は今、かつて無いピンチに見舞われていた。

彼女の手には、一冊の本。

既に定位置となったROMANDOのカウンターに座り、難しい顔をしてその本を睨み付けている。

「何やってるんだ?」

不意に背後から声が掛かり、油断していたはビクリと身体を震わせ・・・―――その拍子に、膝に乗っていた本がバサリと音を立てて床に落ちた。

慌てて振り返り、思ったよりも近くに立っていた加山を、は恨めしそうに見上げる。

「吃驚させないで下さい、加山さん」

「いや、驚いたのはこっちだ。お前がそう簡単に背後を取られるなんて・・・」

同じく吃驚したように目を見開く加山から、は気まずそうに目を逸らした。

「どうしたんだ?何か悩みでもあるのか?」

「いえ、悩みというか・・・」

不思議そうに顔を覗き込む加山から身を逸らして、いつものらしくなく視線を合わせようとはしないその態度に、加山の眉間に皺が寄る。

自然と視線を落とすと、床に落ちた本が加山の目に入った。―――それを屈みこんで拾いながら、明らかに挙動不審なに声を掛ける。

「今日のお前、少し可笑しいぞ?―――っと、なんだこれ?」

「あっ!それは・・・!!」

慌てて手を伸ばしたが、時既に遅し。

しっかりと加山の手に収まっているそれには、大きな文字でこう書かれてあった。

『台本』と。

 

光の中の

 

がサニーサイドとの取引により紐育華撃団に入隊してから暫く経った頃。

笑顔を浮かべているラチェットから、が最も恐れていた言葉が飛び出した。

「次の公演は、と昴に主役をしてもらおうと思っているの。どうかしら?」

ニコニコと微笑みながら同意を求めるラチェット。―――しかし言葉は尋ねる形であるというのに、既に決定していると言わんばかりの声色。

それに対し、は当然とばかりに抗議の声を上げた。

冗談じゃないと言わんばかりの剣幕に、ラチェットの眉が少しだけ下がる。

「どうして?まだ内容の説明もしていないのに・・・」

「内容がどうとか言う問題じゃないわ」

頭痛がする頭を押さえ搾り出すように抗議するを尻目に、しかし同じく主役に指名された昴はあっさりとそれを受けた。

「昴は、了解した」

「ほら、昴はやるって言ってるわよ?」

「相手がどうこう言う問題でもないの」

キッパリとそう言って、それはもう重いため息を吐き出す。

にとって、最早ため息は癖のようになりつつあった。

「それじゃあ、一体何が問題だって言うの?」

流石のラチェットも、の猛反対に不満げな表情を浮かべる。

それはそうだろう。―――リトルリップシアターで主役を張るというのは、憧れこそあれ嫌悪を感じるものではない筈だ。

多くの人がそれを望み、またそれを目標に頑張っている。

良い例が、現在は掃除係としてシアターで働いているジェミニだ。

何が不満だと言わんばかりのラチェットに、は引きつった笑みを返して。

「ラチェット。私が誰なのかを知って言っているのよね?」

「誰なのかって・・・?」

「私は、帝国華撃団隠密部隊・月組の隊員なの。隠密部隊は、決して目立つべきじゃないのよ」

「だけど、今は星組の隊員でしょう?」

「でも月組の隊員でもあるわ。私は月組を辞めたわけではないのだから」

口調を強めて、言い聞かせるようにそう言う。

取引と称して星組に入隊させられた。―――これはそんなのささやかな抵抗でもある。

しかしそんな抵抗が成功するほど、ラチェットもサニーサイドも甘くは無かった。

「それでも現在は星組の隊員である事も事実。星組の隊員である以上、こちらの要求に従う義務があるわ。そうでしょう、?」

言い含めるように言われれば、とて返す言葉が見つからない。

確かにそうなのだ。

例えどれほどが拒否したとしても、成り行きとはいえ星組の隊員である以上は上司であるサニーサイドやラチェットの決定に従わなければならない。―――それがあまりにも非人道的な命令ならばともかく、今彼女が言っていることは正論なのだから。

