1927年、12月。

漸く平和の戻った帝都で、忙しくも穏やかな毎日を送っていた加山の元に、一通の手紙が届けられた。

始まりは、まだ春遠い冬の日。

再びゆるりと、彼らの物語は動き始める。

 

そして新たなは開く

 

「大神ぃ!!」

支配人室で書類の処理をしていた大神は、突然響いた自分の名を呼ぶ大声と部屋に飛び込んできた男の姿にピタリと手の動きを止めた。

顔を上げれば、そこには肩で大きく息をする親友の姿が。

早いな・・・―――と内心一人ごちて、しかしさも何でもないかのようににっこりと用意していた笑顔を浮かべると、扉に手を掛けたまま自分を睨み付けるように見詰めている加山に向かい声をかけた。

「どうしたんだ、加山。ずいぶんと慌てて・・・何かあったのか?」

「何かあったのか?・・・じゃない!!」

いつも通りの態度を崩さない大神に焦れ、加山はツカツカと大神の座っているデスクに近づくと、広げられている書類の上に握り締めていた一通の手紙を叩きつける。

「これは、どういうことだ!!」

バシンと叩きつけられた手紙に視線を向け、それをそのまま加山へと滑らせる。

怒ったような、焦ったようなその表情を見上げて、大神はゆっくりとした動作でデスクの上に叩き付けられた手紙に手を伸ばす。

勿論今更読む必要もない。―――この手紙に書かれていることは大神も承知しているし、この加山の行動もある意味予想の範囲内だ。

まぁ、これほどまでにうろたえるとは、流石の大神も思ってはいなかったが。

真っ白い封筒に収まっているのは、これまた真っ白の便箋。

その便箋には、流れるような文字でこう書かれてある。

『帝国華撃団・月組隊長加山雄一に、外交官として紐育への着任を命ずる』

簡潔に書かれたそれは、しかし加山を混乱させるには十分だった。

既に知ったその内容を至極ゆっくりと読み終えて、大神は再び加山に視線を戻す。

「へぇ、すごいじゃないか」

「そんな、さも『今初めて知りました』みたいな言い方しても無駄だぞ。帝国華撃団司令のお前が知らないわけないだろう!しかもお前にしては、落ち着きすぎている!!」

ズバリ確信をついた加山の言葉に、大神は苦笑を漏らす。

確かにそうかもしれない。

今初めて知ったのなら、きっと自分はこんなに落ち着いてはいないだろう。

なにせ、本当に初めて聞かされた時は、今の加山と同じくらい驚いたのだから。

「まぁ、知らなかったとは言わないが。―――それよりも加山、今日は俺にどういう用事があったんだ?何か俺に言いたい事でも?」

あっさりと加山の言い分を認めて、大神はサラリと質問を返す。

それに一瞬言葉に詰まった加山を見て、こっそりとため息を漏らしつつ言葉を続ける。

「まさか・・・行きたくないとか言い出すんじゃないだろうな?」

「・・・・・・」

「今までも俺の援護をする為に、巴里に行った事だってあっただろう?はっきり言って、こういう仕事はお前向きだと俺は思うけどな」

「それは・・・そうかもしれないが・・・」

言葉を濁す加山に、大神は微かに口角を上げる。

何故加山がこの辞令を渋っているのか・・・―――その理由はきっと一つしかない。

過去大神の援護と称して巴里に出向く事になった時と今回では、決定的に違う所があるのだ。

それは、紐育滞在の期限が決まっていないという事。

何時戻ってこられるか解らない。―――1年後かもしれないし、10年後かもしれない。

ただそれだけなら、加山とてこんな風に怒鳴り込んできたりはしないだろう。

自分の実力を認められ、求められているのだ。―――何時日本に戻れるか解らなくとも、それが求められているのなら喜んでそれを受ける。

しかし・・・今の加山には、どうしても譲れないモノがあった。

それは、1人の女性と離れ離れになってしまうこと。

すっかりと黙り込んでしまった加山を見据えて、大神は再びため息を零すと重い口を開いた。

「言っておくが、これはもう決定事項だ。勿論俺にだって覆せない」

「・・・・・・」

大神から告げられた言葉に、加山は重いため息を吐き出す。

そんなことは解っていた。

こうして自分に手紙が届いた時点で、自分の意志など関係ないのだ。

「・・・ああ、そうだな。悪かった、大神」

のろのろとした動作で大神から手紙を受け取ると、加山は明らかに無理矢理張り付けた笑みを向けて返事を返す。

そのまま背を向けて部屋を出て行こうとする加山に、大神は最後通告を突きつける。

「出発は一週間後だ。それまでに身の回りの整理をしておけよ」

「・・・・・・ああ」

覇気のない返事を返して、加山は来た時とは正反対の勢いで支配人室を後にした。

