帝劇の廊下を自室に向かって歩いていた織姫は、薄暗い中庭に佇む1人の男を見つけて小さくため息を吐いた。

立ち止まりその男を凝視するが、こちらに気付く様子も、かといって何処かへと動き出す様子も全く見せない。

まぁ、好都合といえば好都合ですけどねー。―――そう心の中で呟いて、再びため息を零すとクルリと踵を返す。

向かう先は食堂。

まだそこにいるだろう人物に協力を申し出る為、織姫は足音を立てないよう気をつけながら駆け出した。

 

朝焼けの旅路

 

「・・・はぁ」

大きなため息を吐き出して、加山は中庭にあるベンチに座って星を見上げた。

何故自分は、こんな所で時間を潰しているのだろうか?

ふとした疑問が脳裏を過ぎるけれど、今はまだ月組本部に戻る気分にはなれない。―――どこかにパーッと飲みにでも行けばこの気分も少しはマシになるだろうかと考えて、しかしそんな気分にもなれないことにさらに気持ちは沈んで、ただ暇を潰すように満天の星空を見上げる。

別に反対して欲しかったわけではないのに・・・。

先ほどのの対応を思い出し、さらにため息が零れる。

反対されれば困るというのに・・・―――それでもあっさりとした返事を返されれば、それはそれでこんなにもショックを受けるとは。

一体、自分はどういう反応を望んでいたのだろうか。

自分自身に問い掛けるけれど、勿論返事は返ってこない。

再び漏れたため息に、加山は自嘲気味に笑った。―――その瞬間、鋭い殺気を感じて反射的にベンチから立ち上がり、自分を襲う何かから逃れる。

耳のすぐ横を風の切る音が通り過ぎ、崩れそうになる体勢を整えたと同時に、驚きを含んだ声色で自分の名前を呼ばれ加山はそちらへと視線を向けた。

「か、加山さんか!?」

「・・・・・・カンナ、さん?」

突然自分に攻撃を仕掛けた人物を目に映し、加山は呆然とその人物の名を呼ぶ。

その人物・・・カンナは、驚いたように目を見開いて構えを解いた。

「な・・・いきなり、何するんですか!!」

「いやぁ〜、悪ぃ悪ぃ。中庭に不審人物がいるって聞いたからよ。ここは先手必勝で一発食らわしてやろうかと思って・・・」

加山の抗議にあっけらかんとそう言い放ったカンナは、なぁと声を掛けて自分の後ろに立っている人物に声を掛けた。

「すいませんでーした。まさか加山さんだとは思わなかったでーす」

特徴ある日本語を話しながらカンナの背後から姿を現した織姫は、悪びれた様子なく笑顔を振り撒きながら加山に謝罪する。

そんな2人を見詰めて、加山は抗議する事すらも諦めてため息を吐いた。

きっと何を言っても取り合ってはもらえないだろう事は明白だったし、こんな時間に誰にも言わず中庭にいた自分にも非があるといえばある。

そう自分自身を納得させ、加山は力無く再びベンチに腰を下ろした。

そんな加山を見て、織姫とカンナは顔を見合わせてからゆっくりとベンチに近づいた。

「どうしたよ、加山さん。なぁんか元気ねぇみたいだけど・・・?」

「ホントでーす。悩みがあるなら話してくださーい。相談に乗るでーすよ?」

心配げな声色で申し出てくれた2人を見上げて、加山は無理矢理顔の筋肉を動かしぎこちない笑顔を浮かべる。

「いや、何でもないんですよ。本当・・・気にしないで下さい」

しかしその申し出を、加山は丁重にお断りする。

別に2人に話したくないというわけではない。―――ただ、自分自身でも今の気持ちをどう説明していいか解らないだけだ。

「何でもないって、んな風には見えねぇけど・・・」

一方断られたカンナは、しかし常にない加山の様子に引き下がる事が出来ず、困ったように髪を掻く。

それを静かに見詰めていた織姫は、唐突にポンと手を叩いて加山の目の前へと己の指を突き出した。

「解りましたー。加山さーん、紐育行きのことで悩んでるですねー」

「なっ・・・!!」

ズバリ言い当てられ、加山は誤魔化す事も忘れてポカンと口を開く。

それを満足そうに眺めて、織姫は得意げに笑った。

「今の加山さんに、それ以外の悩みなんて思いつきませんからねー」

そう言いながらニコニコと笑う織姫に何か言い返したいと思うが、しかしその通りなので反論のしようがない。―――加山は抗議を諦めて、今日何度目になるか解らない重いため息を吐き出した。

