船室で持参した本を読んでいたは、突如上がった歓声に顔を上げた。

チラリと時計を見れば、もう到着の時間も間近。

それを確認すると上がった歓声の意味を察して、読んでいた本をトランクの中に仕舞い、荷物を持って甲板へ出た。

髪を弄ぶ少し強めの潮風に眉を顰めて、踊る髪を片手で押さえつけながら人々が目を輝かせて見詰める先に視線を向ける。

アメリカ・紐育のシンボル。

自由と希望の象徴。

天に向かいそびえ立つ自由の女神を遠目から見詰めて、は少しだけ頬を緩めた。

 

自由への招待

 

船が港に到着し、次々と乗客を吐き出していく。

その波に乗るように、もまた紐育の地に降り立った。

混雑する人ごみを何とか抜けて、比較的人の少ない場所まで辿り着くと、トランクを地面に置いてポケットから一枚の紙を取り出す。

加山から送られてきた手紙の中に同封されていた、紐育での本部の住所。

前以て地図で調べてあったし、紐育へは花小路伯爵の警護の為にマリアと共に何度か訪れた事があった為、問題なく辿り着けるだろうと思い再びトランクを手に持つ。

「おーい、!!」

それと同時に背後から掛かった自分の名前と、それを呼ぶ馴染みのある声に、は少しだけ驚いて振り返った。

「・・・加山さん」

「悪い悪い、遅くなって」

その人物の名前を呼ぶと、加山はいつも通りの朗らかな笑みをに向ける。

「わざわざ迎えに来てくれたんですか?住所も知っていますし、私1人でも何とか辿り着けると思ってたんですけど・・・」

「何言ってんだ。俺の我が侭で紐育まで来てもらったんだから、迎えくらい当然だろう?」

にっこりと微笑まれて、もまた困ったように笑みを返す。

我が侭・・・―――そう言われてしまうと、心苦しい。

何せもまた、それを望んでいたのだから。

「さ、行くか」

そう言って遠慮するからトランクを奪うようにして、加山は意気揚々と歩き出した。

その後ろを、は慌てて追いかける。

まだ冷たい紐育の空気の中、2人は並んで街を眺めながら歩き出した。

「あ、そうそう。俺たちの本部兼住まいは、ミッドタウンに用意したんだ。近くにセントラルパークがあってな。良い所だぞ」

「そうですか。楽しみです」

ニコニコと微笑みながら説明する加山を見上げて、もまた楽しそうに微笑む。

の部屋は俺の部屋の隣に用意しておいたから」

「わざわざすみません。私の部屋まで手配して頂いて・・・」

「なぁに、大したことじゃないさ。ま、ほんとは一緒の部屋でも良かったんだけど」

おどけた口調で言葉を続ける加山に、はにっこりと極上の笑みを浮かべて言い返す。

「・・・絞められたいんですか?」

「目が笑ってないって!お前が言うと、冗談に聞こえないんだけど・・・」

「冗談じゃありませんから」

即座に返すと、加山は大袈裟に怯えた素振りを見せた。

お互い冗談だと解っているので、そんな遣り取りすら心地良い。

案内をしながら歩く加山の隣に並び、なじみの無い街を2人で歩いている今に、はなんだか不思議な気持ちを抱いた。

こんな風に、加山と2人で紐育の街を歩くことになるとは夢にも思わなかった。

他愛無い話をしながら移動を続け、あっという間にミッドタウンに到着した2人は、そのまま再び加山に先導され街の中を歩く。

帝都・東京も他の街に比べれば幾らか発展しているとはいえ、やはり紐育には敵わない。

日本には無い天に伸びるような高いビルを見上げながら、は小さく息を吐く。

「ここだ!ここが俺たちの、城だ!!」

自慢げな加山の声と『城』という呼称に、はハッと我に返って指された方へ視線を向けた。―――視線の先には微かに日本を思わせる趣の小さな店と、『ROMANDO』と書かれた大きな看板。