思わず黙り込んだに、その場にいたサジータと昴は勝者が誰なのかを悟った。

いくらラチェットがに甘いとはいえ、舞台のこととなるとそうもいかないらしい。

ただ単に、と共に舞台に立ちたいという願望が成せる技なのかもしれないけれど。

「それで?今回は一体どういう話なんだい?」

ひとまずの勝負がついたことを察して、サジータが話を前に進めようとそう問い掛ける。

それに気を良くしたラチェットは、再び笑顔を浮かべて台本を配り始めた。

「今回の話はね。呪いを掛けられた一族と、呪いを掛けた少年の物語よ」

「・・・呪い」

出てきた物騒な単語に、台本を受け取ったが眉を顰める。

それだけを聞いても、楽しそうな話には思えなかった。

「ある夫婦が、国に災いをもたらす悪魔を倒すべく戦いを挑むの。けれどその夫婦は勝負に負け、報復を恐れた悪魔は夫婦の赤子に呪いを掛けた。その赤子が主人公の少女よ」

ラチェットの説明に沿って、全員がパラパラと台本を捲る。

主人公の少女は大人になり、やがて同じく悪魔の呪いを受けたという少年と出会う。

何時しか少女と少年は恋に落ちるけれど・・・―――実はその悪魔の正体が、少年だという事実を突きつけられ。

苦悩しながらも、少女は呪いを解くべく少年に戦いを挑む。―――という内容だ。

その主人公の少女役をが、少年役を昴が演じることとなる。

「私はもう、少女と称されるような歳でもないのだけど・・・」

「そんなことないわ。は歳よりも大分幼く見えるから・・・」

「やっぱり東洋人ってのは皆そうなのかねぇ?昴も年齢不詳だし」

ぼやくサジータを横目に、と昴は思わず顔を見合わせた。

確かに、は23歳には見えないと昴は思う。

雰囲気も動作も決して幼くは無いというのに・・・―――それでもやはりそう見えるというのは顔立ちのせいか、それとも気丈に振舞っていてもどこか脆さが見えるからなのか。

「本当はね。シェークスピアのロミオとジュリエットも候補に上がっていたのだけど」

ボソリと呟いたラチェットの言葉の意味を、サジータと昴は敏感に察した。

もしもロミオとジュリエットを選んでいたとしたら、は何が何でもラチェットをジュリエット役にと推しただろう。

勿論ラチェットはにジュリエット役をさせるつもりでいるのだろうが、何だかんだ理由をつけて拒否されかねない。―――ラチェットがジュリエット役をする事に対して、文句のつけ様も無いほど申し分ないのだから。

けれどこちらの話だとそうもいかない。

確かにラチェットは有名な女優だけれど、少女役をするにしては雰囲気が合わないのだ。

その点、はラチェットよりも歳は上だけれど、顔立ちがラチェットに比べて幼い為、少女役でも違和感が無い。―――彼女よりも色気がないと言えばそれまでだが、それを本人に伝える程の危険を冒すつもりはこの場の人間には無かった。

「でも、私は・・・」

けれど尚も抗議の声を上げようとするに、ラチェットは星組隊長の表情をしてキッパリと言い切る。

「これはもう決定事項なのよ、

台本が刷り上っている時点で、それはもう避ける事など出来ない。

それどころか、既にあちこちで宣伝も開始されている。―――がどれだけ文句を並べようとも、翻す事は最早不可能なのだ。

「稽古は明日からよ。ちゃんとセリフを覚えてきてね、

再び笑みを浮かべ問答無用でそう言ったラチェットを見詰めて、漸くは抗議する事を諦めた。

そして話は、冒頭へと遡る。

 

 