「ああ、紐育行きか・・・。えらく急な話だよな。―――で、あんたはそれの何で悩んでんだ?」

織姫の言葉に納得したように頷いて、カンナは話の続きを促す。

こうなれば逃げる事など不可能に近い。

それを悟った加山は、自分自身でも整理できていない胸の内を支障がない程度に2人に話し出した。

2人は時々相槌を打ちながら、黙って加山の話を聞く。

そうして加山の話が全て終わった頃、カンナは閃いたとでも言うように、先ほどの織姫と同じくポンと手を打ち鳴らす。

「なるほど。結局簡単に言うと、何時帰れるかも解らないのに、紐育に行ってと離れるのが嫌なんだな?」

ズバリと本心を暴かれ、加山は気まずそうに視線を泳がす。

なんだかんだと理由をつけて先延ばしにしてきたが、結論は至ってシンプルなもので。

結局は、それが加山の一番の悩みなのだ。

無言を肯定と受け取って、織姫は納得したようにしみじみと呟く。

「確かにちょっとの間だけならまだしもー、長い間1人にしておくのは心配でーすね。さんは綺麗ですからー、加山さんがいなくなればきっとたくさんの男の人たちに言い寄られて、そのうち結婚なんてしちゃうかもー?」

そんな極端な・・・と思いつつ、更に追い討ちを掛けられて加山の気分はさらに下降した。

そこまで考えていたわけではないのだが・・・―――言われてみればその可能性は否定できない。

とて、もう22歳なのだ。

そろそろ結婚を考えてもおかしくない年頃だし、加えて実家では数年前から婚礼の話が具体的に形となっているという話を聞いた事を思い出す。

もし、本当に織姫の言う通りになったとしたら・・・?

考えるだけで鼓動が速くなる。

思わず固まり、何の動きも見せなくなった加山を見詰めて、織姫とカンナはお互い顔を見合わせて軽く肩を竦めて見せた。

やりすぎたかもしれないと少しばかり反省してから、カンナは場の空気を変えるように漂う重苦しい雰囲気とは正反対の明るい声色で話し掛けた。

「だったらさ、話は簡単じゃねぇか。そんなにと離れたくねぇんなら、一緒に紐育に連れてっちまえよ」

「・・・は?」

突然の提案に、加山は間の抜けた声を上げる。

それを無視して、織姫もまた楽しげに口を開いた。

「それは名案でーす!そうすれば任務も遂行できて、なおかつさんと一緒にいられますからねー。万事オッケーでーす!」

呆然とする加山を置いて、盛り上がる2人。

静まり返った中庭に、2人の笑い声が響いて消える。

「そう簡単に言わないで下さい。そんなこと・・・出来るわけないじゃないですか」

がっくりと肩を落として力無く呟く加山に、織姫とカンナは浮かべていた笑顔を消し真剣な表情を浮かべた。

「どうしてですかー?どうして、出来ないんでーすか?」

「そうだぜ。と離れたくないんだろ?本気でそう思ってんだったら、掻っ攫うくらいの男気見せてみろよ」

力強い声色に、加山は弾かれたように顔を上げる。

自分に向けられる、射るような2人の瞳。―――それを無言で見返して、加山は先ほどの織姫とカンナの言葉を反芻する。

離れたくないのなら、紐育へ連れて行けば良い。

どうして、それが出来ない?

どうして、その選択肢が浮かんでこなかった?

