青い色の薔薇というものを、私は見たことがない。

赤や黄色や白ならあるのに、青はない。

他の花でも、青に似た紫色ならあるのに青はない。

それもその筈で、青い色の花はこの世には存在しないそうだ。

今の私の心境は、それを目の前にしたならば抱くだろう気持ちを、具体的に表した言葉に似ている。―――なんか、自分で言っててよく解らなくなってきたけど。

つまり、簡潔に言うならば。

「・・・ありえない」

 

の薔薇

 

数日前に、素敵な入院生活を送っていた馬鹿兄貴が退院した。

ついこの間も喧嘩や何かで入院していたと言うのに、あっという間に病院に逆戻りしたある意味無敵なお兄ちゃんは、心を入れ替えたのか最近は大人しくしている。

そう思っていた私は、ある意味幸せ者だったのかもしれない。

「お前、今日も部活に顔出すのか?」

今朝方、出掛けにお兄ちゃんにそんな質問をされた。

お兄ちゃんも学校があるはずなのに、何でそんなにゆっくりと朝を過ごしているのかと問い掛けたい心境に駆られたけれど、まぁ私にはどうでも良いことだった。

「当たり前でしょ?」

何でそんな事を聞かれるのかと不思議に思ったけれど、長話をしている暇などなかったので、素直にそう答えた―――あんまりのんびりとしていると、朝練に遅刻してしまう。

「時間通りに行くのか?」

「・・・・・・何が聞きたいの?」

玄関のドアを押し開けた状態のまま、私は漸く振り返る。

あまりにも、質問の内容がおかしい―――意図が解らない。

「良いから答えろって。遅刻するぞ?」

言われて腕時計に目をやれば、既に出発時刻は過ぎている。

いつも余裕を持って出ているのだから遅刻の心配はないけれど、これ以上ゆっくりしてればそれこそ本当に遅刻してしまう。

「・・・・・・今日は委員会があるから、ちょっと遅れると思うけど・・・」

今日は・・・というのは厳密には正しくない―――今日も、だ。

大体それほど話し合う議題があるわけでもないのに・・・今度の議長の手際の悪さには、はっきり言ってウンザリするね。

そんなどうでも良い事を考えていると、お兄ちゃんはあっさりと「そうか」と頷き、話を畳み掛けるように「行って来い」と私の背中を押した。

まるで追い出されるように家を出て、だからお兄ちゃんは学校に行かないの?とかしつこく心の中で思いながら、私は時間に急かされるように駅に向かう。

このとき、朝練に遅刻してでもお兄ちゃんを問い詰めておけばよかったと、私は後に物凄く後悔する事になる。

 

 

長い・・・無駄とも思えるような委員会の会議を終えて、私は急いで会議室を出た。

既に部活が始まってかなりの時間が経っている。

彩子さんがいるんだから、別に私がいなくて困ってるわけでもないだろうとは思うけれど、やっぱり遅刻は気持ちの良いものじゃない―――例えそれが、部長公認の仕方のない事なのだとしても。

更衣室で着替えて、早足で体育館に向かう。

その道すがら、見知った姿を見つけて駆け足で近づいた。

「赤木さんも、遅刻ですか?」

後ろから声を掛けると、赤木さんは驚いたように私を見下ろして―――それから納得がいったとばかりに1つ頷く。

「お前は今日は委員会で遅くなるんだったな」

「ええ、今日も・・・ですが」

「大変だな、お前も・・・」

「今更ですけどね」

進学者の為の特別講習やらなんやらで遅くなったらしい赤木さんと一緒に体育館に向かう。

もうすぐ体育館だという距離になって、漸く様子がおかしいことに気付いた。

体育館の入り口に、人だかりが出来ていた。

それ自体は、別段おかしなことじゃない―――いつも桜木軍団とか流川親衛隊とかがたむろっているから。

だけど今日はそんな面々ではなくて・・・いつの間にこんなにバスケ部は人気者になったのかと首を傾げる―――が、そうでもないようだと体育館前に来た時に思った。

興味心々で、堅く閉ざされた体育館の扉を眺める生徒たち。

その先頭には、どこかで見たことがある教師が凄い剣幕で扉を叩いて怒鳴っている。

「・・・なんだ?」

訝しげに眉を顰める赤木さんと共に近づいて・・・いつも通りそこにいた晴子ちゃんを見つけて、この状況が何なのかを聞いてみた。

晴子ちゃんも事情はよくわからないと言っていたけれど、客観的な話を聞いて漸くこれが何なのかを理解する。

それと同時に、朝のお兄ちゃんの不可解な言葉の意味が、少しだけ解ったような気がした。

生徒の波を掻き分けて歩いていく赤木さんの後ろについて、体育館の扉に歩み寄る。

そこにいた教師を退けて、赤木さんが声と共に扉を叩いた―――中の様子は分からないけれど、しばらくすると体育館の扉が小さく開いて・・・。

一歩前に踏み出した赤木さんの身体が強張ったのに気付いて、その大きな身体で塞ぐように立つ扉の隙間からスルリと中に侵入した。

こういう時は小さい体(といってもそれほど身長は小さくはないけど)は便利だと思う。

顔を上げて、そこに広がる光景に、私は赤木さんと同じように固まった―――背後で扉が閉まって、それに抗議する教師の声とか誤魔化す赤木さんの声とか聞こえるけれど、そんな事に構っていられる余裕なんて、生憎今の私にはない。

