この世に生まれ出でて、最初に抱いた疑問。

『果たして、私の存在する意味は?』

その答えを、とうとう出す時が来た。

私はそれを、見つけられただろうか?

 

残された時間

 

「当主様。お加減はいかがですか?」

「ああ、悪くないよ」

食事を盆に乗せ、イツ花が私の部屋に顔を出す。

が逝って数ヶ月。―――予想していたよりも少し早く、私にもその時が来たようだ。

近頃身体の調子が悪い。

どんどんと体力がなくなっていくのを感じていた。

「さぁ、当主様!しっかりご飯食べて、早く元気になってくださいね!!」

差し出された食事を、苦笑と共に受け取る。

イツ花に解っていない筈がない。―――役目とはいえ、多く一族の人間が逝くのを見取ってきたのだろうから。

それでもこうして笑顔を見せるイツ花に、反論する気など起きなかった。

言われるがままに食事を口に運びながら、てきぱきと動くイツ花の姿を目で追う。

「なぁ、イツ花」

「なんですか?」

にっこり笑顔と共に返された返事。

「・・・お前はいつも笑っているな」

唐突に言われた言葉に、イツ花は少しだけ首を傾げた。

「それはいけないことですか?」

「いや、全然」

少しばかり不本意だと表情に出して、イツ花は私にそう問い掛ける。

いけないわけではないよ。

寧ろ、とても羨ましく思う。

「ただ、その笑顔の向こうに何があるのか気になっただけだ」

思ったままを口にして、私は再び食事を再開する。

イツ花は無言のまま動きを止めて、ジッと私を凝視していた。

忙しい毎日を過ごす中、ふと疑問に思ったことがある。

私がこの家に来た時には、既にこの屋敷にいたイツ花。

神によって遣わされたのだと、彼女は言った。

「お前は何者なのだろうな」

ポツリと零れた疑問。

交神のリストに、イツ花の名はない。―――見る限りは、その姿も。

所々空白になっている個所もあるから、もしかしたらそのどれかに属しているのかもしれないとは思ったけれど。

神が一人間の世話をする為だけに下界に下りるなど、考えられない。

少なくとも、私が今まで見てきた神たちはそういうタイプではなかったように思う。

ならば、我が一族の世話係として遣わされたイツ花は、天界では一体どのような位置付けをされているのだろう?

「当主様?」

「なに、ただの独り言だ」

訝しげに眉を寄せるイツ花に、私は軽く笑いかけた。

今更この疑問を解決しようなどとは思わない。―――それほど簡単な問題ではない気がした。

そう思っていたというのに、今更それをイツ花に告げるとは・・・私も案外諦めが悪いのかもしれない。

「イツ花」

「・・・なんでしょう?」

「そこの棚に、手紙が入ってある。そこに・・・次代の当主に任命しようと思っている人物の名を書いておいた」

「当主様」

「念のため、保険だよ」

咎めを含んだイツ花の視線に、笑みが零れた。

死を軽んじているわけではない。

けれどそれが確実に私の身体を蝕んでいるのも事実だ。―――私の長いとは言えない人生は、もうすぐそこに終わりが見え始めている。

抗う事無く穏やかに死を受け入れたいと思うのは、私の我が侭だろうか。

「しばらく1人になりたい。この部屋に誰も近づけさせないでくれ」

「・・・でも、お体が」

「その為の、保険だ」

何時私が果てても困らないように、その為に用意した保険なのだから。

「当主様は・・・この家を継がれたこと、後悔なされてるんですか?」

向けられた真剣な眼差しと、唐突な質問に私はただやんわりと微笑む。

「後悔などしていないよ。ただ・・・」

「ただ?」

「少し、淋しいと思うだけだ」

簡潔に返した言葉に、イツ花が小さく首を傾げる。

ただ少し淋しいと思っただけだ。―――彼の笑顔を、失ってしまった事が。

「1人にしてくれないか、イツ花?」

そう促せば渋々といった風ではあるけれど、イツ花は空になった食器を乗せた盆を持って立ち上がり襖を開ける。

その後ろ姿に向かい、私は声をかけた。

「イツ花、今までありがとう」

突然の感謝の言葉に、イツ花は驚いたように振り返る。―――そして言葉の意味を察して、途端に泣きそうな表情を浮かべた。

お前が何者なのか、私には解らないけれど。

お前が一体何の為にここにいるのか、想像もつかないけれど。

感謝している。―――今まで我等の面倒を見てくれた事、そしてこれからもそれをしてくれるだろう事を。

そして・・・今浮かんだ泣きそうな顔が、作り物ではないと思えるから。

「ありがとう、イツ花。そして・・・すまない」

ありったけの感謝と、謝罪を。

自分勝手な私を、お前は赦してくれるだろうか?

