大量の資料を両手に抱えて、サジータは楽屋を出た。

今日は休演日。

勿論稽古もなく、依頼された弁護の資料を纏めてしまおうと思っていた彼女は、肝心の資料を昨日楽屋に忘れていた事を思い出し、それを取る為にわざわざシアターに赴いていた。

最初はそれほど大荷物になるなどとは思っていなかったが、探せばこれもあれもと資料が出てきたお陰か、今では目の前が見えないほどの量になってしまっている。

欲張らずに必要な分だけ持って帰ることにすればよかったと思っても後の祭り。―――こうなったからには全部持って帰らなければ、何となくすっきりしない。

しかし、重い。

その上、前が見えない。

こんな状態で事務所まで帰れるんだろうかと他人事のように思いながらも、サジータは懸命に足を前へと踏み出す。

事件発生まで、あと10秒。

 

彼女の騒がしい一日

〜騒動の時間〜

 

チンという軽い音と共に、サジータは激しい衝撃をその身に受けた。

「うわっ!」

短く上がった声と共に、危ういバランスを保っていたサジータの腕に抱えられていた大量の資料が、派手な音を立てて床へと散らばる。

「何やってんだ!?ちゃんと前を見て歩きなよ!!」

「ご、ごめんなさい」

咄嗟に口をついて出た文句に、ぶつかった相手は慌てたように謝罪を口にした。

自分も山のように積み重なった資料のお陰で前が見えていなかった事など、サジータにとっては問題ではないらしい。―――この国の法律では、謝った方が不利なのだ。

聞こえて来た声に、サジータは咄嗟に顔を上げてそちらを見る。

そこには自分と同じように尻餅をついている、少し前に星組に入隊したの姿があった。

「なんだ、か・・・」

相手を確認し、サジータの身体から力が抜ける。―――何故か、理由は本人にも解らないけれど、を相手に怒鳴り散らす気にはどうしてもなれない。

「ごめんなさい。少しよそ見をしていたものだから・・・」

もう一度謝罪を口にして、床に散らばったサジータの資料を集め始めるを目に映し、サジータは少しばかり眉を顰めた。

、いいかい?この国ではどんな事があろうと、簡単に謝罪なんか口にするんじゃないよ。謝るって事は自分の非を認めるってことだ。そんな事をしたら、相手にどんな要求を突きつけられるか解ったもんじゃ・・・」