「・・・あの?」

予想外の展開に、は戸惑ったように加山に視線を送る。

すると加山はにっこりと楽しそうに微笑みながら、店にを誘導しつつ少しだけ声を潜めて呟く。

「敵を欺くには、まず味方からって言うだろ?何をしてるか解らない人間が傍にいれば、この紐育の人だって不審に思うさ。だからこうしてカモフラージュしてだな・・・」

「なるほど」

言われてみればその通りだとあっさりと納得して、は再び大きな看板に目を向けた。

偵察にしろ何にしろ、加山との2人だけでするわけではないのだ。

帝都の月組本部でもそうだったように、多くの人の出入りがあるだろう。―――そうなれば人目につくし、時には怪しまれもするかもしれない。

その点で言えば、こんな風に店などを構えていれば人の出入りがあっても何ら可笑しくも無いし、隠す必要もない。

立派なカモフラージュになる。

さしずめこの店は、月組の表の顔だという事か。

「さぁ、とりあえず入ってくれ!」

至極楽しそうな加山に背中を押され、は店のドアを押して中に入る。

カランと乾いた鈴の音が響く中、店内に足を踏み入れたは目の前に広がった光景に思わず動きを止めた。

「どーだ!?素晴らしいだろう!!」

背後から聞こえてくる自慢げな声に、のこめかみが微かに痙攣する。

「・・・・・・加山さん。この店は・・・」

「ああ!俺自らが厳選した選りすぐりの品だ!」

そうではなくて。

思わず突っ込みたくなる心境を押さえて、極力冷静な声色のまま質問を変える。

「この店の趣旨は?」

「趣旨?見た通り、魅惑の日本を再現してみたんだが・・・」

「・・・・・・そうですか」

躊躇い無く言い放つ加山に、は咽まで出掛かった言葉を飲み込んで、当り障りの無い相槌を打つ。

前々から思っていたのだけれど、何年も一緒にいるにも関わらず加山の趣味が未だに理解できないとはため息を吐く。―――いや、もう既に嫌というほど解っていると言った方が良いか。

かつて花組の警護で巴里に行った時も、エリカの日本に対する認識の可笑しさに頭が痛くなったりしたものだが・・・。

「こういう店が、外国の日本に対する認識の誤解を生んでいるんじゃ・・・」

「はっはっは、そう言うなって。良い店だと思わないか?」

思わず頭を抱えそうなを尻目に、加山は気にした様子もなくそう言い切る。

言われて店内を見回せば、信楽焼きの狸が置いてあったり、だるまが置いてあったり。

バラエティに富んでいるというか、節操が無いというか・・・。

「ああ、そうだ。にもここの店番を頼むからな」

「え!?私がですか!?」

「・・・そんな嫌そうな顔するなよ。ちょっと傷付くだろ?」

あまりのの表情の変化に、流石の加山も少しだけ肩を落とす。―――それに気付き、慌ててフォローするように言葉を付け足した。

「そうは言っても・・・私、接客なんてしたことありませんし・・・」

「大丈夫だって。普段通りでいれば」

普段通りと言われても・・・―――そう心の中で反論して、今まで自分が行った店の店員を思い出す。

その全てが、あまりにも自分には向いていないような気がして、の気分も先ほどより下降していく。

その追い討ちを掛けるように、加山がポツリと言葉を付け足した。

「それから、給料は現物支給だから」

「・・・現物?」

「そうだ。ま、簡単に言えばこの店にある物だが。例えば・・・こけしとか、こけしとか、こけしとか・・・」

「結構です」

「そう言うなって」

即座に切って捨てて、は改めて店内を見回す。

何度見ても目の前の光景が変わるわけではないのだが・・・それでも何度も見ていれば最初の頃と比べて衝撃は薄くなっているのだから、加山にすっかり馴染んでしまっていると思うと嬉しいやら哀しいやら。