「へぇ・・・、お前が主役ねぇ・・・」

「・・・・・・可笑しければ笑ってくれても構いません」

「いや、別に可笑しくは無いが・・・」

思わず呟いた言葉に、憮然とした様子のの返答が返ってくる。

それに曖昧に言葉を濁して・・・―――まさか本当にが舞台に立つなんて思っても見なかったと、加山は心の中でひっそりと呟く。

星組の隊員になった時点で、そういう話があるのではないかとは思っていた。

しかしがそれを引き受けるとはどうしても思えなかったのだ。―――まぁ、実際は引き受けたわけではなく、押し切られたという方が正しいのだろうが。

今回は既に先手を打っていたラチェットの勝ちだという事だろう。

加山は台本を持ったまま、カウンターの椅子に腰を下ろした。

それを認めたは、お茶を入れるべく立ち上がる。―――それは既に日常的なもので、この時間がと加山が何の邪魔も無く(客除く)穏やかに過ごせる時でもあった。

パラパラと台本のページを捲り、素早く文字を目で追っていく。

あらすじを聞くのではなく、こうして改めて台本を読んでいると、なかなか面白そうな舞台だと加山は思った。

「・・・どうぞ」

「ああ、ありがとう」

静かにカップを渡され、短く礼を言ってそれに口を付ける。

毎回出てくる飲物は違っているのだが、しかしどれも加山の好みに合わせられている。

そんなの気遣いと、自分の好みを熟知しているという事実が、加山には何だか少しくすぐったく、また嬉しいと感じる。

今日はコーヒーにしたようで、カップを持つと良い香りが鼻をくすぐった。

「なかなか面白そうな舞台じゃないか」

「それはまぁ・・・」

素直に感想を述べると、もそれには異議は無いのか言葉を濁しつつも小さく頷く。

確かに面白そうではあるのだ、とは思う。―――それを演じるのが自分でなければ。

そもそも、自分は舞台だとかそういう人前に出るような事は向いていないのだと、は口には出さずに心の中で1人ごちる。

そういうのはラチェットのような華やかな人間がすれば良い。

自分のような人間は、影に徹する方が似合っている。―――現には今までそうやって生きて来たし、今まで一度も華やかな舞台に立ちたいと思ったことは無い。

はそっとため息を吐き出し、コーヒーの入ったカップを口へと運ぶ。

稽古に入れば、自分がいかに舞台に向いていないかがラチェットにも解るだろう。

そんなことを思いながら、コーヒーを啜る。―――とその時、加山がにとっては衝撃的な言葉を口にした。

「折角だから、俺も見に行こうかな」

「ぐっ!・・・ケホケホ!」

思いも寄らないその言葉に動揺し、コーヒーを噴出しかけて思わずむせてしまう。

飲んだコーヒーが気管に入りかけ激しく咳き込むに、加山は慌てて立ち上がった。

「お、おい、大丈夫か?どうしたんだ?」

心配げな声を掛け背中をさする加山を、は涙目になりながらも恨めしそうに見上げ、一体誰のせいだと目で訴えかける。―――が加山はそれに気付いていないようで、一心に背中をさすり続けた。