まず目に飛び込んで来たのは、血だらけの人たち。

床を転がるバスケ部員。

辛うじて立っているのは、血だらけになった桜木くんと流川くんとリョータくん。

他に立っている人たちも、私にはすべて見覚えのある人たちばかりだった。

心の中に、いろいろな感情が渦巻いていく。

怒りとか、悲しみとか、呆れとか・・・そんなものがいろいろ。

おそらくはこの状況を作り出したと思われる人物たちを一瞥して・・・痛み出した頭を抱えたい衝動に駆られた。

自分を落ち着けるように・・・もう何に対してか解らないけれど震える息を吐き出して。

「・・・ありえない」

一言、呟いてみた。

どうでも良い言葉だけれど、呟いてみればそれだけで少しだけ落ち着いた気がする。

もう一度深くため息を吐き出して、私は迷う事無くある人物目掛けて歩き出した。

突然の乱入者に戸惑い静まり返った体育館内に、キュッキュッと私のスニーカーの音だけが響く。

「ちょっ!!?」

私の行動に驚いたような声を上げる彩子さんを無視して、黒い髪を肩まで伸ばした首謀者と思われる人物の前に立つ。

無言で見上げると、その人物は戸惑ったような表情を私に向けた。

そんな顔するくらいなら、こんな事しなきゃいいんだよ。

やっぱり心の中で呟いて、私は渾身の力を込めてその人物の左頬に右の拳を振り上げた。

勿論、パーじゃなくてグーで。

ガツンと鈍い音が耳に響く―――人を殴ると自分も痛いんだと、この時初めて知った。

ちゃん!?」

誰かが私の名前を叫んだ。

それが誰なのかは、私には分からない。

桜木くんか(桜木くんは『ちゃん』じゃなくて『さん』か)、流川くんか(流川くんは呼び捨てだから違うな)、リョータくんか(彼が一番有力だ)―――こんな事を考えている私は、結構余裕があるのかもしれない。

「・・・

まるで捨てられた犬のような目で私を見下ろして、その人物は私の名前を呟く。

それを綺麗さっぱり無視して、私は振り返った。

次に目に映るのは、かなりガラの悪い男の人。

例外なく傷だらけのその人に近づいて拳を振り上げると、それは彼の頬にヒットする前に腕を掴まれて止められた―――が、予想済みのその行動に動じる事無く、間髪入れずに左の拳を振り上げた。

それは止められる事無く、男の右頬にヒットする。

やっぱり痛い。

金輪際、人を殴るのは御免だ。

バスケ部の面々は、言葉もないのか呆然とその光景を眺めている。

「・・・良い度胸してるじゃねぇか」

「おかげさまで」

「まさか殴られるとは思ってなかったな・・・」

「私の今の率直な気持ちを表してみました」

「んな事して、どうなるか解ってんのか?」

意地の悪い笑みを浮かべる男に、私は薄い笑みを向けた。

卑怯かもしれないけれど、何もされないと確信しての行動なのだから、私に焦りや不安は少しもない。

そんな私に、男は苦笑を漏らして・・・ガシガシと乱暴に私の頭を掻き回した。

「女にしとくにゃ、勿体ねぇな」

「光栄だね」

「だろ?」

今度こそはっきりと笑みを浮かべた男―――鉄ちゃんに、私も素直に微笑んだ。

普段恐ろしい形相をして、恐ろしい行動をし、恐ろしい噂と共に恐れられている鉄ちゃんからは考えられないほど、私の頭を撫でる手は優しい。

そのギャップが、私はとても好きだった。

先ほどまでとは違うその雰囲気に、戸惑ったように顔を見合わせているバスケ部面々。

訳が解らないといった表情を浮かべている彼らに向き直って、私は深く頭を下げる。

「ごめんなさい」

「な・・・なんでさんが謝るんですか!?」

慌てて駆け寄ってくる桜木くんに頭を上げさせられて、私は彼の顔を見返す。

「私のせいでは決してないけど、関わりがないといえば嘘になるから」

「・・・・・・は?」

「こんな馬鹿なことを仕出かした人が家族なんだと思うと凄く情けないけど、だけどお兄ちゃんが私のお兄ちゃんであることに関しては不満はないから。お兄ちゃんが私のお兄ちゃんで、凄く嬉しいから・・・だから、そう思ってる私も責任を負うべきだと思うの」

