6月26日、土曜日。

湘北対武里戦、海南対陵南戦を控えて、会場は大いに賑わいを見せていた。

だというのに・・・。

「・・・遅い」

桜木くんが、来ない。

 

素朴な疑問

 

きっとすぐに来るだろうから・・・という彩子さんの言葉に従って、こうやって試合も見ずに入り口で待っているものの、桜木くんが来る気配は一向にない。

あと10分待って来なかったら先に試合会場に入ってやろうと思いつつ、私は深くため息をひとつ。

海南戦で痛恨のパスミスを犯した桜木くんの復活は、私が思っていたよりもずっと早かった。

安西先生の作戦で、まずは部内での練習試合で桜木君の自信を取り戻させ、そうして更に今の桜木くんの課題を提示した。

桜木くんの課題。―――それはゴール下での得点力がほぼゼロだという事。

まぁ、バスケを初めて3ヶ月足らずじゃ当然かもしれない。

リバウンドのすごさやその存在感から忘れがちだけれど、桜木くんは素人だ。

だからこそ安西先生は、今日の武里戦までに桜木くんにゴール下でのシュートを身につけさせるつもりだったらしい。

それに伴い桜木くんの練習量は半端じゃないほど多くなったけど、意外な事に桜木くんは文句1つ言わずに練習に打ち込んでいた。

その様子があんまりにも不気味だったから、どうしたのかと尋ねた事がある。

すると桜木くんは、輝くような笑顔を浮かべてこう言ったのだ。

シュートの練習は楽しい、と。

そうして桜木くんは朝と昼休み、そして部活が終わった後にみっちりとシュートの練習をして、今日はその成果を試す絶好のチャンスだっていうのに・・・。

何故来ない、桜木花道。

ポカポカと降り注ぐ太陽の光を仰ぎながら、私はため息をもうひとつ。

試合会場からは、大きな声援が聞こえてくる。

一体試合はどうなってるのか。―――まぁ、湘北が負けるなんて事はないだろうケド。

それにしたって暇だ。

こうしていつ来るのか解らない桜木くんを、ぼんやりしながら待たなきゃならないなんて。

せめて暇つぶしに付き合ってくれるような人がいればいいんだけど。

暇を持て余した私が、そんな事を考えた時だった。

「や、こんなところで何してんの?」

実にいいタイミングで背後から聞こえた声に、私は思わず頬を引きつらせる。

前言撤回。―――暇つぶしの相手なんて、別にいなくてもいいかも。

聞き覚えのある声にゆっくりと振り返ると、そこには予想通りの人の姿。

つんつんと天に伸びた髪と、人好きする柔らかい笑みを浮かべた人。

「・・・仙道さん」

「久しぶりだね、ちゃん」

仙道さんの名前を呼んだ私に、彼はにっこりと微笑んで。

なんでここにいるんだ、仙道彰。

「・・・仙道さん、試合は?」

「ん?俺の試合は午後からだから」

「それは知ってます。―――湘北の試合見なくていいんですか?明日、うちと試合ですけど」

「見てるよ、ちゃんと。ちょっと休憩に出てきただけ。ベンチにちゃんの姿も見えなかったしね」

それはどうもご親切に。

別にわざわざ探してくれなくても良かったんですけど。

そんな事を言えば、「偶然だよ、偶然」とか言われるんだろうから言わないけど。

でもこのタイミング、絶対偶然じゃないと思うんだけど。

「それで、さっきの質問だけど。こんなところで何してるの?」

「何してるように見えます?」

「ん〜、そうだな。―――実は俺の事を待ってたとか」

「それは絶対にありません。天地がひっくり返ってもありませんから」

「・・・そこまで言わなくても」

キッパリと否定すれば、仙道さんは楽しそうに笑う。―――そんな表情してたら、傷ついたって言われても説得力ないんですけど。

「んじゃ、試合も見ないでこんなところで何してんの?」

「ただの日向ぼっこです」

「桜木を待ってるとか?」

「・・・そうですよ」

解ってるならわざわざ聞かなくてもいいじゃないか。

渋々肯定を返せば、仙道さんはまた楽しそうに笑う。

