お兄ちゃんが私のお兄ちゃんになって、4年。

なんだかずっと一緒にいたような気がしてたけど、年月だけを見てみれば、それはそんなに長い時間じゃないのかもしれない。

だって私は、お兄ちゃんの笑った顔も怒った顔も、微妙に落ち込んだり不貞腐れたような顔も見た事あるけど。

あんな顔は、今まで見た事なかった。

あんな。

身体を震わせながら、強い後悔に耐えてる顔なんて。

 

あのときああしていたならば。

 

陵南戦、後半。

残すところ、あと2分ちょっと。

もう体力的に限界を迎えてたお兄ちゃんが、とうとう倒れた。

今回の試合では桜木くんが額を切って途中戦線離脱したりもしたけど、今のお兄ちゃんの様子と残り時間を見れば解る。―――もう、お兄ちゃんは試合に復帰できないだろうって。

1年の子に抱えられながら廊下へと移動するお兄ちゃんの背中を見つめながら、私は残されたみんなを見る。

ここまでなんとか頑張ってきた。

前半は体力を温存して、後半爆発させた流川くんのプレーで、点差だって引き離せたのに。

このまま上手く行くんじゃないかって、心のどこかでそう思ったりもしたのに。

やっぱり仙道さんは底知れない人だ。

あの人がいる限り、早々簡単に勝たせてなんてもらえないんだろう。

戦線離脱したお兄ちゃんの代わりにコートに入るべく、小暮さんが軽く身体を解す。

赤木さんがみんなを鼓舞する為に声を張り上げているけど、その言葉は私の耳には入ってこなかった。

今もずっと、出て行ったお兄ちゃんの事が気になって仕方がない。

気になって仕方がないなら様子ぐらい見に行けばいいのに、それさえも出来ずに私はただ熱気に満ちた体育館に立ち尽くすだけ。

「・・・

不意に彩子さんに名前を呼ばれて顔を上げれば、真剣な表情をした彩子さんがじっと私を見ていた。

「ここはいいから、三井さんのところに行ってあげて」

「・・・でも」

「お願い、

更に言い募られて、私は重い気持ちを抱えたまま頷き、そのまま足を廊下へと向ける。

お兄ちゃんのところに行きたくないわけじゃなくて。

私も自分でよく解らないけど、なんとなく足が重いっていうか。

お兄ちゃんは、今は誰にも傍にいてほしくないって思ってるんじゃないかって思えて。

それでも、試合の行方も勿論気になるけれどお兄ちゃんの事も気になる私がそのまま試合観戦なんて出来るはずもなく、彩子さんに促されるままに体育館の外の廊下へと出た。

廊下は、体育館の中とは比べ物にならないくらいシンとしている。―――遠くから聞こえてくる歓声が、まるで別の世界の事みたい。

お兄ちゃんは、すぐに見つける事が出来た。

あらかじめ作っておいたポカリをごくごくと飲み干す姿は、コートで倒れた時ほどの体調の悪さは感じさせない。

「・・・もう、ないのか?ポカリ」

「あ・・・か、買ってきます!!」

廊下に静かに響いたお兄ちゃんの声に、付き添ってくれてた1年が慌ててポカリを買いに走ってくれる。

それを何故か少し離れたところで見ていた私は、お兄ちゃんに声を掛けようと口を開いて・・・―――けれど私の口から、声が発せられる事はなかった。

静まり返った廊下で。

誰もいないそこで、1人俯き座っているお兄ちゃんの身体が震えている。

遠目から見ている私でも解るくらい、はっきりと。

そんなお兄ちゃんを見て、何故か一歩も動けない私をそのままに、ポカリを買ってきてくれた1年生が慌てた様子で戻ってきた。

それを受け取ったお兄ちゃんは、その1年に体育館に戻るよう言う。

素直な彼は、お兄ちゃんを元気付けるように声を掛けて、慌てた様子で体育館へと走って言った。―――そろそろタイムアウトも終わる時間だから、試合が気になるんだろう。

正直に言えば、私だって気になる。

だけどそれ以上に、私はお兄ちゃんから視線を逸らせずにいた。

お兄ちゃんは買ってきてもらった缶のポカリを開けようとするけれど、力が入らないのかなかなか封を開けられない。

そうこうしている内に汗を掻いた缶に手が滑ったのか、それは思ったよりも大きい音を立てて廊下を転がる。

