授業中。

自分の席に座って、ぼんやりと窓の外を眺める。

昨日の激闘が嘘のような、穏やかな晴れの日。

 

六月の

 

「・・・・・・っ」

思わず漏れそうな欠伸をなんとか噛み殺して、まるで子守唄のような先生の単調な声を聞きながら、黒板に書かれた文字をノートへと写す。

退屈だ。

授業中に退屈なんていうのもどうかと思うけど、でも退屈だ。

チラリと視線を隣へと向ければ、いつも居眠りをしている流川くんが、いつもよりも深い眠りを貪っている。

机に広がるよだれを眺めながら、こんな姿を晴子ちゃんや流川親衛隊が見たらどう思うのかなと、そんなどうでもいい事を思った。―――まぁ彼女たちなら、流川くんのこんな姿も『可愛い』で済ませるのだろうが。

それにしたって退屈だ。

おまけに眠い。

マネージャーで試合に出てない私だってこれだけ眠いんだから、試合に出た流川くんたちはさぞや眠いんだろう。

いや、流川くんの場合は常に寝てる気がするけど。

そんな意味のない事をつらつらと考えていると、不意に教室に足音が響いて顔を上げた。

気がつけば、怒り心頭の様子の先生がすぐ傍に立っている。

勿論その怒りの矛先は私じゃない。

こう見えても私の授業態度は良いし、先生に目をつけられる要因は何もないはずだ。

だから先生が怒ってるのは私じゃない。―――先生の怒りを一身に受けているのは、私の隣の席で深い眠りについている流川くんの方だ。

「あ、あの!先生!!」

フルフルと肩を震わせる先生を見てヤバイと判断したのか、同じクラスのバスケ部員が流川くんを庇うように勢い良く席を立った。

「先生、今日は特別なんスよ。昨日試合で、激闘を・・・」

「確かに。いつもよりも更に深い眠りについてるよーだな」

ヒクヒクと頬を引き攣らせながら嫌味を向けるが、その相手が眠ってるんじゃどうしようもない。

どうやらバスケ部員のフォローも空しかったみたいだ。

もっとも、入学してから最初の授業で流川くんを無理やり起こして反撃を食らった先生は、怒っていても無理に流川くんを起こそうとはしない。

その代わりに流川くんへと向けていた視線を私へと向けて、怒りで強張った表情に僅かに笑みを乗せてから私へ向かい口を開いた。

「三井さん、彼を起こしなさい」

視線と共に向けられた言葉に、私は深くため息を吐き出す。

これも入学してから二度目の授業中。

あまりにも先生が可哀想に見えて、私は一度流川くんを起こした事がある。

先生が可哀想というよりも、怒りを向けられている流川くんの隣にいる私が迷惑だったって言うのが本当のところなんだけど。

まぁ、起こし方としてはかなり荒っぽいやり方ではあるけれど、私は問答無用で流川くんを椅子から蹴り落とした。

だって軽く揺すったくらいじゃ、絶対に起きないと思ったし。

案の定目を覚ましてくれて、そしてこれも想像通り「何人たりとも俺の眠りを妨げる奴は許さん」とばかりに立ち上がった流川くんを前に、私は戦闘態勢を整えた。

こうなったら仕方がない。―――鉄っちゃん直伝の護身術で返り討ちにしてやると意気込む私に、流川くんは当然ながら気付いた。

さぁ、いつでも来い。とばかりに睨みつける私。