一体何がそんなに楽しんだか・・・―――きっと聞いても上手くはぐらかされるだけだろうから、あえて聞かないけど。

「それで、桜木はどうしたの?もしかして寝坊?」

「そうなんじゃないんですかね。あとはどこかで誰かに絡まれてるとか、誰かに喧嘩売られてるとか」

頭を丸坊主にしてから、妙に迫力が増した気がするから、桜木くん。

まさか喧嘩を売ってるなんて事はないだろうケド、流石に。

「あはは、なるほど。―――で、ちゃんがここであいつを待ってるってわけだ」

「そういう事です」

マネージャーである私が試合に出る事はないし、ベテランの彩子さんがいれば十分に事足りてる。―――自然と私がこの役目を負うのも、まぁ当然の事だった。

だからって、思うところがないわけじゃないけど。

桜木くんが遅刻さえしなきゃ、こうして暇を持て余すことも、仙道さんにナンパされる事もなかったわけだから。

これはなんかお仕置きでも考えておかないと。―――うん、それがいい。

私が密かにそう決意した時、アラームをセットしておいた時計が小さな音を立てる。

「・・・あ、10分経った」

それを確認してからアラームを止め、私は今は人の少ない会場外を眺めた。

無駄に目立つ桜木くんの姿はどこにもない。―――いつになったら来るのやら。

ともあれ、私の役目は終わった。

「じゃあ、仙道さん。私はこれで」

時間が経ったのをこれ幸いとばかりに、私は軽く仙道さんへ会釈をするとクルリと踵を返した。

「あれ、行っちゃうの?」

「はい。もう10分経ったし」

さんざん待って来なかったんだから、戻ったって文句は言われない。

そもそも遅刻したのは私じゃなくて桜木くんなんだから、怒られるのは桜木くんで決定だ。

それに今日の試合、湘北が負けるとは思わないけど、試合の行方が気になるのも確か。

ここでいつ来るか解らない桜木くんを待ち続けるより、湘北の試合を見ている方が楽しいに違いない。

そう思って足を踏み出した私は、だけど腕をガッツリ捕まれて渋々足を止めた。

「・・・なんですか、仙道さん」

不機嫌さを隠しもせずに振り返ると、そこにはニコニコと笑顔を浮かべた仙道さんが。

いつもいつも思うけど、何でこの人はいつもいつも私に絡んでくるかな。

自分で言うのもなんだけど、万人に気に入られるような性格してないと思うんだけど。

それともあれか。―――もしかして仙道さんって、Mっ気があるんじゃ・・・。

そんなある意味失礼な事を思いながら、腕を捕まれたままの私は渋々仙道さんと向き直る。

ちなみに言っておくけど、私はSの気はない。―――断じて。

「この後、陵南の試合見てくでしょ?」

言われて、思わずきょとんと目を丸くする。

見て行くかどうかと言われれば、まぁ多分見ていくだろうケド・・・。

陵南の試合結果によって、湘北の状況も変わっていくわけだから。

そういえば、たとえば陵南が海南に勝ったら、2位はどうやって決めるんだろう?

得失点差?―――それとも湘北は海南に負けたわけだから、その場合は海南が2位って事になるの?

バスケ部のマネージャーではあるけれど、あまりそちら方面には詳しくない私には、ちょっとその辺が解らない。

これから試合をする仙道さんには悪いけど、こうなったら海南が勝ってくれないかな。

そうすれば一敗同士で、勝った方が全国だって解りやすいんだけど。―――いや、まだ湘北は試合中だから、厳密に言えば一敗かどうかは解らないんだけど。

そんな事をつらつらと考えながら仙道さんを見上げると、にっこりと微笑みながら私の返答を待っている。

ああ、そうか。この後陵南の試合を見て行くかどうか、だっけ。

「・・・さぁ?」

「さぁ、って」

思わず漏れた言葉に、仙道さんが呆れた様子で首を傾げる。

確かに陵南の試合結果は気になるけど、それはきっと赤木さんたちがちゃんと見て行くだろうし、私としてはシュート練習をするだろう桜木くんの付き添いをした方が有意義な気がする。

