部活が終わった後。

家に帰ってきて着替えたばかりの私の耳に、大きなノックの音が響いた。

「どうぞ」

そのノックの仕方で誰なのかが簡単に知ることが出来た私は、脱いだばかりの制服をハンガーに掛けながら、ドアの方も見ずに返事を返す。

すると私の返事のすぐ後にドアが開き、そこからお兄ちゃんが顔を出した。

「おう。お前、今暇か?」

「・・・まぁ、暇って言えば暇だけど」

突然の問い掛けに、私は小さく首を傾げた。

 

やっと

 

静まり返ったその空間で、私は何をするでもなくぼんやりと白い壁を眺めていた。

時間も時間なので、私以外の人の気配はない。―――夜8時も過ぎてここに来る人なんて、大抵は切羽詰った人ばかりだろうから、この静けさはある意味歓迎すべき事なんだろう。

傍らにあった『野口総合病院』というシールの張られた雑誌を手にとって、何気なくそれをパラパラと捲る。

どうでもいいけど、暇だ。

お兄ちゃんに『暇なら出かけないか?』と言われて来たのは良いけれど、ここに来ても暇ってどういうことなんだ。

これなら自分の部屋にいた方が、まだ暇潰しが出来たに違いない。

まぁそうは言っても、行き先を聞けば着いて行っただろうけど。

雑誌を読む気にもなれなくて、それを無造作に閉じると律儀にラックの中に戻して。

大きく息を吐き出して、部活で疲れた身体を堅いソファーに深く沈める。

「・・・・・・」

カチカチと響く時計の音をぼんやりと聞きながら、そのリズム以上に自分の心臓が早く鼓動を打っているのを自覚した。

柄にも無く、ちょっと緊張しているらしい。

緊張・・・じゃないのかも。―――緊張じゃなくて、ただ怖いだけなのかもしれない。

待合室から伸びる廊下の奥に視線を向けて、そこからこちらに来るであろうお兄ちゃんの姿を想像すると、胃が縮む気がした。

あれから3年は経ってるんだし、喧嘩とかも普通に出来てたんだから何も問題は無いとは思うんだけど。

そんなことをボーっと考えていた私の耳に、ガチャリとドアの開く音と、お兄ちゃんのありがとうございましたという声が聞こえて、私はソファーから少しだけ身を起こした。

もう一度パタリとドアの閉まる音が聞こえた後、こちらに向かって廊下を歩く足音が響く。

「よお、待たせて悪かったな」

視線を送っていた廊下の先から、明るい表情をしたお兄ちゃんがひょっこりと顔を出す。

そこに浮かんでいる微笑に、私は簡単に結果を予測する事が出来た。

「どうだった?」

「ああ、大丈夫だってよ。もうバスケしても問題ねぇってさ」

ニコニコと笑顔を浮かべるお兄ちゃんを見て、私も漸く安堵の息をついた。

「そう。良かったね」

「それだけかよ。もっと他にねぇの?『嬉しいわ』とか『心配したの』とか・・・」

「へ〜、お兄ちゃんってそういう事言ってくれるような女の子が好みなんだ」

「べっ!別に、んな事言ってねぇだろが!!」

なよっと仕草までつけて可愛い対応を要求してくるお兄ちゃんに、私は冷めた視線を投げかけて茶化すように言う。―――するとお兄ちゃんは、物凄く慌てた様子で反論してきた。

そんなに必死に否定しなくても良いんだけど。

別にそういうタイプの女の子が、マニアックな趣味だって訳でもないんだし。

そういえば今まで聞いた事なかったけど、お兄ちゃんの女の子のタイプってどんな娘なんだろう?