再び静寂の戻った部屋の中で、大神は今度こそ遠慮なく大きくため息を吐き出すと、椅子の背もたれに体重を預ける。

「こんなもので良かったのかい?」

「ええ、十分です」

独り言のような小さな呟きにはっきりとした返事が返ってきて、大神がゆっくりとした動作で姿勢を戻すと、扉の傍に立っているマリアが苦笑する。

「全部、筒抜けでしたよ。加山隊長、扉を閉め忘れていましたから・・・」

一歩部屋に入り扉を閉めたマリアは、そのまま大神の前へと歩み寄った。

「・・・本当に、上手く行くんだろうか?」

少し不安げに呟く大神に、マリアは自信有りげに微笑む。

「ええ、きっと大丈夫です。他の皆ももう動き出していますし、加山隊長はあれしきで諦めるような人ではないでしょう?」

「それは、まぁ・・・確かに」

脳裏に普段の加山の姿を思い浮かべて、思わず納得してしまう。

確かにマリアの言う通り、加山はあれしきでへこたれるような男ではない。

「それに・・・」

「・・・それに?」

ふと言葉を漏らしたマリアに続きを促すと、彼女はにっこりと綺麗に微笑んだ。

「あれしきで諦める程度の想いしかないのなら、彼女は渡せません」

冗談めかして・・・―――しかし目には本気の光を宿してそう告げたマリアに、大神は引きつった笑みを返して、心の中で加山にひっそりとエールを送る。

本当の難関は、紐育行きなのではない。

本当の難関は、実は花組の乙女たちなのだと。

きっとそんなことはもうとっくに承知済みだろう加山に、心の底から同情した。

 

 

ガチャリと音を立てて開いたドアに気付いて、は目を通していた書類から顔を上げた。

ドアの方に目をやると、そこにはがっくりと肩を落とした加山の姿があり、しかし普段からは考えられないほど意気消沈したその様子に、は訝しげに眉を寄せる。

どうかしたのだろうか?

はフラフラとした足取りで休憩室に備え付けられてあるソファーに腰を下ろした加山を見詰めて、小さく首を傾げた。

確か今朝方は、こんな様子ではなかった筈だ。

今日は朝以外では顔を合わせていない為、残念ながら何があったのかはわからない。

そう言えば、先ほど隊員の一人が、加山が慌てた様子で本部を飛び出して行くのを見たと言っていたが、その件と何か関係があるのだろうか?―――そう考えたは、手にしていた書類をテーブルの上に置いてから、ソッと加山の顔を覗き込んだ。

「・・・どうかしましたか、加山さん?」

「うおっ!!」

声を掛けたと同時に、加山は顔を覗き込んでいるに気付いたのか・・・勢い良く身体を逸らして驚きの声を上げる。

「なっ、何でがここにっ!!」

「どうしてと言われても・・・ここは休憩室ですから、私がいても何ら可笑しな事はないと思いますけど・・・」

「・・・休憩室?」

その時漸く、加山は自分のいる場所に気付いたようだ。

キョロキョロと辺りを見回して・・・―――そして何かを誤魔化すように、渇いた笑みを零す。

その様子の可笑しさにさらに不審を抱いただが、必死に自分から視線を逸らす加山を見詰めて諦めたようにため息を吐いた。

ここまでして話さないという事は、きっと何を聞いても教えてはくれないだろう。

一体何があったのか・・・、そしてどうしてそれを話してくれないのかは気になるところだけれど、加山にだって人に言いたくないことの1つや2つくらいあっても不思議ではない。

それを無理矢理聞こうとするほど、は無神経ではなかった。

「大丈夫ですか、加山さん」

ただ、それだけを確認する。

それに対し、加山は大丈夫だと笑みを向ける。―――多少、引きつったものではあったが。

やはり心配ではあるけれど、加山本人が大丈夫だと言うのだから、これ以上突っ込んでも仕方がない。

もし何かあれば、きっと加山はその時話すだろう。

ならば、本人が話そうという気になるまで待つしかない。

話してくれない事に少しの淋しさは感じていたけれど、それを表情には出さずには納得した素振りを見せた。

ホッとした様子の加山を目に映して少し苦い思いを抱くも、何でもないかのように装い、テーブルに広げてあった書類を纏めて立ち上がる。

「では、私はこれから大帝国劇場に行ってきます。この書類を大神司令に提出する必要がありますから」

「ああ、そうか。ご苦労さん。気をつけてな」

「はい」

少しいつもの調子を取り戻した加山ににっこりと微笑みかけて、はまだ処理途中の書類を持って休憩室を後にした。

本当は休憩室で全てを仕上げてしまおうと思っていたのだけれど。

きっと加山は、今は1人になりたいだろうとそう判断して、は自室へと足を向けた。

 

