見晴らしの良い切り立った崖の上に座り込み、はぼんやりと広大な景色を眺めていた。

しかしいつもならば気分を晴れやかにしてくれる筈のその景色も、今のどんよりと重い気持ちはどうにもならないようだ。

胸に溜まったもやもやとした感情を吐き出すように、大きく溜息を吐く。

空は快晴。

雲ひとつ無い澄み切った青い空を、は憎々しげに睨み上げた。

 

最初の

 

「・・・!」

鬱蒼とした気持ちを持て余していたの背後から、明るい声が掛けられた。

重い気分を引きずったまま振り返ると、そこにはにこやかな笑顔を浮かべたマーテルが立ち、に向かい軽く手を振っている。

そんなマーテルの姿に更に気分が落ち込むのを感じて、しかし無視するわけにも当然行かずに曖昧な笑みを浮かべて手を振り返した。

普段ならばマーテルを見て、こんな気持ちを抱く事など無い。

なのにも関わらず、今日に限ってそんな感情を抱くのは、きっと己の心にやましい部分があるからだろうか。

マーテルが(彼女に限らず、だが)あからさまに可笑しい自分の態度に気付いていないとはも思っていない。―――きっと聡明な彼女の事だから、その原因が何かも突き止めているに違いないのだ。

今から何を言われるのか。

それを考えるだけで、重い気持ちが更に沈んでいくのが感じられた。

「隣、良いかしら?」

ゆっくりとした足取りでの前に立ち、隣を指差してニコリと微笑む。

嫌とも言えず曖昧に頷くと、マーテルはそんなに気付かぬフリをして自然な動作でその場に座り込んだ。

シン・・・と、その場が静まり返る。

思えば、マーテルと共にいて重い沈黙を感じた事など初めてのことだった。

「ねぇ、

「・・・・・・なに?」

終わりの見えない沈黙を破って、マーテルが静かな声色で口を開く。

それに死刑宣告を待つ囚人のような心境で、は恐る恐る返事を返した。

「クラトスと何かあったの?」

ズバリと確信をつく一言に、は口を噤んで視線を地面に落とす。

しかし不意に、その質問の内容に微かな疑問を抱いた。

とクラトスの間に何かがあったのは、明白だ。

以前から仲が良いとは決して言えなかったが、今のようにあからさまに避けるというような事は今までに無かった・・・筈だ。

だからマーテルが2人の間に何があったのかと、疑問を抱くのは可笑しな事ではない。

しかしは、マーテルの事だからきっとクラトスから全ての事情を聞いていると思っていたのだ。

だからこそ、改めてそれを尋ねるのは可笑しい気がした。―――ただ単に、の口から何があったのかを語らせたいだけなのかもしれないけれど。

「・・・あの人から聞いていないの?」

半信半疑でそう問い掛けると、マーテルは前を見ていた視線をに向けて苦笑する。

「聞いたけど、教えてくれなかったのよ」

「・・・そう」

「なんだか、話すのも辛そうだったから・・・無理矢理聞くのもどうかと思って」

サラリと掛けられる追い討ちに、は微かに表情が強張る。

それを無意識にやっているのか、それとも確信を持って言っているのか。―――相手が相手だけに判断が難しい。

「それで・・・本当に何があったの?」

「・・・・・・」

「言いたくないなら、無理に聞き出そうとは思わないけど・・・」

無言で自分の足のつま先を見詰めるに、マーテルが困ったようにそう呟く。

そのまま再び前方に視線を戻し、何かのメロディーを口ずさむマーテルを横目に、は大きく深呼吸をしてから重い口を開いた。

数日前の夜、この場所でクラトスと逢った事。

彼と(一方的ではあったけれど)口喧嘩をし、腹を立ててこの場を去った事。

森の中でモンスターに囲まれて、危ないところをクラトスに助けられた事。

そして、怪我をして倒れそうになった自分を支えようとしてくれたクラトスの手を、思いっきり払ってしまったこと。

全てを話し終えると、少しだけ気分が楽になった気がした。

なんだかんだと言っても、本当は誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。

自分だけでは、思考が堂々巡りを繰り返すだけなのだと知っていたから。

しかし楽になったと同時に、再びその時のクラトスの顔が脳裏に甦る。

普段から無表情で感情の変化など滅多に解らないと言うのに、あの時クラトスが浮かべた表情に傷付いた色が浮かんでいた事には気付いていた。

