「あら、どこか出掛けるの?」

リビングでくつろいでいたはずのお母さんからそんな声が掛かったのは、玄関で靴を履いていた時だった。

「うん。バスケ部の練習は午後からだし、買い物にでも行って来ようかなと思って」

最近忙しくて、買い物になんか行く暇もなかったもんね。

まぁそれほど急を要する買い物も特になかったんだけど、やっぱりたまには買い物ぐらいしたって罰は当たらないと思う。―――別に部活をサボってるんじゃないんだしね。

「・・・寿は?」

「お兄ちゃんならまだ寝てるよ。っていうか、別に私とお兄ちゃんはいつもワンセットじゃないから」

「内緒で出掛けたらあの子拗ねるわよ、面倒臭い」

なんて言い草だ。

むしろそんなの気にしないくせに。

「いいの、たまには1人で買い物したい時だってあるから。―――それじゃ行ってきます」

珍しく見送りをしてくれるお母さんに向かってそう言えば、お母さんの行ってらっしゃいの声と、帰りに牛乳買ってきての声が私の背中を追いかけてくる。

それに簡単に返事を返して、私は颯爽と家を出た。

空は快晴。

なのにどこか気分が晴れないのは、訳も解らず胸の中にある嫌な予感のせいに違いない。

「・・・折角のお出かけなのに、幸先悪いなぁ」

そうポツリと呟きながら、私は駅へと足を向けた。

 

初夏の出来事

 

嫌な予感ほど、妙に当たるもんだよね。

「あれ?さんじゃないですか!おーい、さ〜ん!!」

ふと駅前で聞き覚えのある声に名前を呼ばれて、私はうっかり振り返ってしまった。

今から思えば、あの時聞こえなかったフリをすればよかったんだよね。

いくら大声で私の名前が叫ばれてようと、他人事のフリをしてればよかったんだ。

たとえ、自分を追いかけてくる気配を感じても。

だけど結果的に、私は振り返ってしまった。

だって人の多い駅前で、自分の名前が大声で呼ばれたら誰だって振り返るって。

そんな傍迷惑な赤い髪の丸坊主の桜木くんをチラリと睨み上げれば、しかし彼はそんな事に気付いた様子もないまま、私の隣でご機嫌に鼻歌を歌い続ける。

なんだか、ものすごく腹立つんですけど。

桜木軍団は一体何をやってるんだろう。

折角の休みなんだから、ちゃんと面倒見ててくれればよかったのに。

それとも何?

折角の休みに、買い物に行こうとした私が悪かったとでも?

「どうしたんスか、さん?」

「・・・さぁ?自分の胸に手を当ててじっくり考えてみたら解るんじゃない?」

「自分の胸っスか?う〜ん・・・」

ほんとに当てて考えるんじゃないよ、桜木くん。

そんな事したって、君に解るわけないじゃない。―――だって君には悪気なんてこれっぽっちもないんだから。

「悪かったな。何か用事があったんじゃないのか?」

なんだか荒んできた気持ちを落ち着けようと深呼吸した時、少し前を歩いていた牧さんが心配そうな顔でそう口を開く。

「いや、まぁ・・・何もなかった事はないんですけど」

っていうか、むしろこの状況って私が牧さんにとやかく言える立場じゃないっていうか。

むしろ私が湘北のマネージャーとして牧さんに謝らなきゃいけないんじゃないの?―――だって、桜木くんには謝る気配すらないしね。

そう思って、私は気の毒そうな顔をした牧さんに小さく会釈をしつつ歩みを進める。

こうなったのも全部、桜木くんのせいだ。

午前中だけとはいえ、折角の休み。

たまには羽を伸ばそうと思って出てきたって言うのに、桜木くんに無理やり連れられて、私は今愛知県行きの新幹線に乗ろうとしている。

なんでも牧さんと清田くんは、全国大会に出場するだろう愛知の星とやらを見る為に、愛知県へと行くらしい。

その途中で偶然桜木くんと顔を合わせて、こうして一緒に行く事になったんだって。

そして、桜木くんに見つかった私が巻き込まれてるって訳なんだけど・・・。

これって改めて考え直すと、悪いのは全部桜木くんだよね。

牧さんは何も悪くない。

午前中の休みがダメになってしまうのも、新幹線代という予想外の出費が出てしまうのも、これから愛知県まで行くんじゃ午後の練習は出られないのも。

ぜんぶぜんぶ、桜木くんが悪い。

きっと明日は、彩子さんにこってり怒られるに違いない。

それどころか、今日帰ったらお兄ちゃんもすごく怒ってるはずだ。―――内緒で出掛けただけでも、きっと不機嫌になってるだろうから。

その後始末するの、一体誰だと思ってるんだか。

そうは思うのに、ちょっと面白そうだとか思ってる私は、もしかすると同罪なのかもしれないけれど。

「痛ーっ!!」

でもそう思うとあんまりにも悔しいから、八つ当たりで桜木くんの足を思いっきり踏んでやった。

 