 

が全ての書類の処理を終えたのは、もう辺りが赤い夕日に染められた頃だった。

自室の窓から外を眺めて、小さくため息を吐く。

それほど量があったわけでも、複雑な内容だったわけでもない。―――ただ先ほどの加山の様子がどうにも気になって、処理が捗らなかったのだ。

漸く終えた処理済の書類にチラリと視線を向けて、はさてどうしようかと所在なげに視線を泳がせる。

それほど急ぐ内容のものではないし、今すぐ提出する必要もない。

しかし先ほど加山に『書類を提出してくる』と言った以上、今日中に提出しなければならないと思う気持ちがあるのも確かで。

暫く悩んだ末、は処理済の書類を封筒に入れて、急ぎ足で自室を出た。

このまま考えてもいても仕方がない。

どうせ今日行かずとも、近いうちに行かなければならないのだ。―――ならば今から行った方が、すっきりとして気分も良いだろう。

月組本部と大帝国劇場はさほど離れてはいない。

今から行っても、迷惑という時間にはならない筈だ。

そう判断を下して、はタイミング良く来た帝鉄に乗り込む。

ものの十数分で帝劇に到着し、正面玄関ではなく関係者出入り口の方から帝劇内に入ったは、そのまま淀みのない足取りで支配人室を目指した。

「あー!だ!!」

しかし廊下を歩く途中で背後から声を掛けられ、は歩みを止めてゆっくりと振り返る。

そこにはぬいぐるみのジャンポールを抱いたアイリスと、少しだけ表情を緩めたレニの姿。

比較的よく帝劇に出入りするは、ここに来るたびにこの2人に出会う。

別に何時来ると連絡を入れているわけではないのに・・・―――それなのにアイリスとレニは、の気配を察してか・・・いつも出迎えに訪れるのだ。

「こんばんは、アイリス、レニ」

「こんばんは〜、!・・・あ、もしかしてあの話をしにお兄ちゃんに会いに来たの?」

「アイリス!」

にこやかに挨拶を返し、何気なく漏らしたその言葉に、レニが慌てた様子でそれを制した。

そのレニの制止に、アイリスはあっと声を上げて、次の瞬間気まずそうに視線を泳がす。

その様子には小さく首を傾げ、そしてアイリスと視線を合わせるように少しだけ身をかがめると、優しく問いかけた。

「あの話って・・・?」

「え〜っと・・・」

しかしいつもならばしっかりと相手の目を見て話すアイリスは、顔を覗き込むから目を逸らして、助けを求めるようにレニに視線を移す。

それに釣られるようにして同じくレニに視線を移したは、その先でレニが困ったような表情を浮かべているのに気付いた。

一体、どうしたというのだろう?

加山だけではなく、アイリスとレニまで様子が可笑しく、の眉間に小さく皺が寄る。

「アイリス、レニ。何かあったの?何かあったのなら、私にも教えてもらえない?」

逸る気持ちを押さえて、どうにかいつも通りの口調で問い掛けると、2人は顔を見合わせてから恐る恐るに視線を戻す。

「あの・・・ね。アイリス、は知ってるんだと思ってたから・・・」

「うん。加山隊長が話してると思ってたから・・・」

「加山さん?加山さんが、どうかしたの?」

しどろもどろと告げられる2人の言葉に、は穏やかな表情を一変させてアイリスとレニを見据えた。

様子が可笑しかった加山。

何かあったには違いないのに、それを話してはくれない加山。

アイリスとレニまでもが知っているのだから、きっと他の花組の面々も知っているのだろう。―――何故、自分にだけは知らされないのか。

そこまで考えて、は数ヶ月前に自らの身に起きた出来事を思い出す。

あれが最善の方法だったとは今でも思っているけれど、結果的には加山にも、大神にも、そして花組のメンバーにも迷惑を掛けてしまった、あの事件。

もしかすると、それ関係のことなのではないだろうか?

