自分の部屋で黒鬼会の陰謀について考えを巡らせていた俺の元に、騒々しい足音が届いた。

「・・・なんだ?」

それは段々とこちらに近づいている気がする。

手元の資料から顔を上げて廊下へと視線を向けた瞬間、激しく扉がノックされた。

ノックというよりもぶち破るといった方がしっくりくるようなそれ。―――まさか黒鬼会が動いたのかと思ったけれど、出動の警報はなっていないので違うのだろう。

訝しく思いながらも扉を開けると、そこには息を切らしたさくらくんとアイリス。

「・・・どうしたんだい?」

何でもない事のようにいつも通り笑顔で声を掛けると、2人は声を大きく揃えて言った。

「「大神さん(お兄ちゃん)にお客様!!」

「・・・お客?」

誰だろうと思う反面、ただそれだけでどうしてこんなにも慌てているのだろうかと不思議に思う。―――すると2人は慌てた様子のまま言葉を続けた。

さんとおっしゃる方が!」

「お兄ちゃん、あの人とどういう関係!?」

「・・・は!?」

浴びせ掛けられる質問に答える余裕はなかった。

頭の中が真っ白になって、もう何がなんだか解らない。

もしかしてこれは夢なんじゃないかと・・・そんな事をぼんやりと思った。

 

ライバ

 

ともかくもさくらくんとアイリスに引っ張られるように玄関に行くと、そこには1人の女性の姿が。

懐かしい・・・だけどとても見慣れたその姿を、まさか帝劇で見る事になるとは思ってもいなかった。

!?」

驚きのあまり大声で彼女の名前を呼ぶと、当の本人は驚いた様子もなく至極当然とばかりに優雅に振り返る。

よくよく思えば、俺は彼女の慌てた姿を見たことがない。

「久しぶり、一郎」

にっこりと・・・まるで近所で顔を合わせた時のような口調では挨拶をする。

いや、ちょっと待ってくれ。

明らかにこの光景は可笑しいだろう?―――なんでお前がここにいるんだよ。

そう言いたかったけれど、あまりに突然の事すぎて言葉が出てこない。

パクパクと口を開け閉めする俺を見て、は小さく声を立てて笑った。

「変な顔」

誰のせいだと思ってるんだ。

咄嗟に言い返そうと思ったけれど、やっぱり声が出てこない。

だけど今の言葉で、ほんの少し心が落ち着いた気がした。

何度か深呼吸をして、笑顔を浮かべるを見据えて口を開く。

「お前、何でここにいるんだ?」

「一郎に会いに来たからよ」

あっさりと返される言葉。

俺が聞きたいのはそういうことじゃなくて。

やっぱり色々聞きたいことはあったけど、いつまでも玄関先で話しているのもどうかと思って、俺はを食堂に促した。

いつの間にかさくらくんとアイリスの姿はない。

こんな時は絶対に首を突っ込んでくると思ってたのに、一体何処に行ったんだろうかと思ったが、2人も俺たちを見て席を外してくれたのかもしれないと思い直した。

「来るなら来るで、連絡くらいしてくれれば良かったのに・・・」

それなら迎えに行くなり、何処かの喫茶店に連れて行くなりしたのに。

会いに来てくれたことは凄く嬉しかったけど、帝劇はいろんな意味で見せられないものがたくさんあるから。

そんな事を思いながらそう言うと、は更に笑顔を濃くして口を開く。

「驚くかと思って」

確かに驚いたけどね。

寧ろ夢か幻かと思ったけど、幸か不幸かこれは現実らしい。

だけどまぁ・・・。

「会えて嬉しいよ、

「ありがとう。私も、一郎に会えて凄く嬉しいわ」

これは俺にとって、幸だと思った。

 

 