しかし慣れてしまえば、この店の良い点も見えてくる。

これだけ怪しい店ならば、そう客の数も多くはないだろう。

店として構えているとはいえ、ここは月組の本部なのだ。―――何処かの人気店よろしく客の数が多いのは歓迎できない。

加山がそれを狙ってこういう店にしたのかどうかは、さておき。

そんなことを考えていたの耳に、先ほど聞こえた乾いた鈴の音が届いた。

それが店のドアが開いた音だと気付き、背中を向けていたドアの方を振り返ると、そこには赤い髪の可愛らしい少女が立っている。

「おー!いらっしゃい、ジェミニ!」

「こんにちは、加山さん!・・・っと、お客様?」

元気良く加山に挨拶をした少女・ジェミニは、それほど広くも無い店の真中に立つを認めて小さく首を傾げる。

それと同じように、先ほどそれほど客は多くないだろうと予測していたは、唐突に現れた客の存在に軽く目を見開いた。

そんな2人の遣り取りを見て、加山はの隣に立つと肩に手を置いて明るい笑顔を浮かべながらジェミニに話し掛ける。

「違う違う。この人は。うちの店の看板娘だ」

何時、看板娘になったというのか。

そう突っ込んでやりたかったけれど、今ここでそれをするのは余計に場を混乱させるだけだと解っていたので、はにっこりと微笑むだけに留めておいた。―――さり気なく加山の足を踏みつけることは忘れていなかったが。

痛ぇ!と声を上げる加山を無視して、誤魔化すように笑顔を浮かべながらジェミニに視線を向ける。

しかし当のジェミニは、痛みに悶絶する加山など気付かぬ様で、キラキラと目を輝かせながらを見詰めていた。

「看板娘!うわ〜、日本的な響きで素敵〜!!そっか、この人が看板娘か〜!!」

「ええと・・・」

「小さな店で懸命に働く美女!しかしその店に強面の男たちがやって来て・・・。『おう、姉ちゃん。綺麗な顔してるじゃねぇか』『いや、止めてください!』『そんなこと言わずに、俺たちとどこか遊びに行こうぜ』―――嫌がる美女を無理矢理連れて行こうとする男たち。しかし!そんな男たちの前に、颯爽と現れる正義の味方!」

「・・・あの〜」

「『止めろ!彼女に乱暴は止せ!』『あ、貴方は!』『私が来たからには、もう安心です!さぁ、お前たち。私が相手になってやる!』―――邪魔をされて怒り狂う男たちをあっという間に撃退し、そしてそこに生まれる1つの愛!!」

突然始まった寸劇に、はどう反応して良いやら解らず呆然とそれを眺めた。

止める為に出した手が、空しく宙を彷徨う。

「ああ、気にするな。彼女の妄想はいつものことだから」

そこに漸く痛みから回復した加山が、困ったように笑いながらに助言する。

それに納得したのかそうでないのか解らない曖昧な返事を返したは、未だに繰り広げられる妄想に重いため息を吐き出した。

「おい、ジェミニ!妄想はそれくらいにしておけ」

「・・・はっ!え・・・あ、ごめんなさい。つい・・・」

加山の声に我に返ったジェミニは、恥ずかしそうに頬を赤らめながら、困ったように微笑むに向かい右手を差し出した。

「ごめんなさい。ボクはジェミニ・サンライズ。ジェミニって呼んでね」

「私は。好きに呼んでくれて構わないわ」

差し出された手を握り返し、にっこりと微笑み返す。

お互い自己紹介が終わり、ジェミニはこの店に来た目的・・・―――ちょんまげのカツラを購入しようとしたのだが、生憎と今は在庫がないと言われ見るからに肩を落としていた。