漸く咳も収まった頃、痛む咽を押さえてはゆっくりと深呼吸をして。

「加山さん、今なんて言いました?」

「は!?今?今って・・・大丈夫か、か?」

突然の質問に、加山は疑問符を頭の上に浮かべつつも返事を返す。

しかしは静かに首を横に振って、戸惑いながらも加山を見上げた。

「その前です。私が咳き込む前に、加山さんが言った言葉・・・」

「え〜っと・・・ああ、そうだ。俺も見に行こうかな・・・か?」

ポンと手を打って笑顔を浮かべた加山に、は深いため息を零す。

「・・・それ、本気で言っているんですか?」

「ああ、勿論。が舞台に立つなら、俺も見てみたいし・・・って、見に行っちゃ駄目なのか?」

質問を質問で返されて少しだけ眉を顰めるも、心底不思議そうにそう言う加山を見詰めては口を噤む。

加山が自分の舞台を見に来る。

それを考えると、の心はなんとも言いがたい安心感に満たされるようだった。

いつも自分の傍にいた加山。

どんな窮地に陥ったとしても、いつも2人で切り抜けてきた。―――そんな加山がいるのならば、もしかすると自分にも出来るかもしれない。

「そう・・・ですね。加山さんが見に来てくれるなら、私も・・・」

そう答えて・・・―――しかしその場を想像したは、すぐさまその考えを否定した。

頭の中に浮かんだ光景に、らしくもなく顔が熱くなる。

「やっぱり、駄目です!加山さんは見に来ないで下さい!」

「なんでだ!?さっきは良いって・・・」

「だって・・・!!」

加山の言葉を遮って、は赤い顔のまま声を荒げた。

視線が合い、気まずそうに目を逸らす。

舞台なのだから、演技をする。

ミュージカルなのだから、歌も唄う。

勿論、ダンスだってするのだろう。

まだ稽古にも入っていないので、それはかつて帝劇で・・・そしてシャノワールで見た光景しか思い浮かばないが、それをしている自分を加山が見ている光景を想像する。

それは心強いと同時に、また気恥ずかしさを感じるものでもある。

今まで当然だがそんな姿は見せた事など無いのだ。―――それを加山に見られるかと思うと、1度は落ち着いた心が再び騒ぎ出す。

稽古を始めれば、きっとラチェットとてを主役になど押さないだろうとは思っているけれど・・・―――それでも、その場しのぎでも加山に『見に来てください』なんて言えなかった。

黙り込んだの顔を、加山が訝しげに覗き込む。

真っ赤な顔を見られないようにと更に俯くを見かねて、加山は強引にの肩を掴み顔を上げさせた。

「・・・どうしたんだ、?」

「加山さん・・・。いえ、何でもないんです。気にしないで下さい」

「気にするなって言っても・・・」

あまり見ないの様子に、加山は戸惑ったようにただ視線を向ける。

その視線を受けて、は更に恥ずかしくなりサッと視線を逸らした。

ぎこちない様子の2人の間に、気まずい空気が流れる。

「・・・あの〜」

そんな2人が我に返ったのは、もう日も落ちた頃。

の初舞台祝いにと、店にやって来たジェミニの困ったような声が聞こえた時だった。

 

 