とりあえず場所を食堂に移して、注文した珈琲が来た後さっそく本題に入る事にした。

「なにかしら?」

「何でいきなり俺に会いに来たんだ?」

俺を見るを正面から見据える。―――何よりもそれが一番気になっていた。

わざわざ栃木から東京まで来たということは、何か用事があったんだろう。

と東京は俺の考えでは結びつかないから、俺に用事があったんだと推測される。

だけどがわざわざ会いに来るほどの用事というモノが、どうしても俺には思い当たらなかった。―――何かがあるなら、手紙でも何でも良かった筈だ。

「迷惑だった?」

「迷惑とか、そういうのじゃなくて・・・。何かあったんじゃないかと思ったんだよ」

「別に・・・何もないわよ」

そう言って笑顔を浮かべるに、違和感を感じる。

この笑顔を俺は知っている。―――がこの笑顔を浮かべる時は、何かを我慢したり隠したりしている時だ。

もしかして・・・と、彼女が俺に会いに来る唯一の、思い当たる事情が頭の中を過ぎる。

「・・・師範と折り合いが悪いのか?」

にとってはあまり出されたくないだろう話題だとは思ったけど、思い切って話を切り出してみた。

彼女は大抵の事には動じない。

大抵のことは自分で処理できるし、人を頼る事もない。

だけど唯一が弱気になる問題が、家族関係だった。

他人の俺が言うのもなんだけど、は常に辛い立場に立たされている。

あまりの酷い扱いに、俺は一度師範・・・つまりの祖父に抗議した事があった。

まぁ、結果はあっさりと返り討ちにされたけど。

だけどその一件があって以来、は俺には心を許してくれる。

それ以来、時々ではあるけど相談を受けるようになった。―――は精神が限界に達するまでは自分の中にすべて押し留めていたから、相談される事は滅多になかったけど。

だからこそ、俺は心配だった。

海軍士官学校に入る事が決まって家を離れる時、唯一の気がかりはだった。

今ごろどうしてるのかと思ってたけど・・・わざわざ会いに来るってことは、の精神が限界を突破したんじゃないかとそう思ったんだ。

だけどは俺の言葉を聞いて、やっぱり驚いた素振りすら見せずにやんわりと微笑む。

そうしてキッパリと一言。

「違うわ」

穏やかささえ感じられるほどの声。

さっき感じた違和感が、違う形になって襲ってくるような気がした。

から放たれる雰囲気が・・・笑顔が、昔とどこか違って見える。

まだ俺が栃木にいた頃のは、何処か人を寄せ付けない冷たい雰囲気と、見るからに解るほどの拒絶の空気があった。

振る舞いとは裏腹に心の中はいつもどこか余裕がなくて、いつも何かに追い立てられているようで・・・―――よくよく考えれば突然俺に会いに来た事だって、以前のなら考えられない。

「驚くかと思って」なんて、そんな悪戯できるほどは心にゆとりがなかった筈だ。

確かに俺が栃木を出てから何年も経っているんだし、時間が経てば人は成長する。

だけど俺が知る限り、あの環境でがこんな風に変わるなんて想像もつかない。

誰かがを変えたんだろうか?―――だとしたら、それは一体どんな奴なんだろう?

ずっと一緒にいて、を一番理解していると思っていた俺ですら、本当の意味での心を助けてやれなかったっていうのに・・・。

こんなにも穏やかな笑顔を浮かべる事ができるようになったに安心しながらも、少しだけ複雑な思いを抱く。

ぼんやりとの顔を見ながらそんな事を考えていると、不意にが小さく笑った。

「本当にね、何もないのよ。別にお爺様と何かあったわけじゃないし・・・」

「・・・それなら良いけど」

なら一体何があって俺に会いに来たんだろうかと、更に疑問は募る。

本当に「ただ会いたかったから」だけなんだろうか?

