手に食い込むビニール袋が痛い。

これはある種の拷問のようだと、八つ当たり気味に心の中で毒づいた。

 

らないよ。

 

事件は、県大会が行われる会場で起こった。

試合中に選手に飲ませる為のドリンク(粉末ポカリ)を作っていた時のことだ。

同じ1年の補欠の子が、親切にも手伝うと言ってくれたので、私は作り終えたばかりのそれはもう重いドリンクの入った容器の運搬をお願いした。

直後、その子は悲壮な表情を浮かべたけれど、運搬を頼もうと思っていた桜木くんとか流川くんとかお兄ちゃんの姿がなかったので、見ないフリをして強制的に運ばせる。

私だって、いくら腕力に自信があるとは言っても、そんな重い物の運搬なんて避けて通りたい。―――・・・なんて事を赤木さんあたりにでも聞かれたら呆れられるかもしれないけれど、幸い聞かれてはいないのだし、彼自らが『手伝う』と申し出たのだから、その辺りはもう運が悪かったと諦めてもらうことにした。

そんな不運な生贄を見送って、私はドリンク製作の後片付けをしようとビニール袋を手に取った。

その直後、背後で物凄い音が聞こえて、私は思わず手を伸ばしたまま硬直する。

振り向きたくない。

ええ、きっと私の想像した通りの光景がそこにはあるんでしょうね。

そんな事をひっそりと思い、けれど振り返らないわけにもいかずに、私は覚悟を決めてゆっくりと身体を反転させた。

「・・・・・・なんてことだ」

私の目に、惨状と呼べるほど凄惨な光景が映る。―――予想通りとはいえ、なんてお約束な。

床に膝をつく、青い顔をした補欠君と。

床に転がる、空の容器。

それから、床に広がるポカリだったもの。

掃除が大変だな・・・なんて、現実逃避してみたり。

「ご、ごめん!」

凄い勢いで私の方へ振り返り、頭を下げる補欠君。―――そんなに怯えられると、普段の私がどう思われているのか疑問が浮かぶのですが。

床に頭を擦りつけ、土下座状態の彼を、私はため息を零しつつ見下ろして。

「とにかく、立って。別に怒ってないから」

そう言うと、その子はホッとしたように顔を上げた。

まるで怪物でも前にした態度に、別の意味で怒りが湧きそうだ。

まぁ、それはこの際気にしないことにして。

「後片付けが大変そうだね」

乾いたらべたべたしそうだ。

とりあえず、どこかでモップを借りてこよう。

私は補欠君に容器を拾い集めてもらうことにして、早々にモップを借りに行く事にした。

今日のドリンクはどうしようかと、そんな事を考えながら。

 

 

「という訳で、今日のドリンクは諦めて」

「アホか」

みんなの所に戻ってそう言うと、速攻でその言葉が返ってきた。

そう来るだろうとは思ってたけど・・・やっぱり、諦めてはくれないか。

「じゃあ、水道の水でも・・・」

「そりゃないですよ!さん!!」

「なら、どうしろと言うのだ、桜木花道」

「買ってくりゃイイじゃねぇか」

「今から?」

「頼むよ、ちゃん」

「・・・めんどくさい」

本音を漏らすと、それがマネージャーの言葉かと赤木さんに怒られた。

確かに正論なので反論のしようがない。―――だけれど、面倒臭いものは面倒臭いのだ。

「悪いけど、行ってくれる?」

「解りました」

「お前、何で彩子の言う事は素直に聞くんだよ!?」

彩子さんのお願いに素直に頷くと、お兄ちゃんに詰め寄られた。

だって、彩子さんは(ある意味)私の憧れだし。

尊敬もしてる。

こんな風に強くて格好いい姉御になりたいものだと、しみじみと思う。

そう返すと、俺らのことは尊敬してないのか!?と更に詰め寄られたので、無言で笑顔を浮かべて無視した。

ぐれてて、その上バスケ部潰しに向かったと思いきや、反対に更生して復帰する人に対して尊敬してるかどうかなんて、答えるまでもないでしょう?

言わずもがな。

知らぬが花・・・って所だろう。

まぁ、お兄ちゃんが更生したこと自体は私としても喜ばしい事なので、あえて口にはしないけれど。

言わなくても、きっとお兄ちゃんなら私の考えてる事なんて察してくれるんだろう。

以心伝心なんて言ったら、また渋い顔をするんだろうな。

 

 