翌日、宣言どおり稽古が開始された。

朝も早くから舞台に集まったラチェット・サジータ・昴の3人は、それぞれにを見やり、さて何処から手をつけたものかと考えを巡らせている。

何せは今まで舞台に立った事など一度も無いのだ。―――言ってしまえば素人も同然であり、学ばなければならない事は多い。

初日が始まるまでそれほど時間があるわけでもなく、いかに効率よく稽古をするかが現在の問題点でもあった。

は、演技とかしたことある?」

突然ラチェットにそう問い掛けられ、は曖昧な笑みを浮かべる。

普通に暮らしていて、演技をする機会などそう在りはしないだろう。―――それを解って聞いているのだろうかと心の中で苦笑する。

しかしそんな問い掛けに対し、ではなくサジータが口を開いた。

は月組にいたんだろう?あたしはあんまり詳しくはないけど、月組って潜入捜査とかもするって話じゃないか。ならだってした事あるんじゃないのか?」

「それは、潜入捜査ならあるけど・・・」

サジータの疑問に、その意図が読み取れず言葉を濁しながら答える。

確かにサジータの言う通り、潜入捜査ならした事がある。―――というか、それは情報を探る上では避けられない事でもあるだろう。

大多数の月組隊員が、様々な場所に潜入し普段はそこで生活をしつつ情報を探る形なのに対し、ら本部待機組は必要に応じて短期的に潜入する形のものばかりだったが。

「そこじゃあ、やっぱり正体がバレないように振舞ったりするんだろ?」

「それはまぁ、そうだけど・・・」

「ならそれって立派な演技じゃないか。しかも身の危険が関わってるくらいだから、多分気合入った演技だったんだろうな」

「・・・どう、なのかしら?」

言われればそうかもしれない。

確かに新しく花組に入隊する織姫やレニを迎えに行く時も、変装してそれらしく振舞ったりもしていたのだし、それを演技と定義付けるのならばそうなのだろう。

「それなら、演技の方は問題ないわね」

あっさりとそう結論を出し、それに付いては既に解決したと言わんばかりのラチェットに少しの不安を感じつつも、はその場を大人しく見守る事にする。

下手に口を挟む方が己の身を陥れるかもしれないと、そう悟ったからなのかもしれない。

「次は踊りの方だけど・・・。は踊った事はある?」

さくさくと話を進めるラチェットに怯みながらも、は戸惑いながら口を開く。

「昔・・・まだ子供だった頃、日本舞踊をちょっとだけ・・・」

「へぇ、それは興味深いね」

の口から出た日本舞踊という言葉に、昴は微かに口の端を上げた。

「まさか君が日本舞踊を習っていたとは思わなかったよ」

「・・・家の近所に、昔踊りを踊っていたという人が教室のようなものを開いていて。小さい頃から剣術の稽古ばかりをしていた私に、少しでも女の子らしさを身に付けさせたいって、母が・・・」

剣術道場の一人娘として祖父から剣術を叩き込まれ、鍛錬に明け暮れた毎日。

父からは剣術だけではなく、これからは学問も出来なければと勉学に勤しみ。

母からは女らしさをと、一通りの家事と踊りの稽古を義務付けられ。

気を抜く暇もなかった子供時代。

が漸く自由な時間を持てるようになったのは、大神一郎と出会ってからだ。

当時のことを思い出し、の眉間に微かに皺が寄る。

それは本当に僅かなもので、幸いな事に誰も気づかなかったが。

「ふーん、どれくらい踊れるんだい?」

「どれくらいって・・・子供の頃の話だもの。人に見せられるほどの物じゃ・・・」

「踊ってみて」

サラリと言われ、は思わず目を丸くする。―――今、人に見せられる物ではないと言ったばかりだというのに。

の言いたい事が解ったのか、昴は目を薄く細めて。

「見てみないことには判断が出来ないだろう?どの程度踊れるのか、それを見極めてからでないと稽古の計画も立てられない」

昴の言う事は正論であるだけに、としても返す言葉が見つからない。

あまり良い思い出ではない上に、昔の事過ぎて少し恥ずかしくもあるのだけれど。

貸してあげると昴から扇子を借りて、それを困ったように見詰めてはため息を零した。

どうせ何を言っても、彼女たちは納得しないのだろう。―――色々な理由をつけて結局踊らされるのなら、余計な時間は使わないほうが幾らかマシだ。

そう覚悟を決めて、は昴から借りた扇子をパッと広げる。

深く深呼吸を繰り返し・・・―――古い記憶を手繰り寄せ、習った踊りを思い出す。

その記憶を頼りにゆっくりと目を閉じれば、後は身体が勝手に動いてくれた。

フワリと、の動きに合わせてコートが翻る。

長い黒髪が微かになびき、ゆるりと風と共に流れていく。

踊りとしてはまだまだ未熟なところは多いというのに、それでもその優美な振る舞いに3人の目が釘付けになる。

どれほど踊っていただろうか?―――記憶の中にある踊りの型が途切れたところで、はゆっくりとその動きを止めた。

舞台がシンと静まり返る。

踊り終えたは、黙ったままの3人を不安げに見詰めていた。

とその時、その静かな空気を破るように唐突に拍手が鳴り響き・・・―――反射的に振り返ったの目に、舞台袖から拍手を送るサニーサイドの姿が映った。

「いや〜、素晴らしい!さすが、ボクの目に狂いはなかったね!!」

「サニーサイド。・・・一体何時から?」

「ん?ついさっきだよ。君が踊り始める直前くらいかな?」

その言葉には引きつった笑みを浮かべる。

それは最初から見ていたということじゃないのかと文句を言いたかったが、しかし納得したような昴の声に遮られた。

「ふむ。まぁこれなら少し稽古をすれば大丈夫だろう。どう思う、ラチェット?」

「そうね。十分よ。基礎はしっかりと出来ているようだし、これなら初日にも間に合いそうだわ」

ホッと安心したように微笑むラチェットに、は複雑な思いを抱いた。

別に困らせたかったわけではないし、認めてもらえたことは嬉しいのだけれど。

この様子だと舞台に立つ事は免れそうもないことを悟り、は諦めたように天井を仰いだ。

白く輝くライトの光が、妙に目に痛かった。

 