だから、加山は自分に対して何も言わないのではないのだろうか?―――不意に脳裏を過ぎったその考えに、の眉間に皺はさらに深くなっていく。

「教えて、アイリス、レニ。一体、何があったの?」

思い詰めたような表情でそう問い掛けるに、アイリスとレニは覚悟を決めたように頷きあい、重い口を開いた。

「あのね。アイリスたちも、さっき知ったんだけど・・・」

「加山隊長、紐育に行く事になったんだ」

心持ち低い声色で告げられたその言葉に、身構えていたは肩透かしを食らったかのように間の抜けた声を上げた。

あの事件がらみで、また厄介ごとを押し付けられたのかとそう思っていたは、的外れも良い所なその内容に、肩に入っていた力が抜ける。

しかし次の瞬間、言われた言葉の内容を正確に把握し、再び身体を強張らせた。

「加山さんが・・・紐育に・・・?」

ポツリと漏れた言葉に、アイリスとレニはしっかりと頷く。

「・・・・・・紐育に、何をしに?」

「加山隊長は、日本の外交官として紐育に着任する事になったらしい。期限は正確には決まってなくて、出発は一週間後・・・」

淡々とした口調で説明するレニの言葉を最後まで聞かず、は踵を返して支配人室に向かい駆け出した。

その拍子に持っていた封筒が音を立てて廊下に落ちるが、それさえも気付かないまま走り続ける。

その後ろ姿を見送ったレニは、の姿が廊下を曲がり見えなくなった頃、ゆっくりとした動作で廊下に捨て置かれた封筒を拾い上げた。

、すごく慌ててたね。あんな、アイリス初めて見たよ」

「うん、僕も」

呆然と廊下に立ち尽くして、アイリスとレニはお互い顔を見合わせる。

「これって上手くいったのかな?」

不安げに呟くアイリスを見詰めて、レニはが消えた廊下の先へ視線を向けた。

手の中の封筒が、ガサリと重い音を立てる。

「・・・いったんじゃないかな?」

一拍を置いて返って来たレニの言葉に、アイリスは嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

 

「一郎!!」

本日二度目のノック無し大声付きで開かれたドアに、大神は苦笑を浮かべて顔を上げた。

「やぁ、

にこやかに笑顔を浮かべて、来訪者を出迎える。―――しかし出迎えられた当の本人は、表情を固く強張らせたまま大神の座るデスクの前まで歩み寄った。

「本当なの?」

「突然、何だい?」

「加山さんが紐育に行くって言う話は、本当なの!?」

しらばっくれる大神に焦れたように、は少し声を張り上げて問い詰める。

それに対し、大神は怯む様子なく「本当だよ」とあっさりと返事を返した。

返って来た返事に、は言葉もなく呆然と大神の顔を見詰める。

そんなの様子に、大神は驚いたような困ったような表情を浮かべるばかり。

このの行動もある程度予想していたとはいえ、大神にとっては驚くべき事だった。

あのが。

自分の立場をわきまえ、例え幼い頃から共に育ったと言っても過言ではない幼馴染に対してまで、仕事の上では敬称と敬語を欠かさないあのが。

今はそれさえも忘れて、自分に食ってかかっている。―――それだけの余裕を彼女から奪い去ってしまう加山の存在が、大神にとっては偉大に思えたし、また少しだけ憎らしくもあった。

。去年の今頃、紐育華撃団設立の参考にする為、ラチェットが帝撃に来たのを覚えているだろう?ついこの間、その紐育華撃団が正式に設立されたらしくてね」

話し始めた大神の言葉に、は何かを察したのか再び眉間に皺を寄せる。

「つまり、紐育華撃団の後方支援のために、加山さんが要請されたって事?」

「ま、それもあるって事だよ」

ひょいと肩を竦めて見せる大神を見据えて、は強張っていた肩から力を抜いた。

それはまさに、加山の実力が認められているということだ。

月組の隊長として、加山が多くの人に認められたということ。―――それはにとって、非常に喜ばしい事だ。

そこまで考えて、はふと我に返った。

自分は今、一体何をしていたのだろう?

