現在、教室の中には安堵と落胆の感情が入り混じった空気が流れていた。

先日あった期末テストの返却に伴い、それぞれがそれぞれの思いで今の時間を過ごしている。―――まぁ、私はあんまり普段と変わらないとは思うけど。

「ねぇねぇ、三井さん。テストどうだった?」

そんな私に声を掛けてきたのは、前の席に座っていたクラスメイトだった。

彼女は席が近いという事で、よく声を掛けてくれる。

自分で言うのもなんだけど、あんまり人付き合いが良いとは思えない上に、居眠りする流川くんを問答無用で蹴落としたりしてる私に声を掛けてくれるんだから、この子も随分と変わっていると思う。―――まぁ、ありがたい事だけど。

「別に普通だよ。前とあんまり変わらない感じ」

「うわ、すごい!じゃあ今回もトップ10には入るんじゃない?」

「どうかな?あんまり、興味ないけど」

テストの点数を競う事に、私はあまり興味がない。

別にどこか行きたい大学があるわけでもないし、なりたい職業があるわけでもないしね。

とりあえず自分のする事に文句を言われない程度には、勉強しておく必要があるとは思うけど。

そのおかげで、私は先生からの受けは悪くないみたいだ。―――まぁ、普段の生活態度のせいで、あんまり良くもないみたいだけどね。

「でも良かったね。まぁ三井さんならそんな心配要らないだろうけど、折角バスケ部も全国出場が決まったんだし、これで安心だよね」

そんな私とは裏腹に、目の前のクラスメイトは本当に安心したように可愛らしい笑顔を浮かべる。―――安心って、一体何が?

「・・・どういう意味?」

「あれ、知らない?うちの学校、赤点4つ以上はインターハイ行けないんだよ」

そんな思いを込めて問いかけると、その子は意外そうに目を丸くして、そうして特にテストには関心のなかった私に衝撃的な一言を告げた。

赤点4つ以上は、インターハイに行けない?

そんなの初めて聞いた。

でも、それってもしかして・・・。

私は思わず固まってしまった身体を無理やり動かして、ぎこちない動きで今日も相変わらず眠りこけている流川君へと視線を向ける。

それってもしかして、かなりヤバイんじゃないの?

 

テストの前に

 

そうして私の嫌な予感は、最悪の形で現実になった。

あの後問答無用で流川くんを叩き起こして、気持ちよく寝ていたところを起こされて不機嫌な流川くんに返却された答案用紙を見せてと有無を言わさぬ口調で言えば、流川くんは大して気にした様子もなく素直にそれを見せてくれた。

人に点数を見られる事とか、あんまり抵抗はないらしい。―――まぁ、ここで拒否されると面倒だから、それはありがたい事だったけれど。

そうして受け取った流川君の答案用紙を見て、私は思わず呆然とした。

そりゃね、いっつも授業は寝てる流川くんのテストに期待なんてしてなかったけどさ。

でもこれはあんまりなんじゃないかと思えるほど、流川くんの答案用紙は赤い文字で埋め尽くされていた。

正解してる部分を探す方が難しい。

テストの内容がバスケに関する事だったら、もしかすると満点だったかもしれないのにね。―――そんなテストがあるなら、お目にかかりたいものだけど。

その分体育の成績はいいのかもしれない。

まぁ、体育の成績なんて筆記テストは関係ないけど。

赤点4つ以上はインターハイに行けない。

だったら流川くんは、もしかすると高校3年間はインターハイに出場できないかもしれない。―――というか、このまま授業中は寝るなんていう生活を続けてたら一生無理に違いない。

