「明けまして、おめでとうございま〜す!」

新年早々、月組本部にはの元気のいい声が響き渡る。

1926年、1月1日。

黒鬼会との戦いも終わり、その事後処理もあらかた終えて。

月組もまた、新しい年を迎えた。

 

び寄る足音

 

さんは本当に行かないんですか?」

「ええ、私はいいわ。―――思う存分楽しんできてね、

申し訳なさそうな顔をするを笑顔で送り出して、私は随分と人の減ってしまった休憩室からぼんやりと街中を眺める。

お正月という事もあって、通りにはたくさんの人で溢れかえっている。―――きっとみんな、お参りに行くのだろう。

例年通り、私たちは本部待機組の面々と一緒にお正月を迎えた。

御節も、例年通り私が作った。

これもまた、もういつの間にか当たり前になっている。

1人で大人数のおせち料理を作るのは思っている以上に大変な事だったけれど、それはそれで幸せな気がした。―――また新しい1年を、みんなと迎える事が出来たんだから。

そうしてお酒も飲んで盛り上がっていたたちが、おまいりに行こうと言い出したのは、宴会が始まって数時間が経った頃だった。

行こう行こうと盛り上がる面々に、けれど一応の危機は去ったとはいえ、本部をもぬけの殻になんて出来るはずもない。

だから私は留守番することにして、たちを送り出したのだ。

一昨年は、私は加山さんと初詣に行かせてもらっていたから。

そのお礼というわけではないけれど、今度はたちが羽を伸ばす番だ。

みんなお酒には強いから、出掛けても大丈夫だろう。

片付けた酒瓶を見てちょっと不安になったりもしたけれど、流石にその辺は彼女たちもしっかりしているはずだ。

そうしてたちを送り出し、散らかった休憩室を片付けてから、私は休憩がてらにこうして窓から外の景色を眺めている。

「・・・平和ね」

こうして窓から見る世界は本当に平和で、ついこの間まで黒鬼会が暗躍していたとは思えないほど。

今はこうして平和を取り戻したけれど、この平和がいつまで続くのかなんて誰にも解らない。

黒之巣会が滅びてからわずか1年足らずで、帝都は再び危機に見舞われたのだ。―――今後、同じような事がないなんて言えない。

そこまで考えて、私は嫌な考えを振り払うように首を振った。

縁起でもない事を。

そんな事を考えていたって仕方がない事は解っているのに。

そうならない為にも、私たち月組がしっかりと帝都に目を配っているのだから。

「何考えてるんだ?」

不意に声を掛けられて、考え事に気をとられていた私は思わず弾かれたように顔を上げる。

「・・・加山さん?」

「どうしたんだ、びっくりした顔して」

驚いた私を他所に、加山さんは平然とした様子で私の傍らに立っていた。

どうしたんだって、それは私の方が聞きたいくらいだわ。

「加山さん、たちと一緒に初詣に行ったんじゃ・・・」

「ん?いや、行ってないが」

それは勿論、ここにいるって事はそうなんだろうけど。

だけど意外だわ。

あのたちが、加山さんを誘わないはずはない。

誘われれば、加山さんが行かないわけがないと思っていたのに・・・。

「隊員の大半が外出してるんだ。隊長の俺まで一緒になって出掛けられないだろ」

「ですから、私がここにいますから」

「それじゃ、お前がつまらんだろーが」

「私は、別に・・・」

私はこうして、ボーっとしているのは嫌いじゃなかったから。

片付けなければならない書類も、少なからずある。

別に今日中に片付けなければならない緊急性のあるものではなかったけれど。

そう言えば、加山さんは「正月くらいはゆっくりしろ」と呆れたように笑った。

そう言うと思ったから、だからこうしてボーっと街を眺めていたのだけれど。

「そういえば、こうやって2人でゆっくり話をするのはクリスマス以来だな」

「そうですね」

「いっつも誰かが一緒だったからな。まぁ、それはそれで楽しいんだが・・・」

柔らかく笑いながらも、どこか苦い様子で加山さんは遠くを見つめる。

楽しいのならば、どうしてそんな顔をするのだろう?