自分が何を言ってもどんな態度を見せても気にした風も無いクラトスが見せた、初めての負の感情。

その表情が、脳裏に焼き付いて離れない。

は、他人に触れられるのが苦手なのだものね」

今まで無言での話を聞いていたマーテルが、静かな口調で呟く。

責められるのかと・・・諌められるのかと思っていたに、しかしマーテルから掛けられた言葉は、宥めるような優しい声。

それが更に、に罪悪感を植え付ける。

クラトスが悪い人間でないことは、も解っていた。

全ての人間が、ハーフエルフを迫害するわけではない事も、頭の中では解っている。

今までそんな人間には滅多にお目にかかったことは無いが、クラトスがその滅多にいない種類の人間である事も、少ない時間を過ごす内に理解した。

しかし、だからと言って簡単に受け入れられるほどは大人ではない。

理性よりも感情が先に立つ。―――人間は全て敵だと、頭のどこかで声がする。

よりにもよって、人間に助けられた事が悔しかった。

向けられる敵意を容易く乗り越え、相手を助けられるクラトスがとても強く思えて、だからこそ余計に自分が無様で弱く感じられる。

そんな自分が何よりも嫌だった。

謝るべきだと解っているのに、プライドが邪魔をしてそれを実行に移せない自分が、酷く子供っぽく思えた。

後悔してからでしかそれに気づけない事が、悔しい。

。クラトスは良い人よ」

黙り込み唇を噛み締めるに、マーテルが優しく微笑みかける。

「そんな事・・・」

言われなくとも、解っている。

だけど、それを認めたくなかった。

一度それを認めてしまえば、張り巡らせた警戒心はすぐに消えてしまうだろう。

この世界は綺麗なものばかりがあるわけではない。―――自分が警戒心を取り払ってしまえば、誰が綺麗な心を持つこの姉弟を守るというのか。

はチラリとマーテルを盗み見る。

そんなに気付いて、マーテルはニコニコと笑顔を浮かべていた。

何よりも護りたいモノ。

自分には決して持つことの出来無い、純粋で綺麗な心を持つ人。

全てを受け入れる強さを持つ、天使のような人。

!」

ぼんやりとマーテルを見詰めていると、不意に強い口調で名前を呼ばれては目を丸くした。

まじまじと顔を凝視すると、怒った表情をするマーテルが強い口調で口を開く。

「いい?悪い事をしたと思ったら、ちゃんと謝ること!」

「・・・・・・」

「ミトスにもいつもそう言っているでしょう?なのにそれを私たちが守らなくてどうするの?示しが付かないじゃない」

指をの目の前に突きつけて、そうしてにっこりと笑う。

ね?と言い含められて、は思わず吹き出した。

クスクスと笑みを零すを見詰めて、マーテルも同じように笑みを零す。

なんだかあれやこれやと悩んでいた自分が、酷く馬鹿らしく思えた。

目の前の少女は、誰かに守られなくとも十分強いのだという事を、は失念していたようだ。

「・・・そうね」

1つ頷いて、晴れ晴れとした表情で空を仰ぎ見る。

深く考えを巡らせても、辿り着く結論に変わりはないのだ。

このまま事を放って置くことなどには出来ないのだ。―――どの道謝るしか、この事態を打開する手段は存在しないのだから。

それでも誰かに背中を押してもらいたいとそう思っていて・・・そしてその願い通りに、しっかりと背中を押してくれるマーテルの存在をありがたいと思う。

「私・・・マーテルみたいになりたかった」

ポツリと漏らした本音に、マーテルは驚いたように目を見開いて嬉しそうににっこりと笑うと小さく首を傾げた。

「そう?私はみたいになりたいと思ってるけど・・・?」

「どうしてよ。こんな偏屈で刺々してて、人の好意も無神経に跳ね除けちゃうような・・・」

「だってそれは、私たちを守ろうとしてくれているからでしょう?」

ニコニコと、全てを見透かすような笑顔を浮かべてサラリと告げるマーテルを、は呆然と見詰める。

その表情には、疑いの色は無い。

「私も、みんなを守れるように強く在りたいわ。みたいに」

真剣な眼差しで見詰めるマーテルを見返して、は困ったように笑った。

買いかぶりだと・・・そう返したかったけれど、マーテルの強い眼差しの前ではどんな言葉を並べても意味のないものに変わってしまうのだろうと思って、は照れ隠しに広大な景色に視線を移す。