いくら幼馴染とはいえ、現在は帝国華撃団総司令である大神の部屋にノックもせずに飛び込み、あまつ名前を呼び捨てにし、親しげに話し掛けていたのだ。

一瞬にして冷静を取り戻したは、大神の座るデスクから一歩退き、深く頭を下げた。

「突然の非礼、申し訳ありませんでした」

「おいおい、。そんなに改まらなくても良いっていつも言ってるだろ?」

「これは、私自身のけじめですから」

キッパリと言い切り、顔を上げたの目にもう迷いはなかった。

加山が求められているのなら、快く送り出してやるのが月組の隊員としての自分の役目。

引き止めるなんてマネを、一体誰が出来るというのか。

そう己に言い聞かせた瞬間、チクリと胸が痛んだけれど、はそれに気付かない振りをして再び大神に深く頭を下げた。

「お騒がせして申し訳ありませんでした。私はこれで失礼します」

しっかりと挨拶を済ませ、は入ってきた時と同じように止める間もなく支配人室を出て行く。

それを見送った大神が、再び大きなため息を吐いたことをは知らない。

自分が一体何の為に帝劇にまで来たのか・・・―――その理由さえも思い出せないほど混乱し、動揺している自分自身にも気付かないまま、はまるで何かから逃げるように足早に帝劇を後にした。

 

 

今日の仕事を終えて月組本部に帰って来た加山は、休憩室に向かいながら重いため息を吐いた。

心なしかポケットが重い。―――そこに収められている大した重さもないはずの手紙が、今の彼にとって複雑な気持ちを抱かせる。

本来なら喜んでいい筈のそれは、今の加山にとっては頭痛の種でしかない。

再び重いため息を吐き出して休憩室のドアを開けると、そこには昼間と同じように書類の処理をしているの姿があった。

部屋に入ってきた加山に気付くと、書類から顔を上げる。―――そうして加山と目を合わせたは、柔らかくニコリと微笑んだ。

「お帰りなさい、加山さん」

「ああ、ただいま」

柔らかい笑顔と共に掛けられた出迎えの言葉に、自然と加山の表情も柔らかくなる。

紐育に行けば、こんな些細な挨拶ですら出来なくなってしまう。―――ただ離れるだけではなく、何時戻れるかも解らないのだ。

そう考えると、浮上しかけた気持ちが再び沈んでいくのが自分でも解る。

今の加山にとって、とのこんな些細な関わりが何よりも手放したくないものなのだ。

「加山さん」

不意に呼びかけられて、加山はハッと我に返る。

瞬時に笑顔を浮かべて、の前のソファーに腰を下ろした。

「何だ?何か問題でもあったのか?」

再び書類の処理を始めたに視線を向けてそう問い掛けると、は視線を書類に落としたまま、静かな声で話し掛ける。

「何故、教えてくれなかったんですか?」

「・・・なにを」

「紐育行きのことです。外交官として・・・月組として、要請されたのでしょう?」

良く通る声色ではっきりとそう問い掛けられ、加山の思考が一瞬にして停止した。

何故、が紐育行きのことを知っているのだろう?

ふと浮かんだ疑問を口に出すことさえ出来ず凝視する加山に、は顔を上げるともう一度にっこりと微笑んだ。

「おめでとうございます、加山さん。貴方の働きが認められたということでしょう?それは、とても素晴らしいことだと思います」

あっさりと祝いの言葉を投げかけられ、加山は言葉さえ出せずに・・・―――ただ釣られるように笑みを浮かべた。

悲しんで欲しかったわけじゃない。

泣いて欲しかったわけでもない。

けれど・・・こんな風に祝いの言葉が欲しかったわけでも、ない。

グルグルと様々な感情が胸中を渦巻き、真っ白になった頭で加山は必死に考えた。

何を考えようとしていたのかも解らない。―――ただ、必死で何かを考えていた。

「・・・加山さん?」

の呼びかけに、加山は反射的に立ち上がった。

今この場にいてはいけない。―――何故か感覚的にそう思い、加山は不思議そうに自分を見上げてくるに、ほとんど無意識に微笑みかけた。

「・・・悪いが、用事を思い出した。ちょっと大神のところまで行って来る」

「こんな時間に・・・ですか?」

「急用なんだ。何かあったら連絡してくれ」

それだけを言い残し、まるで逃げるように休憩室を飛び出す。

そのまま帝鉄にも乗らずに、加山は日の落ちた帝都を帝劇に向けて走る。

用事なんて勿論在りはしない。―――けれど足は自然と帝劇に向いていた。

こんなにも息が苦しいのは、全力疾走で走っているからに違いない。

加山は自分にそう言い聞かせて、ただ無我夢中で走り続けた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

サクラ大戦V連載スタート。

だというのに、しょっぱなからこんな出だしで良いのか・・・。

サクラ5作目に来ても、全く・・・というかほとんど進展してないこの2人。

何時になったらラブラブ(死語)になれるのか・・・。(書いてるのは私ですが)

作成日 2005.8.7

更新日 2009.2.6

 

 

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