暴走時代(不良時代とも言う)はともかく、バスケとかしてた中学の頃は結構女の子にも人気があったみたいなのに、彼女とかいた気配なかったし。

まぁ、あの頃はバスケ一筋って感じだったから興味がなかっただけかもしれないけど、やっぱり高3にもなれば彼女の1人や2人は欲しいと思っても不思議ではないと思うんだけど。

「・・・・・・なんだよ」

必死になって反論していたお兄ちゃんは、不意に私の視線に気付いて不思議そうな表情を浮かべて私を見返した。

それに私は、別に・・・と素っ気無く返して、病院の玄関へと向かう。

ちょっとお兄ちゃんの好みのタイプとか聞いてみようかなって思ったんだけど。

うん・・・―――何となくそんな気分にならなかったから、今度聞く事にしよう。

「おい、待てって!!」

背中から追いかけてくるお兄ちゃんの声を聞きながら、私はどうして聞く気にならなかったのかという疑問を病院のゴミ箱に捨てた。

 

 

「腹減ったなぁ・・・」

病院を出た私とお兄ちゃんは、歩道を歩きながら空腹を訴えるお腹を押さえた。

「そうだね。ご飯まだだし」

「・・・どっかで食って帰るか?」

「家に帰ってお母さんに愚痴られるだろうけど、お兄ちゃんの奢りなら良いよ」

「・・・・・・」

「何食べる?」

お母さんの剣幕を思い出したのか・・・急に口を噤んだお兄ちゃんに、私は追い討ちを掛けるようにそう問い掛けた。

「・・・食って帰るのか?」

「だって私、お腹空いたもん」

キッパリ空腹を訴えると、お兄ちゃんも決意を固めたのか同意する。

まぁ、たまにはお母さんの愚痴を聞くのも良いだろうし・・・―――お兄ちゃんの場合は、たまにじゃないだろうけど。

それに多分、お母さんの矛先は私よりもお兄ちゃんに向くだろうからね。

ほら、なんて言うの?―――手の掛かる子ほど可愛いってやつ?

何を食べるか思案しながら歩道を歩いていると、不意に大きなバイクのエンジン音が響いて、進行方向から明るいライトが近づいてくるのが見えた。

昼間ならまだしも、静かな夜にはその音は大きすぎる。

ちょっとだけ眉を顰めながらそのバイクに何気なく視線を送ると、そのバイクの主も丁度こちらを見ていたみたいでチラリと視線が合った。

「・・・あ!」

そのバイクの主に見覚えがあって思わず声を上げると、お兄ちゃんも同じように驚いた様子でそのバイクを見詰めていた。

すぐにそのバイクは動きを止めて、主が私たちの方を振り返る。

「鉄男・・・」

「三井・・・か?」

疑問系なのが、ちょっと悲しいところだけど。

あのバスケ部乱闘事件の時以来に見るその姿に、私は妙な懐かしさを覚えた。

「鉄ちゃん、久しぶり〜」

「よお、。元気そうだな」

「うん、まあね。鉄ちゃんも桜木君にやられた傷の方はもう良いの?」

「あれくらい、何てことねぇよ」

私の遠慮のない質問にも、鉄ちゃんは笑顔で答えてくれる。―――まぁ世間一般で言えばその笑顔は不敵な笑みにしか見えないんだろうけど・・・私には笑顔に見えるからそれで良い。