加山さんは、楽しい賑やかな場所が好きだと思っていたけれど・・・―――それでもたまには静かなところでゆっくりとしたい時もあるのだろうと結論付けて、私は口を閉ざして同じように窓の外を眺めた。

普段と同じようで、けれど普段とは違う街の雰囲気。

黒鬼会が暗躍していた頃は、こんなにも穏やかなお正月を迎える事が出来るなんて思ってもいなかったけれど。

そんな事をしみじみと考えていた私に、窓の外を見つめていた加山さんが不意に口を開いた。

「・・・は、実家に帰ったりはしないのか?」

「どうしたんですか、急に?」

突然といえば突然の問いかけに、私は思わず目を丸くして加山さんを見る。

けれど加山さんは今もまだ窓の外に視線を向けたまま、更に言葉を続けた。

「いや、実家は栃木の方だろう?そりゃ、そう簡単に帰ったり出来る距離じゃないだろうが・・・」

「帰るつもりはありません」

キッパリと言い放てば、加山さんは困ったように笑う。

「他にも里帰りしてる奴もいるんだ。今は黒鬼会の脅威も消えたんだし、たまには里帰りしても・・・」

「・・・帰りません」

多分、加山さんは気を遣って言ってくれているんだろう。

それは痛いほど解っていたけれど・・・―――それでも私は「帰る」とは言えなかった。

曖昧に誤魔化すこともしたくない。

相手が加山さんだから・・・―――加山さんを相手に、そんな事はしたくなかった。

そんな私の思いを読み取ったのか、はたまたこの場の重くなった空気に気付いたのか、加山さんは困ったように笑って。

「・・・悪かったな。なんか余計な事言っちまったか」

「・・・加山さん」

苦笑と共に向けられた気遣う言葉に、私の方こそ気遣いが足りなかったと反省する。

加山さんは、私の事を思って言ってくれているのに・・・。

故郷があれば、帰省したいと思うのは当然のことなのかもしれない。

加山さんの方こそ実家には戻らなくてもいいのかと思ったけれど・・・―――そういえば、加山さんの実家の事については、今まで聞いた事がなかったなと今更に思う。

それはきっと、自分が話したくないからだ。

加山さんに実家の事を尋ねて、同じように実家の事を尋ね返されたくなかったから。

「私は、実家にあまりいい思い出がないんです」

なんともいえない居心地の悪い空気が漂う中、私は窓の外に視線を向けたまま静かに口を開いた。

「以前、少しお話しましたよね」

加山さんがまだ着任して間もない頃、少しだけ私の実家の話をした事を思い出す。

私の祖父の事、両親の事。

彼らの想いと、私の想い。―――それは決して、重なる事はなかった。

「私は家出同然に飛び出してきましたから・・・―――だから、帰れません」

帰ればきっと、私はもう2度と帝都には戻って来れないような気がする。

一郎に会いに帝劇に行った時の言葉は嘘じゃない。

一郎が婚約者候補に上がっているというのも本当だ。―――それは勿論、私があやめさんに誘われて故郷を出る前までの話だったから、今もまだそれが祖父たちの頭にあるかは解らないけれど。