っていうか、その桜木くんは今どこにいるのか解らないけど。

でもこんなにも手間かけさせてるんだから、今日の特訓は地獄を見せてやる。

またもや思考を違う方向へと飛ばしていた私に、仙道さんは笑みを浮かべながら口を開いた。

「ねぇ、俺たちの試合見てってよ」

「・・・なんで?」

「なんでって・・・。絶対、面白いから」

いや、まぁ・・・確かに面白いだろうけど。

だって海南対陵南だからね、面白いだろうけど。

「この間の練習試合にはいなかったけど、今うちにいい奴がいるんだよ」

「いい奴?」

「そ、福田って言うんだけど。そいつ、そりゃもう負けず嫌いでさ。でもオフェンス力がすごいんだよね」

そんな重要な情報、これから試合する相手に漏らしていいんですか、仙道さん。

いや、だけどそれは貴重な情報だ。―――まぁ、海南戦で出てくるだろうから、ちゃんとチェックしておこう。

「え〜と、福田くん?」

「そう。福田吉兆っていうんだ」

「・・・福田、吉兆?」

言われた名前を思わず問い返せば、そんな私を見て仙道さんが小さく首を傾げた。

「あれ?もしかして福田の事知ってるの?」

「・・・いえ」

仙道さんの問い掛けに曖昧に返事を返して、私は小さく首を傾げる。

福田、吉兆。

まぁその名前に聞き覚えがないかと言われればNOだけど・・・。

でもまさか、ねぇ。

彼がバスケやってたなんて聞いた事ないし、福田って苗字もそれほど珍しいわけじゃないし。―――名前の方は、とりあえず置いておくとして。

「まぁ、いいや。それより絶対見てってよ」

訝しげな顔をする私をそのままに、仙道さんはそう話を締めくくる。

「・・・っていうか、何で私にそこまでして試合見せたいんですか?」

そう、それが最大の疑問だ。

だって私が試合を見たって、特別何かあるわけじゃないし。

私が仙道さんを応援するわけでもなければ、私が試合に出るわけでもないんだし。

もう1つ言えば、どうせ明日になれば嫌でも見る事になるんだから。

そんな思いを込めて問い掛けると、仙道さんは得意げな笑みを浮かべて私を見下ろした。

「俺の試合見たら、絶対惚れ直すから」

「・・・・・・」

どこから来るんですか、その自信は。

「私別に仙道さんに惚れてませんけど」

「そう?じゃあ、絶対俺に惚れるから」

「惚れません、絶対に」

「じゃあ、見直すから」

どんどんとランクが下がってる気がするんですけど。

それでいいんですか、仙道さん。

「・・・ね?」

最後にそう微笑まれて、私は深くため息を吐き出す。

まぁ、惚れ直すとか惚れるとか見直すとかはともかくとして。

このままじゃいつまで経っても開放されなさそうだし、試合を見るだけで仙道さんが納得するなら別に構わないかもしれない。

思い通りになるのはちょっと癪だけど、陵南の試合を見る事がまったくの無駄になるわけでもないんだし。

「解りました」

とりあえずそう返事を返せば、仙道さんはそれで満足したのか、ずっと掴んでいた私の手を離してくれた。

「絶対だからね」

「はいはい」

まるで子供みたいだ、仙道彰。

でもまぁ・・・嫌いなタイプではないかもしれない。―――苦手なタイプではあるけれど。

「それじゃ、お元気で」

「その最後の別れみたいな挨拶が気になるけど。またね、ちゃん」

今度こそ仙道さんは私を引き止める事無く、笑顔でそう手を振った。

それを視界の端に映しながら、私は湘北のベンチに戻るべく会場内を進む。

結局、桜木くんは来なかったし。

この時間じゃあ、湘北の試合もほとんど見られないだろうし。

なんだか、ドッと疲れただけのような・・・。

コートへ繋がる扉の前に立って、私は今日一番のため息を吐き出した。

 

 