という工程を経て、私は1人寂しく近くのコンビニにドリンクの買出しに出かけた。

何で1人なのかというと、もう既に試合が始まってるから。

補欠とはいえ、見ることも勉強だという理由で、ドリンクをぶちまけた本人は買出しを免れているんだから、なんとも理不尽な話だ。

血が通っていない手の指先を見て、私は諦めてドリンクをその場に置いた。

もうすぐ会場に辿り着きそうだというのに、私の手は限界を叫んでいる。

わざわざコンビニに買出しに行って、どうして粉末ではなくペットボトルの方を買ってきたのかと言えば、別に作るのが面倒だったとか言う理由じゃ決してない。

ちょっと面倒だなとは思ったけど、断じて違う。

ただ単に、粉末ポカリが売り切れていただけの話だ。

私が買いに来る少し前に、ジャージを着た少年が全部買い占めて行ったらしい。

試合をすると解っているんだから、ちゃんと用意して来てよ。―――なんて自分のことを棚に上げて毒づく。

棚上げ、万歳。

「うわ・・・しびれる」

手をわきわきと握ったり開いたりしながら、血が流れる感触を体感する。

正座をした後みたいにしびれる手は、痛いのかなんなのかよく解らない。

あまり気持ちの良い感触ではない事だけは、確かだ。

しばらく経って、漸く痺れが収まってきた手をペットボトルの詰まったビニールに伸ばす。

心境的には持ちたくないけど、このまま放置って訳にもいかない。

諦めと共に気合を入れて、袋を持ち上げようとしたその時。

「あれ〜?湘北のマネージャー?」

突然背後から声が掛かり、その上その声に聞き覚えがあったものだから、私は再び屈みこんだ体勢のままで硬直した。

振り向きたくない。

本日二度に渡って思ったそれは、けれど肩に置かれた手によってあっさりと却下された。

「久しぶり〜。こんなとこで何してんの?」

渋々振り返った先には、人懐こい笑顔。

こんなに気さくな人なのに、どうして私はこの人が苦手なんだろうか?

「・・・お久しぶりです、仙道さん」

私が名前を呼ぶと、あの雨の日ぶりに会う仙道さんは嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

 

「・・・なるほど。で、こんなに大荷物なんだ」

ガサガサと音を立てるビニール袋は、今は仙道さんの手にある。

重さに四苦八苦していた私を見かねて、運搬に協力してくれているのだ。

感謝ついでに、何故こういう事態になったかの説明をすると、仙道さんは笑って奇遇だね〜と呟いた。

何が奇遇なのかと尋ねると、実はうちも同じような事しててさ。なんて笑う。

同じような・・・ということは、まさか陵南もポカリぶちまけたとか?

今日はモップが大活躍だな・・・とか思いつつ、驚いた様子の私なんて気にしたそぶりも見せずに、仙道さんは聞いてもいないのに尚も話続けた。

「彦一のやつがさ〜・・・あ、彦一ってうちの一年なんだけど。ドリンクの用意を学校に忘れてきたらしくてさ。慌ててコンビニに買いに行ってたよ」

陽気に笑う仙道さんに、殺意を覚えた。

コンビニの粉末ポカリが売り切れてたのは、陵南のせいか!

おのれ・・・私にこんな重い思いをさせた罪は重い。(オモイだらけだ)

この恨み、どうやって晴らしてくれようか。

まぁ暴力沙汰はまずいので、この借りは試合で返させてもらうことにしよう。

私が試合するわけじゃないけど、お兄ちゃんたちには死ぬ気で頑張ってもらわないと。

「どうかしたの、ちゃん?」

「・・・いえ」

なるべく殺意が顔に出ないように気をつけながら、簡単な返事を返す。―――ふと、疑問を抱いて仙道さんを見上げた。

「私の名前を、どこで?」

確か、名乗ってない筈だ。

前に練習試合をしたけれど、選手でもない私の名前なんて広まるわけないし。

なのに当然のように私の名前(しかも下の)を呼んだ仙道さんに不審な目を向けると、当の仙道さんは事も無げにサラリと爆弾発言をした。

「さっき話した彦一に教えてもらった」

「・・・その彦一くんは、どうして私の名前を?」

「ああ、あいついろんな事調べてるから。頼んで君の事も調べてもらったんだよ」

無邪気な笑顔を浮かべる仙道さんに、ある意味恐怖すら感じました。

こんなに身近にストーカー候補がいたなんて。

恐るべし、陵南。

あらゆる意味で敵に回したくない人だ、仙道彰。

ダッシュで逃げたい衝動に駆られたけれど、肝心のポカリが仙道さんの手にあることを思い出して、すんでのところで踏み止まった。

このまま手ぶらで帰ったら、苦労してここまで運んだというのに批難を受けるのは目に見えている。

我慢だ、私。―――と何とか自分に言い聞かせていると、仙道さんがある方向を見て唐突に声を上げたのに気付いて、私も釣られてそちらに視線を向けた。

「・・・知り合いですか?」

視線の先にいたのは、ブレザーを着た色黒の男の人。

私の問いに仙道さんは輝くような笑顔を浮かべて。

「ううん、知らないよ」

どうにも嘘臭いその言葉を鵜呑みにするほど、私は素直な性格じゃあない。

再びその男の人に視線を戻して・・・私なりに推測してみる。

誰だろうか?―――もしかして、仙道さんのお父さんとか?