「だが、親御さんは心配してるんじゃないか?」

そんな私の言葉に、やっぱり加山さんは気遣うようにそう言った。

だけどやっぱり、私の思いは変わらない。

祖父たちが、私の心配をしているなんて・・・。

「・・・そうでしょうか?私には、祖父たちが私の心配をしているとはとても思えません。心配しているとすれば、それは道場の事に違いないでしょうから」

私は一人っ子だから、道場を存続させようと思うなら私は必要不可欠だろう。

それが私自身に・・・という事でならば、もしかすると私は今帝都にはいなかったのかもしれない。

だけどあの時、あやめさんから伸ばされた手を拒む事が出来なかったのは、私自身が望まれているのではないと解っていたから。

祖父たちは、本当の意味で私を必要とはしていない。

必要なのは、自分の血を継ぐ者。

それはなにも、私でなければならないわけではないのだ。―――ただ、私しかいなかっただけで・・・。

けれどそんな私の言葉に、加山さんは困ったように小さく息を吐いて。

「そんな事はないと思うがな」

加山さんの口から零れた否定の言葉に、私は思わず目を丸くした。

「・・・加山さん」

「たとえ解りにくかったとしても、ちゃんと愛情は注がれてるんじゃないか?だからお前は、みんなの事を気遣ってやれるんだ」

まっすぐに向けられる、加山さんの眼差し。

この人はいつだって、まっすぐに前を見つめている。

私とはなんて違うんだろう。―――どうしてこの人は、こんなにも強く在れるのだろうか。

「まぁ、無理に帰れとは言わないが・・・―――1度手紙くらいは出してあげたらどうだ?お前の事だから、手紙も送ってないんだろう?」

すべてを見透かすような加山さんの言葉に、私はどんな顔をして言いのか解らず俯く。

加山さんの言う通りだ。

両親が私をどう思っていたかなんて事は私には解らないけれど、確かに加山さんの言う通り、私は家を飛び出してから1度も実家に近況を知らせた事はない。

「・・・気持ちの整理がついたら」

「・・・ん?」

「気持ちの整理がついたら、手紙を書いてみようと思います」

今はまだ、とても無理だと思うけれど。

いつかもうちょっと、心に余裕が出来たら。

私も加山さんのように、何もかもを受けとめられるくらい強い心を持てたなら。

「ああ、それがいい」

私の決意を読み取ったのか・・・―――加山さんはその大きな手で、私の頭をゆっくりと撫でて。

そうして満足したように、彼は私の好きなあの安心する笑顔でにっこりと笑った。

 

 