 

新幹線って、便利だよね。

遠い場所だって、数時間で行けちゃうんだから。

数時間前はまったく想像もしてなかった愛知の地にぼんやりと立ちながら、私は他人事のようにそんな事を思う。―――まぁ、新幹線代は結構高いけどね。

「へぇ〜、ここかぁ」

会場の外でも聞こえてくる歓声を聞き流しながら、私はバスケットボール・愛知県予選が行われている体育館を見上げた。

まぁ、別にこれといって変わった建物じゃない。

どこの県の体育館だって、そう大差ないよね。

「ぼんやりしてないで行くぞ」

そんな事を考えていた私を、牧さんの冷静な声が促す。

それになんだかんだ言いながらも素直についていく桜木くんと清田くんを眺めながら、なんだか牧さんってこの2人の保護者みたいだと、本人が聞いたら怒るよりも落ち込みそうな事を思った。

牧さんって、意外に老け顔の自分の事気にしてるみたいだしね。

それはともかくも、私は先を歩く牧さんに大人しく着いて歩く。―――なんとなく、牧さんの傍にいれば安全な気がしてきた。

「お、おい見ろ。神奈川の牧だ」

「あ、ほんとだ。海南大付属の牧紳一だ!」

会場に入ってすぐ、おそらくは愛知の高校バスケ部の面々だろうと思われる人たちが、一斉に牧さんへ視線を向けながらそう声を上げた。

それは水に波紋を描くように、徐々に広がっていく。

へ〜、牧さんってそんなにも有名人なんだ。

確かに神奈川でも有名だったもんね。

まぁ、結構インパクトが強いし。

失礼なほど人の顔覚えない私だって、牧さんの事はすぐに覚えたしね。―――その理由がバスケ関係じゃないのはこの際言う必要もないけど。

けれど周りの喧騒も気にする素振りもなく、牧さんは体育館の中から聞こえてくる歓声を聞きつけ慌てたように振り返った。

「おい、もう決勝戦始まってるみたいだぞ。急げ!」

え、もう始まってるの?

折角ここまで来たのに見逃したらシャレにならない。

午後の部活を不本意ながらサボってしまうからには、それなりの手土産を持って帰らないと。―――そうじゃないと、彩子さんの怒りは冷めないに違いない。

「愛知の星ってのが出てるんだったな。何者だ?」

「愛和学院3年、諸星大。通称『愛知の星』―――お前ら湘北も全国でのし上がろうと思ってるなら、避けては通れない名だ」

「モロボシダイ・・・」

牧さんのそのかなりの褒めっぷりに、私は桜木くんと一緒に小さく首を傾げる。

諸星大。

残念ながら、聞いた事ないんですけど。―――まぁ、私は他校のバスケ選手には詳しくないから、知らなくても別に可笑しなことじゃないけど。

っていうか、私としては誰が『愛知の星』っていうネーミング考えたのかの方がよっぽど気になる。

愛知の星。―――なんだか無意味に輝いてそうなんですけど。

一体どんな人なのかと少しばかり興味が惹かれたその時、体育館の中から一際大きな歓声が上がった。

それに何事かと振り返った私たちは、体育館のドアが勢いよく開けられ、そこから係員が飛び出してくるのを見た。

係員は2人で担架を運んでるみたいで、その上には当然ながら人が乗っている。

よくよく見ると、バスケ選手みたいだけど。

「・・・あ」

怪我でもしたのかなとぼんやり考えていると、不意に牧さんが驚いたように声を上げた。

それを確認する前に、牧さんは担架で運ばれているその人の傍へと駆け寄って。

「諸星!?」

なんだかとっても聞き覚えのある名前に思わず担架を覗き込めば、そこには痛みに顔を歪めた男の子が・・・。―――そうしてその彼は、牧さんを見てその表情を驚きの色に染めた。

「牧!?―――痛っ!」

思わず身を起こしかけた諸星さんは、どうやら腰がとても痛いらしい。

もう一度表情に痛みの色を浮かべて、そうして痛む腰を抑えながら僅かに身体を震わせる。

「あの野郎、許さねぇ・・・!!」

今度は怒りに表情を歪める。―――この短い時間に、なんとも忙しい人だ。

「絶対許さねぇぞ、あの1年坊主!!」

吐き捨てるようにそう呟いた諸星さんは、牧さんが問い返すその前に慌てた様子の係員に担架で運ばれて行った。

「・・・ねぇ、牧さん」

「なんだ?」

「愛知の星、担架で連行されちゃったみたいなんですけど・・・」

私たちの目的って、彼じゃなかったっけ?