先ほどと、何ら変わりない景色。

けれど目に映る全てが、色鮮やかに映る。―――感情1つでこうも違うものなのかと、思わず感心してしまうほどだ。

やっぱりマーテルには敵わないな。

心の中だけで呟いて、はゆっくりとした動作で立ち上がる。

「謝ってくるわ、彼に」

「うん。頑張ってね」

短く告げて踵を返したの背中に、マーテルの柔らかな声が掛けられた。

それに勇気付けられたようで・・・数歩進んだところで歩みを止め、首だけで振り返ると微かに笑みを浮かべる。

「・・・ありがとう、マーテル」

感謝の気持ちを一方的に告げて、返事が返ってくる前に森の中へと駆け込む。

これからクラトスの元に行って、ちゃんと謝れるかどうかは解らなかったけれど。

言う言葉さえも、明確には決まっていないのだけれど。

肝心なのは動き出す事だとは解っていたから・・・だからそれだけで十分。

妙なやる気を胸に秘めて、は挑むような眼差しで森の中を駆け抜けた。

 

 

剣の稽古の時間、クラトスに言われるままに剣を振るっていたミトスは、チラリと窺うようにクラトスを見上げた。

そして視線を練習の見学に来ていたユアンに移して、困ったように眉を寄せる。

「・・・どうしたの、クラトス?なんか元気ないケド・・・」

構えていた剣を下ろして、ミトスは恐る恐るクラトスに声を掛けた。

しかしぼんやりと森の中を見詰め続けるクラトスは、ミトスの声も届いていないのか何の反応もせずにタイミング良くため息を零す。

「・・・重症だな」

呆れたような声色で、ユアンも同じように溜息を吐き出した。

「具合でも悪いのかな?最近ずっとこんな調子だけど・・・」

「ああ、家でもずっとこうだ。お陰で家の中が辛気臭くて仕方ない」

ミトスが稽古を中断し、木に背中を預けるようにして立つユアンの傍に寄って行っても、クラトスは気付く様子も無い。

「何でこうなったのか、ユアンは知ってる?」

「詳しくは知らないが・・・も様子が可笑しいから、彼女がらみじゃないのか?」

「そうだよね。も変だよね」

2人してしみじみ呟いた言葉に、今まで何の反応も示さなかったクラトスが視線をミトスとユアンに向ける。

おそらくはの名前に反応したのだろうけれど・・・そのあまりにも都合の良い耳に、ユアンは思わず苦笑した。

「・・・で、一体何があったんだ?仕方ないから相談に乗ってやる」

「・・・・・・」

ユアンの偉そうな口ぶりにクラトスの眉間に皺が寄るが、しかし次に続いた言葉でそんな気も失せる。

「お前1人で悩んでいても、解決などしないだろう?」

正論だけに、反論のしようも無かった。

「そうだよ。のことなら僕たちの方が付き合いが長いんだし・・・」

無邪気な笑顔でサラリと告げられたミトスの言葉が、更にクラトスをどん底に陥れていることに彼は気付いているのか。

ありがたい申し出だとは思うのだけれど、それを素直に受け入れる気持ちになれない何かが2人にはあった。

しかし2人の言う通り、いつまでも悩んでいても仕方の無いことでもある。―――クラトスは決意を固めて、事の次第を話す事にした。

「この間・・・」

「この間?」

「・・・少しハプニングがあり、倒れかけたを支えたのだが・・・」

クラトスがそこまで言いかけた時、2人には何が起こったのか・・・そして何故クラトスが落ち込んでいるのかの理由があっさりと理解できた。

「ああ、に手を振り払われたとか?」

あっさりと言葉の続きを言われ、クラトスは唖然とミトスを見詰める。

何故解ったのだと言いたげな視線にミトスは軽く肩を竦めて、同じように苦笑しているユアンを横目で窺う。

それに釣られてクラトスの視線もユアンへと移り、不可解だと言わんばかりのクラトスの表情に溜息を零した。

「まぁ、と知り合って数ヶ月足らずのお前が知らないのも当然だが・・・」

前置きに刺を感じたけれど、クラトスは黙って言葉の続きを待つ。

は人に触れられるのが嫌いなんだよ」

サラリと告げられた言葉に、クラトスは一瞬その意味が理解できずに固まった。―――しかしすぐにそれを察して、思わず額を押さえる。

そんなクラトスなど放置して、ユアンは更に言葉を続けた。

「よほど親しくならないと、あいつは相手を受け入れない。野生の獣みたいな性格をしているからな。それが俺たちのような同族ではなく人間相手なのだから、手を振り払われても当然だ」