自分自身に問い掛けて・・・―――導き出された答えに、加山は苦笑した。

ただ、断られるのが怖かっただけだ。

あっさりと紐育行きを喜んだ

同じように、あっさりと断られる事が怖かっただけなのだ。

それを自覚してしまうと、何故だか自分が情けなく思えて・・・―――いつの間に自分はこんなにも弱気になってしまったのかと自分自身を叱咤する。

いつも前向きに。

不可能を、可能に。

例え勝算のない戦いでも、臆する事無く挑んできたというのに・・・。

「頑張れ、加山さん!」

「そうでーす!ファイトです、加山さーん!!」

織姫とカンナの激励を受けて、加山はベンチから勢い良く立ち上がった。

「そうですよね!離れたくないなら、掻っ攫えば良い!」

自分自身に言い聞かせるよう大きな声でそう宣言して、加山は短く礼を言うとにこやかな笑顔を浮かべる2人に背中を向けて駆け出した。

中庭を横切り、帝劇の中へと入る。―――続く廊下を駆け抜けて、まだそこにいるだろう大神の気配を確認してから勢い良く支配人室のドアを開ける。

「大神!俺は決めたからな!!」

ドアを開けると同時にそう叫べば、机に座って書類に目を通していた大神が驚いたように加山を見詰めた。

「な・・・一体どうしたんだよ、加山!一体何を決めたって?」

「紐育行きの事だ!」

驚く大神に構わず、加山はニヤリと口角を上げてキッパリとした口調で言い切った。

「紐育に、も連れて行くからな!」

「は?・・・おい、加山!!」

言うだけ言って、大神の返事も聞かずに支配人室を後にする。

大神の戸惑いの声を背中に、加山は先ほどまで沈んでいたとは思えないほど軽快な足取りで、月組本部を目指して帝劇を飛び出した。

早く、に会わなければ。

会って、この想いを伝えなければ。

強い想いを胸に、加山は決意を固めて輝く星空を見上げた。

 

 

丁度その頃、大神の元に向かったであろう加山を追いかけて、織姫とカンナは開け放たれた支配人室をひょっこりと覗き込む。

そこには突然の出来事に呆気に取られる大神の姿がある。―――そんな姿を見詰め、小さく笑みを零した織姫とカンナに気付いたのか、大神もまた2人を見返して苦笑を浮かべた。

「まさか、こんなに上手く行くとは・・・」

「ホントでーす!加山さんも意外と単純ですねー!」

「まぁまぁ、そう言うなって・・・」

お互い顔を見合わせて、微かに口角を上げて笑う。

「でも、問題はさんですねー。加山さんと違って、一筋縄ではいかなそうでーす」

「ま、その辺は、あいつらが何とかしてくれるんじゃねーの?」

少しの不安を言葉に乗せて吐き出した織姫に対し、カンナはあっさりとそう言い返す。

何とかなってもらわないと、こっちが困るよ。

心の中で1人ごちて、大神は窓の外の微かな外灯に照らされた帝都の街並みを、苦笑を浮かべて見詰めた。

 

 

パラリと本のページを捲り、は小さくため息を吐く。

一日の仕事を終えて部屋に戻ったは、何をするでもなく読みかけの本へ手を伸ばし、椅子を窓際に寄せてしおりを挟んでいたページを開いた。

懸命に活字を追うが、その内容は一向に頭の中に入っては来ない。

内容も解らぬまま、さらにページを捲る。―――再び響いたページを捲る音が妙に耳について、微かに眉根を寄せた。

そんな些細な音が気になるのは、集中できていない証拠だ。

は再びため息を吐いて、本を読む事を諦め何気なく窓の外を眺める。

既に外は暗く、人の通りもほとんどない。

用事があると言って出かけていった加山は、未だ本部には戻ってきていなかった。

「・・・これで、良いんだわ」

ポツリと、己に言い聞かせるように呟く。

加山の紐育行きは、最早覆す事の出来ない決定事項だ。―――否、もしそれが成るのだとしても、そうするべきではない事はが一番よく解っている。

加山が認められ、求められているのだ。

それはにとっても喜ばしいことの筈だというのに・・・―――なのにどうして、それを素直に祝ってあげられないのだろう?

新しき土地へ旅立つ加山を笑顔で見送る事が自分の役目だと解っているのに、どうしてこの心は酷く痛むのだろうか?