「私も・・・当主様と出会えて嬉しかったです。当主様のこと、決して忘れません」

「忘れろ。幾つもの悲しみを背負う事はない。忘れて・・・日々を楽しく過ごせ」

泣き笑いを浮かべるイツ花に、私は出来る限りの笑顔を浮かべた。

 

 

布団で横になりぼんやりと天井を眺めていた私の耳に、微かな物音が届いた。

馴染んだ気配が、襖の向こうにある。

それはかつて、いつも私の傍らにあった気配。―――それに少しだけ笑みを浮かべて、私は重い身体を起してゆっくりと襖を開けた。

襖の向こうにある縁側から、それなりに手入れされた庭が見渡せる。

空には丸い月が浮かんでいた。―――なんておあつらえ向きな光景だろうか。

「こうして会うのは久しぶりだな、黄川人」

宙に浮かび無言で私を見下ろす少年に、私はやんわりと微笑みかけた。

返事は返ってこない。

ただ無表情で私を見下ろす黄川人を見上げて、私は縁側へと歩み出る。

1つ深く息を吐き出して、柱に背を預けるようにして座り込んだ。―――こんな僅かな動作にも、今の身体には辛い。

「折角だ。少し話をしないか?」

「・・・・・・」

「暇潰しには丁度良いだろう?」

そう声をかければ、黄川人はやはり無言のまま・・・けれど素直に私の前へと降り立つ。

久しぶりに見る、黄川人の顔。

それは今までと変わりない。―――彼が朱点だと知る前も、彼が朱点だと知った後も。

「またこんな風に会えるとは思っていなかったよ。こんな風に会ったのはあの時ぶりだな」

黄川人が朱点だと発覚した後。

私が当主に任命された直後。

決して選ぶ事の出来ない選択肢を持って現れて以来の再会だ。

「変わらず元気そうだな」

「・・・・・・」

何を言っても、一向に返事は返ってこない。

黄川人の声が聞きたいと、そう思っているのだけれど。

「・・・なんで」

そう思った矢先、黄川人がポツリと言葉を漏らした。

俯いていて表情は見えないが、その声が微かに震えているのに気付く。

「・・・どうした?」

「何でそんな普通に話し掛ける訳?僕が憎くないの!?」

パッと顔を上げて私を睨みつける。―――だがな・・・悪いが全然怖くないよ、黄川人。

そんな泣きそうな顔をしていれば、睨みつけても効果半減だ。

「その口ぶりだと、お前は私に憎んで欲しいみたいだな」

冗談めかして言うと、強い口調であっさりと返される。

「憎めよ」

「・・・・・・」

「簡単だろ?なんたって僕は君たちに呪いをかけた憎むべき敵なんだから!!」

声を荒げる黄川人を座ったまま見上げて、肩で息をしながら私を見下ろす黄川人を見て苦笑した。

「それが出来れば、こんなに苦労はしないさ」

それが出来れば、こんなに悩む事もない。

「残念だが・・・私にそれを望んでも叶えてやれる自信はない。どうせもうすぐいなくなる人間相手なのだから、少しくらい大目に見ろ」

言えば更に黄川人の表情が歪んだ。

こんな顔を見たいのではないのだけれど。

かつて惜しみなく晒してくれたあの笑顔を見る事は、もう叶わないのだろうか?