言い含めるようにに向かい指を突きつけたサジータは、しかしいつもとは違うの様子に言葉を噤む。

そんなサジータにも気付かず、は苦笑いを浮かべながら拾った資料を手早く纏めた。

「解っているのだけど、つい反射的にね。それに今回は、私に非があるのだし・・・次からは気をつけるわ。―――サジータ?」

じっと自分を凝視し何も言わないサジータに漸く気付いたは、忙しなく動かしていた手を止めて、彼女の顔を覗き込んだ。

まるで信じられないものを見るような表情に、不思議そうに首を傾げる。

「どうかした?」

「どうかしたっていうか・・・、それはあたしが聞きたいよ」

「・・・・・・?」

「あんた、そんな赤い顔してどうしたのさ」

そう指摘され、は反射的に顔に手をやる。

触れた頬はまだ熱を持ち、鏡を見なくとも赤面しているのが解る。

咄嗟に先ほどサニーサイドに口付けられた手の甲を隠すように握り締めて、赤い顔を見られないよう俯く。

サジータに指摘された事により、再び先ほどの出来事を思い出し、更に頭に血が上る。

ああいうことには、慣れていないのだ。

少女らしさとは無縁の子供時代を送り。

そして月組に配属された後は、性別など関係なく懸命に働いてきた。

確かには女で、誰もがそれを認識してはいるけれど、仕事の上ではそんな事は関係が無かったし、またそれを感じさせないほどの実力が彼女にはある。

女ではあるが、はっきりと女扱いされた事など数える程しかない。―――がそれを望んでいなかったことも要因の一つだけれど。

しかし先ほどのサニーサイドがした事は、にとって『女扱い』に入る立派な行動だ。

腹立たしいとか、不愉快だとか、そんな事を感じる余裕も無い。

ただ、猛烈に恥ずかしいのだ。

何とか自分を落ち着ける為に、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。

そうして漸く落ち着いた頃、は纏め終えた資料を手に顔を上げた。

「何でもないの。予想外の出来事に・・・少し、動揺してしまって・・・」

まだ少しだけ頬を赤らめながらも、はいつも通りの微笑を浮かべてそう言う。

その表情を見詰めていたサジータは、チラリとが来た方向を見やる。

エレベーターから出てきた

休演日だというのにも関わらずこの場にいるという事は、ラチェットとの戦闘訓練を終えて来たのだろうと思えるが、ただそれだけでが赤面する理由が思い当たらない。

休演日にわざわざシアターに来る人間は・・・と頭を働かせて、極少数の人物の顔を思い浮かべる。―――そうして思い浮かべた人物の中から、原因に成り得るだろう人物をピックアップしていった。

ラチェットが、これほどを動揺させるような事をするとは思えない。

プラムや杏里もシアターに顔を出しているだろうが、それほど長居するとも思えなかったし、またラチェットと同じくを動揺させる事は2人には難しいだろう。

だとすれば、考えられるのはただ1人。

サニーサイドの奴、一体に何したっていうんだ?

脳裏を過ぎる胡散臭い笑顔を撒き散らす己の上司に、サジータは声には出さずに悪態をついた。

しかし微笑を浮かべつつも視線を泳がせているに、それを問い詰める事などサジータには出来ない。―――何があったのか物凄く気にはなるが、普段の落ち着きからは考えられないほど慌てているを見ていると、それをするのが可哀想にさえ思えてくる。

ま、後でサニーサイドを問い詰めれば良いか。

そう結論を出して、サジータはの手から綺麗に纏められた資料を受け取った。

「それにしても・・・凄い荷物ね」

サジータが何も言って来ないことに漸く安堵したのか・・・―――がサジータの手元にある資料を見詰めて感心したように、呆れたように呟く。

「ああ。裁判に必要な書類を、昨日楽屋に忘れちまってね。それを取りに来たのさ」

「これ、全部?」

すぐさま返って来た問い掛けに、サジータは曖昧な笑みを浮かべる。

この大量の資料の中で、すぐに必要なものはそれほど多くは無い。―――ただ、わざわざ休演日にこうして資料を取りに来た手前、意地になっていたところもある。

はサジータの無言と浮かんだ笑みに、それを悟って小さく溜息を吐いた。

「これ、どうやって持って帰るつもりなの?」

「どうやってって・・・抱えて帰るしかないだろ?」

「本当に出来るの?」

率直に問われて、再びサジータは押し黙る。

ここまで来たからにはやるしかない。―――だが、改めて出来るかと問われると、出来ると断言できるほどの自信がサジータには無かった。

「・・・手伝いましょうか?」

困ったように呆れたように微笑みながら、はサジータへと両手を差し出す。

それを見詰めて、初めてと会った時と反対だななどとぼんやりと思った。

「ああ、頼むよ」

差し出された手に資料を半分渡して、サジータは苦笑交じりにそう答えた。

 

 

1人では手に余る量の資料も、2人で分担すれば多少かさばる程度で済む。

途中にあったカフェで休憩を取りつつ、2人はサジータの事務所へ向かった。

「あともうちょっとだから、頑張ってよ」

漸くハーレム地区に到着した頃、サジータが隣を歩くへとそう話し掛ける。

それに軽い返事を返しながら、は初めて行くサジータの事務所がどんなところなのだろうかと、少しの好奇心を心の奥に隠していた。

今まで何度となく行く機会はあったのだが、結局今まで一度もサジータの事務所へは行った事がない。

弁護士事務所というのは、一体どういう雰囲気のところなんだろうか?