訳が解らないとばかりに首を傾げる桜木くんに、苦笑する―――大丈夫、言ってる本人だって、何を言いたかったのかよく解らなくなってるんだから。

「・・・お兄ちゃんって・・・まさか?」

恐る恐る口を開いたリョータくんに向き直る。

怪我だらけのリョータくんを見て、申し訳ない気持ちで一杯になる―――彼には、お兄ちゃんのせいで二度も怪我をさせちゃったね。

「うん、そう。あの人・・・三井寿は、私のお兄ちゃんなの」

告げると、全員が驚きに目を見開いた。

これで終わりかな?と、心の隅で思う。

こんな事件を起こした人の妹なんて、バスケ部の人たちも要らないだろうから。

短い間だったけど、凄く楽しかったのに。

最初はお兄ちゃんの為だけに入ったバスケ部は、それでも今の私にとってはとても大切な場所になっていたのに。

呆然としていたリョータくんが何か言おうと口を開きかけたその時、今まで黙って事の成り行きを見守っていた赤木さんが行動を起こした。

今までの騒動が嘘のように、赤木さんの一喝で事が収まっていく。

そんな光景をぼんやりと眺めていると、再び体育館の扉が静かにノックされた。

「赤木くん。ここを開けてください」

繰り返されるノックと共に聞こえてくる、穏やかな声。

全員が扉に釘付けになる中、お兄ちゃんに視線を向ける―――聞こえてくる穏やかな声に比例して、どんどんと強張っていくお兄ちゃんの身体と表情。

赤木さんが、体育館の扉を開けた。

差し込む眩しい光を背に、その巨体が体育館に入ってくる。

「おやおや・・・」

安西先生は、体育館内の惨状を見てにこやかに笑った。

そんなにこやかな光景じゃないと思うんだけど・・・とか口を挟みたかったけれど、生憎とそんな空気じゃなかったので、その言葉はしっかりと飲み込む。

不安げな表情を浮かべる人や、気まずさに視線を逸らす人、挑むような目を向ける人など様々で―――そんな中、安西先生は無言で立ち尽くすお兄ちゃんを見て、笑みを浮かべた。

「おや、三井くんじゃないですか」

「・・・先生」

向けられる安西先生の温かな笑顔に、お兄ちゃんは堪えていただろう涙を素直に流して、力が抜けたように床に膝をついた。

「すいません。すいません・・・」

繰り返される謝罪と・・・そして嗚咽に紛れて微かに響く声。

「バスケが・・・したいです。もう一度、バスケが・・・」

聞きたかった、その言葉。

ずっと・・・3年前、怪我をした時から聞けなくなった言葉。

お兄ちゃんの心の中に溜まった、ずっと口には出せなかった想いが、今言葉となって私の耳に届く。

お願いします。

こんな事を仕出かした人を、許せないと思う気持ちは当然だけど。

だけど、どうかお願い。

お願いだから、お兄ちゃんを受け入れてあげて。

その為ならば、私は何でもするから。

だからこれ以上、お兄ちゃんから『バスケ』を奪わないで。

地面に膝をついて頭を下げるお兄ちゃんの隣で、私も深く頭を下げた。

 

 

湘北バスケ部は、まるで『青い薔薇』のようだと、私は思う。

その心は?

ありえないことばかりが起こるから。

ありえない人たちばかりが、集まっているから。

その後、この事件の罪を被ってくれた桜木軍団と堀田さんたちのお陰で、お兄ちゃんは処分を受ける事はなかった。

あれだけの所業をしたというのに、バスケ部の人たちはなんとかお兄ちゃんを受け入れてくれた。―――やっぱりたまにお兄ちゃんを相手に怯える人もいるけれど、それは仕方のないことだろう。

そして今お兄ちゃんは、私の目を釘付けにした眩しい笑顔で、バスケをしている。

「良かったね」

いつの間にか私の隣に立っていた小暮さんが、優しい笑顔を浮かべて私に言った。

「はい」

私は満面の笑顔を浮かべて、1つしっかりと頷いた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

三井寿、湘北バスケ部殴り込みの回。

ヒロイン最強です。鉄男相手にも怯みません(笑)

最初からヒロインがその場にいたら、きっと三井たちは速攻で止められちゃうだろうと思ったので、赤木さんと一緒の登場となりました(っていうか、赤木さん影薄いけど)

さてと、次はどんな話にしようかしら?

作成日 2004.7.6

更新日 2007.9.14

 

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