さて、どうしたものか。

考えてみたけれど、これは私の手に負えるような問題じゃない。

というか、私が流川くんのテストの点数をどうにかできるわけなんてないから、とりあえず赤木さんに相談するのが一番だろう。

そう思い至って、私は昼休みに赤木さんの教室に向かったのだ。―――なんで私が流川くんのテスト結果に奔走させられているのか疑問もあったけれど。

だって当の本人の流川くんは、昼ごはん食べた後また居眠りを始めたからね。

あんなにもずっと眠ってたら、いずれ脳が退化するんじゃないかと不安を抱く。―――いや、赤点4つ以上も取ってる時点でもうどうしようもない気もするけど。

そうして向かった赤木さんの教室で、私は再び衝撃的な事実を告げられる。

流川くんを含むレギュラー4人、流川くん・桜木くん・リョータくん・そしてお兄ちゃんも赤点4つ以上なんだそうだ。

まぁ桜木くん辺りは予測ついてたけどさ。―――リョータくんとお兄ちゃんまで赤点なんて、ほんとシャレにならない。

確かにお兄ちゃんも勉強してる素振りなんてまったくなかったけどね。

でも普通に授業を聞いてたら、良い点数は取れなくても赤点4つ以上取るなんてそうはないんじゃないかと思ってたから。

やっぱりお兄ちゃんも、流川くんみたいに授業中は寝てたんだろうか。

昔は学校もサボりぎみだったけど、最近は真面目に授業にも出てたからちょっと安心してたのに。

というか、レギュラー4人ともインターハイに出られないなんて本当にシャレにならない。

4人が出られないなら、どうやって全国で戦うつもりなんだろう。

あれだけ必死になって勝ち取った全国行きなのに・・・―――これで出られなくなったとなれば、陵南だって怒って殴りこんでくるかもしれない。

特にあの・・・彦一くん、だっけ?

彼は勢いがいいから、本気でありえるかも。―――そうなったらかなりやかましいだろうから、遠慮願いたいけど。

赤木さんに連れられて職員室に入った4人を小暮さんや彩子さんたちと一緒に待ちながら、私は現実逃避さながらに窓から晴れ渡った空を眺める。

後は赤木さんがどうにかしてくれるだろう。

むしろ、どうにかしてもらわないと困るけどね。

私は他人事のようにそんな事を思いながら、職員室から聞こえてくる赤木さんの怒声に思わずため息を吐き出した。

 

 

そして私の願い通りどうにかしてくれた赤木さんのおかげで、私たちは今、赤木さんのお宅にお邪魔してる。

何のためかといえば、それは勿論追試の為だ。

一夜漬けがどれくらい効果があるかは解らないけど、やらないよりはきっとマシだと思う。―――っていうか、このままじゃいくら追試を受けたって合格しそうにないしね。

「ああ、赤木んちで勉強だよ。だから今日は泊まる。―――も一緒だから」

ぱらぱらとお兄ちゃんの使った事がないような綺麗な教科書を捲っていると、自分からお母さんに連絡すると息巻いてたお兄ちゃんの電話の声が聞こえてくる。

よくよく考えれば、私まで泊り込む必要ないんだよね。

だって私、追試なんて受けないし。―――まぁ、このままお兄ちゃんを赤木さんに押し付けて帰るには、流石に罪悪感があるけど。

「本当だって!バスケ部の連中で集まってんだよ。ベンキョーしてんの、ベンキョー」

そんな事を考えていた私の耳に、お兄ちゃんのちょっと焦れた声が聞こえてきた。

どうやらお母さんは疑ってるみたいだ。―――いや、多分本気で疑ってるわけないだろうけど。

「・・・ったく、ちょっとは息子を信用しろよ。―――、代われってさ」

やっぱりそうなるのか。

お兄ちゃんに促されるままに電話の方へと向かうと、背中から桜木くんの「親不幸したからなぁ・・・」というからかいの声が聞こえてきた。

お兄ちゃんは当然怒ってたけど、本当のことなんだから仕方ないでしょ。―――いや、本当のことだから怒ってるのかもしれないけどさ。

「・・・もしもし」

「ああ、。さっき寿が勉強してるって言ってたけど・・・」

「ああ、うん。お兄ちゃん、本気で勉強してるよ。―――追試に落ちたら、全国行けなくなるからね」

むしろ本気で勉強してもらわないと困るけど。

大体、予選で負けたから出られないのならともかく、赤点4つ以上取ったから出られないなんてあんまりにも酷すぎる。

「ああ、やっぱりね。だからあの子勉強する気になってるんだ。―――それにしても寿の口から勉強なんて言葉聞く事になるなんてね」

お母さんの声が、ちょっとだけしんみりしてるような気がする。

割と物事を深く気にしないお母さんでも、お兄ちゃんの不良化は多少堪えてたのかもしれない。―――そんな風には見えなかったけど、元々飄々とした人だから解らなくても不思議はないけれど。