いやいや、あのに限ってそれはまさか・・・。

「ああ、でも・・・」

クスクスと笑っていたが、ふと真顔になって俺を見る。

今度こそ本題に入るのかと微かに身を乗り出した俺に、は何かを含むような笑みを浮かべて言った。

「しばらくは栃木に帰って来ない方が良いかもね」

「は!?」

「そうね・・・、誰か一生を添い遂げる相手を見つけるまでは」

言われてる意味が解らない。

一生を添い遂げる相手を見つけるまで?―――なんでだ?

困惑する俺を知ってか知らずか・・・いや、確実に気付いてるんだろうけど。―――はそれはもう綺麗な笑顔を浮かべる。

こういう笑顔を浮かべる時が、実は一番危ない事を俺は知っていた。

「・・・なんでだ?」

凄く聞きたくなかったけど・・・だけど聞かなかったら聞かなかったで凄く気になるから、俺は仕方なく聞き返す。

何より、理由を聞かなきゃ俺は里帰りも怖くて出来ない。

恐る恐る尋ねる俺に、はにっこりと微笑んだ。

「だって帰って来たら、一郎は私の婚約者にされちゃうもの」

「・・・はぁ!?」

婚約者?

誰が?・・・俺が、の!?

「それはどういう・・・」

「お爺様、一郎のこと凄く気に入ってるみたいなのよね。家の道場では一番の腕だったし。結局一郎は士官学校に入る為に栃木を離れたからとりあえずは諦めたみたいだけど・・・。きっと今帰ったら無理やりにでも結婚させられちゃうんじゃないかしら?―――お爺様の強引さは貴方も知ってるでしょう?」

いや・・・うん、まぁ・・・・・・知ってるといえば身に染みて知ってるけど。

だけどいきなり結婚は強引過ぎじゃないか?

そう思ったけど、師範を思い出しての話が真実なのだろうという事は理解できた。

あの人なら、絶対にやるだろう。

そこまで気に入られてるとは思ってなかったけど・・・寧ろ嫌われてる方なんだと思ってたんだけど・・・。

「感想は?」

「とんでもない話だな」

「そうよね。だから当分は栃木には帰らないでね」

「ああ・・・って・・・」

簡単に返事を返してから、その意味深な言葉の意味に疑問を抱く。

その言葉から推測するに・・・は俺とは結婚したくないって事だよな?

いや、俺だっての事は手のかかる妹みたいっていうか・・・時々俺の方が弟扱いされてたけど。(俺の方が年上なのに!)

だからと結婚っていっても実感湧かないし、やっぱり『それはちょっと・・・』って感じの方が強い。

けど俺が栃木に帰らなかったとしても、にはすぐに別の婚約者が宛がわれるんだろう。

一番の候補としては、隣町の剣術道場の息子辺りか・・・―――昔からそういう話が出てたし、多分間違いない。

がそいつと結婚したがってるとは思えなかったし、それならまだ俺相手の方がのらりくらりと話を交わせてにとっても都合が良いんじゃあ・・・。

それともまさか・・・誰か結婚したい相手でも出来たんだろうか?

「俺が帰らなかったら、お前は結婚を強要されないのか?」

「そんなわけないじゃない。一郎が帰って来たらそうなるってだけの話で、今は別件で結納の話まで勝手に進められてるよ」

やっぱり・・・。

「それって例の剣術道場の・・・」

「そう、どら息子」

「お前・・・あいつと結婚するのか?」

「まさか」

サラリと否定されて、俺は思わず身体を支えていた腕を滑らせた。

恨めしげな視線を向けるけど、相変わらずは余裕の態度で珈琲を飲んでいる。

だけどいくらお前が結婚を拒否したって、聞き入れてもらえないんじゃないのか?