鉛のように重くなった腕を何とか持ち上げて、黄川人へと伸ばした。

手を伸ばせば触れられる距離で。

けれど決して触れられない、心の距離。

私とお前の間には、いつの間にこれだけの距離が出来てしまったのだろうな。

そしてこれだけの距離を作ってしまったのは、他でもない私自身なのだろう。

「すまないな、黄川人」

不意に口をついて出た言葉。

最近は謝ってばかりのような気がする。

「・・・なんでが謝るのさ」

「私が勝手だからだよ」

受け入れられないのなら、突き放してやれば良いのに。

そうすれば黄川人は、何の躊躇いもなく私を憎めたのに。

けれど手放したくなくて・・・―――僅かだとはいえ、寄せられた感情を失いたくなくて。

曖昧な態度で、黄川人を縛り付けた。

黄川人に泣き出しそうな顔をさせておきながら、それでもそんな表情を浮かべてくれる事を嬉しいと思うなんて。

なんて自分勝手で、なんて残酷なのだろう。

「黄川人、愛しているよ」

一度も面と向かって伝えられなかった言葉。

「誰よりも・・・お前を愛している」

こんな時になって伝える私は、やはりとても残酷だ。

「・・・馬鹿みたい」

返ってきた言葉に笑みを浮かべる。

「・・・そうだな」

本当に、私は馬鹿だ。

だから一蹴してくれて構わない。

私からは決して手放せないから、お前から捨ててくれ。

黄川人の気の済むように、拒絶してくれて構わないから。

「すまない、黄川人」

そう謝罪の言葉を告げた途端、強引に腕を引かれて私は何かに包まれた。

冷えた身体に温かい体温を感じる。―――抱きしめられている事に気付いたのは、すぐ近くに黄川人の着物があることを確認した後だった。

震える手で、その着物を掴む。

ずっと望んでいた場所。

見た目からは想像がつかないほどしっかりとした腕に抱かれて、私は心から安堵の息を吐いた。

こんなにも心穏やかになれる場所が、私にも在ったのだ。

不意に涙が零れる。―――歳を取ると、涙脆くなっていけない。

「お前に会えて、良かった」

私の人生は、人から見れば波乱に満ちた生涯だったのかもしれない。

呪いを受けた一族に生まれ。

鬼と戦い、朱点に戦いを挑み。

そして本物の朱点と合間見えた。

その事に悩み、苦悩して。

今、その命は果てようとしている。

なかなか退屈しない人生だったと、思わず苦笑した。

なぁ、黄川人。

『生まれた理由』について、私が悩んでいたのを覚えているか?

『存在する理由』について、悩んでいたのを覚えているか?

私は今漸く、その理由を悟った気がするんだよ。

私はお前と会う為に、この世に生まれてきたのだと。

勝手にそんな事を、思った。

私とお前の道は、決して交わる事はなかったけれど。

そう思うことを、赦して欲しいと願う。

お前は『迷惑極まりない』と、そう笑うだろうか?

 

 

「・・・?」

僕の腕の中で動かなくなったに声をかける。

「ねぇ・・・」

小さく揺さぶってみても、返事は返っては来ない。

腕の隙間から見えたの目は堅く閉じられていて、その表情は穏やかに微笑んでいた。

「・・・ズルイよ、

もう動く事のないの身体を抱きしめて、呆然と呟いた。

ズルイよ・・・だって僕、まだ何も言ってない。

まだ何も伝えてないのに。

僕の事愛してるって言うなら・・・なんで側にいてくれなかったのさ。

誰よりも愛してるなら、どうして僕を選んでくれなかったの?

君に出逢って、僕は本当の孤独を知った。

こんなに1人が淋しいなんて、思ったことなかった。

こんなに誰かに側にいて欲しいなんて・・・思ったことなかったのに。

一緒にいてくれないなら、いっそのこと憎まれたかった。

憎まれれば、僕だって憎み返せたのに。

信じてって言った言葉を・・・―――信じるって君が簡単に口にした言葉を、君自身が裏切ってくれたら、諦めるのも簡単だったのに。

どうして君は僕を憎まないの?

憎まれる事は当然で・・・だって今まで憎しみ以外の感情を向けられた事なんてなかったから。

なのにどうしては僕を憎まないの?

ねぇ、答えてよ・・・

力の抜けたの身体を、力いっぱい抱きしめる。

それにはもう、何の反応も返ってこない。

僕の着物を掴むことも、苦笑が返って来ることも・・・―――もうない。

今感じる微かな温もりも、きっとすぐに消えてなくなるんだろう。

「・・・僕も」

自分の声が予想以上に震えていて、なんだか妙に可笑しかった。

頬に温かい雫が伝う。―――泣いたのなんて、どれくらいぶりだろう。

「僕も・・・の事、好きだよ」

届かない告白を、ただ口にした。

の事、アイシテル」

初めて使った言葉。

きっと最初で最後だ。

ゆっくりとの身体を離して、そのまま柱に寄りかからせた。

部屋に帰してあげようかとも思ったけど、は外が好きだったから・・・だからきっと此処の方が喜ぶだろうと思って。

穏やかに微笑むを眺めて、僕はその場を去った。

もう何も躊躇うことなんてない。

がいなくなった今、躊躇いなんてあろう筈もない。

押さえ込まれてた憎しみが、再び湧き出てくるのを感じた。

悪いけど・・・家を選んで護って来たには悪いけど、容赦なんてしない。

もう僕には、この世に未練なんて少しも存在しないんだから。

夜空に浮かぶ、丸い月に向かって微笑む。

優しい月の光が、どこかと重なって見えた。

「愛してるよ、

もう一度、ポツリと呟く。

『知ってるさ』

夜の静寂に響いた僕の声に、返事が返ってきたような気がした。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

ヒロイン、お亡くなりになってしまいました。

こういう展開になる事は、このゲームをする以上は避けられない事ではありますが、やっぱり感情移入した分だけ悲しかったりもします。

帰って来てくれ〜!!とか思ったりします。

次で最後になります。よろしければお付き合いください。

作成日 2004.7.28

更新日 2009.4.29

 

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