その理由は痛いほど解っていたけれど・・・―――それでもそれを認めてしまえば後には引けなくなりそうで、は解らぬ振りを続ける。

それが、彼女が出来るただ一つの抵抗だった。

窓の外に視線を向けていたは、静かに目を瞑り深呼吸をすると、ゆっくりと目を開いて膝の上に乗る本に視線を落とす。

今日はもう休んだ方が良いかもしれないとそう思い、本を閉じようと手を伸ばしかけたその時、不意に本部内が騒がしくなった気がしてドアへと視線を向ける。

暫くすると廊下を慌ただしく駆ける音が響き、それはどうやらこちらに向かっているようで・・・―――数秒後、それはの部屋の前で止まり、次の瞬間大きなノックが響く。

「・・・はい」

「俺だ、加山だ。入るぞ」

控えめに返事を返せば、聞き慣れた声がドアの向こうから聞こえてくる。―――それと同時にの返事を待たずにドアは開かれ、そこには真剣な表情を浮かべた加山が立っていた。

「加山さん?・・・どうかされたんですか?」

「こんな時間に悪い。だが・・・どうしてもお前に言いたい事があってな」

「言いたい事・・・ですか?」

常に無い真剣な表情に、も自然と背筋を伸ばす。

こんな加山は任務以外では初めてだと、はぼんやりとそんなことを思う。

そんな事を考えている内に、加山はゆっくりとした足取りでに近づくと、強い光を目に宿してキッパリと言い放った。

「俺は、一週間後に紐育に行く」

揺らぎないその言葉に、知らずの胸に痛みが走る。

望んでいた筈のその言葉は、想像以上にに痛みを与えた。

「そう・・・ですか」

本当はもっと気の利いた事を言うべきだと思っているのに、何故か言葉が出てこない。

辛うじて相槌を打ったを見下ろして、加山は吹っ切ったように笑みを浮かべた。

「俺は紐育に行く。―――お前を連れて、な」

もう一度繰り返された言葉に、更に噛み締めるような言葉が付け足される。

その意味するところが解らず、はキョトンと加山を見上げた。

「・・・加山さん?」

「出発は一週間後だ。ちゃんと準備しておけよ」

戸惑ったように言葉を紡ごうとしたを遮って、加山は畳み掛けるように言葉を続けた。

そしてクルリと踵を返すと、何事も無かったかのように部屋を出て行こうとする。

突然の出来事に頭の中が真っ白になったは呆然と加山の背中を見詰め続けたが、不意に加山はドアのところで立ち止まり、そのまま振り返らず小さな声で言った。

「嫌なら、嫌だと言ってくれ。これは強制じゃない」

「・・・加山さ」

「返事はいつでもいいさ。ただし、一週間以内に頼む」

そう言い残して、今度こそ加山はの部屋を出て行った。

打って変わって静寂に包まれた部屋の中、一体何が起こったのかを瞬時に理解できず、はぼんやりと閉じられたドアを見詰めていた。

「私が・・・一緒に・・・?」

確認するように呟き、徐々に言われた事が現実味を帯びて来るのを感じ、は手で顔を覆って泣き出しそうな笑顔を浮かべる。

まさか、そんなことを言われるとは思ってもいなかったから。

込み上げてくる嬉しさに、思わず涙ぐみそうになる。―――すぐにでも一緒に行くと返事を返したかったけれど、それは出来ないことだとは理解していた。

月組の隊長である加山が帝都を離れるのだ。

それと同時に、月組の隊員の何人かも一緒に紐育にいくことになるだろう。―――そうなれば、帝都の警戒が薄くなってしまう。

今は大した危機などないが、また何時以前のように帝都に魔が忍び寄らないとも限らない。

私は行くわけには行かない。

帝国華撃団・月組の副隊長として。

加山の補佐を任されている者として、加山が不在の間の帝都を守る責任がある。

がそう自分に言い聞かせていた時、唐突に軽快な音が部屋の中に鳴り響いた。

その突然さにビクリと身体を震わせ、音の発信源を見る。―――すると机の上に置いてあったキネマトロンが早く受信しろとばかりに声を上げていた。

「こんな時間に・・・一体誰から・・・」

不審に思いつつも表情を引き締め通信ボタンを押すと、画面に2人の少女の姿が映し出された。

『いや〜、こんな時間にすんませんなぁ』

『こんばんは、さん』

画面ににこやかな笑顔を浮かべる紅蘭とさくらの姿が映し出されている。

「紅蘭、さくら、どうしたの?わざわざ通信なんて・・・」

『いやね。もうそろそろかな〜・・・思て』

そろそろ?