「・・・くそっ!」

それを見つめながら小さく悪態をついたお兄ちゃんをじっと見つめながら、それでも私は一歩も動けない。

お兄ちゃんが私のお兄ちゃんになって、4年。

なんだかずっと一緒にいたような気がしてたけど、年月だけを見てみれば、それはそんなに長い時間じゃないのかもしれない。

だって私は、お兄ちゃんの笑った顔も怒った顔も、微妙に落ち込んだり不貞腐れたような顔も見た事あるけど。

あんな顔は、今まで見た事なかった。

あんな。

身体を震わせながら、強い後悔に耐えてる顔なんて。

いっその事、八つ当たりでもなんでもしてくれた方がよかった。

それなら私だって、遠慮なくお兄ちゃんに声を掛けられたのに。

「・・・・・・」

それでも、いつまでもここに立っていても仕方がない。

私は何故か胸に湧き上がる不安を押さえ込んで、ゆっくりとした足取りでお兄ちゃんの元へと足を踏み出した。

 

 

カタンと小さな音が聞こえて、俺は重い身体を引きずるようにゆっくりと顔を上げた。

「・・・?」

いつからいたのか、自分から少し離れたところにが立っている。

そうしては俺の呼びかけにも無言のまま、さっき床を転がったポカリを拾い上げながらゆっくりと俺の傍へと歩み寄った。

「・・・はい」

ご丁寧にプルタブまで開けて渡された缶を受け取って、俺は纏まらない思考のままぼんやりとを見上げた。

「お前、何でそんな顔してんだよ」

「・・・そんな顔って、どんな顔?」

いつも通り、平然と答える

だけどお前、今の自分の顔鏡で見てみろよ。―――見た事ないほど、今にも泣き出しそうな顔してるから。

そう言ってやれば、は僅かに眉間に皺を寄せて。

そうして、ゆっくりと俺へ手を伸ばした。

「泣いてるのは、お兄ちゃんの方でしょ」

言葉と共に、肩に掛けていたタオルで目元を乱暴に拭われる。

その仕草にたまらなくなった俺は、すぐ傍に伸びているの白い華奢な腕を強引につかんで自分の方へと引っ張った。

そのまま自分の腕の中に倒れてきたを力いっぱい抱きしめて、その肩に顔を埋める。

そんな顔させたかったわけじゃないんだ。

本当は全国への出場を決めて、とびきりの笑顔をさせてやりたかった。―――まぁ、の事だから素直に笑顔なんて見せちゃくれねぇだろうが。

それでも、そんな泣きそうな顔を見たかったわけじゃねぇんだ。

「・・・お兄ちゃん」

いつもならすかさず入るだろう文句の言葉も口にせず、はただポツリと俺を呼ぶ。

静まり返った廊下。

遠くから聞こえてくる歓声が、どこか他人事のように聞こえた。

「お兄ちゃんは、頑張ったよ」

「・・・・・・」

「そりゃ、最後まで試合には出られなかったけどさ。湘北にはまだ、小暮さんがいるし」

「・・・・・・」

「だから、心配しなくてもいいよ。―――湘北は、絶対に勝つから」

返事をしない俺をそのままに、はポツリポツリと話し始める。

それはもしかして、俺を慰めてるつもりか?

まさかから慰められる日が来るなんて、思ってもいなかった。

相手が弱っててもそうじゃなくても、いつも自分のペースを乱さない奴だから。

だから、お前のそんな泣きそうな顔は初めて見た。

俺が怪我してバスケから離れた時だって、周りの奴らが遠ざかっていくぐらいグレた時だって、お前は平然としてたってのに。

「・・・

ああ、俺はどうしてあんな無駄な時間を・・・。

あの時バスケから逃げずにいたら、こんな事にはならなかったかもしれねぇのに。

あの時バスケから逃げずにいたら、お前にそんな顔させずにすんだかもしれねぇのに。

あの時バスケから逃げずにいたら・・・。

そんな事を考えていた俺は、不意にペチンと音を立てて額を叩かれたことに気付いて閉じていた目を開けた。

目の前には、いつもと同じようにあまり表情の変わらないがいる。

だけど、俺には解る。―――コイツのこの顔は、怒ってる時の顔だ。

「・・・

「何やってんの、お兄ちゃん」

さっきまでとは違う強い声で言われ、俺は思わず目を丸くする。

何やってるって・・・?