だけどどうしてか、流川くんからの反撃はなかった。

その代わり、お弁当のおかずを取られたけど。

しかも、メイン。―――あの悔しさは、今でも忘れられない。

まぁそんなやり取りを経て、流川くんは私には反撃しないと先生は思ったらしい。

その辺の真相がどうかは解らないけど、実際問題として今までそれで反撃を食らったことはないから、もしかするとその通りなのかもしれない。

そうして今日もまた、先生の期待が一身に注がれる。

いい加減早く席替えしてくれないかなと思いながら、私はじっとこちらを見つめる先生を見上げて。

「先生」

「なんだ?」

「ものすごく面倒臭いから嫌です」

「・・・は?」

「私は流川くんのお世話係じゃありませんから、お断りします」

キッパリと断りを入れた私に、先生は間の抜けた声を上げた。

断られるとは思ってなかったんだろう。―――呆気に取られた様子の先生から視線を逸らして、私は改めて教科書へ向き直る。

「さ、先生。授業続けてください」

淡々とした口調でそう言えば、先生はしばらく考え込んだ末、渋々黒板の前へと戻っていく。

その背中を見送って・・・―――私はチラリと爆睡する流川くんを見やった。

いつもの居眠りはともかくとして。

昨日は随分頑張ったからね、今日は特別に眠らせてあげるよ。

チラリチラリと流川くんを睨みつけながら授業を再開する先生を見つめて、そうして私は眠気を堪えてノートを書き写す。

でも明日からは、ストレス発散も兼ねてまた容赦なく椅子から蹴落としてやるから。

覚悟しててよね、流川くん。

 

 

そんな感じで真面目に一日の授業を終えた私は、不真面目にも一日中眠り続けてすっきりとした顔をした流川くんと一緒に、部活に出るために体育館へと向かった。

いつもよりも少しだけ早くホームルームが終わった事もあって、他のバスケ部員の姿は少ない。

そんな中で、私は隣を歩く流川くんをチラリと見上げて口を開いた。

「桜木くん、今日お休みだったらしいよ」

「・・・・・・」

私の言葉に、流川くんは何も答えない。―――ただチラリと私を見下ろしてから、改めて進行方向へと視線を戻した。

一見不真面目そうで、どちらかというと不良の部類に入る桜木くんだけど、意外と学校をサボったりしないという律儀さも持ち合わせている。

それはもしかするとバスケをしたいからなのかもしれないけれど、私が知る中では桜木くんが学校を休んだのは初めてだ。

その原因も、まぁ・・・予測できないわけでもないけれど。

「桜木くん、相当昨日の事気にしてるみたいだね」

「・・・・・・」

「ああいう自信過剰なタイプって、落ち込むと果てしないんだよね」

桜木くんに関しては、もしかするとものすごく繊細な人なんじゃないかとも思うから。

まぁ、似合わないとは思うけど。

私の言葉にも、流川くんは何も答えない。

勿論最初から何か返事が返ってくる事を期待してたわけじゃないんだけど。

「桜木くんみたいな人は、ガツンと言ってもらった方がいいのかもしれないね。それも先輩とか好きな人じゃなくて・・・―――たとえば、ものすごく対抗心を燃やしてる人とか」