月組隊員としての本来の好奇心が、むくむくと頭を現す。

「ここだ」

短い声と共に、サジータが歩みを止める。

それに習って足を止めたは、示された建物を見上げた。

1階にクリーニング屋。

どうやらサジータの事務所は、その上にあるらしい。

「わざわざこんな所まで悪かったね。折角の休日だってのに・・・なんか用事でもあったんじゃないの?」

「特に用事という用事は無いわ」

強いていうならば、加山が溜めに溜めた書類を片付けることくらいか。

「なら、折角だしお茶でも飲んで行きなよ。この間依頼人に貰ったお茶の葉が、確かまだ残ってた筈だから・・・」

そう言いながら、サジータは階段に足を掛ける。

それにありがとうとにっこり笑みを浮かべて、も後に続くべく足を踏み出した。

ちょうど、その時だった。

階段に足を掛けた2人の背後から戸惑いを含んだ声が届き、は自然と荷物を持ったまま振り返る。―――振り返った先には、男1人と女2人の姿。

「・・・サジータ」

男がくぐもった声で名を呼んだ。

知り合いなのだろうか、とは小さく首を傾げた。

同じハーレム地区にいるのなら、知り合いでも可笑しくは無い。―――しかしサジータとの間に流れる戸惑いを含んだ雰囲気に、その結論を下せないでいる。

なんにしても、無関係という訳ではなさそうね。

とりあえずそう結論を出して、は己の気配を薄くしてから事態を見守る事にした。

純粋に興味がある。

それはあまり趣味の良いことではないとは解っていたが、月組隊員のの本来の好奇心が、どうしても勝てなかった。

以前、はサジータからハーレムについて聞いた事がある。

自分の大切な場所なのだと。

自分を育ててくれた、大切な街なのだと。

なのにそこに住む他の住人たちとは、あまり折り合いが良いと言える雰囲気ではない。

それは一体、どうしてなのだろうか?

気配を消したは、静かにその場を見守る。

サジータは・・・そして彼女の知り合いだと思われる3人は、すっかりの存在を忘れてしまったかのよう・・・―――幼い頃から鍛錬を積み、月組隊員として隠密活動を行ってきたにとって、それは息をするのと同じくらい簡単なことだった。

「サジータ・・・」

男が口を開いた。

しかしその続きを声に出す前に、階段に足を掛けて振り返っていたサジータは男たちに背を向け階段を上り始める。

「悪いけど、あたしは忙しいんだ」

「・・・サジータっ!!」

冷たい声色でそう切って捨てたサジータに、男は更にその名を呼ぶが、階段を上るサジータに振り返る気は無いらしい。

すぐにその姿は階段から消え、その後に扉の閉まる静かな音が届く。

その全ての動きを気配で追っていたは、人知れず小さく溜息を吐き出す。

結局、何も解らずじまい。

まぁ、どうしても知らなければならない事なわけでもないわけだし、それはそれで構わないのだけれど・・・―――それでもどこかすっきりしない気分を自覚しながら、その時漸く腕の中の資料の重みを再確認した。

置いて行かれちゃったわね。

既にその場には無いサジータに思いを馳せ、心の中で呟く。

とは言ってもこのまま帰るわけには行かないので、はサジータの後を追うべく階段に足を掛ける。―――そんな3人は漸くその存在を思い出したのか、少し訝しげな声色で背中を向けるに声を掛けた。

「あんた・・・サジータとはどういう関係だ?」

「・・・え?」

まさか自分に声が掛けられるとは思っていなかったは、驚いて男の顔を見返した。

何も言わず、ただ自分に向けられる視線を受けて、は少しだけ眉を寄せる。

どういう関係だと問われて、どう答えれば良いのだろう?