「なんだかしんみりしちゃいましたね。お茶でも淹れましょうか」

さっきまでとは違う穏やかな空気が流れる中、ふと我に返った私は場の空気を変えるように慌ててそう言い立ち上がった。

いつもは話さない実家の話をしたのは、お正月という特別な雰囲気のせいだろうか。

それは解らなかったけれど、なんとなく気恥ずかしくなって慌ててお茶を淹れる為に立ち去ろうとすると、加山さんはそんな私に優しい声を掛けた。

「ああ、ありがとう。―――いや、いい。今日は俺が淹れる」

「加山さんがですか?でも・・・」

「たまにはいいだろう?いつも淹れてもらってるんだ。今日くらいはお前もゆっくり休め」

「・・・ありがとうございます」

加山さんの思わぬ言葉に思わず目を丸くして、そうしてなんだかくすぐったくなって、私は小さく笑みを零した。

それに何事かと振り返った加山さんを認めて、私は笑いを堪えながら口を開く。

「いえ、なんだか私、お母さんみたいだなと思って」

「お母さん?」

「だって加山さん、今日くらいは休めって。なんだかいつも家事をしているお母さんか奥さんへ言っているみたいだなと思って」

正直に思った事を言えば、目の前の加山さんは思いっきり目を見開いた後、勢いよく噴出した。

それに一体どうしたのかと首を傾げれば、どこか恨めしそうな面持ちの加山さんがじっと私を見つめて。

「・・・お前、それわざとじゃないよな」

「わざと、ですか?一体、何が・・・?」

「いや、解ってる。お前に他意がない事くらい解ってるさ。だけどちょっと意味深って言うか、この間のクリスマスからそんなのばっかりっていうか・・・」

「加山さん・・・?」

最後の方は声が小さすぎて何を言っているのかよく解らなかったけれど、どうやら先ほどの私の発言が何か拙かったらしい。

そう思い謝ろうかと思ったけれど、しかし加山さんは諦めたような表情をすぐに普段のそれへと変えて困ったように笑った。

「さしずめ、お前は月組の母だな」

「月組の母、ですか?」

「そうだ。たまにはゆっくりしろよ、お母さん」

思わぬ言葉に目を丸くする私を他所に、加山さんはからかうようにそう告げる。

なんだかからかわれただけのような気もするけれど・・・―――だけど加山さんの言葉は優しさが満ちていたから、私も思わず苦笑を浮かべる。

月組の母、なんて。

今の私は、月組に育ててもらったようなものなのに・・・。

けれどそう言ってもらえるほどに月組に浸透しているという事であれば、それは私にとっては本当に嬉しい事には違いない。

私にとっての帰る場所は、月組以外にはないとそう思うから。

しみじみとそう思っている間に、颯爽と休憩室を出て行った加山さんがお茶を持って戻ってきた。

そうして渡されたカップからは、柔らかい湯気がゆっくりと立ちのぼっている。

静かな空気。

穏やかな時間。

同じ休憩室内に他の隊員もいたけれど、大体の騒ぎの元であるたちが外出していることもあって、休憩室内は驚くほど静かだった。

「こんなにもゆっくりとした時間を過ごすのも、本当に久しぶりですね」

「そうだな」

いつもは本当に慌しい時間を過ごしていたから。

それが帝都の平和に繋がっているのかと思えば充実した時間ではあるけれど、たまにはこういう時間だって悪くない。

加山さんと2人、顔を合わせながらお茶を飲む。

きっとこんな時間があるから、私は頑張れるのだろう。

私はこの時、漸く手にいれた平和を満喫していた。

「・・・そういえば」

「ん、どうした?」

本当にふと思い浮かんだ考えは、思わず口に出てしまったらしい。

不思議そうな顔をする加山さんに、私は慌てて首を横に振った。

「いいえ、なにも」

「なんだよ、気になるだろ?」

興味津々という表情を隠す事無く向ける加山さんに、私は困ったように笑う。

確かに加山さんの言う通りだと思うけれど・・・。

それでもこの言葉を口に出すのは気が引けた。―――なんだかこの穏やかな時間を壊してしまいそうで。

言葉にしてしまえば、それは現実になってしまいそうな気がして。

けれどそれで加山さんが納得しないのも痛いほどわかっていた。

この人は、人が本当に聞かれたくない事は追求したりはしないのに。

こんな時だけは子供みたいに目を輝かせるから、私もいつも強く拒否できない。

それを解ってやっているなら、本当に性質が悪いと思う。―――それに抗えない私も、情けないのかもしれないけれど。

「・・・加山さんと一緒に初詣に行ったお正月。あの時は黒之巣会との戦いが終わって初めてのお正月だったなと思って」

「そういえばそうだな」

渋々口を開いた私に、加山さんは懐かしいとばかりに相槌を打ってから話の続きを視線で促す。

やっぱりこれだけでは納得してくれないらしい。

そんな加山さんの眼差しに負けて、私は躊躇いがちに言葉を続けた。

「あの時、ですよね。終わったと思っていた戦いが、終わってなかったのだと知ったのは」

「・・・・・・」

「・・・すみません。折角のお正月なのに、こんな不吉な事」

やっぱり、言うんじゃなかった。

例え冗談でも、口にしていい言葉じゃないのに・・・。

反省して謝罪した私に、けれど加山さんは先ほどとは違う真剣な表情を浮かべて。

「いや・・・。もしかして何か感じるのか?」

「え、いえ・・・そういうわけでは。ただ・・・」

「ただ・・・?」

「・・・なんとなく、すっきりしなくて」

真剣な面持ちの加山さんを相手に誤魔化す事も出来ず、私はずっと胸の中に残っていたもやもやとしたものを改めて思い出す。

「京極慶吾の自殺で幕を閉じた今回の戦い。―――戦いが終わった事自体は喜ばしい事ですが、けれど・・・」

やっぱり、どこか釈然としない。

私自身は直接京極慶吾を知らないけれど・・・―――幕引きがあまりにも綺麗過ぎて、逆にしっくり来ない。

陸軍将校を先導し、黒鬼会なんてものまで作り、京極慶吾は何がしたかったのだろう。

クーデターを起こす事が目的だったなら、黒鬼会なんて必要ない。

もしかすると、私たちは重大な何かを見落としているんじゃ・・・。

「本当にごめんなさい。もしかすると、これも職業病かもしれませんね」

そうは思ったけれど、何か確証があっての事じゃない。

深読みしすぎているだけなのかもしれない。

自分の目で確かめたわけではないけれど、京極慶吾の自殺はしっかりとした機関が調査した結果なのだろう。

そう結論を出して困ったように笑えば、加山さんも苦笑を浮かべる。

「損な性格だな」

「本当に」

そうして、私と加山さんは顔を見合わせて笑った。

別に何かが起こる兆候があったわけでもないのだし、本当に考えすぎなのかもしれない。

黒之巣会に続いて黒鬼会まで出現し、平和を脅かされた帝都。

だからこんな静かで穏やかな時間が、少し落ち着かないだけなのかもしれない。

そう思うと、本当に損な性格だと思う。

もう少し、今ある平和を楽しんでみたっていいのかも。

そう思い直して、私と加山さんはいろいろな話をしながらお茶を飲んだ。

 

 

けれど、そんな私たちに緊急の知らせが入ってくるのは、これから少し後の事。

滅んだと思っていた黒鬼会の新たな出現と。

そして自害したと思われていた京極慶吾が姿を現した時、再び帝都に新たな危機が迫る。

そんな事、今の私たちには想像もしていなかったけれど。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

月組のお正月。

花組はそれぞれ実家に帰省というテーマだったので、月組でもそんな展開にしようとちょっとだけ思いましたが、主人公の複雑な家庭事情に断念。

自分で考えた設定ですが、思わぬところで障害に・・・。(笑)

作成日 2008.10.25

更新日 2009.1.9

 

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