ニヤリと口角を上げた鉄ちゃんは、バイクから降りると私に近づき乱暴に頭を掻き混ぜた。

「痛いって!」

「ふん」

控えめに文句を言う私に、鉄ちゃんは楽しそうに鼻を鳴らす。

確かに痛いんだけど、鉄ちゃんの大きな手は心地良いので嫌ではない。

暫く私の頭を掻き混ぜた後、鉄ちゃんはガードレールに腰を下ろして、ポケットから出した煙草に火をつけた。

そうしてどう反応して良いか解らないといった風に立ち尽くすお兄ちゃんを横目に見てから、その視線をお兄ちゃんの背後にある病院に向ける。

その視線の意味に気付いて、お兄ちゃんも同じように病院を見上げると、もう一度鉄ちゃんに向き直って口を開いた。

「膝を検査してもらったんだ、一応」

「なんだ、その頭は」

ちょっとだけ気まずそうに口に出すお兄ちゃんに、鉄ちゃんは全く会話になっていないような返事を返す。

それに少しだけ怯んだお兄ちゃんは、再び口を噤む。

お兄ちゃんにしてみれば、きっと罪悪感みたいなものを感じてるんだろうけど。

まぁ、ほぼ2年近く不良時代を共にした相手だからね。

それなのに自分だけが元の場所に戻ったってことに、気が引けるんだろう。

そんなこと気にする必要ないのにね。

だって鉄ちゃんは、そういうの気にするような人じゃないし・・・―――確かに一緒にいたんだろうけど、鉄ちゃんってどっか一匹狼っぽいし。

堀田君たちもお兄ちゃんがバスケ部に戻ってあんなに喜んでるんだから、気兼ねする必要ないと思うんだけど。

そこがお兄ちゃんの良い所って言えば、そうなんだろう。

「スポーツマンみてーだな」

「・・・・・・っ!!」

「ま、そっちの方が似合ってるよ。おめーには」

ニヤリと煙草を咥えたまま笑みを浮かべる鉄ちゃんに、お兄ちゃんはただ驚いているようで目を見開いて鉄ちゃんを見詰めてた。

「やっぱり、鉄ちゃんもそう思う?」

「ああ。・・・なんだよ、。お前嬉しそうじゃねーか」

「だってあの髪型。見てるだけで鬱陶しかったんだもん」

即座にそう返すと、鉄ちゃんは心底可笑しそうに笑う。

うん、やっぱり鉄ちゃんも凄んでるより笑ってる方が良いよ。

とか思ったけど、そんなこと言ってもいつも笑ってる鉄ちゃんなんて想像がつかなかったから、やっぱり今のままで良いのかもしれないと思う。

一見和やかなその場に響く鉄ちゃんの笑い声に混じって、遠くの方からパトカーのサイレンの音が聞こえて来た。

「おおっと、追いついて来やがった。巻いたと思ったのによ」

それに気付いた鉄ちゃんは、ガードレールから腰を上げると路上に止めたままになってたバイクにまたがって首だけで私たちの方を振り返る。

一体今度は何したんだろうとか考えてると、鉄ちゃんはニヤリと口角を上げて。

「じゃあな、スポーツマン」

お兄ちゃんに向かって、普段よりも優しい顔でそう言った。

「・・・鉄男」

もな。しっかりと兄貴の面倒見てやれよ」

「鉄ちゃんもね。あんまり暴れすぎて、捕まらないようにね」

いつも通り返すと、鉄ちゃんはもう一度楽しそうに声を上げて笑ってから、また凄いエンジン音を響かせて走り去って行った。

その後ろ姿を見送って、お兄ちゃんも漸く微かに笑みを浮かべる。

鉄ちゃんを追いかけて、私たちの横を通り過ぎていったパトカーが『ヘルメットを付けなさい』と叫んでいるのを耳に、鉄ちゃんは暴力事件からヘルメットのことまで幅広く警察のお世話になってるんだなと思うと可笑しくなった。

「んじゃ、行くか」

「うん。お腹減ったし」

顔を見合わせてニコリと笑顔を浮かべてから、私とお兄ちゃんは鉄ちゃんの走り去った方とは別の方向へ歩き出す。

「まだ夜は冷えるなぁ・・・。寒くねぇか?」

「大丈夫」

気遣うように私を見下ろすお兄ちゃんに、私は笑顔を返した。

「何、食いたい?」

「何でも良いよ。お兄ちゃん、財布と相談して」

何気ない会話を交わしながら、私たちは暗い歩道を歩いていく。

やっと足の怪我が完治して、心配事もなくなったんだから。

明日の翔陽戦は期待してるからね、お兄ちゃん。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

何故に鉄男がこんなにも出張ってるのか。

スラムダンクのドリームを書くに当たって、単行本を引っ張り出して読んだは良いけれど・・・初登場時の三井が凄いガラ悪くて吃驚しました(笑)

作成日 2004.12.13

更新日 2008.1.19

 

戻る