はそのちょんまげのカツラを一体どうするのか疑問を抱いたけれど、あえて尋ねることはしなかった。―――世の中、知らなくても良い事はたくさんあるのだ。

「それにしても・・・この店に加山さんの他に店員さんがいたんだね。ボク何回かこの店に来たけど、加山さん以外見たことなかったのに・・・」

しっかりとちょんまげのカツラを注文し終えたジェミニが、を見詰めながらしみじみと呟く。

「ええ、実はさっき紐育についたばかりなの。これからはこの店でも顔を合わせることになると思うけれど・・・よろしくね」

「あ、はい!こちらこそよろしくお願いします!!・・・それにしても、この店で働く為に日本から来るなんて・・・やっぱりこの店ってすごいんだ」

感心したように頷くジェミニに、も何も言わずに当り障りの無い笑顔を浮かべる。

こうなってしまっては、訂正するのも少々面倒だと判断した結果だった。

「あ、いけない!そろそろシアターに戻らなくっちゃ!それじゃ、加山さん、さん、また!!」

「ああ。頑張れよ、ジェミニ!」

来た時同様、唐突に慌てた様子で店を飛び出すジェミニを見送って、は微かに首を傾げて加山を見た。

「・・・シアター?彼女、もしかして・・・」

日本にいる間に目を通した紐育華撃団についての資料を思い出して、は先ほどのジェミニの顔を思い浮かべる。―――確か華撃団の本部になっているのはリトルリップシアターという劇場だけれど、紐育華撃団・星組の隊員の中にジェミニの資料はなかった筈だ。

そういう意味を込めて尋ねると、加山はの言いたい事を察して口を開いた。

「ジェミニは星組の隊員じゃない。リトルリップシアターの掃除係だ」

「掃除係・・・ですか?」

「まぁ、紐育華撃団の存在と正体について知ってる数少ない人物の1人でもあるが」

加山の言葉に、は微かに眉間に皺を寄せる。

従業員とはいえ、ただの掃除係にまで正体がバレているというのはどういうことなのだろうか?―――国家レベルの機密事項であっても可笑しくないだろうに。

そうは思ったけれど、日本には日本の、アメリカにはアメリカの考えがあるのだろうと簡単に結論付けて、は改めて加山と向き合った。

「ともかく・・・これからもよろしくお願いします、加山さん」

突然改まった様子のに驚きながらも、加山も笑ってそれに応える。

「ああ。よろしく、

2人はにっこりと微笑み合い、強い力でお互いの手を握り返した。

 

 

用意された自分の部屋に入り、持っていたトランクを置いて部屋の中を見回す。

それほど広いわけではないが、1人で暮らすには十分すぎる広さ。

既にベットや机などの家財道具は揃えられており、先に日本から送っておいた荷物も部屋の隅にちゃんと置かれている。

まずはそれらを片付けなければと考えながらも、はそれに手を付けずに部屋の窓を開け放ち、傍にあった椅子を引いてボンヤリと街を眺めた。

店やたちの部屋がある場所は比較的静かだけれど、遠くの方では夜にも関わらず明るい光が灯っている。

立ち並ぶ大きな建物やビルは、見慣れていなくて少し落ち着かない。

「本当に来たのね、紐育に・・・」

ポツリと呟いた声は、すぐに静けさに溶けてゆく。

まさか自分が紐育に住むことになるとは思っていなかっただけに、今の自分が信じられない。―――あやめに勧誘されてからいろいろな事があったけれど、まさかこんな状況にまで及ぶとは・・・。

この街に知っている人はいない。

加山と、そして共に来た少数の月組隊員だけ。

淋しい・・・のだろうか?―――まだ紐育に来たばかりだというのに、もうホームシックにかかったとでも?

浮かんだ考えを苦笑交じりに否定して、はそれを振り払うように頭を振った。

「さぁ、これから頑張らなきゃね」

そして自分を奮い立たせるようそう呟いて、椅子から立ち上がる。

まずは、荷物の整理から始めなければ。

そう結論を出し、は積み重なったダンボールに手を掛けた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

ジェミニ、初登場。

彼女の妄想は難しいです。

なんか一昔・・・というよりは二昔前の展開ですが・・・。(笑)

次は一番のお気に入りのあの人を出したい・・・!!

作成日 2005.8.12

更新日 2009.4.10

 

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