ここにいるのは朱点童子である黄川人と、家当主であるだ。敵対し、戦うべき相手。―――それで十分だろう?」

せめて黄川人にとってのの最後が笑顔であるようにと、懸命に微笑む。

問い掛けるように言うと、黄川人は綺麗な顔を微かに歪ませた。

「ああ、そうだね。それだけで十分だ!」

頬に当てられていた黄川人の手が、ゆっくりと離れていく。

それを寂しく思いながらも、湧き上がる感情を押さえつける。

「じゃあね、。次に会う時は容赦しないよ?」

「それはこちらのセリフだ」

朱点として告げられた言葉に、私は当主としての言葉を返す。

空気に溶けるように姿を消した黄川人の・・・おそらくはこうして2人だけで会う最後の姿を見送って・・・―――私はソッと目を閉じた。

鬼となる度胸はないと言ったけれど。

鬼となっても、黄川人といられるのならそれだけで良かった。

だけどそう思う傍ら、私は確信する。―――当主にならずとも、きっと私はその道を選びはしなかっただろう。

鬼となった私は、きっと私であって私ではないのだから。

閉じた目から、熱い雫が頬を伝う。

初めて会った時は、こんな感情を抱くなんて思いもしなかったというのに。

いつからだろうか?―――これほどまでに、胸が痛むようになったのは。

「・・・黄川人」

いつからだろうか?―――誰かの名前が、こんなにも愛しく思えるようになったのは。

瞼の裏に焼きついた、歪んだ黄川人の顔。

ともすれば、泣き出しそうなその表情。

目を開けて、涙で歪む月を見た。

もうそこにはない、黄川人の姿。

気付いていた。―――わざわざ彼が、私の元に来た理由を。

彼もまた、私と戦う事に躊躇いがあったのだという事。

自惚れかもしれない。

けれど、黄川人にそんな行動を取らせるほどには、私は彼の心の中にいた。

そして彼の表情を悲しみに歪ませるほど、悲しい言葉を吐いた。

「私とお前、一体どちらが残酷なのだろうな」

選べないと解っていて、選択を迫った黄川人と。

そして彼の想像どおりの答えを出した私と。

一体どちらが、より残酷なのだろう。

「なぁ、黄川人?」

もうそこにはいない人物に問い掛ける。

返事は返って来ることはなく、ただ物悲しく私の中に響いて消えた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

今回はちょっと切ない系?

私が書くヒロインにしては珍しいタイプだと改めて思いました。

いや、性格とかは似たり寄ったりなんですけど。(オイ)

恋心を自覚して、それに思い悩んで涙する・・・みたいなヒロインは珍しいかなと。(笑)

作成日 2004.7.19

更新日 2009.2.4

 

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