「お母さん、ホントにびっくりしたわよ」

「・・・そう」

「だって寿が勉強するって言うんだもの。―――電話口で笑い出さないようにするの、苦労したんだから」

「・・・そう」

そんな事だろうと思った。

ぼんやりとそんな事を思っている間にも、電話の向こうからお母さんの笑い声が聞こえてくる。

こんなの流石にお兄ちゃんには聞かせられないよね。―――へそ曲げられても困るし。

「じゃ、そういう事だから」

「ああ、寿に勉強頑張ってねって伝えておいて」

そんな笑いながら言われても、全然感動なんてしないんですけど。

でもまぁ私が感動しようがしまいがどっちでもいいか。

お兄ちゃんはきっと感動するだろうしね。

でもほんと、お母さんってお兄ちゃんの事好きだよね。

まぁそのおかげで、お兄ちゃんは日々お母さんにからかい倒されてるわけなんだけど。

「おい、いつまで電話してんだよ。さっさと始めるぞ」

お兄ちゃんの催促の声に小さく息を吐いて、私はお母さんに朝には一度帰ると告げてから受話器を置いた。

っていうか、勉強するのは私じゃなくてお兄ちゃんなんですけど。

私を急かす必要なんて、どこにもないのにね。―――お兄ちゃんこそ、さっさと勉強始めたら?

そんな事を思いながら、私は一生懸命勉強を教えてくれている小暮さんの苦労を思って、何も言わずにお兄ちゃんの方へと足を向けた。

 

 

「だー!解んねぇ!!」

テキストを前に頭を乱暴に掻き毟りながら叫んだお兄ちゃんを横目で見ながら、私は欠伸をひとつ。

人が勉強してる時にあくびなんかしてるんじゃねーよ、とか言われたけれど、実際今の私がする事なんてひとつもないんだから、欠伸くらい大目に見てもらいたい。

っていうか、なんで私ここにいるんだろ?