その後、試合終了間際に、桜木くんが会場に飛び込んできて。

案の定こってり赤木さんに叱られて、すっかり落ち込んでいた。

何でも朝早くから起きて、自主練習をしていたらしい。

その頑張りはすごいと思うけど、遅刻は・・・ねぇ。

でもまぁ、武里戦は余裕を持って勝利できたし、折角だから桜木くんを温存しておくのもいいかもしれない。

そう結論付けて、私たちはとうとう始まった海南対陵南戦を観戦する事にした。

これは別に仙道さんとの約束があったからって訳じゃない。―――うん、まぁまったく頭になかったって言ったらウソになるけど。

そんな言い訳を誰にともなくしながら試合を見ていた私は、あまりの試合内容に瞬きすらも忘れて魅入ってしまった。

「・・・すごい」

思わずそんな呟きが漏れる。

仙道さんはあんな大きな事を言ってたけど、あながち嘘じゃないのかもしれない。

思わずそう思ってしまうほど、仙道さんはすごかった。

3ヶ月前の練習試合なんて目じゃない。

普段の仙道さんとはまるで別人みたいだ。―――まぁ、だからといって惚れる事はないけど。

でもまぁ、見直しは・・・したかもしれない。

「おい。行くぞ、

そんな事をぼんやりと考えていた私に、不意に声が掛けられた。

それに反射的に顔を上げると、すぐ傍にお兄ちゃんが立っている。

頭の上からそう言われて、私は小さく首を傾げた。

ふと気がつけば、リョータくんも流川くんも帰る準備をしてる。

そしてあんなに煩かった桜木くんの姿がない。―――それにも気付かないほど、どうやら私は試合に没頭していたらしい。

「・・・行くって、どこに?」

「帰るんだよ」

帰るって、どこに?―――とはあえて聞かずに、私はどうしようかと視線を泳がせる。

すると無言でこちらを見ていた赤木さんと彩子さんとばっちり目が合って、そうして静かに頷かれた。

どうやら、付いていけという事らしい。

「ほら、行くぞ」

「・・・はいはい」

妙に真面目な顔したお兄ちゃんに促されて、私は渋々立ち上がった。

この後の試合の展開が気にならないと言ったら嘘になるけど。

今一番の問題は、お兄ちゃんが問題を起こさない事だよね。―――勿論、そんな心配を本気でしてるわけじゃないけど。

「それじゃ、お先に失礼します」

「ええ、また明日」

彩子さんににっこりと微笑まれて、私はコートに背を向けて歩き出す。

さてさて、試合はどうなるか。

「どうなっても、明日勝たなきゃいけない事に間違いはないけど」

それだけが、重要。

 

 

「いい天気だねぇ」

「ああ、そうだな」

試合会場を後にした私とお兄ちゃんは、途中でリョータくんと流川くんと別れて、当てもなく街をぶらつく。

珍しくお兄ちゃんは無口だ。―――それだけ、明日の試合を意識してるって事なんだろうけど。

そんな事をぼんやりと考えながら歩いてると、不意に目の前を黒いものが横切った気がして思わず踏み出しかけた足を止めた。

「・・・なに?」

眉を寄せて一体何事かと視線を向けると、そこにはこちらをじっと見つめる黒猫が一匹。

っていうか、今この黒猫襲い掛かってこなかった?

私、別に動物に嫌われるタイプじゃないんだけど。―――っていうか、別に美味しいものとかも持ってないけど。

そんな事を思っている内に、その黒猫は一目散に逃げていく。

一体なんだったんだと更に眉間に皺を寄せると、隣でお兄ちゃんが小さく声を上げた。

「・・・あ」

「どうしたの、お兄ちゃん」

声を掛けながらお兄ちゃんの視線を追えば、靴紐が綺麗に切れている。

「4年履いてるからなぁ、この靴も。寿命かな」

「寿命だよ、それは」

あっさりとそう返して、私は何事もなかったかのように足を進める。

っていうか、なんなんだ。

黒猫に靴紐なんて。

これって、あからさまに縁起が悪いって思ってくださいって言ってるみたいじゃない。

そんなベタな。―――大体、縁起が悪いって何に対して悪いって言うんだ。

「それよりもお兄ちゃん、これからどうするの?ほんとに家に帰るの?」

靴紐が切れたせいで歩きづらそうにしてるお兄ちゃんを振り返れば、お兄ちゃんはちょっとだけ考える素振りを見せて。

「・・・やっぱ暇だし、学校にでも行って身体動かすか」

「言うと思った」

むしろ、ほんとは最初からそのつもりだったんじゃないの?

そういえば桜木くんの自主練習も見なきゃいけないと思ってたんだよね。

遅刻してきたかと思えば先に帰っちゃったけど。

きっと桜木くんも学校にいるだろうし、この私を散々待たせた腹いせをしてやらなきゃ。

「じゃ、さっさと行こう」

「ちょっと待て。これ歩きづらくて・・・」

ひょこひょこ歩くお兄ちゃんを先導して、私たちは学校へ向かう。

 

 

同じようにリョータくんも流川くんも向かってる事なんて、その時の私が知るはずもなく。

そうして、そこにいると思われた桜木くんの姿はどこにもなくて。

私たちが自主練習を始めて随分遅れてから来た桜木くんから、安西先生が倒れたっていう報告を聞く事になるなんて。

 

そこにいる私たちは、想像もしていなかったけれど。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

ちょっとハラハラな終わり方で。

こうして書いてて思いましたが、仙道出現率が意外と高いですよね。

なんでだろう。

本物の仙道とは程遠いかもしれませんが、書きやすいんですよね、彼。

作成日 2008.4.1

更新日 2008.9.26

 

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