チラリと流川くんを見上げれば、いつからこちらを見ていたのかばっちりと目が合う。

その静かな眼差しを見上げてにっこりと微笑んだ私は、何事もなかったかのように視線を前方へと戻した。

流川くんは何も言わない。

だから私も何も言わずに、漸く辿り着いた体育館へと足を踏み入れた。

「・・・ウィース」

「・・・おはよーございまーす」

あまりやる気の感じられない流川くんの挨拶に続いて、私もいつも通り挨拶をしながら体育館の敷居を跨ぐ。

同時に私の勘が危険を告げた気がして、反射的に流川くんの背中へと身を隠した。

それとほぼ同時に響き渡る、バシンという小気味いい音。

一体何事かと流川くんの後ろから体育館の中を覗き込めば、何故かハリセンを手に持った彩子さんが仁王立ちで立っていた。

「声が小さーい!!」

体育館中に響き渡るほど大きな声で言われ、思わず目を丸くする。―――チラリと視線を上げれば、鼻の頭を真っ赤にした流川くんが憮然とした様子で立っていた。

こんな流川くんは珍しい。

ぜひとも写真に収めて、流川親衛隊辺りにでも売りさばけばいい値段が付くかもしれない。

そんな事を考えながら、私はそれを実行に移す事無く仁王立ちしたままの彩子さんへと視線を戻した。

「何事ですか、彩子さん」

「声が小さいって言ってるの!落ち込んでる暇はないのよ!?そんな気の抜けた態度じゃダメ、気合を入れ直しなさい!!」

「すいません。でもこれ、私の常時スタイルなんで」

私の場合、無理にテンション上げたって不気味なだけだと思うんだけど。

そう言えば彩子さんは瞬間苦い表情を浮かべて・・・―――そうしてそれもそうだと判断したのか、1つ頷いた後に徐に私へハリセンを差し出した。

「それはともかくとして、昨日の試合でみんな落ち込んでるかもしれないわ。ここは1つ気合を入れなきゃ」

差し出されたハリセンを受け取って、私はぼんやりと彩子さんを見上げる。

それはつまり、入ってきた部員たちをこれで張り飛ばしてもいいと。

ためしにそれを野球の素振りのごとく振ってみる。―――テレビで見るような大きさのそれは、ブルンブルンと風を切って清々しいほどの音を響かせる。

「やりましょう、彩子さん。私これ使ってみたいです」

「そうよ、。みんなには気合を入れなおして、次の武里戦を頑張ってもらわなきゃ」

彩子さんの気合の入った笑顔を見返して、私は早く獲物が来ないかとばかりにハリセンを構えて入り口に待機する。

よし、いつでも来い。

日々溜まったストレスを、この機会に思う存分発散してやる。

当初の目的とは明らかに違う思惑を胸に抱く私を傍で見ていた流川くんは、大きく深くため息を吐き出して。

「・・・やりすぎるなよ」

自己練習を始めるために背を向けた流川くんの、他人を思い遣るそんな珍しい言葉など聞こえなかったフリをして、私はグッとハリセンを握り締めた。

 

 

昼間の晴天が嘘みたいに、夜になると激しい雨が降っている。

ベットに寝転がって、窓を打ち付ける雨音を聞きながら欠伸をひとつ。

なんていうか、落ち着かない。

自分の部屋だっていうのに落ち着かないってどういう事だ、と毒づいてみるけれど、その原因は考えるまでもなくはっきりとしていた。

原因は間違いなく、今日学校及び部活を休んだ桜木くんだ。

普段は面倒臭いほど元気で煩いって言うのに、姿が見えなければ姿が見えないで気になるんだから本当に厄介だ。

さっき晴子ちゃんからの電話で、夕方桜木くんを見つけて声を掛けたとは聞いたけれど、果たしてそれで彼が立ち直ってくれるかどうか・・・―――普段の桜木くんなら間違いなく有頂天になるだろうけど、彼にとっては忘れたいほどの失態を犯した今としては、それも逆効果なのかもしれない。

自分のせいで負けたと思っている試合の事を、好きな人に慰められるっていうのはどうなんだろう?―――流川くんが活躍してただけあって、複雑かもしれない。

そんな事をつらつらと考えていた私は、なんだかどうしようもないほど落ち着かなくなって、仕方がないとばかりに身体を起こした。

そしてそのまま部屋を出てリビングに向かう。

こういう時は好物を食べるのが一番だ。―――それで気が晴れてすっきりするなら、こんなに安いものはない。

そう思ったのに・・・。

「・・・お母さん。冷蔵庫の中に入れておいたプリンがないんだけど」

「ああ、昨日お風呂上りにお父さんが食べてたわよ」

どこを探してもない好物の行方を尋ねれば、それは至極あっさりと返ってきた。―――私のプリンは、どうやらもうこの世には存在しないらしい。

グッと拳を握り締めながら冷蔵庫を閉める。

この場にお父さんがいたら文句の1つでも言って買って来てもらうところだけれど、生憎とお父さんは残業とやらでまだ帰ってきてない。

ちくしょう、この食べ物の恨みは怖いんだから・・・と心の中で文句を言うにとどめて、私はソファーに座ってテレビを見ているお母さんの前に立つとスッと右手を差し出した。

「・・・なに?」

「プリン、買ってくるからお金ちょうだい」

「私が出すの?」

「あとでお父さんに請求して。私のプリンを勝手に食べたお父さんに」

どうも言葉が恨みがましくなっていけない。―――やっぱり食べ物の恨みは怖いのだ。

そんな私に、お母さんは仕方がないとばかりに財布に手を伸ばす。

そうして五百円玉を私の手のひらに落としたお母さんは、ついでにお菓子も買ってきてと付け加えた。

「ああ、そうそう。寿には言ったの?黙って行くと煩いわよ、あの子」

「・・・ちなみにお兄ちゃんは?」

「今お風呂に入ってる」

待ってられるか!