一体何があったのかは解らないけど、かなりしてやられた感じがするんだけど。

あの1年とかなんとか言ってたから、原因は間違いなく相手チームの1年生なんだろう。

どんな人か知らないけど、相手を担架送りにするってどんな人間なんだか。

でも1年で試合に出て、1年で愛知の星とまで呼ばれてる人を担架送りにするんだから、絶対にすごいプレイヤーなんだろう。

やっぱ、あれかな?

流川くんとか、そんなタイプのプレイヤーなのかな?

いやいや、桜木くんみたいなタイプかもしれない。―――ちょっとっていうか、かなり好戦的なタイプで。

「とにかく行くぞ」

担架で運ばれていった愛知の星を見送って、私たちは牧さんの促しのままに体育館に足を向けた。

 

 

そして体育館に入って試合の観戦を始めた私は、『あの1年』が流川くんタイプでも桜木くんタイプでもない事を思い知る。

「・・・うわ、でっかい」

勿論私は観客席から見てるから、コートからは大分離れているはずだというのに、その人は群を抜いて大きく見えた。―――いや、実際大きいんだろうけど。

名朋工業、ねぇ。

そこって、愛知の星の学校と比べて割りと強い学校なのかな?

生憎と高校バスケに詳しくない私には解らないけれど、流石に食い入るように試合を見ている牧さんに聞くのも申し訳なくて、私は黙って試合を観戦していた。

清田くんによると、愛知の星が言ってた『あの1年』は、どうやら名朋工業の15番くんらしい。

例の、あのおっきい子。

見てると、なんだかものすごくマイペースな子みたい。

なんだかんだとファウルを積み重ねて、とうとう退場になった。

こういうところは桜木くんみたいだよね。―――まぁ、あの15番くんは素人だから力加減がわからないって感じには見えないけど。

でもさぁ、いくらバスケ上手くっても退場になっちゃ意味ないよね。

その辺、あの15番くんはどう考えてるんだろう?―――行動を見るからに、あんまり深くは考えてなさそうだけど。

っていうか、ぶっちゃけ私には関係ないんだけどね。

あの15番くんが退場になろうがならまいが、私は名朋工業とは関係ないし。

でもまぁ、全国で試合をするなら、さっさと退場になってくれた方がありがたいかもしれない。―――そんな事言ったら、怒られそうだけど。

そうこうしてる内に、担架で連行された愛知の星が試合に復帰したみたいだ。

やっぱり牧さんがあれだけ褒めるだけあって、バスケはすごく上手。

どんどんと追い上げるけど、でももう残り時間少ないし。

「愛知の星、頑張ってるんだけどねぇ」

でも残り時間考えると、逆転は無理そう。

そうしてやっぱりというかなんというか、愛知の星の頑張りも届かず、試合は名朋工業が勝利。

愛知の星率いる愛和学院も2位で全国に出られる事になってたけど、愛知の星のあの怒りはきっと収まらないだろうね。

だってすごく怒ってたもん。

なんだか私の愛知の星のイメージって、怒ってる姿で固まっちゃいそう。

まぁ、別にこれから深く関わるわけじゃないだろうから支障はないけど。

「こんな男が愛知にいたとはな。お前らの全国デビューもコイツの影でかすむんじゃないか?」

試合を見終わった牧さんの言葉に、桜木くんと清田くんは慌てたように会場に向けてブーイング。―――ほんと解り易いよね、この2人。

でも牧さんの言葉じゃないけど、やっぱり全国ってすごいよね。

きっとこんな選手がごろごろしてるんだろう。

湘北の実力を疑ってるわけじゃないけど、こんな選手がごろごろいる中で全国制覇って想像してた以上に難しいのかもしれない。

でもとりあえず、愛知にこんな選手がいるって事は解ったんだから、愛知まで来たのも無駄じゃなかったよね。

あの15番くんのプレイをどうやって赤木さんや彩子さんに伝えるかっていう難問は残ってるけど、この手土産なら部活サボった代償くらいにはなるかもしれない。

いや、なってもらわないと私が困るんだけど。

隣でなんだか難しい顔して考え込む牧さんを見上げつつ、私は小さくため息を零す。

私の残されたあと1つの問題は、拗ねに拗ねまくったお兄ちゃんの機嫌をどう戻すかだよね。

それが一番大変で、厄介そうなんだけど。

それを思うと、もう1度私の口からため息が零れた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

入れようか入れまいか迷った、愛知の星。

とかいいつつ、ほとんど絡みらしい絡みもないですけどね。(開き直り)

とりあえず今後絡むのは難しいだろうと予想された牧と絡ませてみようかと試みたものの、なんとなく墓穴掘った感じですが。(笑)

作成日 2008.9.28

更新日 2009.1.23

 

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