仲間・・・というには、まだ知り合って日も浅く、心を許しきれてないのが事実だ。

それはだけではなく、サジータも同様だろう。

なら知り合いか・・・と自問して、しかし知り合いというにはお互い深く関わり過ぎていると思うし、友達というにはお互いのことを知らなさ過ぎるとも思う。

サジータがシアターで働いている事を彼らが知っているか解らない以上、仕事仲間と言うのも躊躇われた。―――は決して弁護士ではないのだから、そう誤解されても大変だ。

お互いを明確に表現する言葉が見つからず、は自然と困ったように笑みを浮かべた。

「答えられないのか?」

「どう答えて良いのか、解らなくて・・・」

正直にそう言うも、男は不信感を募らせるばかり。

こう警戒されては、今後ハーレムに来る時の障害になりかねないと判断したは、支障が無い程度に己の身分を示す事にした。

「私は、この紐育で・・・そうね、情報屋・・・みたいな事をしているの。その関係でサジータと知り合って、話をしたり時々お茶をしたりするようになったのよ」

「・・・情報屋?」

嘘は言っていない。―――大分真実を捻じ曲げてはいるが。

「今日は、サジータが重そうな荷物を持っていたから、手伝っただけよ」

そう言ってにっこりと微笑めば、3人はお互い顔を見合わせる。

その後、彼らの間にどのような意見の交換があったのかは解らないが、漸く警戒を解いてくれたことを察し、は気付かれないよう安堵の息を吐く。

「俺は、カルロス。あんたは?」

よ」

とりあえず自己紹介を済ませ、資料をサジータに渡さなくてはいけないからとカルロス達に告げて、は再び階段に足を掛ける。

そんなに、カルロスは言い難そうに声を掛けた。

「あんた・・・情報屋って言ったな」

「・・・ええ、それが?」

「・・・・・・」

「何か、欲しい情報でもあるの?」

黙り込んでしまったカルロスを前に、はやんわりと問い掛ける。

しかしカルロスは口を開かない。―――なにやら葛藤しているようで、戸惑いの表情が浮かんでは消えていく。

それを見て小さく溜息を吐き出したは、ポケットに常備してある紙とペンでROMANDOの所在地を書くと、それをカルロスに手渡した。

「自分たちではどうしようもない事が起こったら、ここに来ると良いわ。必ず、とは言えないけれど、出来るだけ力にはなるから」

自分の行動をらしくないと思いながらも、は紙を受け取ったカルロスを見て微笑む。

勝手な事をしたと知れたら、加山に怒られてしまうだろうか?

そんな事を思いながら、は今度こそ階段を上り、サジータの事務所のドアの前に立つ。

軽くノックをして、返事が返って来たことを確認してから事務所の中へと足を踏み入れた。

サジータは窓際に立ち、複雑な表情で何かを見下ろしている。

ごく自然にサジータに近づいたは、書類などが山済みになっている机に抱えていた資料を置いて、サジータと同じく窓の外を見た。

そこには、3人で何か会話をしながら去っていくカルロス達の姿。

「サジータ」

静かな声が、事務所の中に響く。―――顔を上げたサジータにやんわりと微笑みかけて、は彼女の頭を優しく撫でた。

「・・・あんた、あたしを幾つだと思ってるんだい?」

唐突な子ども扱いに、サジータが眉間に皺を寄せる。

しかしの、でも私の方が年上でしょう?という言葉に反論する気が削がれたのか、無言での手を軽く払った。

それに小さく笑みを零して、は踵を返してドアの方へと向かう。

「今日はこのまま帰るわ。お茶はまた今度ご馳走してね」

「ああ、今日は悪かったね。助かったよ」

今のサジータに心の余裕がない事を察したの行動を、サジータはそれが解っていながらも素直に感謝した。

今は、誰かとお茶をするような気分ではない。

「あまり、無茶をしないようにね」

事務所を出て行く瞬間に伝えられた言葉に、サジータは軽く目を見開く。―――それに返事を返す前に、の姿が視界から消えた。

「・・・なんだってんだよ、あいつは」

ぶつけられなかった疑問を抱いたまま、サジータは独りごちる。

が知っている筈が無い。―――今サジータが受けている依頼も、している事も。

今どんなトラブルを抱えているのか、彼女は知らない筈だ。

いや、もしかしたら知っているのかもしれないとサジータは思う。―――相手はあの情報を武器にするという月組の副隊長なのだから。

しかしがそれを知っていようといまいと、下手な口出しをしてこない事をサジータは知っていた。

それを確信できるくらいは、を信用しているし信頼もしている。

まだ知り合って間もないというのに。

まだ相手の事を何一つ知らないというのに・・・―――なのに自然と自分の領域の中に住んでいるを思って、サジータは脱力したように椅子に身体を預けた。

「侮れないね、まったく」

苦々しく呟いて。

けれど声色ほど不快に思っていない自分を自覚して、サジータは困ったように笑みを浮かべた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

このシリーズは一話一話を短く仕上げようと思っているのに、何故か回を重ねるにつれてどんどん長くなっています。(ダメダメ)

第三弾はサジータ・・・の割には、カルロスとか出てますが。

ちょっとだけ主人公をサジータの内面に触れさせてみようとか思ったのですが、見事玉砕どころか自滅しました。(笑)

作成日 2005.10.1

更新日 2010.11.28

 

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