そんな疑問さえ抱き始めた私とは違い、小暮さんは自棄になるお兄ちゃんに根気強く勉強を教えてくれている。―――ほんとにいい人だよね、小暮さんって。

なのに当事者であるお兄ちゃんはといえば、やる気があるのかないのか。

いや、やる気がないわけじゃないみたいだけど。―――ただ、それが空回ってるだけで。

「解んねぇ、マジで。なんなんだよ、こんなの出来なくたって将来困ったりしな・・・」

「ごちゃごちゃ煩い。将来なんて先の事考えたってしょうがないでしょ。実際、今困ってるんだから。―――いいからさっさと頭働かせる」

癇癪を起こした子供みたいに、シャーペンを放り投げて頭を抱えるお兄ちゃん。

確かに複雑な数学なんて将来使いそうにもないけど、今現在それが求められてるんだから仕方ないじゃない。

それが勉強ってもんでしょ。―――まぁ、楽しいものではないかもしれないけれど。

そんな私の言葉に、お兄ちゃんはお手上げとばかりにため息を吐き出して。

「やってるよ!だけど解んねぇんだって!!」

「何で解らないの?だからこの問題にはこの公式を当てはめるんだって」

どうにも集中力が持続しないお兄ちゃんに呆れて、私は広げられたテキストの公式が書かれてある部分を指で指す。

あの試合中の集中力が勉強でも発揮できたらいいのにね。

そうしたら赤点4つも取らないんじゃないの?―――まぁ、それができないから今こんなに苦労してるんだろうけど。

「へぇ〜、ちゃんすごいね。数学得意なの?」

「・・・ほどほど?どっちかっていうと文系だから、私」

どうやら私の指摘は当たってたらしい。

感心したように私を見る小暮さんを見返して、私は改めてテキストに視線を落とす。

別に数学が特別苦手って訳じゃないんだけどね。―――どちらかというと、やっぱり私は文系だと思うんだよ。

まぁ、この勉強会において私が理系か文系かなんて関係ないんだけど。

そんな事を考えていた私を見つめて、お兄ちゃんが頬を引きつらせながら口を開く。

「・・・なんでお前解んの?」

「小暮さんの説明、ちゃんと聞いてた?ものすごく解りやすい説明だよ、小暮さんのは。お兄ちゃん、本気で勉強する気あるの?」

普通に学校の先生に教わるよりも解りやすい気がする、小暮さんの説明。

だってまだ習ってない私だって解ったんだもん。―――まぁ今の問題は、ただ公式に当てはめて計算するだけのシンプルな奴だったけど。

そういう意味を込めて言えば、お兄ちゃんはバツが悪そうにそっぽを向く。

その隣では、小暮さんが困ったように笑ってた。

相変わらずキッツイなぁ、ちゃん・・・―――なんて、小暮さんの心の声が聞こえてきそうだ。

でもこうなったからには、ビシバシいかないと。

それでなくてもみんなに心配と迷惑かけてるんだからさ。―――せめて精一杯頑張るくらいの事はしてもらわないとね。

「解ってんだよ。けどモチベーションがなぁ・・・」

まぁ、確かにお兄ちゃんのテンションが勉強を前にして上がらない事くらいは解るけど。

でもその辺りは、もうほんとに本人に乗り切ってもらうしかない。

お世辞にも私は、人を鼓舞するのが得意な方ではないから。

そんな事を考えていると、不意にお兄ちゃんがテキストに落としていた視線を上げて私を見た。―――そうして少しだけ、口角を上げて。

「そうだ。もし無事に追試乗り切れたら、お前俺にご褒美くれよ」

何の前触れもなくいきなり飛び出した言葉に、私は思わず目を丸くする。

ご褒美って・・・。

「お兄ちゃん、一体誰の為に勉強してるつもりなの?自分が全国に行くためでしょ」

それが言うに事欠いて、ご褒美って。

むしろご褒美がほしいのは私の方だ。

真面目に勉強してテストも乗り切った私が、こうして赤点4つも取ったお兄ちゃんの為に泊り込みで勉強会に参加してるんだから。

そういう意味で言えば、赤木さんや小暮さん、彩子さんだってそうだ。

むしろ赤木さんは自宅の提供までしてるんだから、これは後でお礼をしないとね。―――もちろん、無事に追試を乗り切れたらの話だけれど。

思わず冷たい視線を向ける私に、だけど普段からそんなものには慣れている様子のお兄ちゃんは平然として更に言葉を続ける。

「いいだろ、その方がやる気が出るし。―――な、俺が無事に追試乗り切れたら、お前俺の言う事1つ聞くこと。いいな?」

いいな?って言われても・・・。

なんだか無理やり話を纏めようとしてない、お兄ちゃん?

お兄ちゃんって基本的に強引だよね。

「・・・お兄ちゃん、私になにやらせたいの?」

「いいから!そこは素直に頷いとけよ」

だけどご褒美って。

ほんとに、お兄ちゃんは私に何をさせたいんだろう。

まぁ、でもそれでモチベーションが上がるなら、仕方ないか。

こういうところは、私もお兄ちゃんに甘いよね。―――そこはまぁ、自覚してるけど。

「・・・解った。お兄ちゃんが平均点以上で追試乗り切ったらね」

渋々頷いて・・・―――だけど締めるトコはしっかり締めておかないとね。

ただでいう事聞かせられるのも癪だし。

っていうか、無理難題吹っかけられても困るし。―――たとえば、休日に出掛ける時は絶対に自分に声を掛けろ、とか。

後で煩いから出来るだけそうしてるつもりなんだけど、たまにものすごく面倒臭くなって放置するんだよね。

この間桜木くんたちと愛知に行った時とか。

まぁあの時の私は、愛知に行くつもりなんて微塵もなかったんだけど。

それはまぁ置いておくとして、渋々了承を出した私に、だけどお兄ちゃんは渋い顔。

やっぱりアレかな、平均点以上ってところが引っかかってるのかな?

それなら当然だ。―――大きなものを手に入れるためには、大きな試練がつきものなんだから。

この私にいう事聞かせたいなら、それなりの結果を提示してもらわないとね。

「ハードル上がってるじゃねーかよ」

「目標は高い方がいいしね。その方がモチベーションも上がるでしょ」

忌々しそうに呟くお兄ちゃんに、私は勝ち誇ったように笑ってみせる。

お兄ちゃんに平均点以上の点数が取れるか?

頑張れば、出来なくはないと思うんだけど。

お兄ちゃんは基本的に、不器用な人じゃないしね。―――まぁ、ある意味不器用といえば不器用だけど。

「私に何をさせてもらえるのか・・・楽しみにしてるよ、お兄ちゃん」

「・・・おーおー、楽しみに待ってろ」

嫌味を混ぜてそう言えば、自棄になったような返事が返ってくる。

それでもモチベーションはしっかり上がったみたいだ。

自分で投げ出したシャーペンを拾い上げて、改めてテキストと向き合うお兄ちゃんを前にして、私と小暮さんは視線を交わして小さく笑った。

 

ほんとに素直な人だよね、お兄ちゃんって。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

むしろ、テストの後ですが。(あいたた)

この場合、『追試の前に』が正確な気がします。

この勢いに乗って流川とも絡みたいと思っていましたが、残念ながら無理でした。(あっさり)

本当は、もっと宮城とも絡みたいんですけどね。(笑)

作成日 2008.10.7

更新日 2009.2.20

 

戻る