深い静かな森の中で。

優しく愛しい唄が流れる。

それはゆっくりと、穏やかに。

消え入りそうなほど、小さな小さな旋律で。

 

愛の唄にはまだ

〜前編〜

 

「・・・で、最近どうなんだ?」

唐突な問い掛けに、カップを口元に運びかけたクラトスは、その手をピタリと止めた。

そのままそれをテーブルに戻し、訝しげな表情を浮かべてその問いを投げかけたユアンを見返す。

「・・・何の話だ?」

まるっきり訳が解らないという顔でそう問い返すクラトスに、ユアンは呆れた表情を浮かべて、1つ大きな溜息を零した。

それに憮然としつつ、クラトスはユアンの意図を探るべく頭を回転させる。

今までの話の流れから考えて・・・といきたいところだが、生憎と会話と呼べる会話はしていた記憶がない。

2人も同じ部屋にいるというのに、大して広くも無いこの空間内には静寂が沈んでいた。

加えて問い掛けは主語も何も無いもの。―――これで内容を把握しろという方が無理なのではないかとクラトスは思う。

しかしユアンはそんなクラトスの心中など構う様子もなく、再び呆れたような溜息を零すと、先ほどのクラトスと同じく珈琲の入ったカップを口元へと運び、それを一口飲んでから静かな口調で切り出した。

「だから、の事だ。あの後彼女とは上手くいっているのか?」

全部言わずとも解って欲しかったと心中で思いながらも、その手のことに関して疎いクラトスにそれを望むのも難しいだろうと思い直す。―――世間一般でそういう話の切り出し方をして、それが正確に相手に伝わるのかどうかは、閉ざされた森の中で限られた者との接触だけしかしていないユアンには解る筈も無い。

ただ、マーテルならその少ない言葉で確実に質問の意図を汲み取ってくれるだろう事は確かだ。

再び今度はしっかりとその内容を明示されたクラトスは、向けられた質問とという名前に、少しだけその表情を緩める。

普段から顔の筋肉が固まってしまっているのではないかと思われるほど無表情なクラトスのその表情の変化に、もしかして何か進展があったのかとユアンは顔には出さずに心の中だけで驚愕していた。

彼が見るとクラトスの日常は、本当に他愛も無いものばかりだ。

恋人というよりも、友だち・・・―――寧ろ修行仲間と言った方が的確なのではないだろうかと思えるほど色気も何もない。

だからこそ、自分たちの知らないところで進展があるのなら、それを知りたいという好奇心が疼きだしても仕方が無いだろう。

それ以上に、人の踏み入らないこの森の中では退屈してしまうのだから。

「で、どうなんだ?」

ユアンは三度質問を重ねる。

心なしか先ほどよりも体が乗り出しているように見えるのは、気のせいではない筈だ。

「・・・どう、と言われてもな」

そんなユアンに気付いているのかいないのか・・・―――クラトスは少しだけ言葉を濁して、カップに残っていた珈琲を全て飲み干すと小さく息をついた。

「最近は特に稽古に対して意欲が湧いているようでな。剣の腕前もめきめきと上達している。モンスターを相手に実戦経験も積んでいるようだ」

「・・・は?」

「剣術を学び始めて数ヶ月の者とは思えぬほどだ」

呆気に取られて間の抜けた声を上げるユアンに気付かず、クラトスは満足げに頷く。

その表情は酷く幸せそうで、おそらく今彼の脳裏にはの剣を振るう姿が浮かんでいるのだろうが・・・―――その話の内容が、恋人について話すものではない事に残念ながら気付いてはいないようだ。

そしてユアンの質問からも大きく外れている事にも、おそらく気付いてはいない。

ユアンは思わず溜息を零しつつこめかみを押さえた。

別に当人同士がそれで幸せなら良いじゃないかとか、いやでもそれは想いを通わせあったばかりの恋人たちの姿としてはどうなのかとか、色々な思いが込み上げてくる。

しかも彼が本当に聞きたかった真相は明かされていない。

この状況では聞かずとも解るような気がしたが、一応はしっかりと聞いておこうかと思い、今日何度目かの溜息を吐き出してクラトスに正面から向き合った。

「私が聞いているのは、そういう事じゃない」

「・・・お前は一体、何が言いたいのだ?」

微かに浮かんでいた微笑みを訝しげな表情に変えて自分を見返してくるクラトスに向かい、解りやすくキッパリと告げた。

「恋人として、お前との仲は何処まで進展しているのかと聞いたんだ」

「こっ!?」

ユアンの口にした『恋人』という言葉に敏感に反応して、クラトスはその顔を瞬時に赤く染めた。―――その変わり様をいっそ見事だとばかりに凝視しつつ、ユアンは込み上げてくる笑いを何とか押し留めながらクラトスの言葉を待つ。

それなりに歳を重ねた男が『恋人』という形容詞だけでこれほどまでに動揺できるものなのかと思いつつ、やはりこの反応では大した進展などしていないだろう事は察することができた。