そう思って、ふと思い当たった。

もしかして・・・が俺に会いに来た本当の理由は、これなんじゃないんだろうか。

口では帰って来るなとか言ってるけど、本当は助けて欲しくて俺に会いに来たんじゃ。

チラリと様子を窺うけど、表情は読めない。

もし本当はそうだとして・・・だけど俺は今、帝都を離れるわけにはいかない。

黒鬼会が暗躍している今、帝劇を離れるわけにはいかないんだ。

だけどこうして助けを求めてきたを、見捨てるなんて事も俺には・・・。

「余計なことは考えないでよ?」

悶々と考えを巡らせていた俺の耳に、少しだけ声のトーンを落としたの言葉が聞こえた。―――顔を上げると、そこには真剣な表情を浮かべたの顔。

「・・・?」

「今、一郎がしなくちゃいけないことは、他にあるんでしょう?私なんかに構っている余裕なんてないんじゃないの?」

言われて、改めてそれを認識する。

たまにはすべて解ってるんじゃないかと思う時がある。

今回だってそうだ。―――帝撃のことなんては知らない筈なのに・・・まるで見透かしたようなその言動。

「・・・そうだな」

の言葉を脳裏で反芻して頷くと、はにっこりと笑顔を浮かべた。

「変な話しちゃってごめんね。本当に大丈夫だから・・・。私が今日ここに来た本当の理由は・・・」

困ったように笑いながら漸く本題を切り出したは、しかし口を濁して再びクスクスと笑い出した。

一体なんなんだと思った直後、背後に不穏な気配を感じる。

嫌な予感がしてゆっくりと振り返ると、そこには一様に笑顔を浮かべた花組メンバーが。

「大神さん。そちらの方、私たちにも紹介していただけませんか?」

向けられてるのはにこやかな笑顔なのに・・・どうしてこんなにも薄ら寒い空気が?

「えっと・・・」

漂う不穏な空気に何も言えずにいると、すかさずが立ち上がって花組のみんなの方へと歩み出た。

「初めまして、と申します。一郎がいつもお世話になっているようで・・・」

ちょっとその挨拶の仕方はどうなんだ?

まるでお前が俺の親みたいじゃないか。

「初めまして。うち、李紅蘭や。よろしゅうな」

「あたいは桐島カンナだ。よろしく!」

「よろしくお願いします。紅蘭さん、カンナさん」

「なんや、『さん』付けなんてくすぐったいわ。そのまま呼び捨てにしてくれてかまへんで」

「そうだぜ。それに、んな敬語も必要ねぇって!もっと気楽に行こうぜ!」

花組の中でも一番人当たりの良い紅蘭とカンナがに親しげに声を掛ける。―――が、やっぱり漂う空気は何処となく重い。

一体原因はなんなんだと思いながらも、とりあえずお互いの自己紹介が終わった後、サロンでお茶でも飲みながらゆっくりと話そうということになり、俺たちは移動を開始する。

その道中で、さり気なく隣に来たが花組のみんなには聞こえないように小声で俺に耳打ちをした。

「ごめんね、一郎」

「・・・何がだ?」

突然掛けられた謝罪の言葉に、意味が解らず首を捻る。

するとは心底楽しそうに微笑むと、チラリと花組のみんなを見て言った。

「実は・・・さっきの話、聞かれてたみたいなんだよね」

さっきの話?

さっきの話ってまさか・・・あの婚約者うんぬんの?

「なんか誤解されちゃったみたい。本当にごめんね、一郎」

そう言って浮かべた笑みを見て、確信犯だと確信する。

お前は一体何がしたいんだとそう聞き返したかったけど、俺たちの会話に聞き耳を立てているみんなの様子に気付いて、俺は我慢して口を閉ざした。

何でこんな事になったんだと、溜息を零す。

結局のここに来た目的というものを、ドサクサに紛れてまだ聞いていない事を俺はすっかり忘れていた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

今回は大神視点で。

あんまり花組と接触がないですけど・・・辛うじてサクラとアイリスと紅蘭とカンナを出せたかな、とか(本当に辛うじて)

そして一切加山が出てきません。(笑)

作成日 2004.8.18

更新日 2008.5.11

 

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