もうこうなったら今すぐにでもプリンが食べたいのだ。―――食べられないと思うと、意地でも食べたくなる。

「行ってくる。お兄ちゃんはお母さんが適当に誤魔化しといて」

「あー、はいはい。あの子もの事になるとびっくりするくらい心配性になるんだから。―――あ、お菓子買ってくるの忘れないでね」

お風呂場の方へ視線を向けていたお母さんが、玄関に向かう私へそう声を掛ける。

いや、夜に出かける娘に対して「気をつけて」の言葉のひとつもないのか。

お兄ちゃんの心配性もびっくりするけど、母親としてそれでいいのか?

そうは思うけれど、そんな事は今更過ぎて口には出せない。

これが私の母親なのだ。―――まぁ、再婚相手の息子が再婚して2年ほどであんなにグレても飄々としている母親は、かえってありがたいのかもしれないけれど。

そんな事を思いながら、傘を持って外に出る。

雨が降っているからか、空気がヒヤリとしてして少し肌寒い。

傘を差せば、バタバタと煩いくらいの音が鳴った。―――それをどこか心地良く聞きながら、私は家から歩いて5分のコンビニへと向かう。

「・・・明日は晴れるかな?」

暗い暗い空から降り注ぐ雨。

明日には止んでいるといい。―――そして、あの気持ちいいくらいの青空が広がっていれば。

「・・・明日こそ来てよね、桜木くん」

雨音に掻き消されそうなほど小さく呟いて、遠くに見えてきたコンビニの目に痛いほどの明かりにやんわりと微笑んだ。

いつまでも落ち込んでたって、いい事なんてないんだから。

煩くて、たまにすごく厄介だけど・・・―――それでも桜木くんがいないと静か過ぎて落ち着かない。

もしも明日来なかったら、ハリセンをもって桜木くんの家に乗り込んでやろう。

水戸くんに案内させればいい。―――彼はきっと、快く頷いてくれるはずだから。

「いらっしゃいませー」

客の少ないコンビニの自動ドアをくぐると、店員のやる気のない声が出迎えてくれた。

 

 

ちなみに買い物を終えて家に帰ると、お兄ちゃんが玄関で仁王立ちで待っていて。

どうして俺が風呂から出るまで待ってなかったんだ、とか。

こんな夜遅くに1人で出歩くんじゃない、とか。

まだ8時過ぎだっていうのにあんまりにも煩かったから、今日彩子さんからもらったハリセンで張り倒してやった。

ごめんね、お兄ちゃん。

これでもやりすぎたって反省してるから、お母さんに買ってきたお菓子で機嫌直してね。

 

 

そして後日談として。

翌日、桜木くんは朝練にも学校にも来なかったけれど、放課後の部活には顔を出した。

何故か顔に喧嘩をした後みたいな怪我をして、ふさふさだった髪の毛を丸坊主にして。

結構似合ってるよ、と褒めたら、桜木くんは嬉しそうな顔をしてケジメですからと声を大にして言った。

そして・・・。

「・・・ねぇ、流川くん」

「なんだ?」

「朝からずっと気になってたんだけど。どうして顔に怪我してるのか、聞いてもいい?」

「・・・・・・」

「桜木くんとおそろいだね」

明らかに不貞腐れたように答えを拒否していた流川くんにそう言ってやれば、流川くんは思いっきり私を睨んだあと、バツが悪そうにそっぽを向いた。

どうやら彼は、昨日私が漏らした言葉を覚えてくれていたらしい。

お疲れさま、流川くん。

そう言って笑えば、嫌そうな舌打ちと共に乱暴に頭を撫でられた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

仲が良いのか、悪いのか。

そしてキャラの扱いがみんなかなり悪い気がします。(本当にごめんなさい)

そして三井兄妹の母、登場。

思ってた以上に活躍させてあげられなかったところに悔いが残りますが。(笑)

作成日 2008.3.31

更新日 2008.8.15

 

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