フォローしているのか追い詰めているのか微妙なユアンの言葉に、クラトスはコメントを返す気になれなかった。

しかし自分が嫌われているから振り払われたのではないのだと解った分、少しだけではあるが心が軽くなったような気がする。

受け入れられていないという事実には、変わりは無いけれど。

「ユアンの言う通りだよ。だからどんなに冷たくあしらわれてもめげないで!」

「そうだぞ。仲良くなる事の方が難しいのだからな」

ほぼ同時に肩を叩かれ、無邪気な笑顔を向けるミトスとユアンをクラトスは恨めしげに見詰め返す。

意図的に自分を追い詰めているような2人を目にして、そもそも相談する事自体が間違っていたのだとクラトスは漸く気付いた。

更に言葉を続ける2人の声を聞かないように意識しながら、クラトスは重いため息を吐く。

丁度その時、遠くの方から葉の鳴る音がして、クラトスはその音の方へと視線を向けた。

ガサガサと、何かが茂みを掻き分けるような音がする。

それは段々とこちらに近づいてくるようで・・・漸くその音に気付いたミトスとユアンが、揃って訝しげな表情でそちらに目をやった。

「・・・なんだ?」

ユアンが呟き、ミトスが剣を構えて身体を強張らせた瞬間。

一際大きく葉を鳴らして、茂みの中からすらりとした身体の少女が姿を現した。

!!」

ミトスの驚いたような嬉しそうな声が、ぼんやりとクラトスの耳に届く。

茂みから姿を現したは、挑むような目でクラトスを見据えていた。

どうして茂みの中にいたのか・・・どうして自分を睨みつけているのか・・・先ほどまで想いを巡らせていた相手の突然の登場に、思わず固まり動けないクラトスに向かって地面を踏みしめるように歩き出したは、クラトスの目前でピタリと足を止める。

表情には出さないが戸惑うクラトスと、一体何事かと息を呑むミトスとユアンを前に、は大きく息を吐き出し睨み上げるようにクラトスを見上げた。

「・・・クラトス」

躊躇いがちに呼ばれた自分の名前に、思わず目を見開く。

出逢ってから今まで、名前を呼ばれたことは一度としてない。―――初めての声で呼ばれた自分の名前に、込み上げる嬉しさを感じる。

「私・・・」

更に言葉を続けようとして・・・しかし言い辛そうには視線を逸らす。

言い淀むを前に、クラトスはジッと次の言葉を待った。

「この間は・・・助けてくれて、ありがとう。その・・・失礼なことをして・・・ごめんなさい」

ばつが悪そうに表情を歪めるに、クラトスは無意識に手を伸ばしていた。

先ほどしっかりと『は触れられるのが嫌い』だと聞いていたというのに、手はそのままの頭へと伸びる。

そうしてまるで幼い子供にするように頭を撫でると、はビクリと身体を震わせ身体を強張らせた。

しかしそれでもこの間のように手を振り払おうとはせずに、緊張した面持ちでされるがままになっているを見下ろして、クラトスは自分を受け入れてもらえたような気がして表情を緩める。

「気にしていない」

ポツリとそう漏らせば、は恐る恐るクラトスの顔を覗き見る。―――本人にはそんな気は微塵も無いが、その仕草は野生の獣というよりも臆病な小動物のように見えた。

視界の端に嘘つけと呆れた表情を浮かべるユアンを映しながら、それでもそれさえも気にならないほど、クラトスは今嬉しさを噛み締めていた。

クラトスの滅多にお目に掛かれないだろう笑みを見て唖然としていたは、しかし釣られてはにかむように微かに笑みを浮かべる。

やはりまだクラトスを相手に、完全に心を許す事は出来ないけれど。

少しづつ、歩み寄る事は出来るかもしれないと心の中でひっそりと思う。

どんよりと曇っていた心の中は、少しづつ青空へと変化しつつあった。

 

 

とクラトスが、どうにか和解の道を見つけた数日後。

ミトスと同じように、クラトスに剣術を習うの姿が森の中にあった。

少しでも打ち解ける為と、マーテルに勧められた事が半分。

そして今よりも強さを身に付け、この間のような失態を二度と犯さないという決意が半分。

未だにクラトスに対する態度はぎこちないけれど、それでも機会があれば言葉を交わし、姿を見れば挨拶をするほどには慣れたを見て、マーテルは満足げに微笑む。

2人の関係が変わるのも、そう遠くないかもしれないと・・・決して口には出さなかったけれど、マーテルは確信にも似た想いで少しづつ縮まる2人の距離を満足そうに見守っていた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

ヒロイン、かなりネガティブ思考。(笑)

ゲーム本編の頃はかなり悟りきった感じなので、まだ実年齢も幼いこの頃は少し子供っぽくしてみようかと思いまして・・・なんかクラトスがヘタレてますが。(苦笑)

作成日 2004.11.25

更新日 2008.10.8

 

 

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