「・・・・・・そんな事を聞いてどうするつもりだ?」

「気にするな。ただの好奇心だ」

「悪趣味な・・・」

「悪趣味は承知の上だよ」

恨めしげな眼差しで搾り出すように呟くクラトスに対し、ユアンは向けられる抗議の声も何処吹く風でサラリと流す。

まだ残っている冷めつつあるカップの珈琲を涼しげな顔で飲みながら、で?と質問の答えを促した。

「・・・答える必要はない」

「答えられるような出来事が無いの間違いだろう?」

「・・・・・・」

「そう睨むな。別に責めているわけでも、からかっているわけでもない」

呆れてはいるがなと心の中だけで呟く。―――声に出すような愚かな真似はするつもりはない。

どれだけ睨みを聞かせても効果のないユアンに、クラトスは諦めたように溜息を零した。

そんなクラトスを横目に、ユアンは気付かれない程度に苦笑する。

クラトスにああは言ったが、実際に何の進展がなくても仕方がないとも思う。

今まで人間を憎悪していたは、人間であるクラトスを漸く受け入れたばかりなのだ。―――それで無くとも今まで恋愛ごとに無関心の上縁が無かったを思えば、たった数ヶ月で具体的な進展があったと聞かされた方が驚いたに違いない。

それなりの時間を共に過ごす間に、クラトスがどういう人間なのかも解ってくる。

人と接する事が苦手なクラトスと、誰かと共にいる事も嫌いではないだろうが1人の時間も好きなの組み合わせは、ある意味致命的とも思えた。

別に他人の恋愛事情をどうこう言うつもりは無いし、自分から好き好んで首を突っ込む気もお節介さも持ち合わせてはいないが、このまま放っておけば人の目から見て恋人同士らしく見えるようになる頃には年老いているのではないかと、ユアンには容易にその光景が想像できる。

むっつりと不機嫌そうに黙り込んだクラトスを伺い、質問した手前このまま放っておいても良いものかと更に思考を巡らせた。

ユアン的にはそれでも構わないと思うが、それを聞いた彼女がどう思うか・・・―――と少し苦い想いを抱きながら脳裏にある人物の姿を思い浮かべたその時、ノックも何も無くユアンの自宅の玄関のドアが勢い良く開かれた。

バタンと大きな音を立てて内側に開いたドアを咄嗟に凝視したユアンとクラトスの目に、鮮やかな緑の髪をした美しい少女が映る。

その少女・・・―――マーテルは流れるような髪を少しだけ乱し、弾む息を軽く整えるとクラトスに視線を向けて口を開いた。

「ねぇ、知らない?」

「・・・?いや、知らんが・・・・・・」

クラトスの控えめな返答に、マーテルは見るからに肩を落として溜息を吐き出す。

そのあからさまな落胆に、クラトスとユアンは不思議そうに顔を見合わせた。

「・・・どうかしたのか?」

「どうかしたっていうか・・・が見つからないの」

「何か緊急な用でも?」

「緊急ではないんだけどね。今日に料理を教える約束をしていたから・・・」

マーテルの言葉にクラトスは不思議そうに首を傾げる。

「料理を?」

「そう。、あまり家事が得意ではないから・・・」

「・・・・・・約束をしたじゃなく、無理矢理約束させたの間違いじゃないのか?」

クラトスに向かい困ったように苦笑しながら呟くマーテルに、ユアンは極小さな声で突っ込みを入れた。―――しかしそれはしっかりとマーテルの耳に届いていたようで、ジロリと一睨みされると呆れたように肩を竦めて見せる。

「いつもの場所は捜してみたのか?」

無言の攻防を繰り広げるマーテルとユアンを気にした様子なく目に映しながら、クラトスは何気ない口調でマーテルに声を掛けた。

しかし返って来た答えは、捜したけれど見つからなかったという残念そうな声。

それを受けて、クラトスは困ったように溜息を吐いた。

はよく、気が付けばフラフラと何処かへ姿を消す。

そんな時は大抵、が気に入っている決まった場所にいるのだ。

例えばそれは、広大な景色が見渡せる崖の上だったり。

例えばそれは、登るのも大変そうな大きな木の上だったり。

例えばそれは、澄んだ水の流れる川のほとりだったり。

大抵はそこで本を読んでいたり、昼寝をしていたり、ぼんやりとしていたりするのだが。

ふとある疑問が脳裏を過ぎり、クラトスの眉間に微かに皺が寄る。

そういえば以前も、の行方が解らなくなった事があった。

行方が解らなくなったと言ってもそんな大層なことではなく、夕方には家に戻ってきたのだが、マーテルがいくら捜してもの姿を見つける事が出来なかったのだ。

探しにかけては天才的な勘を働かせるマーテルでさえ、見つけられなかった。

何処に行っていたのかと問うても、のらりくらりとはぐらかされて結局真相ははっきりとしなかったのを思い出す。

もしかして、また人間に暴行を加えられているのではないかと不安になり、クラトスは思わず椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。