いや、でも似てないしな・・・っていうか、まるきりタイプが違う。

似てない親子だっているだろうけど、何となく違う気がする。

真剣な顔でコートを見ているその男の人を観察して、もしかして・・・とある可能性を思いついた。

例えばあの人の愛娘が、年頃の高校生だったりして。

いきなり付き合っている人がいると聞かされて、思わず反対してしまったと。

娘に反論されても諦める事無く、その彼氏がバスケ選手だと聞いて、直訴するために会場に乗り込んで来たとか?

そして実はその彼氏というのが、仙道さんだったりして・・・。

うわ、ありえない。

ありえないけど、そうだったら面白そう。

そんなことを考えていたら、その人が立ち止まった私たちに気付いたようで、驚いたような表情を浮かべると、すぐにそれを笑顔に変えてこちらに歩いてくる。

そのリアクションからするに、私の予想は外れているみたいだ。

「よう、仙道!」

「こんにちは、牧さん」

さっき知らないとか言ってたくせに、あっさりと挨拶を交わす仙道さん。

そんな仙道さんに負けず劣らずの爽やかぶりで挨拶した牧さんとか言う人は、すぐ側にいる私に視線を移した。―――そして再び仙道さんに視線を戻して・・・。

「仙道。お前の彼女か?」

「いや〜、そう見えます?実は、そうなんで・・・」

「違います」

照れたように頭を掻く仙道さんの言葉を遮って、私はキッパリと否定した。

何で照れる?

そして何で肯定するのか。

「違うのか?」

「ええ、お門違いです」

言葉の使い方を間違えてるのかもしれないけれど、そんな事はどうでも良かった。

あらぬ誤解をされてしまうよりは、頭の足りない子だと思われるほうが幾分もマシだ。

いや・・・頭の足りない子と思われるのも頭に来るけど。

「この子は湘北のマネージャーなんですよ」

がっくりと肩を落とした仙道さんが私を紹介したので、それに習って頭を下げた。

「初めまして、三井です」

「ああ。俺は海南の牧だ、よろしくな」

海南。―――聞いた事ある・・・・・・ような気がする?

確かあれだ、バスケの強い学校。(アバウト)

なるほど。ここにいるって事は、この人は顧問の先生か何かだろうか?

「ところで・・・湘北はもう試合が始まっているが、行かなくて良いのか?」

「今から行くところです。それはもう、速攻で」

早く行かないと、ポカリ買った意味なくなるしね。

苦労したのに、遅いって文句言われるのも嫌だし。

「という訳で、ありがとうございました」

ちゃんと礼を言って、仙道さんからポカリの入った袋を受け取る。

ずっしりとした重さは変わりなく、私の手の血液の流れを止めてくれた。

ちゃ〜ん!今度デートしようね!」

背後から掛かる陽気な声をスルーして、私はみんなのところに急いだ。

弄遊ばれて捨てられる・・・なんてありがちな未来が手に取るように解るのに、誰がデートなんてするもんか。

私は堅実な道を選ぶ。

波乱万丈な人生なんて、お断りだ。

そんな私が、既に穏やかとは無縁の生活を送っていることに気付くのは、何年も先の話。

遠い未来、過去を思い出して『あの頃は若かった』とか感慨に耽るのを、今の私には知りようもない。

そんなの、今の私には知った事じゃない。

今は今で手一杯。

遠い未来のことなんて、考える暇なんてない。

手に食い込むビニールの袋を抱えながら、私は歩く足を速めた。

 

 

余談として。

今日会った『海南の牧さん』が実はまだ高校生で、しかもバスケ部の主将で、その上お兄ちゃんと同じ歳だという事を、私はまだ知らない。

それを知るのは、もう少し先の話。

年齢詐称じゃないかと教育委員会に掛け合おうかと思った私を、お兄ちゃんと赤木さんと小暮さんと彩子さんが必死になって止めるのも、もう少し先の話。

世の中は不思議な事で一杯だと、その時私は実感した。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

とりあえず、ごめんなさい!(平謝り)

仙道さんの扱いが酷くてごめんなさい。

牧さんの扱いも酷くて、ごめんなさい。

決して嫌いな訳ではありませんので、その辺は誤解のないようお願いします。

ちなみに、どうして仙道さんが牧さんを見かけたときに『知らない』と言ったのかというと、ヒロインと会わせたくなかったからです。

これ以上ライバルは増やさないでおきたいな・・・とかいう心境の成せる行動です。

ここで説明しなきゃ解らない話を書く時点で、もうダメダメです。

作成日 2004.7.14

更新日 2007.11.4

 

 

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