紅蘭の思わせぶりな言い方に、は小さく首を傾げる。

そんな姿を見て、さくらがクスクスと笑みを零して足りない言葉を補った。

『さっき加山さんが大神さんに、さんも紐育に連れて行くって宣言してたのが聞こえたんです。それで・・・きっとさん、色々考えすぎてるんじゃないかと思って・・・』

伝えられた言葉に、の顔に赤味が差す。―――そんなことを、帝劇で宣言してきたのかと思うと、なんだか気恥ずかしい。

「ええ、さっき聞いたわ」

苦笑を浮かべながらもそう告げると、2人は目を輝かせてを見た。

『で、どない返事返したん?』

興味津々と言った風に問い掛ける紅蘭を目に映しながら、は苦い笑顔を浮かべる。

「返事はまだ返していないけれど・・・―――私は行かないつもりよ」

咽に詰まった息を吐き出すように、何とか己の意思を伝えた。―――それを告げるのはにとっては勇気のいることであり、また胸がチクリと痛みを訴える。

そんなの返答を予想していたのか、紅蘭とさくらはお互い顔を見合わせて大きくため息を吐き出した。

『あー、はんならそう言うやろ思てたけど・・・』

困ったように頭を掻きながら、紅蘭はチラリと隣にいるさくらに視線を向ける。

それを受けたさくらは、同じように困ったように微笑んで。

さん。さんの考えていることは、きっと私にも解ると思います。さんは帝都の事を考えて、そう結論を出したんですよね?』

はっきりと言い当てられ、はただ黙って微笑む。

さくらはそんなを見詰めて、切なそうに顔を歪めた。

『でも、もっとちゃんと自分の気持ちを考えてあげてください。そんなに簡単に結論が出せるような問題じゃない筈でしょう?』

『そうや。はんはもっと自分の事考えなあかん』

更に言い募られて、胸の奥に押し込めた想いが再び浮かんでくるのを自覚する。

本当は、一緒に行きたい。

それがの、偽らざる本心だ。

けれどそう簡単に結論が出せるほど、は自分に素直ではない。

「さくら、紅蘭・・・私は・・・」

『聞いてください、さん』

言葉を遮られ、は素直に口を噤む。

2人の真剣な目が、の本心を引っ張り出す。

『帝都には、あたしたちがいます。月組の隊員の人たちだって、います。あたしたちは今まで助け合って、協力し合って闘ってきたんです。これからだって同じです』

『そうや。帝都の守りは万全や。花組がおって月組がおる。帝都を守る為の手段は揃てるんや。せやけど・・・あんたを幸せに出来んのは、加山はんだけやろ?』

「・・・・・・」

『あんたを幸せに出来るんは加山はんだけで・・・―――加山はんが望んでんのもはん、あんただけなんやで?』

紅蘭の言葉に、は大きく目を見開いた。

2人の言葉がグルグルと頭の中を回る。

何も返事を返せないに、2人は微笑みかけ言葉を続けた。

『言いたいことはそれだけや。後ははんが自分で決めることやさかいな』

『もう一度、よく考えてください。この先、後悔しないように・・・』

「・・・紅蘭。・・・さく」

『それじゃ、夜遅くにすみませんでした。おやすみなさい、さん』

最後の最後までの言葉を遮って、唐突に通信は途切れた。

砂嵐の画面を見詰めて、は目を見開いたまま。

「・・・この先、後悔しないように」

最後のさくらの言葉を反芻して、は静かに目を閉じた。

自分が望むこと。

後悔しない為の、選択。

「・・・私は」

言葉と共にゆっくりと開かれたの目には、ある1つの決意が宿っていた。

 

 