「どうしたの、クラトス!?」

「・・・・・・いや」

驚いたように声を上げるマーテルに曖昧な返事を返して、クラトスは不安げに窓の外に視線を向けた。

もしその考えが当たっていれば、マーテルたちに何処にいたのか答えなかった理由もはっきりとする。

「クラトスなら、の居場所に心当たりがあるかと思ったんだけど・・・」

残念そうに呟くマーテルを見詰めて、クラトスは出来る限り冷静な声を意識して口を開いた。

「・・・捜してこよう」

「えっ!クラトス!?」

背後に掛かる声を振り切って、クラトスは家を飛び出した。

その後ろ姿を呆然と見送り、暫く後に我に返ったマーテルは同じく呆然としたまま座っているユアンに目を向ける。

「やっぱり、心当たりがあったのかしら?」

「・・・さあな」

小さく首を傾げて、我に返ったユアンも不思議そうに呟く。

一見冷静そうに見えても、心中がそうではないだろう事は問い返す必要も無いほど明白だった。―――あれほど慌てて飛び出したのでは、弁解の余地も無いだろうが。

何かあるのだろうかと思いつつ、それでもクラトスが向かったのなら問題無いだろうと思い直し、マーテルは開け放たれたままのドアを閉めて先ほどまでクラトスが座っていた椅子に座り、再び何食わぬ顔で珈琲を口に運ぶユアンを見詰めた。

「・・・で、なんて言ってた?」

最初に話を切り出した時のユアンと同じような問い掛けを向けるマーテルに、ユアンは思わず苦笑する。

そしてこれだけの短い言葉で意味が通じるのは、意思疎通が出来ているからなのか、それともその相手がマーテルだからなのかユアンには解らなかった。

「聞くまでも無いだろう?君が想像する通り、何もないようだ」

「・・・やっぱり」

ユアンの簡単な返事に、マーテルは先ほどよりもがっくりと肩を落とす。

何故ユアンが唐突にクラトスに話を切り出したかの理由は、目の前の少女に事の真相を明らかにする事を頼まれたからに他ならない。

わざわざ人に頼まなくとも、自分がに聞けば良いのではないかとユアンは思ったが、マーテルに言わせれば『にその手の話は切り出し難い』のだそうだ。

マーテルはマーテルなりに、曖昧な2人の関係を心配しているらしい。

けれどその心配も無用なのではないかと、ユアンは思う。

確かに進展らしい進展は何もないようだけれど、の話題に表情を緩ませるクラトスを見ていれば、2人の関係は極めて良好なのだという証明に見えた。

それ以上に、最近ではクラトスと共にいる事が多いの表情にも、明るい楽しそうな色が浮かんでいる。

以前がそうでなかったとは言わないが、それでもクラトスの傍にいるの表情は昔とは違うもののように思えた。

まさしくそれは、『恋する乙女』特有のものなのではないかとユアンは思う。

「私たちが心配しなくても、あの2人は大丈夫だ」

「それは・・・まぁ、私も認めるけどね」

ユアンの確信に満ちた声色に、マーテルも渋々ながら同意する。

が幸せだという事は、マーテルもちゃんと解っていた。

けれどそれでも、しっかりとした証のようなものを見たいと思うのも確かで。

「進展していないように見えても、ちゃんと前に進んでるさ・・・あの2人は。例えその歩みが亀並みだとしてもな」

「そうね。亀並みでも進んでる事には違い無いものね」

納得したように顔を見合わせて頷いたユアンとマーテルに、クラトスとがそれを聞けば一体何と言うだろうか。

それほどある意味酷い言い様だったが、幸いにもそれは2人の耳に届く事はなかった。

一件落着とばかりに穏やかな空気が流れる中、再びガチャリと音を立てて玄関の戸が開く。

顔を覗かせたのは、クラトスでもでもなく、1人熱心に剣術の稽古をしていた筈のミトスだった。

「ねぇ、さっきクラトスが凄い形相で走って行ったけど・・・何かあったの?」

ミトスの邪気の無い質問に、ユアンとマーテルはお互い顔を見合わせて。

「「・・・・・・さあ?」」

声を揃えて、2人同時に首を傾げる。

そういえばクラトスはどうしたのかしらね・・・というマーテルの呑気な声が、室内に穏やかに響いた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

一話に纏めるつもりだったのですが、とんでもなくだらだらと長くなってしまったので、急遽前後編に。

私の書く話は前置きとかどうでもいい話とかが長すぎです。(笑)

今回はユアンが出張り・・・やっぱりミトスはちょい役になってしまいます。(だってミトスを出張らせたら収集つかなくなりそうだし)

そしてヒロイン出てません。(駄目じゃん)

それどころか、クラトスも台詞とかあんまりないし・・・。(汗)

そして私は、マーテルを何キャラに仕立てあげようとしているのか・・・。(笑)

作成日 2004.12.1

更新日 2009.1.14

 

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