 

稽古を始めてから、瞬く間に時は過ぎ。

実際は十分な時間があったのだが、歌に踊りに演技の稽古と忙しく動き回っていたにとっては、本当にあっという間で。

舞台初日、リトルリップシアターの幕は上がる。

大歓声の中、輝くライトを浴びて微笑むを客席から見詰めていた加山は、嬉しいような悲しいような気持ちを胸に立ち尽くしていた。

舞台が成功したかどうかは、この大歓声を聞けば解る。

既にリトルリップシアターの女優として1人歩きしてしまったへの賛辞を、加山はただ聞き流す。

いつも隣にいたが。

あの容赦ない毒舌を向ける、自分の好みを熟知した、相棒であるが。

手の届かない遠い場所へ行ってしまったかのような錯覚さえ覚え、自嘲の笑みを浮かべる。

舞台が終われば、自分の元に・・・―――あのあまり客の入らない店へと戻ってくる事は解っているというのに。

「やぁ、加山くん。こんな所で見てたのかい?」

「・・・サニーサイド支配人」

「見に来ると言ってくれれば、良い席を用意しておいたのに」

にっこりと人の良さそうな笑顔を浮かべるサニーサイドに、加山は作り物の笑みを返す。

今は彼のテンションに付いていけそうも無いと、そんなことを思いながら。

再び舞台に視線を戻すと、向けられる歓声にぎこちないながらも手を振るの姿が目に映った。

ああいうのは苦手なんだよな、あいつ。―――と思わず苦笑を漏らす。

同じようにを見ていたサニーサイドが、他の観客と同じく拍手を送りつつ口を開いた。

は良い女優になるよ。あれだけの人を惹き付けられるんだから。・・・そうは思わないかい?」

「そう・・・ですね」

「彼女はもう、星組にとってなくてはならない人物だ。それはボクたちにしても、シアターに来るお客様にしても、ね」

言い含めるようにして、サニーサイドは言葉を紡ぐ。

それはが星組に入隊する事が決まった夜、加山に対して言った言葉を示しているかのようで。

『大切なモノほど失いやすい、と思ったことはないかい?』

確かにそうなのかもしれないと、加山は思う。

『大切なモノは、手放すべきじゃないんだよ。例えどんな理由があるにせよ。そうじゃないと、誰かに奪われちゃうかもね』

頭の中に響く声に導かれるように、舞台のをただ見詰める。

その言葉通り、奪われてしまうのだろうか?

こうやって、は少しづつ離れていくのだろうか?

そう思ったその時、加山は舞台に立つと目があった気がした。

遠目でも解るほど驚きの表情を浮かべている。―――それは遠目でも解るほど、のことを見ているということなのか。

ぼんやりとそんなことを考えていた加山の目に、の笑顔が飛び込んできた。

満面・・・というわけではないが、穏やかなその笑顔。

今日一番の笑顔を浮かべ、はゆっくりと一礼する。

そして先ほどのと同じように驚きの表情を浮かべた加山を見詰め、照れくさそうにはにかんだ。

それに救われたような気がして・・・―――自分は何処にも行かないと、そう言ってもらえたような気がして、加山はスッと肩の力を抜き隣に立つサニーサイドに声を掛けた。

「渡しませんよ、絶対に」

「・・・・・・」

「月組としても、俺自身としても」

力強く迷いの無い声に、サニーサイドは不敵な笑みを返す。

「上等だ。そうでなければ面白くない」

普段よりも幾分か低い声に、彼の本気を垣間見たような気がして。

お互い顔を合わせる事無く、戦いの火蓋は切って落とされた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

VSですか。そうですか。

サクラに関して言えば、今までこういう展開はなかったのでちょっとドキドキです。

まぁライバルになるとしたらサニーサイドしかいませんしね。(ゲームの中ではちょっとラチェットと怪しい彼ですが)

ただ単に舞台デビューの話を書きたかっただけ。(オイ)

作成日 2005.8.24

更新日 2010.5.16

 

戻る