加山が紐育に旅立つ事が決定してから、一週間後。

早朝という事もあってか、まだ人もまばらな港には立っていた。

遠く離れていく船を見送って、やんわりと微笑む。

「もう船は出てしまったのね・・・」

唐突に背後から凛とした声がかけられ、それに答えるようにはゆっくりと振り返った。

「マリア。一体どうしたの?こんな朝早くに・・・」

「ええ、加山隊長の見送りに・・・と思って来たんだけど。・・・遅かったようね」

同じようにもう豆粒ほどの大きさになった船を見詰めて、マリアは苦笑する。

朝靄の漂う中、海の向こうからゆっくりと太陽の光が差し始めた。

もうすぐ完全に陽が昇る。―――新しい一日が、始まりを告げる。

「一緒に行かなくて、良かったの?」

の隣に立ち、チラリと横目で窺いながらマリアはそう問い掛けた。

それに対し小さく笑みを零して、は静かに目を閉じる。

「仕事があるもの。急ぎのものも、そうでないのも。このまま月組を放ってなんて行けないわ」

「・・・そう」

やんわりと笑顔を浮かべてそう言うに、マリアもまた柔らかい笑みを向けた。

「それで・・・貴女は何時、紐育に?」

マリアの問い掛けに、は既に姿の見えない船から視線を逸らして、しっかりとマリアの目を見つめる。

「そうね。今ある仕事を全て終わらせて・・・。あと引継ぎもしておかないといけないから・・・一月後くらいになるかしら」

憂いの晴れた綺麗な微笑みに、マリアは内心複雑な想いを抱きつつ小さく息を吐き出す。

「・・・淋しくなるわね」

「そうね。お互いに・・・」

「でも、貴女は紐育に行くのよね?」

「ええ、それが私の望みだから。その望みを、あの人が叶えてくれると言ってくれたから。―――マリアには一郎や花組の皆がいるでしょう?」

「そうね」

お互い顔を見合わせて、微笑み合う。

こんなに嬉しそうなの顔を見たのは久しぶりだと、マリアはにこんな表情をさせることの出来る加山を思って悔しくなる。

勿論、自分に一番の笑顔を浮かべさせる事の出来るのも1人しかいないのだから、仕方の無いことなのだと理解しているが・・・。

「さてと。それじゃ、帰りましょうか」

沈黙を破って、は小さく伸びをしながらマリアを見上げて呟いた。

何時までもぐずぐずしていると、一月後に旅立てなくなっちゃう。―――そう苦笑いと共に漏らして歩き出したの後を、マリアもまた追いかけるように歩き出す。

。これだけは覚えていてちょうだい」

前を歩くに、マリアは小さな声で話し掛けた。

振り返りはしなかったし、立ち止まりもしなかったけれど、にはちゃんと聞こえているのだという事は解っていたのでそのまま言葉を続ける。

「私たちは、いつでも貴女のことを想っているわ。例えどれほど離れようと・・・私たちは貴女のことをとても大切に想ってる。だから・・・頑張って、

前を歩くの身体が、ピクリと震えたのが解った。

「・・・ありがとう、マリア」

風に乗って震える声が聞こえた気がしたけれど・・・―――マリアは何も言わずに微笑みを浮かべて、振り返らないの後ろを歩き続けた。

 

 

加山の旅立ちからちょうど一月後、もまた帝都を去った。

の乗った紐育行きの船を見送る花組の面々は、同じく船を見送る大神に一斉に視線を移して、戸惑いつつも声を掛ける。

「本当に、まで行かせて良かったの?」

レニが少しだけ不安そうにそう問い掛ける。

が加山と共にいることを望んだ以上、花組の面々にとってはそれを反対する気はない。

しかし月組の主軸である加山とが揃っていなくなった以上、帝都の防衛線が薄くなったのは否めない。―――何よりも、やはりと離れてしまう事が淋しかった。

そんな花組の面々に向かい大神はにっこりと笑みを浮かべると、揺るぎない声色でキッパリと言い切った。

「大丈夫さ。他の月組の隊員だっているし、帝都には俺たち花組がいる。それに確かに紐育は近いとは言えないけど、これが今生の別れって訳でもないんだから・・・」

「そう・・・だよね」

大神の言葉に少し気が楽になったのか、沈んでいた表情に微かな笑みが戻ってくる。

それを認めて、大神は再び見えなくなった船を見るように海に視線を戻した。

確かに言われている意味は解る。―――大神にだって不安が無いわけではない。

しかし・・・。

紐育華撃団からの要請の手紙を思い出す。

帝国華撃団隠密部隊月組の隊長である加山と共に、副隊長であるの要請もあった事。

紐育華撃団の総司令が、何を思ってまで要請したのかはわからない。

もしかすると少し厄介なことになるかもしれないと思いつつも、しかしこのまま日本にい続けるよりは安全なのではないかと大神は判断した。

あの事件からまだ数ヶ月。

未だにを狙う者も多い。―――そんな中、加山という壁が無くなれば、の身は更に危険に晒されることになるかもしれない。

ならば一番安全な場所へ。

を守ってやれる、唯一の存在である加山と共に紐育へ旅立たせる事が、にとって一番安全で幸せな事ではないかと大神は思うのだ。

のこと、頼んだぞ。加山」

遠い地にいる親友に向けて、小さな声でそう話し掛ける。

それに応えるように、汽笛が高らかな音を上げた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

ちょっと急展開・・・っていうか、かなり無理矢理な展開になりましたが、何とか花組の面々を全員出すことが出来ました。(笑)

本当はもうちょっとじっくり書ければ良かったのですが、紐育に行くまでにあんまり長く話を書くのもどうかと思い、ちょっとあっさり目で。

ちなみにすみれは引退したという事で、残念ながら出番はありません。

次は、紐育であの子とご対面を・・・。

作成日 2005.8.9

更新日 2009.3.6

 

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