「お兄ちゃんの悔しい気持ちは解るけど、お兄ちゃんは何か忘れてない?」

「・・・何かって」

「湘北は、まだ負けたわけじゃないんだよ」

そうキッパリ言い切ると、は俺の腕からもがくようにして立ち上がって、悠然とした様子で俺を上から見下ろした。

「体力がないなら、これからつければいいでしょ?」

「・・・・・・」

「これから全国大会が待ってるんだよ?―――さっさと引退気分になられちゃ困るんだけど」

そう言って、は俺へと手を差し出す。

これは・・・掴まれって事か?

差し出された手をぼんやりと見つめながら、俺は改めて思う。

細っこい腕。

小さな手のひら。

度胸も据わってるし態度もでかいからあんまり意識した事なかったけど、こいつはこんなに小さかったんだ。

そういや、初めて会った時も小さかったよな。―――態度は今と変わらず、でかかったけど。

それを思い出して思わず苦笑すると、が訝しげに俺を見る。

俺はあえてそれに気付かないフリをして、強くの手を握った。

まだふらつく身体を何とか支えて立ち上がり、情けないがまだ1人で歩けそうにないのでの肩に手を回すと、心得たようにが俺の身体を支えてくれる。

こんな小さな身体のどこに、俺の身体を支えられるだけの力があるんだか。

「まだまだこれからだよ、お兄ちゃんは」

「・・・・・・」

「やっとバスケに戻ったばっかりなんだから、こんなにすぐに止められちゃたまらない。お兄ちゃんには、これからも頑張ってもらわないといけないんだから」

「・・・人使いの荒い奴だな」

ブツブツとそう呟くを見下ろして笑えば、は心外だと言わんばかりに俺を睨みつけてくる。

だけどそれさえもなんだか心地良くて、俺はもう1度笑った。

たとえば今、俺の身体が震えているだとか。

はそんな事、指摘してきたりはしない。

だから俺も口には出さない。

の身体も、確かに震えてるって事は。

「湘北は勝つよ、絶対」

いつもの淡々とした口調で告げられるその言葉は、だけど妙に現実的に俺の中に響いた。

がそう言うんなら、そうなんだろう。

わけもなく、そう思えた。―――それが、嬉しかった。

俺たちは、ゆっくりと体育館へ向けて歩き出す。

扉の隙間から僅かに漏れてくる歓声。

さっきは他人事みたいに聞こえたそれは今、俺たち2人を確かに包み込んでいた。

 

 

あの時ああしていたら・・・なんて、そんな事今更悔やんだって仕方ないし。

勿論そう思ってしまうのも、人間なんだから当然なのかもしれないけど。

でも、大切なのは今。

大切なのは、今どうするのかという事。

「小暮!フリーだ、打て!!」

桜木くんから渡ったパスを、小暮さんが投げる。

ゾクリとする瞬間。

大歓声の中、ボールがゴールを通る音までも聞こえてきそうなシュート。

小暮さんのフォームは、とても綺麗だった。

 

 

大歓声が沸き起こる。

最後の最後、アリウープを決めた桜木くんは、だけど陵南と練習試合をした時の彼とは違っていた。

最後の最後まで気を抜く事無く、コートを走り回る。

そして、試合終了のブザー。

一際高い歓声が上がって。

コートを走り回ってたみんなも、ベンチで見守っていたみんなも、これ以上ないってくらい歓喜の声を上げた。

ほらね、だから言ったでしょ。

湘北は、絶対に勝つって。

そんな誇らしげな思いで振り返れば、お兄ちゃんはさっきからは考えられないくらい笑顔を浮かべていて。

うん、やっぱりお兄ちゃんは笑顔の方が断然いいよ。

!!」

感極まった彩子さんに抱きつかれ、よろめいた私はなんとか体勢を整えて。

じわじわと心の中に広がっていく温かいものをしっかりと感じながら、私はただすぐ傍で歓声を上げる彩子さんと共に、最高の勝利を味わった。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

陵南戦、ほぼすっ飛ばし。

でも陵南戦で一番書きたかったのは、このシーンなんですよね。

この三井のシーンは、いつ見てもウルウルします。

でもこれだけを読んでると、主人公のブラコンぶりも相当な気が・・・。(笑)

作成日 2008.9.21

更新日 2008.12.5

 

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